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Found ラオス王室のレガシーがロレックス GMTマスター Ref.1675に生き続ける

陥落した王国を王室のロレックスで偲ぶ。

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ラオス王国の600年に及ぶ君主制が終わりを迎えようとしていたが、パンヤ王子には選択の余地があった。プーマ首相の息子である32歳のパンヤ王子は、生まれ故郷のラオスから逃げ出し、暗闇に隠れて自由に泳ぐか、それとも他の支配者一族と一緒に家に残り、投獄されたり殺されたりする危険を冒すかの選択を迫られていたのだ。

ラオスのパンヤ・プーマ王子の右手首には、ロレックス GMTマスター Ref.1675が確認できる。

 彼は早急に決断しなければならなかった。首相の異母兄弟が率いる共産主義革命勢力パテート・ラーオは、直近宮殿の門を襲撃したばかりで、王室の一員たちを南部の再教育収容所に送り込み、二度と姿を見せないようにしていた。

パテート・ラーオ軍はラオス内戦でラオス王国政府と戦った。パテート・ラーオは最終的に勝利を収めた。写っているのはルアンパバーンの通りにいるのは、パテート・ラーオの兵士たち。

 王子には人脈があり、西洋の教育を受けた人物で、楽しいパーティーを楽しみ、多くの美しい女性に囲まれていたが、共産主義のラオス人民民主共和国にとっては異例の存在だった。1975年のある日の早朝、彼はメコン川に向かった。共産主義のドミノ倒し(ドミノ理論)に抗った隣国のタイまで泳いで渡ろうと考えていたのだ。タイ軍の高官に友人がいたため、政府関係者とジャーナリストで構成された歓迎委員会を手配して、タイ側の一番近い都市であるノンカイで彼に会うよう頼んだ。彼は、カメラの前であれば、パテート・ラーオ軍はあえて撃たないだろうことを知っていたのだ。

パンヤ王子がタイに到着したことはしっかりと記録された。

 パンヤ王子は、彼が作り上げたサード・アイと呼ばれる社交クラブを含め、所有する全てのものを事実上残してきたが、フランスのパスポートとステンレススティールのロレックス GMTマスターRef.1675という2つの重要な所有物はもっていた。それは彼の母親からの贈り物で、彼のために10年前にパリのビジネススクールを卒業した時のプレゼントとして新品で買ったものだった。ハーバード大学の大学院に在籍していた彼は、この時計をもっていたため、母が住んでいたラオスの時間が常に把握していた。

600年の王政の崩壊を目の当たりにしたロレックス GMTマスター。

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 バンコクで無事に過ごしたパンヤ王子は妻と再会し、タイでの生活を始めた。タイとフランスの間で育った息子のサーニャ・スワンナ・プーマ氏は、今日ではバンコクのナイトライフに欠かせない存在となっており、2013年に閉店するまでバンコクを世界的に人気のあるDJスポットにした有名な『ベッド・サパー・クラブ』をはじめ、多くの会場やレストランを運営している。彼の最新プロジェクトは、ラオス料理とグルーヴィーな曲を提供するレストラン『ファンキーラム』だ。

サーニャ・スワンナ・プーマ氏、パンヤ王子の息子。

 長い人生の後、2016年に父である王子が長寿を全うした。数年後、サーニャ氏は父が右手首に着けていたロレックスのことを母親に尋ねるようになった。何でも身に着けることができた王子にとっても、GMTは「彼にとって全てを意味していた」とサーニャ氏は言う。彼の母親はそれをタンスの引き出しの中に見つけ、緑のロレックスのポーチの中に安全にしまっていた。サーニャ氏は今では毎日この時計を身につけ、娘が住むオーストラリアの時間を把握するためにベゼルを使っているという。「これは私の最も貴重な家宝です」と彼は言った。