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Letter From The Editor HODINKEE編集長ジャック・フォースターが執筆した1000記事から選んだお気に入りの5本

もちろん、どの記事も大好きだ。

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 この6年間で変化したのは、もちろんHODINKEEだけではない。時計の世界も目まぐるしく進化し、時計に関するインターネットコンテンツは、興味深い添え物から、コミュニケーションと商業の中心へと変化した。私はHODINKEEで、特定の複雑機構に関する極めて詳細な技術的な記事から、私の個人的な時計界のヒーローたちに関するビデオ、そして、多くの主要ブランドの主なリリースに関するHands-on記事に至るまで、さまざまな記事を書くことができた(“書けるようになった”と言う方がより正確かもしれない)。G-SHOCKを物欲しそうに眺めては、どうやって購入しようかと悩んでいた男にとって、決して当たり前のことではないのだ。

ロジャー・スミス氏が所有するオメガ スピードマスター プロフェッショナル。Talking Watches With Roger Smithより。

 私が時計に興味をもち始めた頃、時計に関するインターネットコンテンツは存在しなかった。ユースネットのニュースグループがいくらかあった程度だ。時計の情報はほかのニュースと同様、印刷物や雑誌で伝えられていて、新聞・雑誌販売所の棚の一番下に、鉄道模型やコイン、人形収集の雑誌と一緒に並んでいた(もちろん、こうした趣味に何も悪いところはない。言いたいのは、時計は極めてニッチな世界だったということだ)。

 四半世紀でどれほど進歩したかを考えることは本当に面白い。時計というのは突き詰めれば、基本的に雑学的なテーマであり、時計について書くのは評論の仕事のなかでも陰の方である(かつてジム・ハリソンは、ひきつった笑みを浮かべた母親から、「あなたは作り話を書いて相当なお金を稼いでいるわけね」と言われたと書いている)。しかし、時計はしばしば、最近めったに見られなくなった機械的な美しさを備えているし、その特有の方法で、過去500年間続いてきた物理学の同じ基本的課題を解決しようとする継続的な努力の、魅力的な小さな実例となってもいる。

   そして、もうひとつ。断言できるのだが、HODINKEE、そしてビデオチームやカメラマンを含むクリエイティブチーム全体のサポートのおかげで、私は仕事をやらされていると感じたことは一度もなかったし、それがなければ1000本も記事を書けたなんてとても思えないということだ。誰もが自分の会社と同僚たちに本当に恵まれているはずだ。

 以下は、私が情熱の炎を燃え立たせるのにそれぞれに貢献したと考えている5つのストーリーである。

   インターネットの世界ではよく、作り話やもっともらしい嘘が広まりやすい。核兵器の爆発で生じる電磁パルス(EMP)が、集積回路をドロドロに溶かすほどの高周波エネルギーを発生させるという話ほど、もっともらしい誤情報はないだろう。核弾頭が周囲のすべてをめちゃくちゃにしてしまうというのは直感的に理解できるため、私は長年この説を受け入れていた。しかし結局、電磁パルスがすべてを石器時代に戻してしまうという考えは、事実ではなかったのだ。

 時計について書いていると遅かれ早かれ、自然のサイクルとそれを理解しようとする試みによって、人は生涯を送っているのだと気づく。1日とは人工的に作られたものであり、実際には日の出と日没によって絶えず変化する昼夜のサイクルを、タイムゾーン全体にわたって24時間の平均でとらえたものだ。永久カレンダーはうるう年の4年周期に対応しており、これは一般的に、時計製造で扱う繰り返し期間のうちで最も長いものである。しかし、イースターの日付のサイクルはもっとずっと長い。その1サイクルを満了するには500万年以上かかる。この周期を歯車やレバーで表現するのは不可能に近いが、それでも挑戦を止めない人たちがいる。

 人の好みというのは、人生の早い段階で形成されるようだ。私の場合、最初に目にしたのを覚えている時計は、ロレックスの36mmイエローゴールドのデイデイトである。1年から3年に一度、国際色豊かな友人たちを引き連れて街を訪れては、みんなを驚かせていた叔父の手首に巻かれていた。自分自身については、そうした下品さをはるかに超えた、他を寄せ付けない洗練された審美眼をもつ者だと思いたいところだが、実際のところ(この記事を書きながら感じたのだが)、ゴールドの輝きには人を非常に強く引きつける何かがある。

 これほど誇れる記事はほかにないと思う。25年ほど前なら、望めばセイコー5とSKX007 ダイバーズウォッチという2つの時計を手に入れることができた。これらの時計を入手したなら、本物のブランドによる、本物の時計を2本手に入れたことになる。そのブランドの願いは、可能な限り良い時計を、可能な限り安価に製造することだったようで、贅沢なマージンを拒否していた。そうした時代は過ぎ去り、もう戻ってはこない。それでも時折、3人分の夕食をデリバリーで頼むより安い値段で、今後20年(あるいは30年)にわたって誇り抱いて眺められる時計を手に入れられた、そう遠くない過去を振り返ってみるのも悪くないだろう。

 それは小さくて薄っぺらい、安っぽい外見の伸縮する金属とバネのチューブのことである。その魅力は交通事故のようだ。ところが、この取るに足りない存在であるバネ棒は、何らかの形で存在する腕時計のほぼすべてを、存在するほぼすべての手首に固定しており、しかもうまく機能している。誰も気づかないところで働くミミズのように、そして、そのミミズが肥沃な土を絶えず耕さなければ、肥沃な大地も荒れ果ててしまうように、バネ棒もまた、その普遍性ゆえに消え去ることがない。2015年のある日、暇を持て余した変人が、この時計の主力商品を誰が作ったのだろうと考えた。……その変人とは私のことだ。

 トップのイメージは、HODINKEEに加入した2015年6月の筆者。右は“とても素敵な75ドルの時計” であるセイコー5。