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In-Depth ピアジェのモダンヒストリーを解き明かす9本の名作ウォッチ

ピアジェ パトリモニー責任者が、ブランドのアーカイブを紹介する。

超薄型のアルティプラノやスポーティでラグジュアリーなポロなど、ピアジェの現在のコレクションは、過去の偉大な名作にその系譜を遡ることができ、それは多くの歴史的メゾンと同様、忠実で不朽のミューズである。

 この過去と現在のつながりをより深く理解するために、ピアジェのヘリテージ部門を率い、1200本の時計と250個のジュエリーに及ぶピアジェのアーカイブの門番を務めるジャン=ベルナール・フォロ(Jean-Bernard Forot)氏に話を聞いた。1998年にピアジェがリシュモンに売却されるまで、4代目であるイヴ・ピアジェと密接に仕事をしていたフォロ氏は、ピアジェが家族経営から大きなグループの一員になる過程を最前列で見てきた重鎮である。

 ピアジェの根底には家族の物語がある。「今でこそグローバルなグループ企業ですが、以前は、家族とグループのビジネスの見方に、ある種の食い違いがありました」とフォロ氏は言う。

 そして皮肉なことに、それは決して自分自身のためではなかった。「いつもクライアントが第一で、次に技術や職人、そして家族の順でした。家族が一番だったことは一度もありません」とフォロ氏は断言する。「クライアントが何かを欲しがれば、クリスマスイブや大晦日であっても、ピアジェ氏はそれを届けたのです。彼自身の家族は常にあと回しだったのです」

「控えめな表現」こそがピアジェの存在意義であり、そのことがピアジェの歴史を物語っている-そのため、ピアジェの歴史、特に極薄時計の技術は、ブルガリと受賞歴のあるオクト フィニッシモに押され気味である。しかし、ピアジェは決して自分たちの功績を誇示するようなことはしない。それは、今日、主流となっている巧妙なマーケティングや話題性のある発表とは相反するものだと感じている。「芸術監督や知名度など、イメージの世界に身を置く私たちにとって、今日のピアジェを理解するのは非常に複雑です」とフォロ氏は説明する。しかし、シャネルやレポッシのトップを務めたピアジェのCEO、ベンジャミン・コマールが就任2年目を迎え、こうした状況は一変しそうだ。

 しかし、それまではピアジェの精神に則り、このブランドのノウハウに耳を傾けたいと思う。ここでは、ピアジェのアーカイブから、ピアジェの歴史と現在において主役となる9本の重要な時計をフォロ氏に選んでもらった。

1948年-YG製懐中時計
Piaget coin watch

 1874年、スイスの小さな村ラ・コート・オ・フェで創業したピアジェの歴史には、ある重要な年がある-1957年だ。この年、ピアジェは超薄型の手巻き機械式ムーブメントCal.9Pを発表し、ブランドと時計業界に革命をもたらした。

 しかし、超薄型化の種は1957年以前から蒔かれていた。「1916年や1922年の広告にも、超薄型部品や超薄型ムーブメントのことが書かれていました。つまり、薄型化がピアジェの目指す姿だったのです」と、フォロ氏は言う。

 他ブランドの時計部品を供給する下請け業者としてスタートしたピアジェは、腕時計や懐中時計のムーブメントを製造するメーカーへと発展していった。ピアジェ一族の3代目当主、ジェラルド・ピアジェとヴァランタン・ピアジェが指揮を執り、1943年に商標登録を行った。1940年代は、この懐中時計のように超薄型を追求した時代であり、傑出したコインウォッチのコレクションが存在した。コインウォッチは、20ドル硬貨を半分に切って小さなムーブメントを内蔵し、ヒンジで固定したものだ。

「ヒンジを閉じると、元のコインと同じように見えますが、ほんの少し厚みがあるのです」とフォロ氏は言う。「これこそ、超薄型時計製造の完璧な表現です。ピアジェはこれまで大きな時計は作ってきませんでした。1942年、1943年にはすでにこのようなコインウォッチを手がけており、それが9Pの登場への道を開いたのです」

1957年-Cal.9P、WG製
Piaget 9P watch

 1957年に発表された厚さ2mmという画期的なCal.9Pにより、ピアジェは他社よりもはるかに薄い超薄型時計の製造を可能にした(「他社のものは、見た目が薄いのですが、我々のは、実際に薄いのです」とフォロ氏は説明している)。それはまた、大きなダイヤルを持つ、より素晴らしいジュエリーウォッチを意味した。

 超薄型は意図的な選択だった。「ピアジェは他とは違う存在になりたかったのです」とフォロ氏は説明する。「1957年当時は、競合他社と比べ腕時計市場への参入が遅かったため、ピアジェは、ドライバーの時計、飛行士の時計、潜水士の時計といった機能性を重視するのではなく、一種のパスポートとなるような時計を作ろうと考えたのです。つまり、ドレスウォッチを基軸にするということです」

 Cal.9Pが到着すると、「メゾンは “これがピアジェのスタイルだ。ピアジェの美学だ”と讃えました。そして、それ以外のものは脇に置いたのです」

 ピアジェのヴィンテージウォッチのほとんどが、YGか、WG製あるいはプラチナ製であるのもそのためだ。プラチナは最高級品にしか使われなかった(RGは超レアだったとフォロ氏は言う)。「ピアジェは、ムーブメントが非常に洗練されているため、プレシャスメタルのみを使用することにしたのです」とフォロ氏は言う。1943年の商標登録後、ピアジェはスティール製の時計を製造していたが、それは1957年に登場したCal.9Pまでである。この素材が再び登場するのは2000年まで待たなければならなかった。

 このWG製Cal.9Pは、1957年に作られた個体で、これから登場するアイコンを予感させるものだ。「この作品には、未来のアルティプラノのスタイル的な要素がすべて詰まっています。当時はまだモデル名がなく、“超薄型時計”、“ジュエリーウォッチ”、“カフウォッチ”などと呼ばれていました」とフォロ氏は説明し、スティック型の印象的なアワーマーカーを指さしこう続けた。「アルティプラノという名称が登場する1998年に見られるものとまったく同じものです」

1960年-Cal.12P
Piaget 12P watch

 3年後、Cal.9Pに続いて自動巻きのCal.12Pが登場した。厚みは2.3mmと9Pと比較してやや大きめながら、市場に出回っている他の自動巻きムーブメントの厚さが通常4mmであるのに対し、半分ほどの薄さという前代未聞のプロポーションを実現していた。「当時、時計の専門家のあいだでは、Cal.12Pは薄すぎて使えないのではと言われていました。まさに革命だったのです」。とフォロ氏は言う。

 広告がすべてを物語っている。「広告には厚みが2.3mmと書かれていました。それほどまでに素晴らしいムーブメントだったのです」とフォロ氏は説明する。

1963年-ルート・オブ・ルビーダイヤルの時計
1963 watch with Root of Ruby dial

 ルビー原石を用いたダイヤルが印象的なこのモデルは、装飾的な貴石ダイヤルの到来を告げるものだった。これはピアジェのデザインにおける、もうひとつの重要な特徴になり、その過程で同業他社を困惑させ続けた。

「ピアジェによると、当時、競合他社はこのようなダイヤルの作り方を知らなかったそうです。これは非常に特殊なノウハウを必要としますから」とフォロ氏は振り返る。「他のブランドは、色が欲しいとダイヤルをラッカー塗装していました。色彩の革命は理解できても、石を使った装飾的なダイヤルの作り方は知らなかったのです。もちろん、のちに彼らはそれを手に入れました。ショパールはその代表格でしょう。でも、当時はピアジェが先行していました」

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1967年-ジャクリーン・ケネディ所有の翡翠ダイヤルのピアジェ
Piaget watch

 1967年、元ファーストレディのジャッキー・ケネディが購入したのは、ダイヤモンドで縁取られた美しいオーバル型のベゼルに、目を引くグリーンダイヤルに合わせた4つのエメラルドがセットされたピアジェだった。ダイヤルのグリーンとストライプの組み合わせが、貴石のダイヤルがいかにユニークであるかを物語っている。漆黒のオニキスは別として、ピアジェのオパール、珊瑚、ラピスラズリなどの貴石ダイヤルは、それぞれがユニークな色合いを見せているとフォロ氏は言う。しかも、ダイヤルの厚みはわずか0.7mmと、より高貴なものになっている。「ゴールドの下地がないので、とても繊細なのです」

 ピアジェは1965年頃からこのモデルの生産を開始した(1990年代まで続けられ、現在では“エクストリームレディ・コレクション”にそのスタイルの要素を見ることができる)。全盛期には、まさに必携のモデルだった。フォロ氏は、アメリカの社会誌の表紙で、ダラスに住む8人の女性がこのモデルを身につけているのを見たことを思い出す。ソフィア・ローレンやエリザベス・テーラーも愛用していた。「この時計は本当に最新でファッショナブルでした」とフォロ氏は言う。

1970年-カフ・ウォッチ、21世紀コレクション
Piaget cuff watch

 1969年から1972年までの短命ではあったが、ピアジェは“21世紀コレクション”を発表した。大胆でファッション性の高い美的感覚を持つこのコレクションは、未来的なネーミングを持つ。このコレクションは、アンドレ・クレージュ、イヴ・サンローラン、パコ・ラバンヌといった、最もアバンギャルドなパリのファッションに合わせるために作られた。「ピアジェは、突拍子もないものを作るのではなく、その時代に合ったものを作りたかったのです」とフォロ氏は説明する。

 例えば、この壮麗なカフ・ウォッチにはターコイズとラピスラズリのプレートがあしらわれ、YGは樹皮のように削り出されている。

「この作品を選んだ理由は、金細工と2種類の装飾石の組み合わせという、ピアジェのスタイルに共通する要素が多く含まれているからです。色の存在感が強烈なのです」とフォロ氏は言う。また、ピアジェのメインミューズである自然とクチュールを彷彿とさせる樹皮の効果もあり、クラスプはエンジニアリング性が光るものとなった(カラープレートの後ろに隠れているため、完全に一体化した外観になっている)。そしてもちろん、この時計にはCal.9Pが搭載されている。

 数年間しか製造されなかった21世紀コレクションは、現在特にコレクターの間で垂涎の的となっている。ピアジェのアーカイブには、翡翠、ラピスラズリ、タイガーアイを使った珍しいデザインもあるが、フォロ氏にとっては珊瑚と翡翠を使った珍しい時計が買い逃がした1本となった。「ジュネーブのクリスティーズで買えなかったのです。素晴らしい作品で、今でも夢に見るほどに心が動いたものです」

1973年-ジュエリーウォッチ
Piaget Jewelry watch

 2013年、時計の誕生40周年に発表されたピアジェの“ライムライト・ガラ”コレクションにインスパイアされた作品。ブレスレットの彫金仕上げが立体感と質感を与え、そのモチーフがダイヤルにも広がっていることが特徴的なデザインだ。

「この時計はとてもエレガントで、輝きがありながら強すぎません」とフォロ氏。「エングレーバーの技は、(ブレスレットのリンクの)構造を目立たなくすることでした」とフォロ氏は説明する。一方、宝石のセッティングも同様に見事で繊細だ。「それぞれのダイヤモンドは独立しているので、時計を平らに置くことができます。かさばるものではありません」

1979年-ピアジェ ポロ
Piaget Polo

 1979年に発表されたポロは、エリザベス・テイラー、アンディ・ウォーホル、サルバドール・ダリなど、ピアジェ・ソサエティに属するセレブリティたちのスポーツ/レジャーにちなんで命名され、後者の2名はピアジェとのコラボレーションも務めた。そのなかで選ばれたのがこの時計だ。この超クールで、まるで第二の肌のようなYGケースのポロは、特に一体化したブレスレットと、クリーンで印象的なラインを再現するために特別に処理されたダイヤルを備え、全体がサテンとポリッシュを織り交ぜて仕上げられていた。

 ポロは、その内部も同様にファッショナブルだった。1976年に発表されたピアジェの自社製超薄型7Pクォーツムーブメントを搭載し、その厚さは当時最も薄い3.1mmだった。「当時、クォーツムーブメントを搭載することはとてもシックなことでした」とフォロ氏は言う。「テーブルの上に置いたままでも、動き続けるからです」。7Pは、日本製クォーツムーブメントが市場に溢れ、時計業界を襲った最大の危機からピアジェを守ることに貢献した。「ピアジェは自社製ムーブメントを先取りして開発し、ピアジェ ポロの大半は7Pかそれより小さい8Pを搭載していました」とフォロ氏は言う(7Pはメンズ、8Pはレディーで、どちらも男女兼用で購入されることが多かった)。

 メンズの25mmスクエアモデルと34mmラウンドモデルが最も人気があり、そのルックスは、エレガントなイブニングウォッチから日常使いの時計へと移行した時代の、よりリラックスしたスポーツラグジュアリーを求めるスタイルを牽引する人々の心を捉えたのである。「ポロは、私たちにとって最初のエレガントなスポーツウォッチでした」とフォロ氏は言う。

 また、メゾンにとって初めてペットネームを冠したモデルでもある。そのきっかけは、アメリカ市場だった。ピアジェはこの時計に名前をつけないことにしていたのだが、アメリカのディレクターがとても優秀なビジネスマンで、説得力があったので、“Piaget Polo”を受け入れてくれました」とフォロ氏は回想する。「彼はポロを年間4万本、スティールとゴールドで注文したいと言いました。しかし、ピアジェはこれを拒否。するとWGとYG、あるいはコンビゴールドだけでいいと言うのです。4万本の注文があっても、スティール製を作ることを認めなかったのです。彼らはひとつの考えを持ち、それを貫いたのです」

1984年- マイルス・デイヴィスのピアジェ ポロ
Piaget Polo watch

 伝説のミュージシャン、マイルス・デイヴィスが所有していたこのスケルトンモデルは、1982年から1985年にかけて製造されたポロコレクションの変遷を示すものだ(このコレクションは1992年に製造中止、2001年に復活を遂げている)。

 この時計は、モントルー・ジャズ・フェスティバルに定期的に出演していたデイヴィスに感謝の意を込めて贈られたものだ。「私たちのアーカイブには、彼がピアジェを着用している写真が残っています。マイルス・デイヴィスは時計が大好きで、いつも楽屋に小さな箱に何本か入れていて、演奏の直前にそれを開けて時計を取り出し、ステージに上がりました。その1本が、このピアジェでした」とフォロ氏は言う。

 超薄型の構造はもちろん、ダブルダイヤモンドベゼル、クールで建築的なケースと珍しいラグが特徴で、すべてサテンとポリッシュ仕上げの丸ひだ飾りが施されている。裏蓋も繊細なクル・ド・パリ仕上げだ。フォロ氏は言う。「通常、このような装飾は必要ありません。裏蓋が表と同じくらい重要であるという、ある種の洗練されたデザインです。この時計はまさにジュエリーのような存在なのです」。

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ピアジェの詳細は公式Webサイトをご覧ください。HODINKEE shopでは、ピアジェの中古品やヴィンテージウォッチを取り扱っています。