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Found 航空史における黄金時代に製作された、ロンジンの店頭展示用ケース

そして、ショーケースに収められていたほとんどの時計は今でも完璧な状態で残っている。

本稿は2019年2月に執筆された本国版の翻訳です。

Photos: Christian Hogue

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1930年代後半における時計販売店での購入体験というものは、現在のそれからさほどかけ離れてはいなかった。世界中の主要なショッピング街にある正規販売店のショーウィンドウの向こうには、ピカピカの時計が整然と並べられていた。もしかしたら、そのブランドの最新モデルのユニークなセールスポイントを強調したキャッチコピーや、目に見える形でのブランディングも多少はあったかもしれない。しかし現代で時計ブランドのマーケティング部門が製品を売るために起用する著名人の傾向には、当時と今とで大きなパラダイムシフトが起きている。今日に私たちが目にするのは(時計ブランドの予算の限りにおいて起用される)、ポップミュージシャン、映画スター、プロスポーツ選手などである。

 1938年に作られたこの小売店用の陳列ケースは、史上最大の世界的紛争が勃発するまでの数年間、実際に都市部の大型販売店のショーウィンドウに飾られていたものだ。現在ではかすかに古色を帯びたこのショーケースも、新品当時は顧客の目を引くことを目的とされていた。ある熱心なロンジンのコレクターは、このショーケースに展示されていたであろう“航空”時計のほぼ全モデルの行方を突き止めた。唯一、ストップセコンド フライバック クロノグラフとスプリットセコンド クロノグラフのふたつだけが見つからなかった。これらの時計はどちらも非常に希少価値が高く、入手不可能なモデルとして知られている。しかしなんと、シデログラフやボックスクロノメーターまでもが発見されている。

 時計は時折、時代を超えてもそのままの姿で保存されていることがあるが、小売店のディスプレイやマーケティングツールはしばしば時間の経過とともに失われてしまう。時計にはコミュニティのゴシップに基づいた伝承がつきものだが、こうした販促物はときに、その時計の位置づけや使われ方についてより深い洞察を与えてくれることがある。それらは、メーカーからダイレクトに提供される一次情報と言えるものだ。私は幸運にも、このロンジンのコレクターがショーケースを組み立て、空いたスペースのひとつひとつに正しい時計を慎重にはめ込んでいく過程を見る機会に恵まれた。おそらく、約80年ぶりのことだろう。ロンジンの米国代理店であるウィットナーの名前も入っていることから、この展示用ショーケースはもともと北米で使われていたに違いない。私がこの展示ケースに出会ったのは、タイ滞在中のことだった。バンコク在住の著名なロンジンコレクターからおもしろいものがあるので見せてあげると言われたのだが、このタイムカプセルの存在は予想外だった! 30年代後半のアメリカの店先から2000年代半ばのバンコクにどのようにしてやってきたのかはまったくの謎だが、そんなことを考える余裕すら私にはなかった。展示ケースを見る機会を得たこと、そしてもちろん時計も見ることができたこと、さらにその背後にある背景を読み解くことができたことに、ただただ興奮していた。

 完全に組み立てられたこのセットからは、時計メーカーが現在とは異なる方法で顧客とのコミュニケーションを図っていた時代を垣間見ることができる。パイロットや探検家が時計ブランド、特にロンジンに支持されていた事実は、当時の人々が航空飛行やパイオニア精神に夢中になっていたことを物語っている。記録を塗り替えたパイロットは、まるでセレブと同じような地位を与えられた……、実際、彼らはこの時代におけるセレブだったのだ。この“オナーロール(Honor Roll)”に名を連ねるパイロットたちは皆、航空業界に多大な影響を与えた人物ばかりである。

 エンジニアリング技術の急速な進歩はそのまま飛行機の高性能化を意味し、その技術はパイロットにかつてないほどの精密さを要求した。パイロットの仕事にはロンジンが提供するような高精度を誇るツールが必要だったが、このタイムカプセルのような展示ケースは、ロンジンのビジネスのもう半分の側面である時計のマーケティング方法とそのマーケティング活動によって、当時の社会が名誉や価値があると考えたものについてどのようにアプローチしていたかを明らかにした。今日のロンジンのマーケティング部門は、私たちがデビッド・ベッカム(David Beckham)やジョージ・クルーニー(George Clooney)のようなスタイルを構築するのに役立つ時計を売り込んでいる。しかし30年代のロンジンは、上空1000フィート(約305m)で地平線に向かって飛翔するという離れ業を成し遂げるための腕時計を販売していた。ニュースメディアが数え切れないほどの見出しで航空界の偉業を取り上げていただけでなく、ハリウッドは航空業界というレンズをとおしてアメリカの理想であるヒロイズムと勇気を象徴する映画を量産していた。ハワード・ホークス(Howard Hawk)監督のスリラー映画『暁の偵察(原題:The Dawn Patrol)』や『無限の青空(原題:Ceiling Zero)』は、この概念を象徴している。

 そしてロンジンの時計も同様にヒロイックだ。伝説的なロンジンのCal.13ZNは、時計学における真の技術革新の結晶であるウィームスやリンドバーグとともに全面に打ち出されている。ガラス張りのコックピットがなくとも、勇敢なパイロットに適切な地図とコンパスを与えれば、飛行機でA地点からB地点に移動できる。そして、必要な計器はすべてこの展示ケースに収まっている。それ以上でもそれ以下でもない。

 ほとんどの人々は、世界が現在感じているよりもはるかに広がりのあるものだと知っていた。最近の格安航空会社は空の旅を大衆化し、世界中のどんな目的地へもUberで空港まで行くだけで行けるようになった。1930年代は西洋近代史における暗黒の時代とされている。世界大恐慌がアメリカ経済を崩壊させ、ヒトラーがヨーロッパで首相から独裁者へと醜くのし上がった時代だからだ。しかしこの10年はまた、私たちが今いる世界に対する理解を深めるために、地球の果てまで旅する人々への憧れによって盛り上がっていた時代の真っただなかでもあった。

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 深い政治的・社会的対立があったにもかかわらず、1930年代の航空宇宙開発は史上最高水準にあった。1949年にイギリスがデ・ハビランド コメットで世界を ジェット機の時代に導く約10年前となるこの時代は、航空史における黄金時代と見なされている。ピストンを動力源とする旅客機は極東を切り開き、大西洋横飛行に伴う航海時間の短縮を可能にした。ほんの10年前なら、それはオーシャンライナーかヒンデンブルク号のような飛行船でしか実現できなかったことだ。飛行機旅行の普及につながった主要なマイルストーンのほとんどは、何らかの形で、ロンジンの“オナーロール”に記載された名前と関連づけることができる。

 この展示ケースは、ロンジンが彼らの任務の遂行に役立つ計器を提供したことを公に認めた飛行家や探検家たちを紹介するものである。プレートに刻まれた名前のなかには、チャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)、アメリア・イアハート(Amelia Earhart)、リチャード・イヴリン・バード(Richard E. Byrd)提督など、パッと目につく名前も含まれている。リンドバーグとロンジンの関係については、ジャック・フォースターが詳しく書いた伝説的な時計が示している。そのほかの名前は、現代の人々にとってはまったく眼中にないものかもしれない。だが、彼らが想像を絶する偉業を成し遂げてきたことは間違いない。ロンジンの“オナーロール”に掲載された名前の一覧を読んでいると、まるで30年代の航空界のスターを集めたハイスクールの年鑑を眺めているような気分になる。

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なぜリンドバーグ アワーアングル ウォッチがこのようなデザインなのか、そしてなぜ、こんな古風で奇抜で巨大な腕時計を身につけたくなるのかを理解するには、もう少し踏み込んでみる必要がある。

 現在、彼らが残した偉業はどのような形で生きているのだろう? 記録に残るような活躍をしたあとでも、彼らの多くは引き続き航空業界に影響を与え続けた。例えば、スイス人パイロットのヴォルター・ミッテルホルツァー(Walter Mittelholzer)。当時キリマンジャロ山の上空をほとんどの飛行機が高度3000フィート(約914m)ほどで飛行していたなか、彼は1929年に高度2万フィート(約6100m)で飛行した最初のパイロットとして、“オナーロール”に名を刻んだのだろうと思われる。そしてミッテルホルツァーは、のちスイスの国営航空会社となるスイス航空を共同設立している。ミッテルホルツァーは、不運にもその前に登山中の事故で亡くなってしまっため、自分の航空会社がフラッグキャリア(国策のもとで国際線を運航する航空会社)として採用されるところを見届けることはできなかった。

 ディック・メリル(Dick Merrill)は、“オナーロール”のなかではあまり有名なほうではないが、かの有名な“ピンポン飛行”を成し遂げたことで知られる。ピンポン飛行という名前は、彼と歌手からパイロットに転身したハリー・リッチマン(Harry Richman)が1936年の大西洋横断飛行で操縦していた、特別に改造されたヴァルティ V-1A内の空洞に詰められた4万1000個のピンポン玉にちなんでつけられた。このピンポン玉のアイデアは、万が一大西洋で墜落を余儀なくされた場合に飛行機を浮かせておくためのものだったが、実際にこの理論が検証されることはなかった。

 パイロットからハリウッドスターへのキャリアアップは、何もリッチマンだけに限った話ではない。恐れ知らずで知られていたロスコー・ターナー(Roscoe Turner)は、彼の興業チーム(Roscoe Turner Flying Circus)で大空を飛び回るパフォーマンスから一転、ハリウッドでシコルスキー S-29-Aをドイツ軍の爆撃機の代役機として貸し出すビジネスを立ち上げた。この飛行機は1930年代の映画『地獄の天使(原題:Hell's Angels)』に空軍のゴータ爆撃機として登場し、ターナー自身が操縦していた。

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 また、“オナーロール”に選ばれた3人の女性パイロットのうちふたりが、女性飛行士の権利を守る組織である“99s”の創立メンバーであったことも注目に値する。アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は1929年当時、117人いたライセンスを持つ女性パイロットを全員招集し、航空界の進歩を目指すなかで、女性同士がどのように支え合えるかを議論した。“99s”のもうひとりの創立メンバーであり、“オナーロール”にも名を連ねるルース・ニコルズ(Ruth Nichols)は、飛行速度、高度、距離の記録を保持する唯一の女性として高い名声を得ている。彼女は、カリフォルニア州サンタモニカからオハイオ州クリーブランドまでのエアレース、女性エアダービー(Women's Air Derby)でイアハートと競り合った。結果、ニコルズは墜落したが大きな怪我はなく、イアハートはこのレースで3位に入賞した。

 “オナーロール”は、航空技術の進歩の名のもとに支払われた人命の犠牲の大きさを物語っている。航空技術の成長曲線におけるこの時期には、致命的な墜落事故がおびただしい頻度で起きていた。燃料システムの安全装置や翼の補強など、一見小さな、しかし非常に価値のある航空設計上の進歩に貢献するために、開拓精神に溢れた人々は男女問わず自分の命を二の次にすることが少なくなかったのだ。

 この展示ケースが公開されたときには、リストアップされた飛行士は全員生きていた可能性が高い。しかしこのリストのうち、36%が航空事故で命を落としている。

 だからこそ、“Honor Roll”の“Honor”は少し異なる意味合いを持つ。単にマーケティングのために使用される優れた宣伝ツールという枠を超越し、技術的限界への挑戦によって生じた人的犠牲という対価を思い起こさせるものだ。一般大衆の空想を掻き立てるほかの何ものにも代えがたい存在であった飛行という概念は、いつしか当時ほど人々の興味を引くものではなくなった。勇敢な男たちや女たち、そして彼らのコックピットや手首に装着されていた道具が、私たちをここまで導いてくれたのだということを忘れてしまいがちだ。この展示ケースを、ショーウィンドウの裏側で使われていた当時と同じ状態で見ることができたのはとても名誉なことだった。リストにある時計と名前を見て、何人の未来のパイロットが触発されたことだろう。それから80年経った今でも、十分にその役目を果たしている。このショーケースは、ちょっと気の利いた販促物という概念を超越した存在なのだ。