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Photos by Anthony Traina
少なくとも3、4回は、週末のオリジナル・マイアミビーチ・アンティークショー(Original Miami Beach Antique Show)のときに常につけていたヴィンテージのロレックス エクスプローラーの値段を聞かれた。こんにちはとか、調子はどうだとか、そういった前置きもなくストレートに。
これは売り物ではないと答える前に、ひねくれたお世辞のを伝えるお決まりな笑みを浮かべた。しかし、今週末に行われたマイアミビーチ・コンベンション・センターの時計にはすべて値段がついていて、自身を奮い立たせる最も確実な方法は、この3つの魔法の言葉を口にすることだ(not for sale)。
私は先週末いた多くの参加者とは異なり、時計の買売でお金を稼ぐためにそこにいたわけではない。私はただそこにいて景色(多くの時計とさらに多くの宝石)を眺めたり、ディーラーが数字を叫び合うのを聞いたり、数人の友人を集めたパネルディスカッションの司会をしたりしていた。土曜日の午後、私はサザビーズのアメリカ時計部門責任者であるジェフ・ヘス(Geoff Hess)氏、ジュネーブのディーラーであるダビドフブラザーズのサシャ・ダビドフ(Sacha Davidoff)氏、ウィンドヴィンテージ(Wind Vintage)のチャーリー・ダン(Charlie Dunne)氏を招いたディスカッションの司会を務めた。
伝説的なダラス・カウボーイズの初代ヘッドコーチであるトム・ランドリー(Tom Landry)のロレックス デイデイトを委託販売したヘス氏の話など、3人とも最近見つけた最も興奮したものについてエピソードを披露した。経験豊富な3人のディーラーをパネリストに迎え、オークションとプライベートディーラーのエコシステム、そしてオークションに出すのと個人で売るのとでは、どのような意味があるのかについても議論をした。
現行のロレックス デイトナのような、標準的な“市場価格”がある時計を販売する場合、オークションハウスが時計を委託するために取る25~27%の手数料に見合わないことが多いとヘス氏は説明した。しかし、例えばランドリーのデイデイトのように、市場価格を決定するのが難しい特別な個体の場合は、オークションが適切な場合がある。
ダビドフ氏は一例として、1952年のペルー・アンデス探検隊のメンバーから譲り受けたロレックス 6098の話をした。ダビドフブラザーズ(Davidoff Brothers)は、時計を譲り受けた元オーナーの孫から連絡を受けたとき、何か特別なものを持っていると気づいたが、どのくらい特別なのかはわからなかった。そして彼らは家族がそれをオークションに出すのを手伝い、ダビドフブラザーズが最初に提示した金額以上の利益が出た場合は折半すると提案した。最終的にその時計はオークションにて2万7500スイスフラン(日本円で約470万円)で落札され、誰もが非常に満足して帰路についた。
同パネルディスカッションには100人以上が参加した。オリジナル・マイアミビーチ・アンティークショーが、北米全域、さらにはヨーロッパからの時計コレクターや愛好家にとって、いかに年に1度の出会いの場となっているかを示している。
パネルディスカッションやミートアップ、ディナー以外ではやはり時計の話になる。蛍光灯で照らされたマイアミビーチ・コンベンション・センターには、老舗のヴィンテージウォッチディーラーからジュエリーやエステートセラーまで、誰もがブースを構えていた。
貴重なヴィンテージのプラチナ製カルティエ タンク サントレ(モナコ・レジェンド・グループ提供)を手にすることができるのは、おそらく世界広しといえどここだけだろう。たまたま訪れた人が、母親がカルティエのゴールドメッキのタンクを伸縮性のあるシュパイデル社のブレスレットと組み合わせているようだがどう思うかと尋ねてきた。マイアミビーチ・アンティークショーは、あらゆるものが少しずつ揃っていて、それがとても楽しいのだ。
ロレックスを中心としたスポーツウォッチは、その品質もさまざま。コンベンションセンターのいたるところに展示されていたが、それらへの関心は例年に比べて低いようだった。一方でヴィンテージの金無垢やドレスウォッチには引き続き多くの熱気があった。カルティエ、ピアジェ、ブレゲなどが最も人気で、週末には何本もの時計が入れ替わっていた。
同僚のマーク・カウズラリッチは、私が初めてショーに参加したときの経験について尋ねると、“このようなアンティークショーの醍醐味は、本当に探せばいろいろなものが見つかることだ”と答えた。“確かに、使い古された何の変哲もないロレックスの山もあったし、一部の時計からは目新しさが失われていた。しかし本物の逸品もいくつかあったのも確かだ”。
とはいえ、今年のショーでは実際の消費者やコレクターが手元に置いておくために時計を購入するよりも、ディーラーが交換をしているほうが多かったように感じた。
クラシックカーで小休憩
土曜日の朝、コンベンションセンターに向かう途中、オーシャンドライブでクラシックカーラリーをやっているところに出くわした。通り全体が古いポルシェ、コルベット、ビートル、マスタングで埋め尽くされていた。有名なサウスビーチの時計塔の写真を何枚か撮ろうと立ち寄ったのだが、クルマの写真を撮らずにはいられなかった。
世界でもトップクラスのネオヴィンテージウォッチコレクション
さて、アンティークショーに戻ろう。週末のブースで最も印象的だったのはアルフレッド・パラミコ(Alfredo Paramico)氏のブースだった。彼のプライベートコレクションは1980年代から90年代、いわゆる“ネオヴィンテージ”時代に誕生した、最も重要な独立時計やコンプリケーションウォッチのいくつかを展示していた。ブランパン、ブレゲ、パルミジャーニ、ダニエル・ロート、エベルなどのブランドが並べられていたが、これらは売り物ではない。しかし、これらのブランドの時計ならなんでもいいというわけではなく、これらのブランドがこの時代につくり、伝統的な時計製造を生まれ変わらせた最も重要で、複雑で、影響のあったものに限られる。
パラミコ氏が展示していた50本以上の時計の写真を撮ったり、現代の独立時計製造の礎を築いたひとつひとつの時計がどのように、そしてなぜそうなったのかについての物語を書くことができるまで、話をしたりして過ごした。ただこのパネルディスカッションの司会が始まるまで少ししか時間がなかったため、(今のところ)このハイライトで我慢するしかない。
パラミコ氏とのTalking Watchesを覚えている人は、彼が超希少なパテック、ロンジン、オーデマ ピゲなど、ミッドセンチュリー時代の時計製造で重要だったブランドを紹介してくれたことを覚えているだろう。もちろん、彼は今でもこれらの時計に情熱を注いでいるが、ここ数年、これらの重要なネオヴィンテージウォッチを入手し、そのストーリーを語ることに多くの時間とエネルギー(もちろんお金も)を費やしてきた。
特にこの時代のブレゲの時計の職人技と品質にはいつも感心させられる。ケースも文字盤もムーブメントも、当時のほかの時計メーカーとは一線を画している。クロノグラフ、ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダー、そして美しい3針まで多岐にわたり、そのどれもがギヨシェ文字盤、トレードマークのコインエッジ装飾、そして上質なムーブメントなど、アブラアン-ルイ・ブレゲにインスパイアされた新古典主義時計というジャンルを、どんなブランドであってもこれほどまでに見事に表現することはできない。
1994年に発表されたジェラルド・ジェンタ グランソヌリは、世界で最も複雑な腕時計だった。ピエール・ミシェル・ゴレイ(Pierre-Michel Golay)氏によって開発されたCal.31000には、800以上の部品が使われた。ゴレイ氏はのちに、複雑時計の巨匠を自称するフランク・ミュラーのために複雑時計を開発した人物で知られる。約24のグランソヌリがつくられたと考えられているが、そのほとんどはクライアントの要望に基づいてケースや文字盤をカスタマイズしたユニークピースであった。グランソヌリは、時計業界で最も有名なブランドのひとつが誇る、ハイエンドウォッチメイキングの最高峰に位置する機構である。
アンティークショーの別の場面
ミッドセンチュリーのヴィンテージウォッチに焦点を当てていたとしても、オリジナル・マイアミビーチ・アンティークショーでは、1980年代や90年代の時計をほかの場所でも見つけることができた。とはいえ、パラミコ氏のような経験豊富なコレクターから新しい趣味の人まで、あらゆる年齢層のコレクターがクォーツ危機後の伝統的な時計製造の復興を象徴する時代について発見し、学んでいるため、これらのネオヴィンテージウォッチの周りはより多くの盛り上がりを見せるようだ。
時計、クルマ、そしてギター
金曜日の夜、メンタウォッチ、ダビドフブラザーズ、ルナ オイスターのディーラーが集い、おそらくマイアミで最もクールなショップであるウォルト グレース ヴィンテージ(Walt Grace Vintage)でイベントを開催した。壁にはヴィンテージギターが並び、その周りにはヴィンテージフェラーリやポルシェ、ヴィンテージウォッチを収納するキャビネットもいくつかあった。
帰り支度
ショーに戻ると、さらにいくつかの時計を見ることができ、購入することもできた。
“2000年代初頭の、手頃で複雑なクォーツウォッチを手に入れたのだが、どこで見つけたのか皆が興味津々だった”とマークは教えてくれた。“いいものを手に入れた気分になった”。数日間、ディーラーたちが掘り出し物を求めてブースを探し回ったあとでも、大小さまざまな逸品が発見されるのを待っている。これがマイアミビーチ・アンティークショーの魅力なのだ。
あと2日間、出展者の列を歩き回って、毎回新しい時計を見つけることもできただろうが、数日経つと浄化された空気と蛍光灯はもううんざりしてしまった。
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