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In Partnership

To the Offshore オーデマ ピゲが⽣んだもうひとつのイコノクラスム

それまでに崇められていたアイコンを意図的に破壊し、新たなものを創造することはクリエイティブの極みといえる。オーデマ ピゲの歴史はまさにその繰り返しであり、DNAに刻まれた個性なのだ。

時計界はしばしば、それまでになかった異端児の登場によって新たな市場が開拓されてきた。1972年にに誕生したロイヤル オークもそのひとつ。当初は異端扱いされてきた大型のSS製高級ウォッチは、のちに多くのフォロワーを生み出してラグジュアリースポーツウォッチという新たなカテゴリーを切り開いた。さらにオーデマ ピゲは1993年、再び時計界に新カテゴリーをもたらした。その年に発表された、当時としては破格の大型時計であるロイヤル オーク オフショアは、やはりのちに多くのファンを獲得し、エクストリームスポーツウォッチという新語を生み出したのだ。

ロイヤル オーク オフショア クロノグラフ
Ref.26238CE.OO.1300CE.01 価格要問い合わせ
セラミックケース。ケース径42mm。100m防水。自動巻きCal.4404:40石、2万8800振動/時、約70時間パワーリザーブ。

初代と同じ縦3つの目のインダイヤルを配したプチタペストリーダイヤルの下に、最新の自社製クロノグラフCal.4401の改良型Cal.4404が潜む。ケースに加え、ブレスレットまでセラミック製としたのはコレクション初。

 開発がスタートしたのは、1989年。その3年後に誕生20周年を迎えるロイヤル オークの、より男性的で若々しいデザインへのリニューアル プロジェクトであった……と、長く信じられていた。しかし昨年発見された当時のCEO、スティーブ・アークハートのサインが入った社内文書によって、真の史実が判明。そこには「90年代を代表するモデルを開発するよう主張していたヴェッテンゲル氏との話し合いのなかで、彼はそのモデルを“シガレット/オフショア”にインスピレーションを得た作品にするべきだと考えていました」と記載されている。

 ヴェッテンゲル氏とは、ドイツをオーデマ ピゲによる複雑モデルの一大市場に育て上げたディーク・ヴェッテンゲル氏であり、シガレット/オフショアとはテレビドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』にも登場した圧倒的なパワーと豪華な内装を兼ね備えていたアメリカのモーターボートブランド、シガレットのビュレット31モデルを指す。そして同じ文書には、「私は、オフショアという名称がすでに登録されているかどうかを確認し、まだ登録されていない場合は、直ちに申請をするべきだと思います」とも書かれている。

 すなわちオフショアとは、パワフルで豪華なパワーボートや自由で快楽的なビーチパーティからインスピレーションを得た、圧倒的な高級感を伴う新たなスポーツウォッチとのコンセプトのために、まず名称だけが登録されたのだった。それが結果的にロイヤル オーク誕生20周年を間近に控え、すでにラグジュアリースポーツウォッチとしてクラシックとなっていた同コレクションを、オフショアのコンセプトのもとに若い世代へと生まれ変わらせ、新たなる異端児とすることとなったのである。

当時、オーデマ ピゲ販売代理店における重要人物として、イタリアのカルロ・デ・マルキと対をなす存在であったディーク・ヴェッテンゲル。彼から“90年代を代表する作品”の製作を要望された、当時のオーデマ ピゲCEOスティーブ・アークハートが自社デザインセンターに宛てた、“オフショアのデザイン”についての文書。

オーデマ ピゲは、“オフショア”プロジェクトがスタートする以前からオフショアボートレース世界選手権にチームを送り込んでいた。また1986年にはモナコ―・サントロペ間で競う権威あるヨットレースのスポンサーにもなっていた。同じ年、レースのゴールであるサントロペで、オーデマ ピゲはミスターコンテストを開催し優勝者にロイヤル オークを贈呈している。オフショアの世界観の下地はすでにメゾンにあり、若い男性のなかに新たな市場があることをアークハートCEOは直感していたのだろう。そして1989年にプロジェクトがスタートした際、アークハートCEOは、入社2年目で22歳だったエマニュエル・ギュエをデザイナーに抜擢した。当時、メンズウォッチは小振りなボーイズサイズが主流で、ロイヤル オーク コレクションも“ジャンボ”と呼ばれた初代の39mmケースは既にカタログにはなく、男性用でも36mmケースが最大だった。

 ギュエは後にインタビューで
「アークハートは、若者のために男性的で主張のある時計を作りたかったのだろうと思います。当時は、女性が男性用の腕時計を購入することが多くなってきていました。ですから女性が身につけられないようなモデルを作らなければ、と私は考えたのです。そこで、ロイヤル オークのサイズや細部を大きくし、極めて男性的なモデルを完成させました」
 と、語っている。

 はたして彼が1989年4月19日に描き上げた最初のロイヤル オーク オフショアのデザイン素案にあるケースは、直径は42mm、厚さは16mmもあった。またギュエは、ロイヤル オークの単なる拡大コピーにならないよう、ケースとベゼルのあいだのガスケットを厚くし、リューズを高機能ラバー覆い、サファイアクリスタルにはデイト表示の拡大レンズを取り付けてた。またガスケットとリューズのラバーのカラーバリエーションも提案していた。

 当初3針を想定していたことは、最初のダイヤルスケッチから明らかだ。それがフレデリック・ピゲ社(当時)のオーナー、ジャック・ピゲからの提案でクロノグラフの搭載が決まった。ピゲが持ち込んだのは、スイス製で垂直クラッチを先駆けた名機Cal.1185。ゆえに最初のクロノグラフのダイヤルは、横3つ目となっている。しかし小さく薄いCal.1185は、オフショア搭載には向かないと判断され、ジャガー・ルクルトの自動巻きキャリバーをベースにデュボア・デプラ社製モジュールを載せたCal.2126/2840を搭載することとなった。その直径は、29.9mm。42mmケースに搭載するには十分な余裕があるため、軟鉄製ケージによる高耐磁までも可能となった。またギュエは、ダイヤルとインダイヤルとのバランスを考慮し、ダイヤルの見返しに厚いスロープを設え、そこにタキメーターを与えた。

 デザインもムーブメントも十分に検討し、プロジェクトは進められていた。しかし社内の評判は、決して芳しくはなかった。半年に一度は、プロジェクト中止が提言されるほどであり、あまりに大きく厚かったことが異端に過ぎたのだ。アークハートCEOですら、成功を信じることができず、彼の言葉を借りれば「ギュエのために」製品化を決定したという。かくして1993年4月22日、新たなる異端児ロイヤル オークオフショアは、バーゼル・フェア(当時)で、デビューを果たした。

エマニュエル・ギュエによるスケッチ

若き日のギュエと商品デザイン部長ジャクリーヌ・ディミエ。1987年〜10年ほど共に仕事を行った

1989年のスケッチ。ラバー製のガスケットが見て取れる

ラバー部分にカラーリングがなされたスケッチ。1989年時点でのアイデア

1989年頃のスケッチ。文字盤にシガレット/オフショアを思わせるボートが

ケースと文字盤の設計図

試行錯誤された”オフショア”ロゴのデザイン案

初期の100本経て、ロゴも刻印された裏蓋の設計図

 

オーデマ ピゲの最初の異端児であるロイヤル オークが、1972年にバーゼルフェアで発表された際、39mmケースはあまりに大きく“ジャンボ”と揶揄された。そして小振りなケースが主流であった1993年当時にあって、ロイヤル オーク オフショアの42mmケースはそのサイズがより際立ち、各国のリテーラーからも酷評されて“ビースト”(野獣)という、ありがたくないニックネームが付けられた。最初の異端児を生み出したジェラルド・ジェンタでさえ、オフショアを認めず「私の作品を台無しにしてくれたな」と、バーゼルフェアのブースに怒鳴り込んだというのは、有名な逸話である。さらにジェンタはオフショアを、「象アザラシ」と罵倒し、「異端児」と断じた。

 また前述したように、アークハートCEOすらも失敗を覚悟していたからだろうか? ロイヤル オーク オフショアの最初に製造された100ロット分の裏蓋には、Royal Oakとだけ刻まれ、OffShoreの文字はなかった。それはその名を冠した、まったく別のコレクションの開発を意図していたからだと想像が付く。オーデマ ピゲは、オフショアがロイヤル オーク ファミリーのひとつとして強く認知されることを望まなかったのだ。

初代ロイヤル オーク オフショア。

 しかし一方で、リテーラーの息子たちや他社のデザイナーらは、大きく力強いクロノグラフになにがしかの可能性を感じ取っていた。ケース厚は初期スケッチの16mmから14.05mmまで減じられたものの、それでも厚い初代ロイヤル オーク オフショアは、100m防水を達成した最初期のクロノグラフでもあった。すなわち最先端クロノグラフの登場は、好奇心旺盛な若い感性に響いたのである。その証拠に1990年代後半から時計のケースは大型化の道をたどり、42mmは決して大型ではなくなった。ロイヤル オーク オフショアは、時代を先取り過ぎたゆえの、異端児。時代がギュエの感性に追いつくまでには、ロイヤル オークよりも時間がかったのだ。

最初に製作された100本にはOffshoreの刻印はなく、ロイヤル オークの刻印データが流用された。裏蓋自体は独自設計。

実際、ギュエは極めて優秀な先見の明の持ち主であった。驚くべきことに彼が1991年に描いた、ロイヤル オーク オフショアのほぼ最終のスケッチには、ベゼルを異素材としたモデルがあった。また最初期のスケッチには、セラミックやグラファイト、カーボンファイバーなどの新素材を導入したバリエーションについての記載がある文書が添えられていた。前述したようにガスケットとリューズに配されたラバーのカラーバリエーションも時代を先どっている。ギュエは、ロイヤル オーク オフショアの無限の可能性と成功とを信じていたのだ。

 1995年にはゴールドモデルが追加され、翌年には小振りな3針モデルが女性用として登場。さらにその翌年には、パーペチュアルカレンダーとタイムゾーンモデルが登場し、機械的な魅力を高めてロイヤル オーク オフショアは一大ファミリーを形成していく。この年は、ロイヤル オークの25周年にあたり、それを祝すかのようにギュエは、イエロー、グリーン、オレンジ、レッド、ガーネット、ブラウン、スカイブルーといった色鮮やかなオフショアをデザインし、これらの登場によってイタリアを中心に一気に人気に火がついた。

初代オフショアから搭載されていたCal.2126/2840。ジャガー・ルクルト製Cal.899(26mm)をベースにデュボア・デプラ製のクロノグラフモジュール(30mm)を合わせ、オーデマ ピゲが改良を加えた。

 ベゼルと裏蓋を、ガスケットを介してミドルケースにつなぎ合わせるケースの3ピース構造は、ロイヤル オークとほぼ同じ。ただ、この構造でオフショアの名にふさわしい100m防水を達成するのは困難で、それが初代の発表を当初予定していた1972年から1年遅らせた要因である。一方で、3ピース構造は異素材の組み合わせが容易であり、ゆえに最初の構想に異素材ベゼルがあった。それが具現化されたのは2001年誕生のベゼルもブラックラバーで覆ったRef.25940SKだ。これは発表から6年間で1万本を出荷する世界的な大ヒット作となった。同時にRef.25940SKは、それまでのロイヤル オークと同じプチタペストリーに代わる、メガタペストリーを初めて導入したモデルだった。格子柄のひとつひとつが大きく、また彫りも深く、より力強い印象を醸し出すメガタペストリーは、ロイヤル オーク オフショアの重要なデザインコードとなった。

 また初代から搭載し続けるCal.2126/2840のベースであるジャガー・ルクルト製Cal.899は、2010年代まで進化をし続けた同社の主力機にして名機。オーデマ ピゲにおいてもCal.2016から順に進化を続け、2005年の完全自社製自動巻きCal.3120(Cal.3126)の登場まで、メゾンの屋台骨を支え続けてきた。デュボア・デプラ社製のクロノグラフモジュールも十二分に信頼に足り、Cal.3120登場後も3840と改名され、ロイヤル オーク オフショアにCal.3126/3840の名で搭載されてきた。オーデマ ピゲは決して開発を急がず、既存ムーブメントを丁寧に熟成させることを好む。Cal.2126/2840とその派生形であるCal.3126/3840がロングセラー機であったことが、その証だ。

 
そしてスターダムへ

ロイヤル オーク オフショア クロノグラフ
Ref.26420CE.OO.A005VE.01 748万円(税込)

セラミックケース。ケース径43mm。100m防水。自動巻きCal.4401:40石、2万8800振動/時、約70時間パワーリザーブ。 世界限定500本。

オフショアを成功に導いたエンド・オブ・デイズにオマージュを捧げる新作。PVDだったブラックケースをセラミック製とし、インデックスはバーに改めながら針とともにオリジナルと同じイエローの畜光塗料を施した。
(左)1999年に発売された、Ref.25770SN 通称エンド・オブ・デイズモデル。アーノルド・シュワルツェネッガーとのコラボレーションによって生まれた。

前述の、メガタペストリーダイヤルを初めて採用したRef.25940SKが大ヒットしたのには、実は重要な布石があった。物語は、1997年に遡る。同年7月、ル・ブラッシュにあるオーデマ ピゲのミュージアムを、1人の屈強なアメリカ人が訪ねた。彼の名はアーノルド・シュワルツェネッガー。案内をしたのは、当時アメリカ市場の営業担当だったフランソワ-アンリ・ベナミアスで、先ごろ勇退を発表したオーデマ ピゲの現CEOである(2012年就任)。

 シュワルツェネッガーは、そのとき既にロイヤル オーク オフショアの愛用者であり、また懐中時計の収集家でもあった。ミュージアムに所蔵される懐中時計の数々に感銘を受けた彼は、帰国して数か月後にベナミアスをレストランに招き、一緒に時計を作ることを提案した。テーブルクロスの片隅に書かれたメモは、ロイヤル オーク オフショア エンド オブ デイズ、25770SN モデル。シュワルツェネッガーは、自身の主演が決まっていた映画『エンド・オブ・デイズ』で、このモデルを着用することをベナミアスと約束した。またベナミアスも、メゾンの創業125周年を記念した巡回展に出展されているうちの1本と、現行モデル34本とを出品するチャリティオークションをシュワルツェネッガーに提案した。シュワルツェネッガーはモハメド・アリとの共同でならと、これを快諾。奇跡のキャスティングがかなったオークションでは、ロビン・ウィリアムズ、ジョルジオ・アルマーニ、ソフィア・ローレンなど錚々たる面々が身に着けた彼らのサイン入りの時計34本が出品された。その売り上げは150万ドルにも及び、シュワルツェネッガーとアリが主催する慈善団体に全額が寄付された。

シュワルツェネッガーと当時のベナミアスCEO。

 むろんシュワルツェネッガーも約束を守り、1999年、ケースをPVDでブラックに仕立て上げた500本のロイヤル オーク オフショア Ref.25770SN、通称「エンド オブ デイズ」が、世に送り出され、映画でも着用された。セレブリティとコラボは、時計界初の試み。またかつてないブラックのビッグウォッチは、とりわけストリートカルチャーシーンにおいてオフショアの名を広く知らしめることとなった。それが2001年誕生のRef.25940SK大ヒットへとつながったのだ。

 その後、シュワルツェネッガーとのコラボで「T3」「オールスター」「レガシー」が誕生。ロイヤル オーク オフショアはさらに、ファン・パブロ・モントーヤ、ルーベンス・バリチェロ、シャキール・オニール、ミハエル・シューマッハなど、さまざまな分野のセレブリティとのコラボモデルを生み出していき、一気にメゾンの、さらには時計界のスターダムを駆け上がっていくことになる。

 時代がようやく、ギュエの感性に追い付いた。

 

ロイヤル オーク オフショアには、1998年に早くもチタンモデルが登場している。これはオーデマ ピゲで初のことだった。その後もラバーベゼル、セラミック、フォージドカーボンなど、ロイヤル オーク オフショアはメゾンにとって新素材の実験場のようになっていく。これら新素材であっても、オフショアには他社のエクストリームスポーツウォッチでは比肩するものがない最上級の仕上げが行き渡った美観が伴う。単に大きく派手なだけであったなら、ロイヤル オーク オフショアは今ほど成功していなかっただろう。異端で実験的でありながら極めて伝統的でもある二面性こそが、ロイヤル オーク オフショアの、さらにはオーデマ ピゲの魅力であり、強みだ。だからこそ、感性が鋭いヤング層の心をつかむ。

 また機械的にもグランドコンプリカシオンをラインナップしてみせるなど、通好みなコレクターの要望にも応えられる技術力をオーデマ ピゲは持つ。ロイヤル オークは、比較的早く異端児からクラシックへと変化した。対してロイヤル オーク オフショアは、チャレンジを繰り返し、異端児であり続けている。

 

Words:Norio Takagi Photos:Tetsuya Niikura Styling:Eiji Ishikawa(TRS)