ADVERTISEMENT
久しぶりにロルフ・スチューダー(Rolf Studer)氏と顔を合わせたときでも、いきなりビジネスの話から入ることはしない。もちろん話題には上がるが、まずは心のこもったあいさつと近況報告から始まる。親しみやすく、笑顔の絶えない彼は、プロフェッショナルとしての集中力と意志の強さを持ちながらも、非常に温かみのある人物だ。今回も、長年お気に入りだというイタリアのバカンス先での思い出話からスタート。写真を見せてくれながら、その魅力を楽しそうに語ってくれた。続いて話題は、今シーズンのスイスでのバックカントリースキーへ。彼のスマートフォンには、山をスキンアップして愛犬と一緒に滑り降りる様子を収めた写真がぎっしり詰まっていた。
Rolf Studer
こうしたかけがえのない休息のひとときを思い返したくなる気持ちは、共感できるし、今の時代にはごく自然なことでもある。スイスの時計業界はいま、不確かで厳しい状況に直面しているのだ。1904年創業のスイス・ヘルシュタインに本拠を置く家族経営ブランドであるオリスは、今年のWatches & Wondersにおいて新たなブランディングを示した。これまでよりも控えめな印象を与えつつ、明るいカラーパレットを採用したビジュアルだ。しかし今年の注目すべきポイントはその新しいイメージ戦略ではなく、新作がわずか1シリーズに絞られていたという点にあった。
その新作については、タンタンが撮り下ろしの写真を含めて紹介した読み応えのあるIntroducing記事で詳しく取り上げている。写真で目を引く鮮やかなダイヤルの新色も話題となったが、何より注目を浴びていたのは3本の新作ビッグクラウン ポインターデイトが非常に手ごろな価格で発表されたことだった。セリタ製ムーブメントを搭載し、ステンレススティール製ブレスレット仕様で34万1000円(税込)という価格は、非常に攻めた価格設定だと言えるだろう。ポインターデイト自体は、オリスが1938年から継続して製造している伝統的なモデルである。
スチューダー氏によれば、オリスはスイスの時計ブランドが一様に価格を引き上げ続けているトレンドとは一線を画したかったのだという。そうした各社の価格戦略に対して、一部の消費者からは反発の声も出ているのだ。「一部の顧客が、ブランドの価格設定に裏切られたように感じていることは明白です」とスチューダー氏は語る。「私たちには、熱心な時計愛好家のために“ふつう”の価格で時計をつくるという芯の部分があるからこそ、よいポジションを保っているのです」。
実のところ、最近のスチューダー氏は“ふつう”や“一般的”(normal)というをいう表現を気に入っているのかもしれない。インフレーションや経済・政治の不安定さに打ちのめされ、世界はもはや“これまでどおり”の状態ではなくなっている。今では、“ふつう”という概念そのものが理想とされる時代だ。
もちろん、オリスもパンデミック後の好景気においては価値の高い製品群に舵を切った。自社設計のムーブメントを搭載した高価格帯モデル(たとえばオリスのキャリバー400)を搭載したチタン製プロパイロット X カーミットなども手がけ、大きな成功を収めている。それでも、ブランドとしてエントリー価格帯のモデルをカタログに残し続けてきたことは揺るがない。「“ふつう”の価格帯のベーシックなラインを維持することは、私にとって常に重要なことでした。業界として存続していくには、製品が一定数の人にとって手の届く存在でなければなりません。文化的な存在意義は“量”からも生まれます。一定の“マス”を失えば、その文化的価値も失われるのです」とスチューダー氏は語る。
オリスの共同CEOであるスチューダー氏がより懸念しているのは、スイス時計業界が文化的な存在意義を失う可能性、とりわけ産業基盤そのものが衰退しつつある点である。彼によれば、財政的に困難な状況にある部品やコンポーネントのサプライヤーたちは、大手ブランドによる発注キャンセルの影響をもろに受けているという。というのも、これらのブランドがより少量・高価格な戦略へとシフトするなかで、以前のような大量発注がなくなってしまっているからだ。
「小さなサプライヤーが大手グループに買収されるという事例は、すでに目にするところです。もし経営に問題がなければ、彼らは独立を保っているはずです」とスチューダー氏は指摘する。スイス時計業界全体と同様に、2024年はオリスにとっても困難な年だった。需要が減速するなかで生産体制を絞らざるを得ず、一部の従業員にはスイスのいわゆる“短時間労働制度”を適用せざるを得なかった。そしてその結果として、売上も減少した。
今年のスタートは好調で卸売販売は2桁成長を記録し、限定モデルも安定した需要を集めていた。しかしそれも、トランプ政権が突如発表したスイス製品への31%関税が発表されるまでの話だった。時計もその対象に含まれたことで、オリスにとって最大市場であるアメリカの消費者心理には大きな不安が広がった。関税は現在、交渉を通じて一時停止されているものの、10%の課徴金は残っており、アメリカ市場の先行きも依然として不透明なままだ。
スチューダー氏は今こそスイス時計業界が“一般的”な価格帯に立ち返り、出荷量を増やすべき時期だと語る。そうすることで、約500億ドル規模とも言われるこの業界が、経済的にも文化的にも意味ある存在として維持されるためのクリティカルマス(必要最低限の顧客基盤)を確保できるというのだ。
「“価値”や“本質”というテーマが、いま再び重要性を増しています」と彼は言う。「これからのブランドは、その存在にふさわしい価値を提供していかなければなりません」
オリスについての詳細は、公式ウェブサイトをチェック。
話題の記事
Hands-On 帰ってきたロレックス デイトナ Ref.126508 “ジョン・メイヤー 2.0”を実機レビュー
Introducing ロンジンの時計製造を讃える新作、ロンジン スピリット Zulu Time 1925(編集部撮り下ろし)
Auctions フィリップス 香港オークション(2025年5月23〜25日)に出品されるVOGA Museum Collectionsの注目ロット5選