trophy slideshow-left slideshow-right chevron-right chevron-light chevron-light play play-outline external-arrow pointer hodinkee-shop hodinkee-shop share-arrow share show-more-arrow watch101-hotspot instagram nav dropdown-arrow full-article-view read-more-arrow close close email facebook h image-centric-view newletter-icon pinterest search-light search thumbnail-view twitter view-image checkmark triangle-down chevron-right-circle chevron-right-circle-white lock shop live events conversation watch plus plus-circle camera comments download x heart comment default-watch-avatar overflow check-circle right-white right-black comment-bubble instagram speech-bubble shopping-bag

Historical Perspectives バネ棒の発明者についての、意外かつ興味深い調査結果

真実はそこにある…いや、ないかもしれない。

 (このストーリーのきっかけとなったのは、我々のシュパイデルのツイスト・オー・フレックスブレスレット  (Speidel Twist-O-Flex bracelet)のストーリーに関するMrGrentchというコメント投稿者の質問だったのだが、この調査は全く思いもよらないような結果になった)

 それまで時計のバネ棒の発明者が誰なのか、誰にも聞かれたことがなかったのはおそらく良いことだったのだろう。というのも、1週間ほど前だったら私は全く見当もつかないと認めなければいけなかっただろうし、これまでバネ棒の発明者が誰なのかと考えたことさえなかったからだ。事実、深夜に衝動的にストラップ交換をしようという浅はかな行動によって、部屋の向こう側に飛ばしてしまったバネ棒に悪態をついてしまうことが時折あるにはあるが、私が腕時計に興味を持ち始めたときから今日までに(その期間は自分が認識するよりもずっと長いが)バネ棒について考えたことはほとんどなかったのだ。

spring bar history inventor patent

バネ棒は、

2万円のセイコーダイバーはもちろん、

500万円のヴィンテージロレックスまで、

まさにどんな時計にも付いている。

見かけは頼りないが、

実際は高い信頼性を持つ。

掃除や修理ができないため

基本的に使い捨てだ。 

 バネ棒とは、目に見えない部分を含めどこにでもあるものだが、考えれば考えるほど奇妙に見えてくる。

 どんな時計の中であっても、パーツの中で間違いなく最も平凡な部品であり、私の知る限りでは、1万円弱から800万円台の時計であっても全く同じものが使われているように見える。一部のメーカーは、自分で取り外しができるよう、小さなつまみ付きのバネ棒を採用したり、金無垢の時計に金のバネ棒を採用したりもしているブランドもある(まぁ、金額を考えれば妥当だろう)。しかし、いずれの場合も基本的な原理は同じだ。内蔵されたバネにより伸縮するチューブの2本のピンを、腕時計のラグ穴にはめて留めるという構造である。このバネ棒を取り外すには小さな工具を使用する必要があるが、10秒程でラグに10年間分ぐらいの傷をつけてしまいかねないため、慎重に作業する必要がある。 

 そんなバネ棒を100個以上注文するつもりなら、1個あたり約100円(この記事の執筆時現在)と非常に安価でオットー・フレイ(Otto Frei)から購入することができる(これらは、「スイスの小さな村で手作業により組み立てられたもの」である。それ以外のバネ棒メーカーは、粗悪な商品と共に追放されてどうにでもなってしまえばいいのだ)。 バネ棒は、2万円のセイコーダイバーズはもちろん、500万円のヴィンテージ・ロレックスまで、まさにどんな時計にも付いている。見かけは頼りないが、実際は高い信頼性を持つ。掃除や修理ができないため基本的に使い捨てだ。

 バネ棒が誰によって発明されたのか調べていくうちに、私だけではなく、かなり多くの人がその発明者が誰なのかを知らないようだった。事実、HODINKEEのメンバー全員を始め、私がいつも助けを求める大手オークションハウス数社の腕時計部門トップや、時計学の歴史家や、初期の腕時計の歴史の専門家を含むどんな人であっても知る人はいないようだった。
 これは非常にじれったいものだった。このいまいましい物を発明したのは一体誰だったのだろう? 詳細を調べ始めたときは、せいぜい15分ぐらいで終わると思っていたのだが、実際には不明瞭な特許アーカイブと数時間戦うことになった。そして、徐々に腕時計をベルトに取り付ける方法(これは簡単に見つかる)に関する特許だけでなく、実際に初期のバネ棒の特許(これには苦労した)のような情報までもが見つかり始めたのだ。

腕時計の誕生

 当然のことだが、19世紀末にかけて腕時計の開発が始まるまで、バネ棒を使った方法の特許を見つけることはできない。腕時計は、時計の歴史の中ではかなり遅くに誕生したものだ。数百年もの間、理論的には可能だった期間があるものの(例えば、レスター伯がエリザベス1世にブレスレットウォッチを献上したとされているが、最初の腕時計がどのようなものだったのかという質問が、どのようなものを腕時計と呼ぶべきなのかという質問へと変わっていき、これは興味深いが時間がかかってしまうため、今はそのままにしておいたほうが良い)、時計史の大半では腕時計サイズのムーブメントにあまり正確なものは無かっただろう。また手首に装着する時計は、何世紀にもわたって取るに足らない存在だったため、ベルトに留める方法の改善策がほとんど考えられることがなく、また考案しても何のインセンティブもない状態だった。

spring bars invented by history of

 20世紀以前の腕時計はブレスレットウォッチが主流で、主に精密機器としてではなく、興味をそそる機械のついたアクセサリーとして、ほぼ例外なく女性が身に着けていた(これには聞き覚えがあるのではないだろうか)。しかし、真の本格的な時計は、近代の戦争が始まる直前までは相も変わらず懐中時計だった。(初期の正確な軍用腕時計の一般的な用途のひとつは、将校が自分の部隊が友軍の誤射に見舞われないように指揮するためというものだった)戦場にいた男たち、まずは将校、そしてその後は次第に下士官兵らが、上着の中に隠した時計を見るよりも手首の腕時計を見るほうがより実用的だということに気付き始めたのだった。

 腕時計の初期には、手首ではなくその他の部位に着けることも考案された。 以下に挙げているのは、その一例だ(目に見えて明らかな実用面的欠点があったが)。
 1898年のコネチカット州のマーティン・ピアソン (Martin Pierson) 氏によるもの(ピアソンの特許資料を読みながら、こんなに分かりにくい特許に目を通すことを仕事としていた人について思いを巡らせた)。 この特許は、現代のブランドがそのデザインの一部を先人のものから着想を得たことを明らかにしている。 ピアソンの特許は、今となっては笑いの種になるかもしれないが、このデザインは、2008年のスウォッチ・グループのデザインを含め、複数回にわたって復活、あるいは少なくともデザインに若干手を加えられている。つまり最後に笑うのはこれまで惜しまれることのなかった故マーティン・ピアソン氏なのかもしれない。
 手の甲に腕時計を着けたい人は、どこかにいるだろうか?

Pierson Pocket Watch Case Back Of Hand
リストレットから腕時計へ

 軍用の腕時計が初めて普及したのは、おそらく第二次ボーア戦争中の英国軍だったが、このときの腕時計は、概ね懐中時計をベルトに固定するための革製のカップ(これらはしばしばリストレットやリストレットウォッチと呼ばれるもの)だった。
 繰り返すが、今になって思えばその扱いは面倒で外観も不格好だったが、有効だった。第一次世界大戦が開戦する頃には、これらのリストレットは、ベルトを縫い付けることができるワイヤーラグ付きのケースへと進化したが、民間人向けの第一世代の腕時計は、それ以前に既に販売されていた。
 例えば、カルティエは、トノー、サントス-デュモンやトーチュを開戦前にすべて発売していた。バネ棒が発明される前の、ワイヤーラグが付いた、いわゆる「トレンチウォッチ」以外の腕時計はさまざまな方法で装着されていたが、一般的には金属製の棒をはんだで固定、またはネジ留め(カルティエのトノーがこの一例だ)、一方で金属製のブレスレットは、もちろんケースに直接はんだ付けする方法で留められていた。この1924年の特許の時点までに、腕時計にベルトやブレスレットを装着するためのさまざまな方法が多数登録されていたのだ。

august beucke keystone watch company case

1924年の「腕時計用ベルトの取り付け(Strap Attachment For Wristwatches)」という、キーストーン・ウォッチ・ケース社のアウグスト・ビューク(August Beucke)氏による特許。

ADVERTISEMENT
Victor Sence 1917 Patent Wrist Strap Attachment System

マンハッタン在住のビクター・センスによる腕時計用ベルトの特許(1917年)。

 初期の取り付け方法の多くにはっきりと目に見えた問題は、ベルトの交換、さらにはベルトの取り付けさえ簡単ではなかったということだ。そして、第一次世界大戦後に腕時計がますます普及するにつれて、人々はより良い解決策を求めて色々と考案し始めたのだった。 

 そしてここからが、現代のバネ棒誕生の調査が面白くなってくる。「腕時計 バネ棒 特許」というキーワードをGoogleで検索すると、主に1940年代半ばから1950年代半ばのものが検索結果として表示されるが、人間の知恵と、モノをいじりたいという願望により、現在に至るまでバネ棒の改良や、バネ棒を排除しようとした痕跡を見ることができる。例えば、1979年には、ビル・D・ウィリアムズ (Bill D. Williams) 氏が、ベルトに一体化した押しボタン式クリップで腕時計のベルトを取り外す、これまでになかった手法を考案している (若干手の込んだからくりであるものの、それまでになかった手法だった)。
 もうひとつ、すぐに気づくのは、「バネ棒」という言葉が腕時計よりもはるか昔に存在しており、この数百年の間にその意味はさまざまな時、人々にとって異なる意味を持つものだった(例えば、ここで紹介するのは、この言葉が、「バネ棒付きあぶみ(spring-bar stirrup)、あぶみに足が引っかかって落馬し、地面に引きずられての死亡事故を軽減させる装置についてとりあげた記事で使われている。 つまり、時計学研究の観点から言うと、少なくとも行き止まりだということだ)ということが分かる。

Vintage Cartier Tonneau

ヴィンテージ・カルティエ タンクとトノー。(画像はサザビーズのご厚意により転載許可をいただいたもの)

 初回の検索結果を眺めると、二つのことに気づく。ひとつめは、バネ棒を指すのに使われた言葉が一様でないこと(例えば「バネピン」と「ロールピン」の双方が見られ、もれなく検索するためにはいくつかの代替的なワードをいくつか試す必要があることを意味する)、そしてふたつめは、既に広く使われている解決手段だと考えられるものの改良だということだ。 言い換えれば、1940年代になるかなり前にバネ棒が誕生していたということだ。
 例えば、1946年にロバート・コニコフ(Robert Konikoff)氏 が出願した特許を例にとってみると、「当技術分野で周知のように、これらのバネ棒は、腕時計のケースのラグの間で拡張し、ラグの開口部または穴にはめ込まれるバネで押し付けられるピン、またはトラニオンが両端に備わっている…」と書かれており、これはバネ棒がそれまでにも広く使われていたことが暗示されている。もう1件、1946年に出願され、1950年にヌンツィオ・ガルネリ(Nunio Guarneri)氏に付与された特許は、「本発明は、腕時計のバネ棒 (原文ママ) に関するものであり、特に一般的に腕時計をバンドまたはブレスレットとつなぐためのバネピンの棒に関わっている」(このガルネリ氏の特許出願書では、ナショナル・チューブ・カンパニーという非常にありふれた名称の会社が出願し、1899年に付与された特許が「先行技術」として言及されている。当時、ナショナル・スフィア(球)カンパニー、はたまたナショナル・キューブ(立方体)カンパニーなどという名称の会社もあったのだろうかと頭を悩ませたのだが、バネ棒とは全く関係がないことが分かった。 しかし、故ヌンツィオ・ガルネリ氏が、その身元がチューブ作りの歴史において永遠に謎となっているデイヴィッド・ヘギー氏の技術に言及したのはそれなりの理由があったのは間違いない)。

Konikoff spring bar patent 1946

コニコフのバネ棒の特許(1946年)。

バネ棒の起源を探して

 幸運にも、これらの特許の特許権者らは、先行特許を几帳面に扱っていた。 前に引用された特許のぱんくずリストをたどると、かなり昔へと遡る。例えば、1931年には、エルジンがベルトと一体化したバネ棒、またはバネピンのように見えるものを使って腕時計のベルトを装着するという特許を付与されている。 

 しかし、ガルネリの特許では、その足跡をさらに昔へと遡ることができる。ガルネリが言及した特許のひとつは、1927年にイシドール・ディンツマン(Isidor Dintsman)氏(1886-1967)が申請し、1929年に公開されたものだ。 ディンツマンは、ディエル・ウォッチ・ケース・カンパニーの創業者で、ヴィンテージウォッチディスカッションフォーラムの投稿によると、その家族がニューヨークのクイーンズにあった多様な腕時計ケースやパーツ事業を所有していたということだ。これらの会社のうち、2社の所在地は、「137-11th Avenue」で、そのうちのひとつ、I.D.ウォッチケースカンパニーは、少なくとも1980年代半ばまでは事業活動を行っており、その規模は、1983年に5800万円相当の金とダイヤモンドの盗難にあう程だった。ここでその栄光の全容をご紹介しよう。これはその時点で、バネ棒に付与された最も古いとは言えないまでも最も古い特許の一つだとされていたものだ。

Isidor Dintsman Patent Spring Bar wristwatch

1929年にイシドール・ディンツマンが特許を取得した腕時計のバネ棒。

 興味深いことに、この特許ではこのバネ棒が新しいアイデアだということを明らかに主張しているようだった。その導入部の一部には、「この発明は、ベルトまたはリボンに関連するもので、特に腕時計に使われるものであり、この発明により、特殊な器具を使うことなく手でベルトまたはリボンを簡単に取り外すことができ、また同時にベルトやリボンをしっかりと固定することができる…」と記載されている。  こちらでその特許の全文を読める

ADVERTISEMENT

 この時点では、あらゆる所で目にする最初(少なくとも米国では)のバネ棒の特許は、1921年にこの特許を出願したフレッド・グリュエン(Fred Gruen)に付与されたということに言及すべきだろう。グリュエンの特許を見てみると、これが腕時計をベルトに留めるための一種の伸縮式の棒だったことが分かるかもしれないが、今日のバネ棒の外観とは全く異なるものとなっている(棒が螺旋バネの伸張によりラグ穴の中に留まるのではなく、放射状のバネクリップのようなもので内側の棒が固定されている)。

Fred Gruen 1921 Patent

フレッド・グリュエンの伸縮式ストラップバーの設計図 (1921年)。

 結局のところ、この時点では、1929年のバネ棒の特許が最初のものだと思えたので、それぐらいで切り上げておけば答えが見つかったも同然だと確信していたのだが、私は完全に間違っていた。この記事の最終版になろうというものを仕上げていたときに、以下のようなものに出くわしてしまったのだ。

チャールズ・デポリエとデポリエのコンバーチブル腕時計

 この腕時計はなんと1915年という遠い昔に遡るのものだ。 この特許は、コンバーチブルウォッチ、つまり、懐中時計と腕時計に交互に変えて使える仕組みに関するものだ。ご覧のとおり、若干複雑な仕組みになっており、おそらく使いづらく、壊れやすいものだっただろう。この仕組み自体は一目瞭然であり、現代のバネ棒の趣旨と目的のすべてに依存していることが明らかである。
 今にして思えばチャールズ・デポリエ(Charles Depollier)はアメリカの時計学の初期の人物として、その名が後世に伝えられている人物ではないかもしれないが、非常に興味深い人物だったことが分かった。デポリエは米国の時計製造の草分けだった。ジャック・デポリエ&サンズ社の2代目オーナー社長で、ウォルサムなどの著名なメーカーのムーブメントを使い、ケースにはめ込み、デポリエというブランドで腕時計を製造し、(デポリエの時計ケース会社、デュボワ・ウォッチ・ケース・カンパニーは、デポリエ&サンズの子会社だった)ニューヨーク市のメイデンレーン(当時のマンハッタンの宝石街の中心だった)のショールームで一般向けに販売していた。概してこの時代の腕時計の大半は、さまざまなメーカーから調達したムーブメントやケースを卸売業者が組み立てるというものだった。

 デポリエの腕時計の中でも最も有名だったのは、スクリューロックと、スクリューバック(ねじ込み式裏蓋)、温度による衝撃の影響の軽減を目的とした機能が備わったデポリエ「防水・防塵」腕時計だ。この腕時計は、飛行のパイオニア、ローランド・ロールフス(Roland Rohlfs)が1919年に飛行高度の記録を3万4610フィートで破った際に使用されていた。デポリエは、当時、ロールフスが自社の腕時計を使用したことを大々的に業界紙で宣伝した(メルセデス・グレイツェ【Mercedes Gleitze】がイギリス海峡を泳いで渡り、ロレックスのスポークスパーソンになる数年前に、有名人をマーケティングに起用した興味深い例である)。

 デポリエは時計関連の特許を多数付与されており、腕時計ベルト用のバネ棒の特許がありとあらゆる所を探した後で分かった最も古いものだった。1915年に申請し、1916年に付与されたこの特許文書の難解な法律用語ばかりの全文はここから見ることができる。

バネ棒は、既にお話ししたように、

世界中で称賛されるようなものではない。 

安っぽく見えるが、腕時計をベルトに

つなぎぎ留めるための解決手段であり、

これは特に高級な腕時計を

非常に高価なベルトに留めるときに

その安っぽさがさらに顕著になる。 

 とはいうものの、デポリエが現代のバネ棒の発明者だったとは断言するのはほぼ間違いだといえるだろう。結局のところ、発案や発明の歴史においては複数の人々がおおよそ同時期に同じものを考案していることが多いのだ。時計のバネ棒がデポリエの発案によるものではないという状況証拠があり、また、留め具としてのバネ棒がデポリエの発案ではなかったという実際の証拠もある。
 一例を挙げると、伸縮式バネ棒は腕時計の誕生のかなり前から存在している。 以下に示しているのは、1882年にT.R. ブーン氏(T.R. Boone)に付与された「カフスとドレス用サポーター」という装置の特許だ。 この装置は、伸縮式のバネ棒に依存していることがかなり明らかだが、この腕時計をベルトで留めるというアイデアをデポリエの1915年の特許まで誰も考案したことがなかったという可能性は非常に低い(当然誰かが最初に考案した人物になるわけだが)。

TR Boone Cuff Dress Springbar

 またもうひとつ、私がフランス語があまり得意でないということと、ドイツ語が全く分からないということにより、ヨーロッパの特許の多くは英語版のものよりも調査が難しいという理由もある。(フランス語とドイツ語に堪能な我々のコラムニスト、ルイス「BRING A LOUPE」ウェストファランが挑戦に応じてくれたが、ヨーロッパの特許データベースから1915年以前のものは未だに何も見つかっていない。それでも、ルイスはついに、バネ棒の発明がフランス、あるいはフランス語圏のスイスだったといえるとアタリをつけた。 デポリエの家族はスイスのジュウ渓谷出身の、時計職人一家だということが分かったのだ)

  バネ棒は、既にお話ししたように、世界中で称賛されているものではない。安っぽく見えるが、腕時計をベルトに繋ぎ留めるための解決手段であり、これは特に高級な腕時計を非常に高価なベルトに留めるときにはその安っぽさがさらに顕著になる。バネ棒は概して信頼できるものだが、時折壊れることがあり、また、壊れたときには、100円程のバネ棒が壊れたことにより腕時計が落ちて修理が必要になることもある(もしくは、ボートのへりから落として完全に紛失してしまう)。
  バネ棒の故障に対する保険として効果を発揮するとされているのが、NATOベルトの強みのひとつだ。このベルトは、その他考えられる解決手段(ロックタイトを使用しない限り、時間の経過と共に緩んでしまうネジなど、これらにも他の問題があるが)よりも安全性は低い。 このベルトにある些細ではない問題は、我々の多くにラグを傷つけることなくベルトやブレスレットを交換できると勘違いさせてしまうことだ(またここでも証明してみせるが、悪質な時計メーカーを除いて、腕時計にとって最も危険な存在は確実にその所有者なのだ)。
  とはいうものの、バネ棒は表面上は現代の時計製造にはなくてはならない重要なものだが、その不可欠ながら当たり前だと思われている役割を果たしていることからも、心から愛されないまでも、少なくとも尊敬されるべきものなのだ。

tudor ranger spring bar history

 もちろん、この記事が公開されると同時に、呆れはて、鼻息を荒くして「1826年にル・ロックル/パリ/ラ・ショー=ド=フォン/ジュネーブの[無名な人物の名前]が「革製ベルトで腕に腕時計を留めるためのバネ稼働式シリンダー」の特許を知らないなんて馬鹿な奴だなあ。世の中どうなってるんだ」と言われる可能性がある、いや、おそらく言われるだろう。 ここまで調査を進めた後ではあるが、デポリエの前に腕時計のバネ棒について付与された特許があったかどうかに大いに興味を持っているので、どなたかご存知の方がいらっしゃったら、コメント欄でお知らせいただきたい。
 エリザベス1世のブレスレットウォッチがひと組のバネ棒で固定されていたという可能性は低いが、時計製造の歴史について素晴らしいことのひとつは、自分が確信できるだろうと思っていても、確実にはできないというところだ。

 メイデンレーンやニューヨークの宝石街についてもっと知りたいという方は、メイデンレーンとブロードウェイの交差点で今日になっても時を刻み続けている ニューヨークで最も名高い時計のひとつに関するHODINKEEの傑作記事をこちらからお読みいただきたい。