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Thin Case, Bold Challenge: ピアジェが貫くアート・オブ・ウォッチメイキング

めくるめく輝きや洗練されたデザインを、唯一無二の薄型技術で支える。ピアジェはその個性豊かなウォッチメイキングをアートへと昇華する。

薄型への飽くなき挑戦を続けるウォッチ・マニュファクチュールと、独創的なデザインと超絶技巧を誇るハイジュエラー。ピアジェはこのふたつの顔を持つ。だがそれはけっして相対するのではなく、両者が織りなすことで最高の作品を作り上げるのだ。精緻なメカニズムと美を極めたデザインや装飾との融合は、時代の感性を捉えたまさにアートといっていいだろう。そうしたメゾンを象徴する代表作がピアジェ ポロだ。誕生から45年近くに渡って魅力を研ぎ澄ませ、エレガントに進化を続ける。その類いまれなタイムピースは、独自のアート・オブ・ウォッチメイキングの世界を映す鏡だ。


生粋のマニュファクチュール

フランスとの国境にほど近いスイスジュラ山脈の山間、のどかな丘陵が広がる、「妖精の丘」と呼ばれるラ・コート・オ・フェの地では、かつて冬季の農閑期に時計製造が行なわれていた。ピアジェ家も例に違わず、なかでもウォッチメイキングに強い情熱を抱いたジョルジュ=エドワール・ピアジェは、1874年にわずか19歳で農場内の建物に工房を構え、製作に没頭。妻のエマ自身も時計職人で、夫から贈られた時計をいつも首から下げていたという。やがてその高い技術は認められ、息子のティモテが継いだ1910年代には名だたる高級時計ブランドにムーブメントを供給する重要なサプライヤーになったのである。

 ピアジェの名声が高まるにつれ、ピアジェ家以外の近隣住民も生産に関わるようになった。時計製造は地域の産業となり、ラ・コート・オ・フェも発展していく。そうしたなか、ティモテはひとつのアイディアを思いつく。それは一族の名を記した時計を作るという大胆な発想だった。ムーブメントの生産からウォッチや懐中時計を自社で一貫生産するマニュファクチュールへ。これを後押ししたのは、旺盛なチャレンジ精神と優れたビジネス感覚であり、はたして1943年にピアジェの名称を正式に商標登録し、ウォッチメゾンとしてさらなる躍進を遂げたのだ。

ラ・コート=オ=フェの工房

ジュネーブ郊外、プラン・レ・ワットのマニュファクチュール。

 3代目ジェラルド・ピアジェと弟のヴァランタンは、世界各地に販路を拡大する一方、1945年に研究開発を充実させた工房をラ・コート・オ・フェに新設した。ここでヴァランタンが開発、1957年に発表したのが薄型の手巻きCal.9Pだ。1960年には自動巻きCal.12Pを手がけ、薄型技術のパイオニアとしてその名を世界に知らしめた。

 こうした極薄ムーブメントは薄さや軽さだけでなく、ウォッチデザインにこれまでにない自由度と創造性をもたらした。これを生かすため、ヴァランタンは独創的なジュエリーウォッチを手がけるとともに、ケースやブレスレットの製造を依頼していたジュネーブの宝飾アトリエを傘下に収め、1961年に統合を図る。さらに1976年にはジュネーブに新たな工房を建造し、時計の組み立てと金細工やジェムセッティングの全行程を自社で行なう体制を整えた。

 そして2001年、時計とジュエリー合わせて20以上の専門製造部門を統合した新工場マニュファクチュール・ド・オート・オルロジュリー・ピアジェをジュネーブ郊外のプラン・レ・ワットで本格稼働し、創業地ラ・コート・オ・フェでのムーブメントの開発製造を合わせ、現在のマニュファクチュール体制を確立したのである。

 

極薄ムーブメントの追求が生んだ芸術的な可能性

「常に必要以上に良いものをつくる」。これは創業時から続くピアジェ家の家訓であり、いつの時代も変わることなく遂行されてきた。とくに“必要以上に”という、オーバースペックともいえるほどの限界への挑戦の結実が薄型技術だ。

 すでに1913年にはピアジェは薄型ムーブメントのスペシャリストとして当時の時計サプライヤーカタログに登場していた。ウォッチメゾンとして新たなスタートを切った40年代、この薄型の探求にさらなる拍車をかけたのも当然の帰結だろう。強力な推進役となったのがヴァランタン・ピアジェだ。厚さわずか2mmの極薄の手巻きCal.9Pを1957年のバーゼル・フェア(のちのバーゼル・ワールド)で発表するや、当時世界最薄手巻きムーブメントのひとつとして大きな注目を集めた。しかしそれはあくまでも端緒に過ぎなかったのである。

1957年に発表された9Pムーブメントの厚さはわずか2mm。

1960年に発表された12Pムーブメントは、2.3mmという厚さで当時の世界最薄自動巻きムーブメントだった。

 その3年後、同じくバーゼル・フェアで発表した薄型の自動巻きCal.12Pは、再び世界を熱狂させた。それは2.3mmという薄さを極め、世界最薄自動巻きの記録を打ち立てたのだ。この究極の薄さの実現には、革新的な発想と高度なマニュファクチュール技術が不可欠だったことはいうまでもない。巻き上げ機構には比重の高いゴールドのマイクロローターを組み込み、ムーブメントの厚みを抑えた。それはまさにピアジェの真骨頂であり、以降、薄型はメゾンの代名詞になったのだ。

内部にCal.9Pを搭載したピアジェ Ref.904(1950年代製)。

直径32mm、厚さはわずか5mm。

 薄型技術は、独自のウォッチメイキングにも多くの恩恵をもたらした。軽く、まるで手首と一体化したような心地良い装着感はもちろん、ムーブメントの厚みという制約を受けないことから、デザインや装飾における新たなクリエイティビティの扉を開いたのである。

Cal.9P搭載のYG製懐中時計

Cal.9P搭載の腕時計

Cal.12P搭載の腕時計

ジャクリーン・ケネディ所有の1本

カフ・ウォッチ、21世紀コレクション

ジュエリーウォッチ

 1960年代には、これまでできなかったようなジュエリーセッティングや斬新なデザイン、文字盤に半貴石を用いた大胆なカラー演出などを発表し、マスター・ウォッチメーカー&ジュエラーという位置づけをより鮮明に打ち出す。その両輪があったからこそ、1970年代にクォーツ式時計が台頭し、スイスの機械式時計が壊滅的状況になってもマニュファクチュールとして存続できたといえるだろう。唯一無二のオリジナリティは、時代の感性によってつねに磨かれ、メゾンの新境地を切り開いていく。その推進力となったのが創業家4代目のイヴ・ピアジェであり、彼の大胆な発想が、後にピアジェ ポロの誕生へと繋がっていくのである。

 

スポーティシックなアイコン

1970年代は大きな時代の変革期だった。反戦運動や若者たちの革命を経て、カウンターカルチャーがメインストリームになり、社会やライフスタイルも一転した。そして宇宙に進出するほどの技術革新は時計の世界も例外ではなかった。クォーツの登場だ。

 多くの機械式時計がこれに取って代わられるなか、高級時計は新機軸を打ち出す。ラグジュアリースポーツと呼ばれるスタイルである。スポーティなデザインや機能性を備えながらもエレガンスを損なわない。それは旧態然としたドレスウォッチとは異なる、よりモダンな高級時計として高く支持されたのである。

オリジナルのピアジェ ポロ。

 創業家4代目イヴ・ピアジェは当時話題を呼んでいたジェットセッターに注目し、多くのセレブリティやアーティストを顧客としてピアジェをラグジュアリーの象徴へと押し上げた。世界を飛び回るアクティブで多彩なライフシーンにふさわしいデザインに加え、エグゼクティブの社交場となっていたポロクラブに漂う洒脱さから着想を得て、1979年にピアジェ ポロを発表した。

 一体型ブレスレットはラグジュアリースポーツにも共通するが、ケースと完全に融合したデザインをゴージャスなゴールドで統一し、繊細なポリッシュとサテンを組み合わせた仕上げは、まるでジュエリーウォッチを思わせる。まさにピアジェならではのスポーティシックだ。

スクエアケースのモデルも。

 一躍メゾンのメンズウォッチのアイコンとなったピアジェ ポロは、2001年に第2世代へと進化を遂げた。シャープなストライプを配し、ケースとブレスレットの一体感を演出した独自のスタイルを継承しつつ、ケースの大径化に加え、強く印象づける数字やカレンダーを備え、スポーティな存在感を強調した。それは21世紀という新たな時代にふさわしく、以降トゥールビヨンやクロノグラフの搭載など、コンプリケーションからスポーティまでコレクションの世界観を幅広く展開したのである。

 ピアジェ ポロはいつの時代もモダンの象徴であり、進化を止めることはない。2016年にはその第3世代ともいえるピアジェ ポロSが登場した。ラウンドケースにクッションフォルムの文字盤を統合し、オンからオフへとシームレスに多様化する都会的な時を刻む。Sはシグネチャーを意味し、既成概念にとらわれず、自分らしいスタイルを貫く強い意思が込められている。

 

モダンウォッチメイキング

現在のコレクションは、ベーシックな「デイト」からポロの競技場の芝模様を模した新作の「フィールド」を始め、クロノグラフやスケルトン、トゥールビヨンやミニッツリピーターといったコンプリケーションを揃える。当然ジェムセッティングを施した豪奢なジュエリーウォッチもあり、選択に困ることはない。

 なかでもピアジェらしさを感じる注目の新作モデルがコレクションで初の永久カレンダーモデルとなるピアジェ ポロ パーペチュアルカレンダー ウルトラシンだ。名作12Pから半世紀を経て登場した後継キャリバー、1200Pにムーンフェイズ付きの永久カレンダーを搭載した1255Pを採用し、その厚さは4mm、ケース厚も8.65mmに抑える。

 時計愛好家にとってコンプリケーションの価値は、女性のおけるジュエリーに匹敵するといえるだろう。もちろん、美しい仕上げや美観も欠かせない。メゾンのロゴを刻むマイクロローターは12Pの伝統を継承し、各パーツに施された美しい仕上げには目を見張る。

 その複雑機構にも関わらず、デイリーユースにも応える薄型スタイルは永久カレンダーという機能をより堪能でき、まさに日常で味わえる真のラグジュアリーだ。精緻なメカニズムをアピールしつつ、極薄ならではの心地良いフィット感が味わえる現代的なメンズウォッチなのである。

 70年代のジェットセッターに代表されるアクティブでゴージャスな象徴から、エフォートレスかつインフォーマルを求める現代のライフスタイルに寄り添う。ピアジェ ポロは、時代とともに変遷し、洗練に磨きをかける。しかし身に纏うことでより魅力を増す薄型の美学は貫かれ、変わることはない。不変的な個性はまさにアートと呼ぶにふさわしい。

 

Words:Mitsuru Shibata Photos:Tetsuya Niikura(SIGNO) Model: KAGIRU (donna models) Styled:​Eiji Ishikawa(TRS)