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Four + One 彼はディーラーでコレクター。そして今は、作家でもある。

ローラン・マルティネス氏はパテック、ブレゲ、ロレックスを数点、そしてすばらしいブーツを披露してくれた。

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多くの時計に関する書籍の問題は、読むことよりも見ることに重点が置かれていることだ。ローラン・マルティネス(Laurent Martinez)氏は、時計と同様に本についても真剣に考え、別のアプローチで取り組んだ。フランス生まれの55歳、代表的な時計のディーラーであり、ライト・ギャラリーの時計部門のコンサルタントでもあるマルティネス氏は、自著「Timepieces, A Lifelong Love and Passion; An Insider's Guide to Watches and Tips for Watch Collecting」を出版したばかりだ。革新的文学作品を目指した本ではないが、時計の収集に関するアドバイス本として、新鮮でパーソナルで深みのある内容になっている。

 マルティネス氏が人生のなかで出会った異色の人々から得た教訓や、長年にわたって見てきた膨大な高級時計の話が詰まっており、まるで時計鑑定家の回顧録のようだ。トニー・ジャット、モンテーニュ、ツヴァイク、ニーチェなどの本が所狭しと並ぶガレージのような小さなオフィスはコネティカット州グリニッジを横切るI-95号線からほど近い。「知るためにはたくさん見なければなりません」と彼は言う。「たくさんね」

A man poses

 裕福な層が住むパリ郊外で、裕福ではない家庭に育った彼だが(父親はパリ市内の交通機関で働いていた)、目に見えるものの楽しみを見逃してはならないと学んだ。彼は、数少ない変わった隣人から指導を受けた。地元の金持ちのためにブガッティを修理していたメカニックや、大きな家に召使いを連れて住んでいたふたりの貴婦人。ローランがまだ少年だった頃、90歳を過ぎていたそのうちのひとりは、ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo)に読み書きを教わっていた。11歳のときに初めて買った時計はイエマだったが、当時はお金がなかったにもかかわらず、夢を貫くための心強い励ましを受けていた。

Four watches

 マルティネス氏はその後、ディーラーとして長いキャリアを積み、あらゆるものを見てきたと言う。長年にわたるなかで、いくつか例を挙げると、「始まりから現行に至るまですべてのデイトナコレクション」、「ナポレオンの時計職人が作った懐中時計」、そして紛失したのち、ソファーのクッションのなかで発見され、最終的に約100万ドル(約1億円)で落札されたパテックのRef.2499 永久カレンダー・クロノグラフなどだ。彼が自ら販売した1000本以上の時計については言うまでもない。彼が“多岐にわたる”と表現するその時計は、想定外のもの(レアなクロノグラフのひとつであるパテックのRef.3970、あるいはゼニスムーブメントと200タキベゼルを備えたゴールドのデイトナ)や、民主的な価格帯のもの(クロトン ニバダ・グレンヒェンのクロノグラフが約2500ドル/約30万円というのはどうだろう)まである。

 つまり、マルティネス氏は“聖杯”コンプレックスを持っていないのだ。彼の心は、かつての自分のような、探しても買えなかった努力家、夢想家に共感している。例えば、彼はしばしば“目に喜びを与えるもの”について語るが、それは彼が所有することなく物を楽しむという、悲しいほど希な能力をいまだに持ち続けていることを物語っている。とはいえ、今ではかなりのコレクションを持っているようだ。そのなかから、彼が苦労して選んだものをご紹介しよう。

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彼の4本
ロレックス オイスターデイトジャスト Ref.6604
Rolex Datejust

 1990年代前半から半ばにかけて、マルティネス氏はブエノスアイレスの金融会社で仕事をしていた。アメリカ在住の友人から電話があり、中西部のどこかの銀行が貸金庫の中身をオークションにかけると聞いた。そのなかで彼が好みそうなロレックスがあるというものだった。「この時計は40年間金庫の中にあって、ミントコンディションだったのです」とマルティネス氏は言う。見積もりは5000ドルで、手が届きそうな値段だ。奇数番号が黒、偶数番号が赤という交互配列のルーレットカレンダーも気に入った。「この時計は、私の最初の子供です。初めて買った本物の高級時計なのです。ずっと愛しています」

ブレゲ タイプXX トランスアトランティック クロノグラフ Ref.3820
Breuget Chronograph

 子供の頃、パリに日帰り旅行に行ったとき、マルティネス氏はいつもカプシーヌ大通りにあるブレゲのブティックのウィンドウを覗いた。店内に飾ってあったもの、特にアエロナバルを見ていた。「いやいや、お金のない少年がパリの高級店に? いや、絶対に無理です。ただ見て、『ローラン、いつかきっとだぞ』ってね」。マルティネス氏はクロノグラフを愛用している。「ずっと好きです。機能じゃないんです。使わないから」。スノードームのようなミニチュアの世界だ。「インダイヤル、タキメーターの目盛り、針のスタイル……」。もちろん“本物のタイプ20”であるアエロナバルも持っている。今回の4本で、なぜアエロナバルではなくトランスアトランティックを選んだのかと尋ねた。「昨日手に入れたばかりだから!」

ロレックス サブマリーナー Ref.16808
Rolex Submariner

 「もし、すべてを売ってひとつだけ残すとしたら、これしかないでしょう。感情、夢、愛、すべての集大成です」と、マルティネス氏は語る。ブレゲと同様、彼はこの時計の前世代、今では入手不可能なRef.1680を子供の頃に見て、それを忘れることができなかった。「Ref.16808を何年も探しました。本当に何年も」。そして、ついに見つけたのが、憧れのブルーニップルダイヤルだった。「私はブルーに目がないのです」。 彼はそれを「今年はいい年だったから、自分へのご褒美」として買った。「いつも買いのオファーを受けますが、『忘れてください。光栄ですが遠慮します。これは売り物じゃないから 』と言います」

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パテック フィリップ クロノグラフ Ref.5070
Patek Philippe Chronograph watch

 「プラチナ、クロノグラフ、ブルーダイヤル、すべて揃っています。ほかに何がいるでしょう?」。マルティネス氏は著書のなかで、"宇宙が存在しないかのように、何も届かない "というほど強烈に自分の興味を吸収する時計があると書いている。Ref.5070が製造された10年目にして最後の年となった、プラチナのみで作られたこのパテックのクロノグラフは、そんな作品である。「壮大であり、だからこそ価格が正当化されます」


もうひとつ
ファリアーノのポロブーツ
Leather boots

 マルティネス氏が14歳のとき、両親は語学力を磨くために彼をイギリスに送り出した。彼は田舎でホームステイをし、自由気ままに過ごしていた。ある日曜日、散歩に出かけた。「遠くからジャガーやロールスロイスが見えました。近づいてみるとヘリコプターが来ていて、チャールズ皇太子が降りてきました。ポロの試合に出場するためです。私はこっそり侵入し、ゴールの後ろに座る場所を見つけたのですが、そこで頭にボールを食らってしまいました。でもそこに座っていると、ポロ競技のイメージ、クルマ、ドレスを着た女性たち、それを象徴するすべてが浮かんできて、またあの声が聞こえてきたんです。『これがトップだ。いつかポロをやるんだ。いつか』ってね」。それは、ブレゲを手に入れることよりも、もう少し壮大な目標であったことを彼は認めている。

 しかし数年後、ブエノスアイレスで仕事をしていた彼は、ある女性と出会い、世界の名選手が会員になっている有名なポロクラブ、ラ・マルティーナに連れて行ってもらった。「この人たちはプレーしていて、弟が何年もチャールズ皇太子のチームメイトだったマルシアル・ソカス(Marcial Socas)にも会いました。私は『ポロをやりたい』と言ったんです。彼は『馬に乗れるのか?』と聞き、私は『いいえ、5回くらいしか馬に乗ったことはないです』と言ったんです。彼は私の顔を見て『 そうか、遊びたいなら日曜日に来なさい』と。私は『必ず行くから』と言いました。そしてついに私は馬の上で時間を過ごしました。棒とボール、棒とボールですよ」。そして長いあいだ、毎週末は“田舎に行こう”となった。

 あるクリスマスの朝、マルティネス氏は再びクラブにいた。「めちゃくちゃ速いクルマが来る」。しばらく前から世界ナンバーワンのポロ選手となったアドルフォ・カンビアソ(Adolfo Cambiaso)が降りてきたのだ。「ゲームを作ろうと、アルドルフィート(通称)が言いました。7人しかいませんでした。10人のゴールプレーヤーに対して7人。彼は周りを見回して、私に『やるか?』と聞きました」。マルティネス氏は深呼吸をした。「彼は私にとても優しく接してくれました。私はボールに触ることはなかったかもしれませんが、彼は私にゲームをさせてくれました。人生で最高のときのひとつです」。頭のなかのその声に改めて敬意を表したという笑顔が彼の顔に広がった。「そう、私はポロ競技をやりました。夢がまたひとつ叶いました」

Photos by Daniel Dorsa

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