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90年代ウィークへようこそ。この特集では直近10年間で最も魅力的な(そして最も過小評価されている)時計と、20世紀末を特徴付けたトレンドとイノベーションを再考していく。ダイヤルアップ接続を行い、クリスタルペプシ(無色透明のコーラ)を手に取って欲しい。
ベル&ロスは驚くほど若い。
パリに本社を置くこの時計メーカーは今年30周年を迎える。スイスを拠点とするほかの時計メーカーが自慢する数世紀の歴史とはかなり対照的だ。
1992年にデザイナーのブルーノ・ベラミッシュ(Bruno Belamich=ベル)氏と起業家のカルロス・ロシロ(Carlos Rosillo=ロス)氏は、伝統的なツールウォッチといかつい軍装備品とのギャップを埋めるような、自分たちの時計づくりに着手した。彼らはまず始めにドイツでジンと手を組んだ(ベル&ロスの初期の時計には“ベル&ロス by ジン”という名が付けられた)。そしてやがて、90年代後半にシャネルの資金援助を得て、時計製造拠点をスイスに移したのだ。
ちょうど30年が経ち、発展を遂げたベル&ロスは、1990年代に創業したなかで最も商業的に成功した時計メーカーのひとつとなっている。2005年に発表した独特なスクエア型のBR-01コレクションにより、パリに本社を置く同社の製品はあらゆる時計販売店の棚に置かれるようになり、世界中の時計コレクターが腕につけているのをたやすく確認できるようになった。
ベラミッシュ氏とロシロ氏は、創業から30年以上が経った現在も同社の運営に携わっており、私は先日、CEOを務めるロシロ氏に初期のベル&ロスのことや他社との違いについて話を聞いた。
HODINKEE: 時計メーカーを立ち上げようと決めたのは大学生の時ですよね。なぜですか?
カルロス・ロシル氏: ブルーノは大学生で、デザインスクールに通っていて、私は経営学修士課程を終えたばかり。すでに投資銀行に勤めていました。
当時、ふたりともミリタリーウォッチを集めていました。しかし、1980年代には軍用のプロフェッショナルな時計を見つけるのは難しいことでした。ポピュラーではなかったのです。ブルーノはあと1年で卒業するところで、彼はフランスの兵役に就かなくてはなりませんでした。そして兵役のためにニューカレドニアと日本に行きました。
彼は日本にいるあいだに、ドイツの時計会社ジンについて書かれた雑誌を見つけました。彼はヘルムート・ジン(Helmut Sinn)氏とつながりを持つことができ、戻ってくるとジン氏のためにデザインの仕事を始めました。
それがベル&ロスとジンの関係の始まりですか?
ジン氏には自らの知識を伝える用意があり、知識を伝えるだけでなく、“ベル&ロス by ジン”として私たちの時計コレクションの立ち上げを可能にし、手助けする心づもりもあったのです。ミリタリーウォッチを愛するふたりの若造と、私たちに教えたいというヘルムート・ジン氏の意欲が組み合わさりました。私たちのなかに共通の精神感覚を見いだしたのでしょう。
いわゆる“好循環”といえるもので、それはヘルムート・ジン氏から始まりました。ジン氏と、ジンで働く前にIWCのテクニカルルディレクターをしていて、ランゲの復興準備にも手を貸したローター・シュミット(Lothar Schmidt)氏とともに始めました。我々の技術的基盤は素晴らしかったものの、資金はまだ不足していました。
シャネルとの関係はどのように始まりましたか?
金融に携わっていたので、私は自分たちに必要なものを理解していました。私たちは手持ちの2万ドルで会社を立ち上げました。そして、資金援助を得る必要があるとわかっていましたし、会社の第2ステージでシャネルの人々と出会えたのは幸運でした。
当時、ニューヨークの最初の店のひとつがKenjoで、シャネルのビルの目の前でした。そのため、最終的にベンチャーキャピタルを通じて1997年にシャネルの人々とのつながりができた時、彼らはすでにベル&ロスをつけていました。こうして関係が始まったのです。
スクエア型のケースはいつからでしょう? それによって会社はどう変わりましたか?
私たちは常に航空機と計器盤の時計に興味を抱いていました。そこで、ブルーノに計器盤の時計のような腕時計を作ってコックピットから腕に持ってくることはできないかと尋ねたのです。それを実現したのが2005年のBR-01です。デザインを完成させ、腕時計として着用するのにふさわしいものにするため、開発に2、3年を要しました。
たちまち、自分たちの時計と航空機のつながりを宣伝する必要はなくなりました。時計を見れば明らかだったからです。
ベル&ロスの時計は歴史的にドイツもしくはスイスで製造されていて、本社はパリにあります。この国際的アプローチはブランドや事業にどのような影響を与えていますか?
それが私たちの精神を理解する鍵だと思っています。少なくともふたつの文化が併存しています。ドイツ、スイス、フランスの3つの文化かもしれません。これはつまり、純粋なスイス企業とは違うということです。ドイツの時計づくりはよりエンジニアリング志向です。スイスの時計づくりは時計づくりそのものや金銭面により焦点が当てられます。そしてフランスの時計づくりは、おそらくよりデザイン志向です。
我が社にはこの3つの血が少しずつ流れているのです。
このインタビューは、適切な長さにし、分かりやすくするために編集しています。
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