9月下旬に私たちはグランドセイコー各施設の見学ツアー(前編)を掲載した。前回の訪問からグランドセイコーではさまざまな変化があったが、おそらく最も大きくインパクトのある出来事は2020年7月20日に機械式腕時計製造の新たな拠点グランドセイコースタジオ 雫石がオープンしたことだろう。前編で雫石の工房内部を期待していた読者諸兄を長らく待たせしてしまう形になったが、ついにお見せできる時がやってきた。
この新しい施設がGSファンを魅了する理由は、機械式腕時計製造に関する話だけではないようだ。確かにグランドセイコーが誇る機械式時計は、新たに導入された“Kodo”のコンスタントフォース・トゥールビヨン(実際には銀座で組み立てられている)や手巻き式のハイビートムーブメント9SA4によって新たな高みに到達した。また、グランドセイコーの近年の新作に多くのインスピレーションを与えている現地の自然環境、それらと見事に一体化したグランドセイコースタジオ 雫石が放つ独特な魅力も、GSファンを惹きつける要素となっている。この工房は日本の著名な建築家、隈 研吾氏がブランド哲学を体現するためにデザインしたものだ。
さて、後編はこのスタジオの話から始めたいと思う。さらに銀座にあるセイコーミュージアム 銀座(以下、セイコーミュージアム)についても簡単に紹介する予定だ。こちらは東京への短い旅行のなかでも訪問しやすく、時間をかけて行く価値がある場所だ。日本を訪れるのが難しい人にも、この記事をとおしてグランドセイコーが現代の腕時計製造において特別な存在である理由を感じていただければ幸いだ。
3日目: グランドセイコースタジオ 雫石(そして、いくらなんでも多すぎる蕎麦)
すでにご存じかもしれないが、グランドセイコーは自社の伝統に強く根ざしている。これまで訪問したどの施設にも、訪問者に歴史を感じてもらうための展示があった。グランドセイコースタジオ 雫石は木曜日と金曜日に一般公開されているが、ここに来るには岩手県の盛岡駅まで東京からクルマで6時間、もしくは鉄道で2時間半かけて行き、そこから約20~30分タクシーに乗る必要がある。東京から盛岡まで来たものの銀座のセイコーミュージアムには行きそびれた、という人はこのスタジオでブランドのメカニカルな側面について貴重な体験を楽しめるだろう。
国産初の腕時計、“ローレル”。
Cal.9S27の分解展示。
同じくムーブメントパーツの展示。こちらはCal.9SA5。
以前の記事でも紹介したかもしれないが、グランドセイコーの時計職人は仕事を通して、その技術とそれを将来世代の時計職人に伝える能力の両方に基づいてプロフェッショナル人材制度(通称マイスター制度)による認定を受けることができる。ここでは現地のマイスター、スペシャリストが何人か紹介されている。
この廊下を進むと、グランドセイコースタジオ 雫石がその名を知られる所以であるムーブメントの組み立てを見ることができる。だがその前に、外に出てみよう。
非常に厳しい暑さにもかかわらず、個人的には再びスタジオの外に出るのがとても楽しみだった。上に掲載したスタジオの写真は、アスファルトに描かれた印にきちんと立って撮影したものだ。この位置に立つとスマートフォンなどで撮影する際に完璧な構図が得られるよう工夫されている。グランドセイコースタジオ 雫石での体験にどれほど細やかな配慮がなされているかがよく分かる話だ。外壁は下見板張りという技法で杉の無垢材を使用。内壁は日本の伝統的な大和張りの技法で仕上げており、板は不均等に配置されることで光と影の戯れ(たわむれ)を強調している。
日本の国土の70%は森林に覆われており、グランドセイコーにとって大きなインスピレーションの源である白樺林ももちろんそのなかに含まれている。北向きの窓からは標高2038mの岩手山を望める。この山はスタジオから20kmほど離れているが、晴れた日には時折その姿を拝むことが可能だ。グランドセイコーは建築だけでなく、その他の面でも自然との調和を大切にしている。なお盛岡市郊外にある施設のために所有している土地の4割近くは、緑地として保全、活用されているという。
盛岡市郊外を歩き回る際にはツキノワグマが現実的な心配の種となる。雫石スタジオのチームは鈴(サンタのトナカイに付いているようなもの)と熊よけスプレーを携帯していた。私の記憶ではおもしろいことに、スタジオがある盛岡セイコー工業の敷地内にもクマが出没したことがあるそうだ。
グランドセイコースタジオ 雫石を取り囲む白樺林。
遊歩道から見たスタジオの外観。
盛岡セイコー工業が保全に力を入れている動物相の生物多様性を維持するための小さなインセクトホテルを、スタジオの周りではよく目にした。
インセクトホテルというよりも、ニューヨークのワンルームマンションみたいじゃないか?
スタジオ内に戻ると機械式腕時計製造の基礎を支えるパーツ、具体的にはプレートやネジが展示されていた。ここでは腕時計に使用される多くの部品を目にすることができる。普段は見過ごしがちな要素のひとつに、部品を固定するためのネジがある。これらのネジがどれほど小さいかを理解しているつもりでも、実物を見ると改めてその小ささに驚かされるだろう。
切り出されたムーブメントパーツ(地板と受け)。
ムーブメント用の小さなネジ。どのくらい小さいかって?
米粒と比べてこれくらい。
そしてこれが顕微鏡で見た米粒とネジ(ひげ持ちネジ)だ。
グランドセイコースタジオ 雫石に足を踏み入れると、その内部を窓の外に見える自然とつなぐ縦張りの木製羽目板が目に留まるだろう。また組み立てを担当する時計職人のために光を取り入れる大きな窓もある。
上からは腕時計の組み立てに関わるさまざまな作業がよく見える。私が見た場所では部品製造は行われていなかった。
廊下を歩いていくと、最初に見えた2列ではムーブメントの組み立てが行われていた。その次はヒゲゼンマイの調整。4列目は歩度調整の工程を見ることができる。以下の写真を見て、どの作業が行われているか分かるだろうか。
時計職人がいかに精密な作業を要求されているかを実感してもらうために、グランドセイコースタジオ 雫石はこんなものを用意している。このわずか5mm四方の紙を使って小さな折り鶴を折ることができる時計職人がいることも驚きだ。
歩度調整の作業の様子。
外装取付の工程。ムーブメントがケースに収められている様子を見ることができる。
2階のラウンジには小さなショールームもある。なぜここに来たかって? その理由については、下の写真をご覧いただきたい。
工房見学でのみ購入可能なスタジオ雫石限定モデル、グランドセイコー SBGH283。私は最近の記事で、これを含む3本の日本限定モデルを実際に手に取り、紹介している。
遠くに岩手山を望む。
GPHG賞にノミネートされた新モデルSLGW003に搭載されている、新開発のハイビート手巻きムーブメント9SA4について最後に詳細な説明を受けた。このムーブメントを開発し、今回説明を担当してくれたのが田中佑弥氏である。私にとってこの体験は、まるでロックスターに会うような感動を与えてくれた。
このムーブメントを搭載した腕時計の成功に大きく寄与している、巻き上げのクリック感。これを最適なバランスにするために、田中氏はヴィンテージの手巻き式時計の研究に多くの時間を費やしたという。
これまでに発売された2本のモデル、“白樺”ダイヤルのSLGW002とSLGW003。
ゼンマイ巻き上げ時のクリック感を調整する“コハゼ”を指差す田中氏。グランドセイコースタジオ 雫石周辺でよく見られる鳥“セキレイ”から着想を得たデザインだ。
受けに施された仕上げと波目模様を改めて見てみよう。この腕時計はジュネーブ製ではないので、“コート・ド・ジュネーブ”と呼ぶのは適切ではないかもしれない。ここでは“雫石川仕上げ”と呼ばれている。
盛岡での食事と自己嫌悪、観光も少々
前編では旅行中の食事や余計なことは紹介しないと約束したが、例外を設けたい。グランドセイコーのチームは素晴らしいことに、彼らにインスピレーションを与えている文化的背景に触れる機会を私たちに与えてくれた。午前中の雫石での見学ツアーのあとに、スタジオ近くの盛岡周辺で午後の小旅行に連れて行ってくれたのだ。でもその前に昼食をとろう。具体的には、わんこそばだ。
グランドセイコーが日本文化という大きな枠組みのなかで自分たちの仕事を巧みに位置づけていることについては、前編でも触れた。こうした広い意味での文化体験は3日目に集中していた。その重要な部分についてはこの後すぐ触れるとして、わんこそばはしばらく夢に出てくるだろう。
簡潔に説明すると、わんこそば(“わんこ”はこの地域の方言で“木製のお椀”という意味)は岩手県発祥の日本蕎麦の一種である。ツアー一行が入った東家(あずまや)というお店では、蓋付きの大きな器とお好みで選べるつけ合わせや肉が置かれたテーブルに座ると、給仕さんたちが小さなカップに入った蕎麦を次々とお椀に入れてくれた。目的は昼食を楽しむことか、できるだけたくさん蕎麦を食べることのどちらかである。どれだけ食べられるか皆で予想し合ったが、100杯完食すると特別な証明書がもらえると聞き、私はそれを目標にすることにした。空になったお椀は15杯ずつ積まれ、手に持ったお椀には蓋をしない限り蕎麦が次々と入れられる。蓋をしたらそこで終了となり、再開はできない。
そういうわけで、私は28分ちょっとで100杯(とビール数杯)を完食した。しかし、ペース配分を考えなかったのは初心者らしいミスだった。グランドセイコーのチームメンバーのひとりに、数杯差で負けてしまったのだ。彼らはもっとゆっくり食べ、いいペースを保っていた。そして不思議と誇らしい気持ちと、とてつもない悔しさが同時にこみ上げてきた。この誇りと悔しさを忘れないように、証明書と木製の小さな証明手形を手に帰ってきた。
気分転換に盛岡をもう少し探索することにした。最初に訪れたのは盛岡八幡宮で、この神社は1062年に創建され、1593年に南部氏によって盛岡城の鎮守社として再興された。1884年に焼失したのちに復興されており、現在の社殿は2006年に建て直されたものである。神道の習慣や、多くの日本人が行う神道の文化的な実践に触れるにはいい場所だった。
儀式の一環として手水で清めたのち、神社の境内を散策した。
次に訪れたのは、地元のランドマークである歴史的な邸宅だ。ここはインフルエンサー(見た目で区別はつかないが、あるいは観光客)にとって、庭園の美しい写真や往時の趣を感じさせる写真が撮れる絶好のスポットとなっている。しかし実はこの邸宅のなかで、グランドセイコーとのつながりが見つかったのだ。
南昌荘は盛岡市にある歴史的な邸宅で、明治時代の1885年ごろに地元の実業家であった瀬川安五郎が自邸として建てたものだ。現在は庭園見学や抹茶を楽しめる場所となっている。
暑さを避けてゆっくりくつろぐ場所を探しているなら、ここはなかなかいい選択肢だ。
9月にしては季節外れの暑さで池の一部が干上がっていたが、それでもニューヨークのコンクリートジャングルに慣れた身にはいい気分転換になった。
グランドセイコーは、自然や周囲の世界からインスピレーションを得ることで知られている。漆塗りの床に映り揺れるこの紅葉の葉も、赤い文字盤を持つSBGJ273 GMTのデザインに影響を与えたかもしれない。
4日目: セイコーミュージアム
4日目の朝、私たちは大都市東京に戻った。ツアー後にさらに1週間東京に滞在したのだが、地図を見てもその広大さを実感するのは難しいと感じた。横浜に行ったときも、東京とほかの都市の境界がどこにあるのかまったく分からないほどだった。
午前中の移動のあと、セイコーミュージアムを見学するために銀座に到着した。このミュージアムは最近改装され、6階にグランドセイコーミュージアムが新たにオープンしていた。ニューヨークのグランドセイコーフラッグシップブティックに行ったことがある人なら、そのデザインにどこか見覚えがあるように感じるだろう。
まずはグランドセイコーのファーストモデルをいくつか。
展示されていた資料のなかで特に興味深かったのは、グランドセイコーのロゴマークとデザイン文法についてだった。時を超えてきたこのようなロゴの開発プロセスには、何ともいえないエレガントさを感じる。
グランドセイコーは長年にわたり、当然の評価として数々の賞を受賞してきた。ここには受賞作のうちのふたつが展示されている。
グランドセイコーを見たいのなら、ここには見るべきものがたくさんある。
このパティーナは素晴らしい。
このケースとブレスレットの形状はこれまでに見たことがないものだ。
こちらは上で紹介した時計に搭載されているムーブメントの一部。
私にとって、さまざまな懐中時計を見られる機会は貴重だ。セイコー創業以前に日本に輸入された初期のものもある。
セイコーが自社で部品製造を始めるきっかけとなった初期の機械。
クロノグラフを搭載した初期の懐中時計。
アメリカの鉄道時計は日本にも伝わっていた。日本が急速に鉄道網を拡大したことを考えれば意外ではない。
初期のセイコー懐中時計をふたつ。
そしてセイコー ローレルをもう1本。
このセイコー ローレルの部品の展示は魅力的だった。
初期のセイコーの広告。
関東大震災の際、セイコーの前身である精工舎の工場が大火災に見舞われ、このように溶けた金属の塊となった懐中時計が生まれた。
マリンクロノメーター。
この時計は魅力的だったが、その仕組みや時間の読み方は完全には分からなかった。世界標準時が導入される前の日本では独自の時間体系が採用されており、年間を通して1日の長さが異なっていた。
館内をさらに進むと、セイコーの歴史のなかでもより独創的で奇抜な時計が数多く展示されているのが見えてきた。
もしこれがアメリカの鉄道用懐中時計に似ていると感じるなら、それはセイコーがアメリカの製品に対抗して作ったからだ。
これは現実的な問題に対するもうひとつの魅力的な解決策だ。視覚障害者向けの触覚式懐中時計である。
今回の旅で見た時計のなかで私が1番気に入ったのはこれかもしれない。第1次世界大戦中の精工舎製将校用腕時計だ。同じような品物をずっと探しているが見つかりそうにない。
軍用のセイコーがもう1本。こちらは(明らかに)海軍用だ。
独創的な文字盤のセレクション。
実に興味深いセイコークロノスの展示。
ここでクイズ。左の時計の時間が逆向きに書かれているのはなぜだろう? 回答は下のコメント欄まで。
セイコー5が好きなら、たくさん展示されている。
計算を行うために携帯電話を持ち歩くのにうんざりしているなら、1980年代に戻ってセイコーの腕時計型コンピュータこと“腕コン”を使えばいい。
最後にオリジナルのグランドセイコー 45GSをお見せしたい。そして最後の最後に、新しい復刻モデル(下の写真)と、これらを含む数多くのモデルを手がけたふたりの人物を紹介しよう。
SLGW004とSLWG005。
デザインを手がけた鎌田淳一氏(グランドセイコー デザインディレクター)と吉田顕氏(グランドセイコー デザイナー)。次に彼らがどんな製品を生み出すのか見たい人は、もう少しお待ちいただきたい。
日本から、おやすみ、そしてさようなら。
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