独立系時計製造の未来はどうなるのか? 先週末にシンガポールにいたなら、その未来が力強いものであるという確信を抱いたことだろう。下の写真でテーブルを囲むのはラウル・パジェス(Raúl Pagès)氏、ゲール・ペテルマン(Gaël Petermann)氏とフロリアン・ベダ(Florian Bédat)氏、そしてテオ・オフレ(Theo Auffret)氏といった面々。彼らは談笑していたが、1時間後にこの場所はカスタマーとコレクター、そして熱心なファンたちで溢れかえり、彼らの時計をひと目見ようとする人々に囲まれていた。またそれだけでなく、時計を購入するチャンスを求める声も多く上がっていた。
左からラウル・パジェス氏、ゲール・ペテルマン氏とフロリアン・ベダ氏、そしてテオ・オフレ氏。もし彼らが次世代の時計師の未来を担うなら、この業界は間違いなく安泰である。
会場はザ・シンガポール・エディションホテルの地下階にある広々としたボールルーム。そこで行われたのがIAMWATCHというまったく新しい時計の祭典であり、マイケル・テイ(Michael Tay)氏とアワーグラスによって企画された。コレクターと時計職人が顔を突き合わせるこのイベントでは、独立系時計製造の世界においてこれまでにないような形での交流が生まれていた。ドレスコードは“リゾートカジュアル”と“ダブルリスティング”。独立系の時計を複数持っているなら、ぜひ装着していこう思ってしまいたくなるスタイルである。ちなみにカバナシャツがなくても心配無用だ。IAMWATCHでは会場に訪れる人々のために特製のシャツが用意されていた。このため今回のレポートに登場する写真には、同じグリーンやピンクのシャツを着た人々が数多く見られる。
かつては知る人ぞ知る存在だったこの卓越した職人技が築いた分野が、現代の消費者やテイ氏、彼の父親、アワーグラスの力によって新たな高みに引き上げられた。彼らは早くからのF.P.ジュルヌやフィリップ・デュフォーの支援者であり、ジェラルド・ジェンタやダニエル・ロートといったブランドの元オーナーでもある。実際アジアは時計全般のみならず、このような現代的な技術を誇る職人たちの作品をもって、世界最大級の市場のひとつへと成長してきたのだ。
8本しか存在しないフィリップ・デュフォーのソヌリのうち、2本が一堂に会した。この光景を目の当たりにできる機会は、一生のうちでも2度とないかもしれない。
こうした独立時計師と定期的に、カジュアルに会う機会に恵まれているがゆえに、私はここでの体験がどれほど特別なものかを完全に理解するまでに少し時間がかかった。一般の人々が部屋に入ってテーブルの前に座り、数多くの現在の独立系時計師のなかでも特に輝かしい才能たちと直接対話できる機会がどれほど貴重であるか、言葉では表現しきれない。周りの時計愛好家たちは非常に豊富な知識を持ちながら謙虚でもあり、たとえMB&Fやウルベルクについては詳しくても、カリ・ヴティライネンの作品についてはほとんど知らないと素直に認めていた。しかし皆が、その場で本人たちから学ぶ意欲に満ちていた。
今日において乱立する独立系ブランド。厳密な定義のうえでは、ロレックスやオーデマ ピゲ、パテック フィリップも独立系ブランドの範疇に入るが、私たちが“インディペンデント”として思い描くのはブランド名に時計師自身の名前が掲げられているものだろう。各時計師はオリジナルのスタイルを確立するのみならず、自身のブランドに独自の方向性を見出している。年間約1000本の機械式時計を生産するF.P.ジュルヌの時計は、シンガポールでも多くの手首に見られた。またMB&Fやウルベルクの熱狂的な支持者も見受けられた。ペテルマン・ベダやテオ・オフレといった若く小規模なブランドもその勢いを増しており、ショーの最中にも納品が行われていた。またそれぞれのブランドのなかでも、本当に希少なモデルが集結していた。例えば私がイベントで最初に撮影したのは、パテック フィリップの近代的なモデルでもっとも希少なRef.1938P。これはフィリップ・スターン(Philippe Stern)氏の85歳の誕生日を祝して製作されたものである。
パテック フィリップ Ref. 1938Pはミニッツリピーターとアラーム機能を備えた腕時計で、文字盤にはフィリップ・スターン氏の肖像が描かれている。わずか30本のみ製作されたもので、価格は約90万スイスフラン(日本円で約1億5800万円)に設定されている。
ラウル・パジェス氏がIAMWATCHでゲストや顧客と交流。
次に私のカメラロールに収まった次の時計は、F.P.ジュルヌの“15/93”であった。これはフランソワ-ポール(François-Paul)氏が顧客向けに初めて販売した腕時計であり、1993年に完成した15番目のタイムピースだ。この時計はフィリップスによって提供されており、ニューヨーク、香港、ジュネーブで開催される秋のオークションプレビューの一環としてIAMWATCHとその向かいのホテルで展示されていた。私は以前ジュネーブとニューヨークでこの時計を見落としていたため、この機会を逃すわけにはいかなかった。
1993年に製造されたF.P.ジュルヌ初の一般販売用腕時計。彼の15番目のタイムピース。
フィリップスのテーブルに座るオーレル・バックス(Aurel Bacs)氏とティファニー・トー(Tiffany To、左)氏、アレックス・ゴトビ(Alex Ghotbi)氏。
またアイコンウォッチを作るために必要なエッセンスについて語るトークにも参加した。トークの登壇者はデザイナーのリー・ユエン-ラパティ(Lee Yuen-Rapati)氏、レッセンスの創設者であるベノワ・ミンティエンス(Benoit Mintiens)氏、そしてトリローブの創設者ゴーティエ・マッソノー(Gautier Massonneau)氏である。このイベントではアジアや太平洋地域から来た多くの読者に会うことができた。IAMWATCHが時計の世界でより頻繁に開催される祭典となることを心から願っている。しかし正直に言えば、この記事を読んでいる方が最も気になっているのは私がイベント中に見つけた時計の数々だろう。期待を裏切らない、充実した内容となったと思う。いくつかの非独立系の時計も紛れ込んでいたが、なるべくテーマに沿ってウォッチスポッティングを行った。今回撮影できなかった腕時計オーナーの方々には申し訳ないが、このPhoto Reportを楽しんでいただければ幸いである。
リー・ユエン-ラパティ氏がイベント参加者が着用していたいくつかの時計を描いている様子が印象的だった。
その後、彼は完成した作品集をマイケル・テイ氏とアワーグラスに贈呈した。
そしてオーデマ ピゲ ロイヤル オーク RD#2。チタンとプラチナ(Pt)製のモデルも登場。
オーデマ ピゲのRef.25902 ロイヤル オーク オートマティック トゥールビヨンは、ロイヤル オークの25周年を記念して製作された特別なモデルである。
自分の時計を見せるカリ・ヴティライネン(Kari Voutilainen)氏。
カリ・ヴティライネン氏の個人所有モデル、クロノメーター 27にはダイヤモンドインデックスが施されている。
また、2015年にGPHG(ジュネーブ時計グランプリ)でメンズ・ウォッチ賞を受賞したヴティライネンのGMRも展示されていた。
さらに短命に終わったブランド、タロックによるタロック T-01も登場。このモデルのムーブメントはヴティライネン氏のチームによって命が吹き込まれたものである。
グローネフェルドの1941 ルモントワールには、カリ・ヴティライネン氏の工房であるコンブレミンが手がけたダイヤルが採用されている。
グローネフェルド 1941 ルモントワールのムーブメント。
MB&F HM9 “フロウ”
ウルベルクとMB&Fのオロロジカル・マシン No.11 “アーキテクト”。
日本の超特急、新幹線の運転士向けに製作されたセイコーの鉄道時計。
裏側の下部には日本語で“新幹”の文字が見える。
ジェラルド・ジェンタ(Gerald Genta)がデザインしたクレドール ロコモティブの復刻モデル。
ドゥ・ベトゥーン ドリームウォッチ 5 トゥールビヨン シーズン1。
3本のサンティグラフ、トロワセンティグラフとでもいうべきか。
22.5ctのダイヤモンドが施された、トゥールビヨン・スヴラン・ヴァーティカル オートジュエリー。
F.P.ジュルヌ ラインスポーツ オートマティック・リザーブ・チタン
木曜夜に行われた顧客向けのプライベートビューは大盛況となった。
2021年版のMB&F レガシー・マシン 101は、鮮やかなパープルが特徴的である。
M.A.D. エディションズ、ウルベルク、ドゥ・ベトゥーンの3本のパープルウォッチが並ぶ姿も見られた。
ドゥ・ベトゥーンのドリームウォッチ 5が2本もだって?
ゴールド製のドリームウォッチ 5も?
ドゥ・ベトゥーン ドリームウォッチ 5 トゥールビヨン シーズン1
ドゥ・ベトゥーン マキシクロノ
週末のIAMWATCHでは、訪問者と時計職人たちが1対1でグループ形式でカジュアルに交流できる朝食会が複数回開催された。この集まりは非常に好評で、小さなラウンジからメインのボールルームへと会場を移し、フェリックス・バウムガルトナー(Felix Baumgartner)氏、マックス・ブッサー(Max Büsser)氏、レジェップ・レジェピ(Rexhep Rexhepi)氏との簡単な交流のために人々が列を作るよう誘導する必要があった。また、ザ・シンガポール・エディションホテル内のシアターでは複数のトークショーやプレゼンテーションも行われ、会場は満席となり長いウェイティングリストが生まれるほどの盛況ぶりであった。
レジェップ・レジェピ氏。
アクリヴィア AK-06とレジェップ・レジェピのクロノメーター コンテンポラン。
レジェップ・レジェピのクロノメーター コンテンポランとF.P.ジュルヌのクロノメーター・レゾナンス ブラックレーベル。
レジェップ・レジェピ クロノメーター コンテンポラン ダイヤモンド(10本限定)と、非常に希少なダイヤモンドインデックス付きのパテック フィリップ Ref.5004P。
アクリヴィア AK-06をもう1本。
IAMWATCHで行われた業界のリーダーやジャーナリストによるトークセッションのひとつで、マックス・ブッサー氏がプレゼンテーションを行った。
ゴールドダイヤルのアクリヴィア AK-06。
F.P.ジュルヌの新作、東京ブティックアニバーサリークロノグラフモデル。
F.P.ジュルヌ トゥールビヨン・スヴラン Ref.TT、東京ブティック アニバーサリーモデル20本限定のうちの1本。
「この家では、F.P.ジュルヌを身につけるのが流儀である」なんちゃって。
F.P.ジュルヌ トゥールビヨン・スヴラン・ヴァーティカル
F.P.ジュルヌのヴァガボンダージュ Iとヴァガボンダージュ III。
ブレスレット付きのF.P.ジュルヌ オートマティック。
実際に目にしたのはこれで2本目となる、イエローゴールド(YG)のル・マン デイトナ。
ホワイトゴールド(WG)製のロレックス GMTマスター II、メテオライトダイヤル仕様。
ロレックスのデイデイト、レインボーダイヤル。
ダイヤモンドとエメラルドがセットされた唯一無二のロレックス ヨットマスター。
ル・マン デイトナよりも遥かに希少なこちらは、昨年ロレックスのオフカタログ(VIP向けのモデル)コレクションに加わった、テイ氏所有のWG製ルビーセッティング デイトナである。
パテック フィリップ アクアノート ルーチェ クロノグラフ Ref. 7968
ゴッビ・ミラノのロゴが入ったローズゴールド(RG)製のパテック フィリップ Ref.2523。この時計は2019年にアジアでの時計オークション最高額記録を樹立したが、そのときの価格は900万ドル(日本円で13億7000万円)に迫るものであった。
パテック フィリップ Ref. 5231G “オセアニアと東南アジア”のワールドタイム。
パテック フィリップ Ref.3940JとRef.5236G 年次カレンダー・トラベルタイム。
リリースの翌日、アーロン・ワン(Arron Wan)氏が新作のPt製パテック フィリップ キュビタス Ref.5822Pを着用しているのを見かけた。
さらに、スティール(SS)製でグリーンのキュビタス Ref.5821Aもあった。
パテック フィリップ Ref.5740Gと、希少なユニバーサル・ジュネーブのコンパックス。
初期のユニバーサル・ジュネーブ トリコンパックス。
レッセンス創設者、ベノワ・ミンティエンス氏。
ジャン-クロード・ビバー(Jean-Claude Biver)氏は人々を魅了する。
ルイ・ヴィトンのタンブール。
ウルベルクのフェリックス・バウムガルトナー氏。
新作のウルベルク UR-150を見せてもらえた。
ウルベルク UR-150
ウルベルク AMCのプロトタイプは、最もクールな時計(クロックでもウォッチでもある)のひとつに数えるべき革新的な作品である。原子時計が機械式時計と連動し、機械式ムーブメントを微調整して精度を極限まで高める仕組みになっている。
テオ・オフレ氏は、師であるジャン=バティスト・ビオ(Jean-Baptiste Viot)氏によって製作された8本限定の時計を着用していた。
実際、このイベントにはジャン=バティスト・ヴィオ氏の時計が2本展示されていた。
テオ・オフレのトゥールビヨン・ア・パリ。
テオ・オフレで設計したモジュールを搭載する、スペースワン・ジャンピングアワー。
ファーラン・マリのサーモンセクターダイヤルモデル。
バルチック マイクロローター。オラクルボーンスクリプト(甲骨文字)を施した文字盤が特徴的な、ウェストウッドとともに製作したモデル。
ジャン・アルノー(Jean Arnault)氏、ゲール・ペテルマン氏、レミー・クールズ(Rémy Cools)氏、テオ・オフレ氏がパネルに参加。モデレーターはフィリップスの欧州・中東地域時計部門副会長であるアレックス・ゴトビ氏が務めた。
レジェップ・レジェピ クロノメーター コンテンポランと、ウルベルク共同創設者トーマス・バウムガルトナー氏が個人所有するウルベルクのプロトタイプを、マイケル・テイ氏が着用していた。
MB&F レガシー・マシン フライングT オニキス
MB&F × H.モーザー レガシー・マシン 101と、MB&F レガシー・マシン パーペチュアル。
マックス・ブッサー氏がサインをしている様子。
MB&F オロロジカル・マシン No.3 メガウィンド
MB&F オロロジカル・マシン No.2 RED SV
ウブロ スピリット オブ ビッグ・バン “チタニウムドラゴン”。
特別なウブロをもう1本、こちらはシンガポール・ウォッチ・クラブ向けのモデルである。
最近リリースされたドゥ・ベトゥーン DB28xs エアロライトと、RG製のMB&F レガシー・マシン 101。
F.P.ジュルヌ クロノメーター・レゾナンスとペテルマン・ベダの1967 デッドビート・セコンド。
H.モーザー ストリームライナー・フライバック クロノグラフ
大塚ローテック 7号
クロノトウキョウの34mmモデル。
ウルベルク UR-100V “フルチタニウムジャケット”
ウルベルク UR-112
アワーグラスのグループマネージングディレクター、マイケル・テイ氏が両腕につけていたのはシャンパンダイヤルが特徴的なユニークピース、WG製フィリップ・デュフォー シンプリシティと38mm径のF.P.ジュルヌ クロノメーター・レゾナンスであった。
F.P.ジュルヌ トゥールビヨン・スヴラン 38mm 北京エディション(所有者によると2本のみ存在し、市場に出たのは1本だけとのこと)。
ルイ・ヴィトンのYG製モントレー I。
レミー・クールズ トゥールビヨン アトリエ
カルティエ クラッシュ
ベルネロン ミラージュ
カルティエ クラッシュ
香港特注のカルティエ サントレ。
ダイヤルに香港の国コードが蓄光で表示される特別仕様だ。
MB&F レガシー・マシン シーケンシャル エヴォ
土曜の夜にはアフターパーティを開催。1日の疲れを癒しながら皆がリラックスして過ごす素晴らしい場が提供された。
ガエル・ペテルマン氏にフロリアン・ベダ氏、ラウル・パジェス氏が一緒にドリンクを楽しんでいた。
時計に話を戻そう。MB&F オロロジカル・マシン No.4 “サンダーボルト”とウルベルク UR-102。
MB&Fのオロロジカル・マシン No.4をもう1本。
デラグス夫妻の手首に、ドゥ・ベトゥーン、MB&F、M.A.D. エディションズ、ユリス・ナルダンが勢ぞろい。
ユリス・ナルダン フリークX “ブルーエナメル”
特別仕様のオーデマ ピゲ チタン製ジュール オーデマ ミニッツリピーター。
オーデマ ピゲ コブラ
RGとブラックセラミックで構成されたオープンワークのオーデマ ピゲ ロイヤル オーク。
オーデマ ピゲ CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ スターホイール
オープンワークのロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー。
非常に希少なRG製のオーデマ ピゲ ロイヤル オーク “クローバー”。
オーデマ ピゲ ロイヤル オーク RD#2 セルフワインディング パーペチュアルカレンダー ウルトラシン “ルミナリー” Ref. 26586BC。
オーデマ ピゲ リマスター 02とサンドゴールドのオープンワーク ロイヤル オーク フライングトゥールビヨン。
ジラール・ペルゴとユリス・ナルダンのCEO、パトリック・プルニエ(Patrick Pruniaux)氏とジャン-クロード・ビバー氏が集合写真撮影中に笑顔を見せていた。
ジラール・ペルゴのスリーブリッジ懐中時計。
ジャン-クロード・ビバー氏、マックス・ブッサー氏、パトリック・プルニエ氏、マイケル・テイ氏が時計製造業界について語るパネルディスカッションに登壇した。
グルーベル・フォルセイのGMTウォッチ。
グルーベル・フォルセイのダブルバランシエール カーボン コンヴェクス、グリーンカラー。22本中の1本だ。
RG製のローラン・フェリエ グランドスポーツ。
MB&F スプリットエスケープメント エヴォ。
チームがダニエル・ロートとジェラルド・ジェンタの作品を紹介していた。
ダニエル・ロートのクロノグラフモデル。
ダニエル・ロート トゥールビヨンスースクリプション
ヘンリー・テイ博士(Dr. Henry Tay.)が所有する、ジェラルド・ジェンタのスクルージ・マクダックのジャンピングアワーとドナルドがゴルフを楽しむジャンピングアワー。
さらにテイ博士が所有するジェラルド・ジェンタのパーペチュアルカレンダー ミニッツリピーターと、パーペチュアルカレンダーも展示されていた。
現実的には存在しないはずのものもあった。それが、ロレックス×ジェラルド・ジェンタのパーペチュアルカレンダーである。当時、ロレックスはカレンダー付きの時計を製作していなかったため、テイ博士はジェラルド・ジェンタに依頼し、ジェンタブランドのパーペチュアルカレンダーをデイデイトに組み込んでもらった。その結果生まれたのがこの時計である。
シンプルにロレックスのロゴが乗っている。
ジェラルド・ジェンタのソヌリ。
ジェラルド・ジェンタのソヌリの裏側。
ジャン・アルノー氏がトリローブを見ている様子。
ジャン・アルノー氏所有のルイ・ヴィトン タンブール、タンタル製。
トリローブのルール エクスキーズ(L'Heure Exquise)。
朝食会でマックス・ブッサー氏との写真撮影を求める長い列ができていた。
1本の手首に、2本のレガシー・マシン シーケンシャルを。
MB&F オロロジカル・マシン No.6
MB&F レガシー・マシン シーケンシャルを試している様子。
MB&F レガシー・マシン パーペチュアル
MB&F LMXを試してみないか?
MB&F オロロジカル・マシン No.10“ブルドッグ”
アントン・スハノフ(Anton Suhanov)氏が朝食会で参加者と交流している様子。
コンスタンチン・チャイキン ジョーカー
クレヨンのレミ・マイヤ(Remi Maillet)氏がエニィウェアについて説明している様子。
ペテルマン・ベダの1967 デッドビート セコンドをもう1本いかが?
ペテルマン・ベダのクロノグラフ ラトラパンテを詳細に撮影している様子。
時計職人たちのために用意された部屋は満員だった。
メゾン・オルセー(Maison Alcée)
レザー職人であり、ストラップ界の巨匠であるヒューズ・ロウ(Hughes Low)氏。
ヒューズ・ロウ氏の道具たち。
ナイフ職人の巨匠、エマニュエル・エスポジト(Emmanuel Esposito)氏もこのイベントで自身の作品を展示していた。
シルヴァン・ピノー(Sylvain Pinaud)氏が訪問したグループツアーに向けて自身の時計を紹介していた。
チャールズ・フロッシャムのデュアルインパルス脱進機搭載モデル。
フィリップ・デュフォー シンプリシティ
この秋、フィリップスオークションに出品予定の特別なフィリップ・デュフォー デュアリティ。
フィリップスのティファニー・トー(Tiffany To)氏が、アレックス・ゴドビ氏、ファーミン・リ(Firmin Li)氏、マイケル・テイ氏に独立系時計師の台頭についてインタビューしていた。
ロレックスの初代デイトナ レインボー。今秋のフィリップスに出品予定で、想定落札価格は300万ドル以上。
ショパールのケン・コシヤマ(Ken Koshiyama)氏が素晴らしい時計の数々を紹介していた。
ショパール L.U.C フル ストライク ブルーサファイア
2022年のモナコ ローズ・ボール チャリティイベントで販売された、F.P.ジュルヌ クロノメーター・オプティマムのユニークピース。この時計は100万ドル以上で落札された。
ウェイ・コー(Wei Koh)氏がドゥ・ベトゥーンとウルベルクを着用していた。
イベントの2日目(トータルでは3日目にあたる)には時計師たちもスケジュールの合間に少しの空き時間を見つけ、ほかの時計の展示を見て回る姿が見られた。この業界の人々は皆お互いをよく知っているが、こうした時計は非常に希少であるため、ほかの時計師がどのような作品を製作しているかを直接目にする機会は少ない。その他多くの時計フェアとは異なり、IAMWATCHではアポイントメントが不要で先着順の形式だったため、コミュニティメンバーであれカリ・ヴティライネン氏であれ、誰もが自由にテーブルに座って時計を見ることができた。
カリ・ヴティライネン氏がジャン-クロード・ビバー氏と新作のビバー オートマティックを見ている様子。
またユニークピースのビバー カリヨン トゥールビヨンも展示されていた。
ラウル・パジェス氏とアルセ・モンフォール(Alcée Monfort)氏がダニエル・ロートの時計を見ている場面。
ラウル・パジェス氏が手がけたレギュラトゥール・ア・デタント RP1。
オーデマ ピゲ ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーのブルーとホワイトのセラミック製モデル。
MB&F スプリットエスケープメント エヴォ
オーデマ ピゲ ロイヤル オーク コンセプト スプリットセコンド クロノグラフ GMT Ref. 26589IO、チタン製。
“スプリット”つながりで。A.ランゲ&ゾーネのダブルスプリットも登場。
非常に希少なゴールドファイル セブンマスターズ ヴィアネイ・ハルター。このモデルはジャンピングアワーと幾何学的なムーンフェイズのふたつの窓を備え、6時間ごとに自動調整されるムーンフェイズ機構は139年に1日だけの誤差が生じる設計となっている。
ヴィアネイ・ハルターのリバティ。
次回のIAMWATCHでまた会おう。
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