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Four + One ニック・ロウ氏は秘密のヴィンテージ・オメガ・コレクター

エルヴィス・コステロ(Elvis Costello)とのツアーに向かう前に、シンガーソングライターが時計とアートへの愛情を語ってくれた。

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ニック・ロウ(Nick Lowe)氏は音楽にとって、映画における名脇役のような存在だ。彼はいつもそこにいて、自分の技を磨き、日の目を見ないながらも続けている。ニック・ロウの名前は知らなくても、彼の曲を口ずさむことはできるだろう。そしてこのマルチインストゥルメンタリストのシンガーソングライターは、彼を知っている人にとって『恋するふたり(Cruel to be Kind)』や『ピース、ラヴ・アンド・アンダースタンディング(Peace, Love, and Understanding)』(1974年に彼のバンドBrinSley Schwarzのために書かれ、のちにエルヴィス・コステロによって有名となった)などの時代を超えた名曲で、世代の声を伝える存在なのだ。

 ロウ氏は50年以上にわたって曲を作りライブを続けていて、73歳になった今もロックスターとしてのエネルギーを発散し続けている。今週、彼はシンシナティからロサンゼルスまでのツアーに出発し、ヨーロッパ公演で今年を締めくくる予定だ。

 我々は、彼が20年以上住んでいるロンドンの自宅で、音楽についてではなく、彼のあまり知られていない収集に関する情熱について話を聞いた。アートと時計だ。ニック・ロウの大ファンであっても、彼がいわゆる時計愛好家であることは知らないかもしれない。長年にわたり、彼はかなりの数の腕時計を収集し、それに伴ってかなりの数を手放しもした。「ここ数年、時計への興味はだんだん薄れていたんです」とロウ氏は言う。「以前は膨大な数のコレクションを持っていましたが、ひとつずつ、ときには人にあげたり、しばしば売却もしてきました」

 彼は、ロレックスからジャガー・ルクルト(JLC)、さらにはダイヤモンドをちりばめたロンジンまで、過去にはあらゆるブランドの時計をコレクションしていた。では、なぜダウンサイズしたのか。「身につけないことに罪悪感を感じていたんでしょうね」。今、彼は自分が持っている(ほとんど)すべての時計を身につけ、使っている。

 古いカリフォルニアダイヤルのロレックスのバブルバックのように、思いもよらない経緯で彼の元を去った時計もある。20年ほど前、ロンドンの自宅を改築している最中、請負業者 (明らかに彼の時計に興味があったようだ )が彼にある提案をした。「この仕事でお金をいただくことになっていますが 」と彼女。「その時計を下さったら、それでいいです」 。このような話を聞くと、コレクションがどのように減っていったかがわかる。

 ロウ氏の趣味の中心は、1930年代、40年代、50年代への憧れで、それらは今、少ないながらもコレクションとして見ることができる。「その時代のあらゆるものが好きだったんでしょうね」彼は語る。「デザインも巧みだし、時間を知りたいときにそれを見たら元気が出るようなものがいいんです」

 質屋で買ったポケットウォッチから家宝の腕時計まで、彼が「わずか」と呼ぶ4本のヴィンテージ・オメガのコレクションが残っている。ここでは、ロウ氏が今大切にしている4本の時計と、センチメンタルな価値を見出した美術品を紹介する。


彼の4本
祖父のオメガ
Omega

 大切な時計は、時間がたってはじめて気づくことがある。第一次世界大戦に従軍し「少佐」と呼ばれていた祖父が所有し、ロウ氏が受け継いだ時計がこれにあたる。しかし、これはロウが若い頃に渡された家宝ではなく、40代になってもらったものだった。父親と祖父はあまり仲がいいとは言えず、この時計を譲り受けるときも、あまり大げさなことはしなかったという。

 「父親が声を震わせて『息子よ、これは私の父のものだ、お前に受け継いでほしいのだ』と手渡すような感じはなかったです」と、ロウ氏は苦笑いしながら振り返った。「その代わり、彼はテーブルの上にポンとこれを置いて、『こんなものがあった。じいさんの時計だ。お前は古い時計が好きだろう。これは使えるか?』と言ったんです」

 この時計はこれが作られた時代(40年代後半から50年代前半)にはプレーンでエントリーレベルの時計であったとロウ氏は説明する。「例えば13歳の誕生日を迎えた少年に贈るような、初めての大人用エントリーレベルの時計なのです」

 しかし、それは彼の祖父にはとてもふさわしいことだったようだ。祖父は、金持ちのように聞こえる将校という肩書ではあったが、決して裕福な人ではなかったのだ。「お金持ちではなかったけれど、いい趣味の人でした」とロウ氏は言う。「彼は自分で安い仕立て屋を見つけ、いつも本当によいスーツを着ていました。オメガのよさを知っていたけれど、買えたのは少年用のエントリーレベルのオメガだったのです」。

Omega

 いずれにせよ、父親からのレッドカーペットのプレゼントだったにもかかわらず、ロウ氏はその時計をしまい込み、当初は身につけることはなかった。「この時計は私には真面目すぎました」とロウ氏は言う。「質屋で売っているような、もうちょっとピリッとしたデザインの時計が好きだったんです。ときどき取り出しては、"これをどうしよう "と考えていました」

 結局、状態がかなり悪かったので、オメガに修理してもらうことにした。「見ると数ヵ月間庭に放置されていたような状態でしたが、まだ動いていたんです」と彼は言う。「文字盤はカビだらけで、水が入り、カチカチと大きな音を立てていました。精度はよかったのですが、クリスタルもカビだらけで、時刻がほとんどわからないんですよ」

 オメガの修理から戻ってくると、彼のこの時計に対する認識がまったく変わった。コレクションの主軸に据えることになったが、彼はその価格を決して忘れることはない。「特にエントリーレベルの時計であることを考えると、修理には莫大な費用がかかりましたね」。それはある意味、プライスレスなのだ。

ロサンゼルスで買ったオメガ
LA Omega

 時計にまつわるエピソードのなかには、ただ店に入って必要だから買った、ということもある。2006年、ツアーのスタート地ロサンゼルスに到着したロウ氏は、腕時計を忘れていた。「私はいつも腕時計をしているので、ないととても心もとなくなりました」と彼は振り返る。「お店に入って、一番地味なものを選びました。それでもちょっとしたショウビズ風でスタイルがありました。でも、あまり派手すぎず、盗まれる心配もないようなものです」

 しかし、縮小した彼のコレクションのなかに残っていることからもわかるように、このプレーンな時計には、時間をかけて本当に愛着が湧いたのだという。「この文字盤とローズゴールドのマーカーが大好きなんです。バッタの脚のようなラグも気に入っています。しかも、非常にリーズナブルな価格だったんです。1500ドルで買ったと思います」

Omega on wrist

 こちらもオメガに送って修理してもらった。「祖父の時計を修理に出すきっかけになった1本です。今、夢のように動いています」

 多くの人にとって、時計の修理は何かと怖い経験だ。しかしロウ氏は、自分の時計が細心の注意を払って扱われたものであると主張する。「オメガは、交換したオリジナルの部品をすべて送り返してくれました。とても繊細な作業で、私が正確に何を望んでいるかを尋ねてくれました」

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Türler刻印入りオメガの懐中時計
Pocket Watch

 ロウ氏は、質屋、または彼の言うところのジャンクショップにこだわりがある。また、装飾的な時計やファンシーな時計にも特別な思い入れがある。「1970年代には、きれいなアールデコの30年代、40年代の時計がたくさんありました」とロウ氏は懐かしむ。「そういう古いものが好きだったんです」

 そうした質屋で過ごすうちに、かなり面白いものが見つかったという。「ロレックスの時計を手ごろな価格でたくさん買いましたよ。私の興味は1940年代と50年代の古いモデル......スウィンギングシックスティーズならば60年代のものも好きでした」

 これはブレゲ風の華麗な数字と注射器のような針が面白い、Türler刻印のオメガ懐中時計だ。Türlerはスイスの小売業者で、世紀半ば頃から時計の刻印を始めた。ただ、ロウ氏はオメガをTürlerで買ってはいない。

 「いや、ロンドンのある店で買いました」と彼は言う。1988年、サリー州リッチモンドにある、ロウ氏が「おかしな小さな宝石店」と呼ぶその店は、現在もその姿を保っているらしい。全部で30ポンドほどで購入したそうだ。時計のチェーンは、購入後すぐにカムデン・パッセージにある店で買ったという。いいスーツを着るときにつけていたそうだ。

 ロウ氏がこの時計を気に入っている理由は、「エレガントだがほかの同等品よりもシンプル」であり、彼が考える「楽しい凹みのあるケース」が気に入っているからだ。変色しているが、クリーニングする予定はないそうだ。

 質屋やファンキーな宝石店で、このようなダブル刻印の時計が見つかる時代はとうに過ぎたと思われるが、この時計がコレクションの主役であった理由は明らかであろう。

オメガ シーマスター デビル
De Ville

 質屋といっても、ロウ氏はロンドンだけでなく、アメリカはもちろん、世界中の質屋から買っていた。この時計は地球の裏側からやってきた。「オーストラリアのメルボルンにある質屋で買ったものです。とてもハンサムな時計なんだけど、買ったときはとてもひどく安っぽいゴールドのストラップがついていたんです。ゴールドには見えなかったけど」

 彼の話を聞いていると、この時計が特別なものであることは明らかだ。「とても魅力的な数字が浮き出ていたのを覚えています」と彼はつぶやく。「この時計は60年代のものだと思いますが、インデックスは30年代のもののようで、こんなものはその後二度と見たことがありません。まるで駅の時計のようなのです」

 しかしもちろん、誰にでも悪夢のような時計のストーリーがあるものだ。「残念なことに、動作が不安定だったのでクリーニングに出したのです。その辺の店に送ってしまいました。そして、その時計が戻ってきたとき、別のリューズがついていたんです」。ロウ氏はため息をつく。「リューズを盗まれ、ダイビングウォッチのような現代的でひどいリューズに取り替えられました」

Omega

 ロウ氏はその店に何が起こったのか尋ねた。「彼らは、『ああ、それは粉々に割れてしまいました。もう必要ないでしょう』と言ったのです。言うまでもないが、彼はこの試練のような出来事に今でも少し落胆している。「代わりのものを手に入れることができないのです」と彼は嘆く。「まったくひどい話だ。身体的な苦痛を感じるほどです!」

 みんな共感できるだろう。彼はもちろん、最善を尽くそうとした。「素敵な時計なんだけど、リューズがないせいで台無しになっちゃって、今ほとんどつけていないんです」

"The Family" ニック・ジョリー作
Painting

 時計への情熱に匹敵するのが、アートへの情熱のようだ。しかし、彼はアートを集めるというより、これまでの人生で出会ったアーティストの作品を集めているのだ。その一人が、ニック・ジョリー(Nick Jolly)だ。彼は、『The Chap』というとても変わった男性誌の挿絵を描いていたんです」とロウ氏は振り返る。「その昔、男はみんな帽子をかぶり、ツイードのスーツを着て、口ひげを生やし、パイプを吸っていた時代の男性用小物を宣伝する風刺雑誌だったのです」

 しかし、ジョリーとのつながりは、実はもっと個人的なものだ。「私が彼と出会ったのは、彼が私の妻、ペタのルームメイトだったからです。「彼女が初めてロンドンに引っ越してきたとき、彼とほかの何人かとアパートをシェアしていたんです」。ジョリーは自分をシュールレアリストと表現するが、一種の超現実主義で絵を描く。だから、シュールでありながら、驚くほどリアルなディテールがある。

 彼が選んだジョリーの絵は、とても印象的だった。「私が持っている彼の絵は『The Family』という作品です」とロウ氏。「お父さんとお母さん、そして小さな息子が一人、花畑のなかにちょっと窮屈なポーズで立っているんです。虫を興味深げに見ているが、その虫は巨大だ。何か落ち着かない感じがありますが、ジョリーはもうそのようなスタイルでは描いていません。彼は前進したものの、本当に独自のスタイルを築いています」

 もちろんロウ氏には、この選択がより身近なものであることを証明する、アーティストに関する別のエピソードがある。「初めて彼に会ったとき、彼のスタジオに絵を見に行ったのですが、壁に立てかけて床に置いたあったのは、彼が見せたがらない額縁に入った絵の数々でした」と彼は語る。「驚いたことに、私の妻に似ている絵があったんです。彼女は、頭と肩に、まるで顎を固定するための足場のような、特別な歯科用ヘッドギアをつけてポーズをとっていました」

 この絵に見入ったあと、彼はジョリーの方を向いた。「これは誰と聞いたら、『そうだ、ペタだ!』と言ってね」と笑いながら振り返る。「当時、彼女はある治療を受けていて、彼はその絵を描いていいかと聞いたそうです。とにかく、私は彼女に内緒で買って、彼女の誕生日にプレゼントしました。とても喜ばれましたよ」

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