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In-Depth 権力を象徴する存在-ロレックス デイデイト 36mmと40mmを比較

時には小さいサイズの時計の方が強烈な印象を残すことがある。

私の目が光に慣れてくると、部屋の中の詳細が霧の中からゆっくりと浮かび上がり、奇妙な動物、彫像、そして黄金 ― そこら中が黄金の輝きに溢れんばかりだった。

– ハワード・カーター著『ツタンカーメンの墓』

 1972年、私はペンシルバニア州に住んでいた。私の両親が、華やかではあるが比較的窮屈なニューヨークのアパートから郊外に逃れてきたためだ(セントラルパーク外れの86丁目にある2ベッドルームのそのアパートのことは今でも鮮明に覚えている)。 母はアメリカへの移民第一世代で(父は古き良きコネチカット州の湿地帯出身の典型的な北部人である)、ニューヨークの母の家族はほとんどが外交官だった。ある夏、私たちは父のフォード・ファルコンに乗ってニューヨークまで車を走らせ、美術館を巡り、カーネギーホールでピアノのリサイタルを聴き、外交官の叔父に国連総会議事堂の非公式なウォーキングツアーに招待された(これは、実際に多少なりとも国連の建物の中を自由に歩き回ることができた時代のことだ)。

ロレックスのデイデイトは、地球上で最もすぐにそれと分かるモデルである。

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 片田舎での生活をする小さな子供にとって、このことはかなり畏敬の念を抱かせるような体験であったが(私の両親は、自分たちを名誉あるニューヨーカー、つまりコスモポリタンな洗練された人だと自覚するよう子どもたちに印象付けようとしていたが、ビッグアップルを訪れたとき、実際のところ私たちは田舎者に過ぎないことをあらためて確信したのだった)、この旅で印象に残ったことの一つは、予想だにしないことだった。確かに、自然史博物館で恐竜の骨格を見たり(ティラノサウルスは当時正しく姿勢で直立しておらず、尻尾が地面を引きずっていた)、国連事務総長の椅子に座ったり(私の足は地面に届かなかった)、各国の首脳が集まる席を眺めたりする機会もあった。しかし、それまでにないほど私を驚かせたのは、叔父の手首に巻かれた金無垢のロレックス・デイデイトという時計だった。それを見て(イエローゴールド製のRef.1803だと99%確信している)、多かれ少なかれ、「男がこの世界で権力をもつことを誇示する時計だ」と思ったのを覚えている。

 それが、私がほぼ初めて目の当たりにした高級時計であった(最初の時計は、父のベンラス社トリプルカレンダーで、当時のペンシルバニア州中部ではかなりの高級時計だった;2本目はナショナルジオグラフィック誌の広告で、アポロ計画の宇宙飛行士が身に着けたオメガ スピードマスター プロフェッショナルだった)。それからかなりの年月が経ち、そのことをすっかり忘れていた。 大学院に入ってから、時計に興味を持ち始め、オンラインで時計の話をしたり、他の時計マニアの人たちと会ったりしていた。しかし、誰しも同じだと思うが、最初はロレックスとは関わりをもちたくなかった;身の丈に合わない趣味に背伸びしている大学院生であれば、成功した中古車セールスマンや成金を象徴する時計を欲しいと思わないのも無理はない。私は卒業後、職に就いてからも、人と時計の話をしたり、時計をいじったりしていた。ほどなくして、収集家とのディナーの席で別のロレックスと出くわしたのであった。

 そのモデルはピンクゴールドのベゼルが特徴のサンダーバードだったが、私に二つの衝撃を与えた。第一に、驚愕である。ロレックスなら誰にでも驚愕を与えることができることを忘れていたほどだ。第二に、長年忘れていた叔父のデイデイトを思い出させてくれたことだ。

(左)40mm径シルバーダイヤルのデイデイト、(右)36mm径シャンパンダイヤルのデイデイト。

 巷では、人の嗜好は幼い頃に形成され、定着するといわれているので、その後の知識の洗練によって嗜好を発展させたり、経験による紆余曲折が嗜好を変化させたり、知識が豊かな経験に導いたりすることが事実である一方で、いわば初恋は決して忘れられないということもまた事実だと思うのだ(少し前にNew Yorker誌に素晴らしい小説があった ― 誰が書いたのか覚えていないことが悔やまれるが ― その中で著者はある名言を披露している。 "愛の半減期は永遠である "と)。

 経験が嗜好を変えるのであれば、私が経験したことのないこととして(これまで色々なことがあったが)、実際に数分以上の間、デイデイトを着用することであった。そのギャップを埋めるときが来たのだ― 今この瞬間に。

 デイデイトには現在2つのサイズが展開されている。36mmと40mmの2サイズで、どちらのモデルもホワイトゴールド、イエローゴールド、エバーローズゴールド(ロレックス独自のローズゴールドの配合を指す)、プラチナのいずれかを選ぶことができ、気の向くままダイヤモンドをあしらったり、ダイヤルの色や仕上げを変えてみたり、ブレスレットやストラップを交換してみたりすることが可能だ。

 しかし、デイデイトはプラチナやホワイトゴールドでスティールに擬態したとしても、只ならぬ雰囲気を隠し通せやしない。エバーローズゴールドケースとブレスレットにはある種の粗野な豪華さを感じさせるものの、正直なところ、その組み合わせから得られる凱旋的で都会的な雰囲気はデイトナの方が適していると思う。デイデイトの最も重要なバージョン、純粋なデイデイトらしさの中で最も飾り気のないものは、イエローゴールド素材のモデルである。私は早くから叔父のRef.1803に目のあたりにしてきたことから、36mmのイエローゴールド製デイデイトを、ストレートで唯一無二のデイデイトと表現したい。

“ゴールドだよ、ボンド君。私の人生は常にゴールドで彩られてきたのだよ…その輝きと神々しい重厚さにね”

– ゴールドフィンガー 1964年

デイデイト36mm シャンパンダイヤル

デイデイトが採用する伝統的なサイズは直径36mmである。

 金無垢のデイデイトを身に着けることは、相反する感覚を体感することである。第一に、私のような時計愛好家が1956年の発表(当時はスイス時計見本市として知られたバーゼルワールドである)以来、デザインが大きく変わっていないこの時計に期待する、強烈で純粋なノスタルジーである。現代の一般的な基準、ひいては現行ロレックスの基準から見ても、直径36mmは小さい方であるが、この時計は視覚的にも(物理的にも)強烈であり、36mmでも十分な大きさであると思うだろう。確かに非常に質量の大きな時計なのだ(およそ174gの重量は、大衆的な時計の代表格であるセイコー SKX007<142g>と比べても際立って重い)。本記事のために我々が入手したモデルは、まさにゴールド尽くしである―ゴールドダイヤル(シャンパンが正しいらしいが、ゴールドとしか形容しようがない)、ゴールドの針、ゴールドのブレスレット、フルーテッドゴールドベゼル、そしてもちろん、ゴールドのケースである。

この時計のテーマは“ゴールド”なのだ。

装着感と仕上げはロレックスならでは。あらゆる基準を凌駕する。

 ロレックスについてほぼ例外なく当てはまるのは、品質、装着感、仕上げの全方位に隙が無いことだ。「ほぼ」のような消極的な修飾語を入れているのは、公平であるべきジャーナリズムへの私の良心が為せる業で、品質、装着感、仕上げに問題があるからではない。針とダイヤルのマーカーは、少なくとも装飾的ではないが、力強く、非常に高品質だ。 

 もう一つ特筆すべき点は、ブレスレットである。リンク間のクリアランスが非常に小さく、遊びが全くなく、着脱も簡単で素早く行える。簡単な操作にも関わらず、バックルはしっかりと固定される― 王冠型のクラスプを爪で引っかけると、ブレスレットは簡単に解除され、目の前にイエローゴールドの世界が広がる。ブレスレットはわずかな力で簡単にたわみ、個々の部品というよりは、魔法のように柔軟性のあるゴールドのインゴッドから作られたもの(想像できるだろうか)を身に着けているのかと感じるほど、腕との密着度が高い。 

想像する限り最上の着け心地を備えるブレスレット。

ブレスレットと王冠型のクラスプに仕込まれた、フォールド式バックルはエレガントかつ堅牢だ。

 レビュー目的でもそうでなくても、今まで身に着けてきた腕時計の中で最も認知度が高く、目立った腕時計であることは間違いない。ゴールド製ロレックスがどんなものかは、誰もが知っているようだ。“ゴールドロレックス”という言葉は、マスコミやエンターテインメントを通じて深く刷り込まれているためだろうか ― フィデル・カストロ、トニー・ソプラノ、数人のアメリカ大統領、ジェニファー・アニストンからカイザー・ソゼ(映画『ユージュアル・サスペクツ』の中ではこの登場人物が持っているように見える)、そしてダライ・ラマに至るまでゴールドロレックスとはそういう人々のための時計だと認知されているかもしれない。そしてパテックをビデか何かを作っている会社だと思うような人々でさえも瞬間的にゴールドロレックスだとすぐにそれと認識するようだ。  

 この時計を手にしていると、触っていいかと聞かれたり、持ってみてもいいかと聞かれたり(新生児を初めてベビーカーに乗せて外に連れ出すようなものだ)、少し信じられないような口調で“それは...あなたのですか?”と尋ねられたりする。ゴールドジュエリーとしての存在感とは比べ物にならないほどのインパクトがあり、装飾品としては、手首に着けるどんなものよりも劇的にインパクトがあるのだ。装着感が非常に快適で、優れた信頼性の高い精度を保持していることは、この時計のオマケに過ぎない。真夜中に瞬時に曜日と日付が切り替わるのを見るのは爽快な愉しみでもあり、日頃深夜まで起きている人がいるならば、この愉しみを分かち合うことができるだろう。

重量バランスとブレスレットの品質の高さは、36mmのデイデイトに非常に快適な着け心地を与える。

 マイナス面? 不思議なことに、マイナス面はプラス面の裏返しである。地球上の驚くほど大きな割合を占める人々が、よくも悪くも半ブロック先の街から瞬時に認識できる腕時計を身に着けることが、自分の気持ちを落ち着かせないのであれば、この時計を身に着けるべきではない。 

 この時計を身に着けることのない人は、この時計がひどく目立つオブジェだとよく言うが、私に言わせても、彼らの言う通りだ。この時計は、世界での自分の地位を誇示するものであり、下世話な攻撃対象となる境界線に足を踏み入れることである。赤いフェラーリを乗り回していると、遅かれ早かれ、高速道路を走っているときに、誰かの「クソったれ!!」という叫び声がドップラー効果に乗って聞こえてくるのと同じように、ゴールドの36mmデイデイト(総ゴールド製)は、通り過ぎざまに誰かが同じように褒め言葉にならないようなことを呟いてくる可能性がゼロではないだろう。他人の意見に少しでも不安を感じているなら、この時計を手にすることは考え直した方が良い。


デイデイト 40mm シルバーダイヤル

40mmシルバーダイヤルのデイデイト。大きい方だが、より優れているのは?

 日常生活では4mmの差はあまり重要ではないかもしれないが、時計にとっては熱狂的に受け入れられるか、すぐに悪名を馳せるかの大きな違いとなる。私が40mmのデイデイトが悪名高いと思っているわけではないのだが、36mmよりも4mm大きくなったという事実は着用する人やそうでない人々にとっても捉え方に歴然とした差を生むようだ。

シルバーダイヤルの採用はフルゴールドの外観を僅かに変化させる。

36mmのデイデイトと同様、装着感と仕上げには全く隙がない。

 40mmのデイデイトは36mmよりも単に大きいだけでなく、技術的にも優れた時計であることは間違いない(2015年10月に議論したように)。内部のムーブメントはロレックスの最新型である:Cal.3255は、最適化された形状のクロナジー脱進機が搭載されている。ロレックスは、これだけでエネルギー供給の効率が15%向上したとしている。パラクロム製ヒゲゼンマイ(ニオブ-ジルコニウム)とニッケル-リン製のレバーと脱進機により、耐磁性に優れており、発売時には、Cal.3255は、日差-2/+2秒という新しい独自のクロノメーター基準に調整された最初のムーブメントであった(ロレックスはその後、全製品ラインに拡大適用した)。対照的に、36mmのデイデイトはCal.3155を使用しており(訳注:2016年当時)、非常に安定した精度を維持することができる優れたムーブメントだが、おそらくCal.3255の特許出願中の14もの新機能は実装されていないだろう。

40mmのデイデイトには、クロナジー脱進機を搭載するより高性能なCal.3255が収められる。

 36mmのデイデイトはデイデイトらしさを象徴する中性子星(非常に密度の高い小さな星)―ラグジュアリーの特異点というものがあるとすれば、それ以上詰め込むと崩壊させてしまうような存在-のような印象だが、40mmのデイデイトは信じられないほどの大きさである。不思議なことに、このことは36mmと40mmのデイデイトに対する人々の反応の違いに顕著に表れていた。 

 36mmを目にすると、あらゆる人々は本物の存在をほぼ瞬時に認識する一方、40mmは人々に文字通り信じられないほど大きい印象を与えた。それは、映画のスクリーンを恐竜が闊歩しているのを見たときに、特殊効果を見ていると自動的に勘違いしてしまうようなものだ。40mmに注目する人が少なかったのは、想定外であった。見た瞬間に「物理的にありえない」と脳が自動的に拒絶して、“マイケル・コースのようなファッションブランドの時計だろう”と思い込んでしまうようなものかもしれない。36mmでは、デイデイトのゴールド(シャンパンでも良い)ダイヤルは、アンサンブルの一部になるのは当然だが、40mmではゴールドが多すぎ(36mmの174gに対して204gもあるので、その違いは顕著だ)、リッチさを減らす何かが必要だと感じた。その“何か”を担うのがシルバーダイヤルの採用である。

 とはいえ、それでも金無垢のロレックスのデイデイトには違いなく、その認識されやすさが無意識のうちに薄らいでいるのは、時計がいかに大きいかを如実に表しているのだ ― 我々が前述した、物理面、心理面の両面においてだ。この時計に一番似合うのは、おそらく体格の良い人で、時計の存在感がよりフィットしているように見えるだろう。 私には、それは余りにゴールド感に溢れたものであった。

40mmのデイデイトの腕の上での存在感は圧倒的だ。

さて、彼は海の底に沈んだ―彼が黄金を所有していたのだろうか?それとも、黄金が彼を?

– ジョン・ラスキン 『この最後の者にも』1860年

 この2つの時計が非常によくできた時計であることに異論はない。しかし、実際に身に着けてみると、社会的なシンボルとしての影響力が、純粋に時計学的な意味合いを遥かに超えていることが分かる。単にジュエリーという存在ではない:身に着けているだけで、ある種の伝統の一部になったような錯覚を覚え、自信に満ち溢れた態度でいるような気がしてならない。

 もちろん、その要因は、古くからある、全く説明のつかないゴールドの魔性と関係がある。上述したとおり、いわゆる正統派のデイデイトはイエローゴールドでなければならないと、私がそう感じているのは、最古の昔よりゴールドは知られた存在であったからだ。ゴールドは黄金色で、延性があり、壊れにくく、貴重な存在だ。もちろん、我々の宝が私たちの主人になる可能性について、常に問いが投げかけられてきた。1860年、ジョン・ラスキンはそれを簡潔に表現した。

 "最近、カリフォルニア船の難破船で 乗客の一人が200ポンドの金塊の入った鞄を自分の体に巻きつけていた。その後、彼は海底で発見された。さて、彼は海の底に沈んだ-彼が黄金を所有していたのだろうか?それとも、黄金が彼を?

並べてみると、この2つの時計は驚くほど違って見える(もちろん、似てはいるが)。

 ここがデイデイトの難問だ:どちらを選べばよい? 私にとって、最初は36mmを身に着けることの方が、お仕着せがましくないという点で気安く思えた―しかし両方着用して、2本のうちどちらが圧迫感があるのか私には甲乙つけ難くなった。すぐにデイデイトと認識される36mmは、目立つもののアイコニックさでは若干劣る40mmのデイデイトに匹敵する存在であるが、どちらのモデルも時計に隷属する気持ちを抱かせること(少なくとも、ゴールドへの全く非合理で破壊的な愛のような、とても古くからある、痒みを掻きむしるような感情を抱かせる時計)だけは愉快といえない点であろう。

ロレックス オイスター パーペチュアル デイデイト36mm Ref.118238 268万8000円(税込;2016年当時)、ロレックス オイスター パーペチュアル デイデイト40mm 351万2000円(税抜)