国産初のスポーツウォッチはいかにして生まれたのか?
「ローレル アルピニストが誕生したのは1959年ですが、その時代はセイコーがさまざまな技術に積極的に取り組んでいた時期と重なります」 そう語るのは、時計コレクターであり、アンティークウォッチディーラーでもある本田義彦氏だ。
確かに1956年に国産初の自動巻きモデルが誕生し、1959年には独自の巻き上げ機構であるマジックレバーを搭載したジャイロマーベルがデビュー。翌1960年には最高峰モデルのグランドセイコーが生まれている。国産初の腕時計ローレルから40年以上積み上げてきた技術の蓄積が、まさに花開こうとしている……。そんな時期だった。ローレル アルピニストの歴史もまた、時計進化の歴史と無縁ではない。その物語は諏訪精工舎のマーベルから始まる。
「まずはセイコー マーベル ダストプルーフというモデルが1950年代に発売されました。これはローレル アルピニストと同様、スクリューバック式ですが“防塵”としたのは防水性能が低かったからです。そして、その後登場するローレル(マーベルの普及版)には針に夜光塗料を使用したモデルがありました。スクリューバックケースを与え、インデックスにも夜光塗料を施し、さらに汗を防ぐウォッチパッドを付けて販売したのが最初のローレル アルピニストだったのです」
ローレル アルピニストへのオマージュを込めて
「ローレル アルピニストは、アンティークウォッチのなかでも貴重です。とくに汗止めのウォッチパッドまで揃っているのはかなり珍しいです。ひょっとするとライトユーザーにとっては使いにくく、外してしまったのかもしれません。しかしこの実験的なスタイルのおかげで、コレクターズアイテムとなりました。レアでカッコいいですからね。それこそ素のローレルやチャンピオンの10倍くらいの値がつきます。今回復刻されたことで、さらに注目されるのではないでしょうか」
1959年当時、人々の身近なレジャーといえば登山やハイキングだった。そういったアクティブなシーンに似合う時計としてローレル アルピニストは愛された。その後、第二精工舎からはチャンピオン アルピニストが発売されており、当時はスポーツモデルに“アルピニスト”と命名していたようだ。
「当時の技術では、まだ海に潜る時計を作るのは難しかった。防水パッキンが作れなかったからです。だからダイバーズウォッチは特別なものでした。特殊時計としてカテゴライズされていたくらいですからね。それと比べるとローレル アルピニストは、もうちょっとライトな扱いです。でもスクリューバックは優秀ですし、リューズも大きくて巻きやすい。クサビ型デザインを取り入れたり、インデックスや時分針に夜光塗料を塗ったりするのも当時は珍しかった。まさに時代を先取りした時計だったと言えるでしょう」
戦後間もないころのセイコーは、腕時計を作るだけでも精いっぱいだった。しかしそんな時代を経て、同社は自分たちの技術を武器に、実用性だけでなく、デザインやコンセプトでも新しいステップを歩み始めた。折しも日本は高度成長期へと突入する時代の転換期であり、社会に合わせてセイコーの時計も変化していったのだ。
現代の時計は、ファッションやスタイルを楽しむライフスタイルツールとしての側面も重要であり、ローレル アルピニストはまさにそういった時計の先駆けであった。そして1959アルピニスト 復刻デザインは、そういった時代の空気まで一緒に蘇らせた。
新旧モデルのディテールを比較する
本田氏をして「やられた!」と漏れてしまうほど、復刻の再現性は高い。例えばダイヤルデザイン。オリジナルモデルでは4ヵ所に特徴的なクサビ型インデックスを配置し、針などにも夜光塗料を塗布しているが、こういったデザインをきちんと踏襲している。復刻モデルは日付を加えたが、指摘されなければ気が付かないほど、あくまでも小さくさりげない。
復刻モデルは、透明度が高くて耐傷性に優れるサファイアクリスタルで風防を製作している。もちろんオリジナルのドーム形状を意識しているのだが、さらに深いこだわりがある。オリジナルの風防とサファイアクリスタルでは屈曲率が異なるため、それによってインデックスなどの配置が崩れないように、歪みをシミュレーションしてデザインしているのだ。
オリジナルは、スクリューバックを用いた防塵ケース。一方の復刻デザインは、同様のスクリューバックケースながら日常生活強化防水(10気圧防水)となっている。シースルーバックにはせず、刻まれる文字の書体や内容もオリジナルに寄せるなど、細部までその特徴を考察している。ちなみにケース径はオリジナルが約34mmで、復刻が36.6mmだ。
あまりに気に留めないものの、実は愛好家の細かなチェックポイントとなるのが尾錠のデザインだ。復刻モデルではオリジナルの尾錠の形状だけでなく“S”のマークまで再現している。さらにストラップのジグザグ型のステッチもきちんと踏襲しており、当時のムードを味わい深く演出している。
日本という国が「これから新しい時代に入っていくぞ!」というマインドだった1959年に生まれたローレル アルピニストは、アクティブな市民生活にフィットする新コンセプトのスポーツウォッチだった。
「遊びの要素と真面目さが、ちょうどいいバランスで両立していますよね。この時代の国産プロダクトは、例えばスバル360のようにどこか可愛げがある。技術がまだ洗練されていなかったからこそ生まれたフォルムやデザインが、レトロな雰囲気を作っているのでしょうね。だから国産スポーツウォッチの原点でありながら、どこかエレガントな感じもあるんです」と本田氏。
ローレル アルピニストは、動き始めた新しい時代に生まれた新しい時計であり、その先進性や独自性は60年以上の時を経た今も色褪せない。
受け継がれる国産スポーツ、アルピニストの系譜
時代を先取りしたスポーツウォッチ、ローレル アルピニストは、チャンピオン アルピニストやチャンピオン850 アルピニストへと継承される。一度その流れは途絶えたが、この“ダイバーズではないスポーツウォッチ”は、1995年に再びアルピニストの名で復活を遂げ、さらに2006年にリニューアルされた。
セイコーは常に時代の変化に合わせて時計を進化させる。しかし進化のためには、歴史やルーツに敬意を払わなければならない。ゆえにセイコーは、時計そのものを可能な限り忠実に再現する“復刻デザイン”を作る一方で、そのモデルの成り立ちから再編集する“現代デザイン”も一緒に作る。それがセイコー流の歴史に対するリスペクトなのだ。
今回ローレル アルピニストの復刻デザイン、そして現代デザインを担当したのは、現在グローバルに展開するセイコー プロスペックスのデザイン・ディレクションを手がける岸野 琢己氏だ。彼は当時の設計者の思想や哲学を紐解き、どんな時計を作りたかったのだろうかと想像を膨らませる。そしてそれが現代の時計だったらどうなるだろうか? そこからデザインが始まるのだ。
1959アルピニスト 現代デザインは、ローレル アルピニストのケースデザインにヒントを得た。一般的なスポーツウォッチは、タフな環境で使用する=ケースやラグをゴツくしがちだが、この時計にはどこかスマートな印象を受けたという。「これはオフだけでなくオンでも使える時計だったのかもしれない……」 そんな着眼点から生まれたのがオンもオフもシームレスで使える、登山家が頂を目指すような挑戦心を身にまとう“勝負時計”だった。
現代デザインモデルでは、進化と継承を強く意識している。1959年のオリジナルから継承されている特徴は、もちろんダイヤル周りだ。クサビ型インデックスやキレのある針のフォルム、視認性を高める蓄光塗料などの特徴は継承しつつも、インデックスを植字式に変更することで、よりキレのある表情になった。さらに日付を3時位置に収めて現代的な雰囲気を加えている。ヘアラインと鏡面を活かすことで面と面が作り出す稜線を強調させたケースも、現代デザインらしい表現だ。
ちなみに現代デザインモデルではグリーンダイヤルもラインナップするが、これは自然と立ち向かうアルピニストにとってなじみ深い色でもあり、1995年と2006年モデルに使用していた色であるからだ。しかもグリーンは今年のトレンドカラーでもあり、上手く時流にも合わせている。
シースルーバックにしたり、20気圧防水にしたりとスペックは充実しており、まさにカジュアル使いできるスポーツウォッチであるが、ケース径は38mmと小ぶりであるためシャツの袖口にもスマートに収まる。まさにオンとオフをシームレスに楽しめる現代のライフスタイルウォッチとなっている。
アルピニストを自宅にいながら手に入れる。
セイコーのスポーツウォッチの歴史を投影したアルピニストの復刻デザインや現代デザインは、そのストーリーも含めて味わうモデルだ。そのために、ブランドを熟知したスタッフがいる時計店で手にしたいと思うのはごく自然なことであろう。銀座にあるセイコードリームスクエアは、ブランドごとにフロアが分かれた“見て、触れて、体験できるショールーム”になっており、時計を購入するだけでなく、ブランドの世界を深く知ることができるようになっている。
当然ここに足を運んでもらいたいところだが、今やそれも簡単ではない。そんな人は「セイコードリームスクエア オンラインストア」へアクセスするのがおすすめだ。オンラインで時計が購入できるのはもちろん、自宅にいながら店内を散策できる3Dフロアガイドや特別な限定品の紹介、さらには画面を通じてスタッフと会話を交わしながら時計選びの相談ができるオンラインコンシェルジュサービスも行っている。お気に入りの時計は相応の時計店で手に入れたい。それはオンラインであっても変わらない。
1959 アルピニスト 復刻デザイン・現代デザイン ギャラリー
Photos:Yoshinori Eto Styled:Eiji Ishikawa(TRS) Words:Tetsuo Shinoda Special Thanks:Yoshihiko Honda