カルティエの「タンク」という時計は、同じようでいて微妙に異なったディテールを持つ一大シリーズである。ご存知のように、タンクは三代目当主であったルイ・カルティエが1917年にデザインし、1919年に発表されたもので、第一次世界大戦中のソンムの戦いでイギリス軍によって導入された、フランスのルノー製軽戦車FT-17から着想を得て誕生した。戦場で活躍する戦車の力強さと直線的なフォルムを時計デザインに取り入れたことは、ラウンドタイプの時計が主流だった当時、非常に革新的であった。
タンクが多くのバリエーションを持つに至るのには大きく分けて、1、ルイ・カルティエ 2、カルティエが金属加工に長けたジュエラーであった 3、エドモンド・ジャガーとルクルト社、という3つの理由があるだろう。時代を超えたエレガンスと革新性を象徴するアイコンが生み出されたこれらの理由を、以下、歴史的な6つの主要モデルとその背景とともに読み解いていく。
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1919年 タンク ノルマル
最初のタンクは1919年に登場し、戦車の直線的なフォルムをケースとストラップに反映させた。意外性がありメッセージ性も伴ったデザインは上流階級や将校たちに愛されたとされ、時代を象徴するスタイルとして定着。ブランカード(仏語で担架の意)と呼ばれる縦枠を強調した直線のケースが、そのままブレスレットへと続く独創的なデザインが、この時計を他にはない特別な存在にした。
一方でジュエラーらしい装飾として、リューズ先端に配されたカボションもまたカルティエが発明したもの。当時はケースの素材に関わらずサファイアを用いることが多かったようだが、のちにPTケースには赤いルビーが選ばれるようになり、ミニマルななかに特別な意匠を与えることにも成功する。
さて、タンクがタイムレスな存在になる最大の要因ともいえる、ルイ・カルティエという人物についても触れたい。彼はサントスやトノーなどを生み出した後、191o年代からの潮流であるアールデコに傾倒しこれをタンクで牽引することになる。その背景には、ルイ・カルティエが常に時代の先端に敏感な人物であり、例えば自動車や飛行機などの新しいテクノロジー、ピカソ作『アヴィニョンの娘たち』に代表されるキュビズム、さらにオーギュスト・ペレが提唱した「装飾のないスタイル」を持つ建築物などに強い関心を寄せていたようだ。1913年に落成されたシャンゼリゼ劇場はペレの代表的な建築物でありアールデコの先駆けだが、1917年にルイ・カルティエが発想するタンクも近しい世界観を内包している。
タンク ノルマルは永遠のクラシックだが、常に未来を見つめるルイ・カルティエによって、変化を厭わない性格を備えた時計であることが誕生時点で決定づけられたのではないだろうか。
1921年 タンク サントレ
タンク サントレは1921年に登場し、ブランカードをさらに縦に伸ばした長方形の形状が特徴。フランス語で「傾ける」を意味する「サントレ」という名の通り、微妙にカーブしたケースを採用したことで、シンメトリカルかつ優雅なフォルムをさらに強調した。本機はアールデコの美学に呼応するものとして、モダニズムを代表するデザインとなった。
ケースを湾曲させるという発想は、手首により沿わせて着用感を高めることに由来する。まだ腕時計というもの自体が一般的ではなかったため、いかにしてそれを定着させるか試行錯誤された産物だったという一端もあるだろう。実際、ルイ・カルティエは1906年発表のトノーでも同じようなアプローチを試みている。タンク ノルマルではブランカードから直線的に伸びるスタイルを特徴づけたが、タンク サントレでは手首の形状に同調するようにラグの端からストラップへと流麗に流れる円のようなラインを強調した。これは、タンクがもたらした機能的なラグが大きく寄与している。当時の一般的なラウンドタイプのケースは、ワイヤー型のラグを溶接して取り付けることも多く前時代的なものだった。初代タンクでは四角いケースの端にラグを溶接する方法をとったが、このタンク サントレではラグまで一体型でケースが美しいカーブを描く。これは、カルティエが鋳造や溶接、切削といった技術を巧みに操り、当時最善と思われる手法を選ぶことができた賜物である。デザイン的に優れているだけでなく、高い着用感をも非常に合理的にかなえている。
なお、タンク サントレでは1924年に初めてのプラチナモデルが登場する。プラチナは1860年代にカルティエが初めてジュエリーに用いた素材であり、1900年代前半の時計製造においても他ではあまり見られない特別なものとして、カルティエウォッチのモダンさを強調していた。
1922年 タンク ルイ カルティエ
1922年には自身の名を冠したタンク ルイ カルティエが登場。タンク ノルマルと比べるとより細身でエレガントなシルエットを特徴とする。具体的には、ラグ部分に丸みをもたせて控えめでありながら、全体をポリッシュ仕上げとしたことで高級感を与えた。しかしながらこの時計は、タンク ノルマルでもタンク サントレでもない、いわばその中間の王道的シェイプをようやく備えるに至った時計であるようにも見える。タンク サントレはその後、現代に至るまでの生産数を見ても決して大量生産に向くものではなかったし、いくつかのサイズをラインナップするという意味でもよりジェネラルなものをカルティエが志向したとしても不思議はないだろう。
なお、ケースシェイプの特徴としては、ブランカードをより細く仕上げて幾何学的でありながらタンク ノルマルよりもアクのないものとされた。これがのちに万人に愛されるタンクの代表格となるのだが、当時のタンク ルイ カルティエは、7〜9リーニュのキャリバーを搭載し、サイズバリエーションも豊富に提案された。これは、当時女性のあいだで時計を身につけることが定着しつつあったことが関係しているとされる。これは現代にまで受け継がれ、SMとLMに加えてミニサイズが今年復活している。
こうした展開を可能にしたのは、カルティエが時計製造を始めて間もなく協業した時計師エドモンド・ジャガーとルクルト社の貢献が大きい。ルイ・カルティエがまずデザインからはじめ、それに見合うサイズのムーブメントをジャガーが開発、それを製造するルクルト社があってタンクという時計が豊富なサイズを揃えるに至った。当時エドモンド・ジャガーがパリに工房を開いていたことがルイ・カルティエとの出会いを生み、スイスのル・サンティエで操業していたルクルト社とすでに協業していたことも、タンク誕生の後押しになっていただろう。
ルイ・カルティエの時計への情熱は、初代タンクからタンク ルイ カルティエの確立を経てますます高まることになる。特に、1928年に登場したタンク ア ギシェはタンクのスタイルに変化をもたらした最初の時計とされる。本機は当時流行していたデジタルの時刻表示を取り入れ、時計の機能性を強調した。これは1920年代にフランスでも鉄道が発達し、その運行に正確な時計が必要とされた時代背景も影響したと考えられている。もちろん、ア ギシェをつけて鉄道に乗るのは一部の富裕層だけだったと想像され、この時計自体もごく少数だけが生産された。1997年にPTモデルが150本、2005年にCPCP(コレクション プリヴェ カルティエ パリ)としてPGモデルが100本復刻されているが、これらはリューズが3時位置に改められている。
その後も、富裕層のスポーツシーンでの需要に応えて生まれたケースが縦方向に360°回転するタンク バスキュラントや、ブランカードをアシンメトリーにずらして平行四辺形のデザインを用いたロザンジュ(のちのタンク アシメトリック)など、コレクタブルピースを多数産出。ただし、今からするとタンクというシリーズを豊かに彩っているように見えるこの時計たちは、試行錯誤の時代の産物でもあった。1929年、アメリカに端を発する世界恐慌によって、1930年代のカルティエ ウォッチは生産数が激減、その時代をなんとか切り抜けようとデザインのうえでもタンクの進化が図られたと考えられている。
ルイ・カルティエ自身は1942年にこの世を去ることになるが、1930年代までに彼の手腕によってタンクが持つアイデンティティと、様々にシェイプを変える独創性が確立された。その後は、時代の空気を纏いながらベースとなるタンクに新たな解釈を加えた時計が生み出されることになる。タンク レクタングルは、1950年ごろにパリで流行していたシルエットを表現し、"厚みのあるモデル"と呼称される。
この時期、特に大きな変革をもたらしたのは、20世紀初頭にニューヨークとともに支店が展開されていたカルティエ ロンドン。1960年代には好景気に沸き、ポップカルチャーが花開いた「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれる時代に突入、カルティエ ロンドンもその流れのなかで有名なクラッシュ、マキシ オーバル、ペブルなどまさに「フォルムのウォッチメイカー」の面目躍如といったデザインを生み出す。タンクにおいてもそれは試みられ、タンク オブリークは初代タンク アシメトリックが備えていた3本脚のラグから"鷲の嘴(くちばし)"と呼ばれる中央のラグを廃した。それは2020年に、カルティエ プリヴェとして復活も果たしている。
一方でタンク アロンジェに見られるように、文字盤上にも大きな変化があったのがカルティエ ロンドンによる創作だ。ローマ数字のインデックスとレイルウェイはタンクのみならずカルティエのデザイン言語だが、そのレイルウェイをなくしインデックスは極端に伸ばされた時計が生み出される。この伸びたローマ数字を用いた意匠は、この時代のカルティエ ロンドンを代表するものとも言える。
しかしながら、タンクに限って言うと完全に新たなデザインは1996年のタンク フランセーズ登場まで待つ必要がある。
【新世代のタンクへ】
1977年 マスト ドゥ カルティエ(タンク マスト)
1970年代にカルティエはレ マスト(Les Must)シリーズを発表し、その一環として1977年にマスト ドゥ カルティエが登場。本稿では詳細は割愛するが、カルティエが創業家から離れてようやく安定した経営陣のもとに落ち着いたのちに発表されたコレクションである。これは、一時粗悪なタンクがアメリカ市場を中心に出回った汚名を晴らすため、またカルティエを代表するデザインを手の届きやすい価格帯で提供することを目指し、時代を席巻していたクォーツを用いつつ、多彩なカラーで展開された。当時のマスト タンクは、シルバーに1.5ミクロン以上の厚い金メッキ(通常のメッキは0.1ミクロン程度。マスト タンクは20ミクロンのコーティングがされていた)を施したゴールドカラーのケースと、単色でミニマルなラッカー文字盤が特徴(ベーシックなローマ数字とレイルウェイを備えてたモデルももちろん存在)。そして何より、アイコンであるタンク ルイ カルティエのケースデザインを用いたことが新時代のカルティエを象徴した。これが当時500ドル程度で販売され、まさに「マスト」の名の通り誰もが持つべき時計として人気が高まり、カルティエファンの裾野を広げるモデルとなった。
細部にまでカルティエらしいデザイン言語が浸透したマスト タンクは、多くのセレブリティにも愛されることになる。アンディ・ウォーホルやイヴ・サンローランらが、タンクを腕に有名なポートレートに写った姿は一度は目にしたことがあるはずだ。こうした事実もタンクの急拡大に寄与した。
ロベール・オック、ドミニク・ペランら新時代のカルティエを牽引する経営陣が推し進めたのは、デザインの共通化である。1960年代以前、多品種少量生産というまさにラグジュアリーメゾンらしい製造体制をとっていたカルティエだが、限られた富裕層だけに留まらずより多くのエレガントな人に質の高いものを届けるため、タンクを軸としてデザインを統合し、時代のニーズを捉えていった。
1989年 タンク アメリカン
タンク マストで成功を収めたカルティエは、かつてのクリエイティビティを再び表現するかのように現代的なデザインを創作することになる。1989年には進出後80周年を迎えたアメリカ市場向けに、タンク サントレを源流とするデザインを与えたタンク アメリカンを発表。縦長のシェイプを備えたケースはまさにサントレを思わせるが、当時の大型ウォッチのニーズを捉えて、ブランカードはより太く、ケース自体も厚くデザインされた。なお、ケースバックはサントレと異なりフラットな裏蓋を採用。これによって防水性も獲得しており、実用性も高められた。これは現代のモデルでも同様である。
タンク アメリカンは当初18KYGモデルで発表されたが、その後、18KWGやPT、SSケースを採用してコレクションの幅を拡大。タンクといえば手巻き、1970年代以降はクォーツでシンプルな2針が主流だったが、日付表示を備えた自動巻きモデルやクロノグラフや第二時間帯表示を備えたモデルまで多彩なラインナップを揃えた初のシリーズとなる。
1996年 タンク フランセーズ
タンク フランセーズは1996年に登場。過去の傑作に大胆なアレンジを加え、タンクでありながら新しいコンセプトとデザインを備えた時計として誕生した。カルティエが復権後、全く新しいデザインをタンクに与えたのはタンク フランセーズが初めてである。そのコンセプトとは、ケースとブレスレットを一体化させた金属ブレスレットを採用したこと。従来のタンクのデザインを現代風にアレンジしながら、同時に軽快に着用できるブレスレットウォッチの需要を確実に満たす役割を帯びていた。
この時計がユニークなのは、まずブレスレットがデザインされ、それに時計本体が合わせられたこと。ジュエラーとしてのカルティエの側面が発揮され、ジュエリーのように身につけられるブレスレットがまず創作されたのだ。タンクは元来、装飾品としてのキャラクターも持ち合わせていたが、それはあくまで上流階級にとってのもの。現代的なアクセサリーという意味ではブレスレットタイプのものがより適しており、なおかつ市場にはエレガントなブレスレットウォッチがまだ存在していなかったのだ。カルティエはタンク フランセーズでそれを席巻し、多彩なサイズ、素材のバリエーションを展開したことで世界中の女性から支持を得ることになる。
なお、2023年にタンク フランセーズはリニューアルされており、1996年発表のものをさらにモダンにアップデートした。初代フランセーズは全体にポリッシュ仕上げで高級感を強調していたのに対し、現行モデルではサテン仕上げをベースに。より日常使いのしやすい意匠が与えられた。最大のアイデンティティであるブレスレットは、ケースとの一体感をさらに高め、エンドリンクがまるでケースの一部であるような洗練されたデザインに改められている。ローマ数字とレイルウェイというカルティエの規範は堅持されているものの、インデックスはアプライドされ、サイズによってグレー、ホワイトなど色を使い分けることで女性のみならず男性にも魅力的な時計となった。
タンクのデザインとしての拡張性を探ってきたが、最後に現代のカルティエの創造力を最大限に発揮したカルティエ リーブルにおけるタンクも見ていきたい。カルティエ リーブルとは、往年の名作ウォッチに範を取ったカルティエ プリヴェと双璧をなすウォッチコレクションで、主にジュエリーウォッチを指す。タンクやベニュワールにクラッシュ、近年ではペブル シェイプウォッチなどを題材として、独創的な形状に巧みなジェムセッティングを施した麗しい時計を生み出している。
以下の2本は、1960年代にカルティエ ロンドンが製作した歴史的モデルから着想したデザイン言語が用いられている。つまり、クラッシュに代表される有機的なケースシェイプをもたせたタンクたちなのである。先述したように、1970年代にカルティエはデザイン統合を行っていることもあり、1936年のロザンジュ(タンク アシメトリック)以来、特にタンクにはこうしたデザインを与えられることはなかった。
タンク クラッシュとタンク フォルはそれぞれ、タンク サントレ(アメリカン)、タンク ルイ カルティエというカルティエの絶対的アイコンをベースにデフォルメ。タンク クラッシュは文字盤をズラして重ね合わせたようなデザインで、タンクの特徴であるブランカードが上からはめ込まれている。タンク フォルはまさにタンク版のクラッシュで、戦車が横から追突されたような形状がユニークだ。文字盤のローマ数字、レイルウェイまで歪ませる徹底ぶりで、僕はこの時計を見るたびに密かな喜びを感じる。ジュエリーウォッチであるため基本的には女性用に作られているはずだが、その出自から現代では男性でも食指が動く人も多いだろう。タンク フォルは手巻き時計でもある。
ジュエラーとウォッチメーカーとしての融合が端的に表現されたカルティエ リーブルは、タンクですら全く別ベクトルのデザインの可能性を示し、かつてルイ・カルティエが新たなクリエイションを止めなかったその姿勢を現代に伝えているようにも感じられるのだ。
Words:Yu Sekiguchi Photos:Tetsuya Niikura Styled: Eiji Ishikawa(TRS)
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