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In Partnership

普遍的スタイルと進化するディテール。ミッレ ミリア クラシック クロノグラフに注ぐショパールの情熱

Sponsored by Chopard

イタリアに初夏の訪れを告げるクラシックカーレース、ミッレ ミリアが今年も開催された。ショパールは1988年以来このレースを支え、連続36回を数える。そしてレースとともに、時計愛好家が熱い視線を注ぐのはミッレ ミリアウォッチだ。このレースにかける情熱とともに、新作クラシック クロノグラフの魅力を探る。

 ショパールによるミッレ ミリアのワールドスポンサー&オフィシャルタイムキーパーは連続36回に及び、パートナーシップはこれまでのレース史上でも最も長い。そしてその歴史は紛れもなく、同じ名を持つウォッチコレクションの歩みでもあるのだ。

 記念すべきミッレ ミリアコレクションの第1作が誕生したのは1988年。出走したすべてのドライバーとコ・ドライバーの勇気を讃え、勝利のメダル代わりに贈呈された。積算針を中央に備えたクォーツ式のシンプルなモノプッシュクロノグラフにシリアルナンバーが刻まれ、以降、毎年新作が発表された。なかには機械式ストップウォッチやカフリンクス、キーリングといった変わりダネも登場し、このことからも当初はあくまでも記念品であり、時計での市販は想定していなかったのだろう。

 だがレースへの注目とともに一般からの要望が高まり、Competitorの文字などが刻印された参加チームに贈られるモデルとは異なる仕様で1997年に市販化。コレクターズアイテムとしても高く支持され、現在に至る。レースの開催に合わせて発表された最新作ミッレ ミリア クラシック クロノグラフも歴代モデル同様、新たな魅力に磨きをかけ、注目を集めている。


革新素材を融合したクラシックへの原点回帰

©️Chopard

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 コレクションでも特に伝統的なミッレ ミリアの雰囲気を表現したクラシック クロノグラフは、1998年の第1世代から2009年の第2世代、2017年の第3世代へと続く歴代のスタイルを踏襲する。進化の系譜は一見わかりづらいが、新作においてにはデザインコードを守りつつ、さらなる洗練とフルモデルチェンジといえるほど魅力を一新した。

©️Chopard

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 まず注目すべきは、80%リサイクル素材を用いたルーセントスティール™を採用した点。ショパールはサステナブル・ラグジュアリーに向けた役割として、年内にこれをすべてのSSモデルに採用し、さらに現在80%以上のリサイクル率も2025年までに90%以上に引き上げる目標を掲げている。これはその取り組みの一環だ。

 この未来志向の革新素材を採用したケースは、前作の42mm径から40.5mm径に抑えた。第1世代の39.2mm径以降、拡張を続けるなかで初のダウンサイジングであり、これも原点回帰といえるだろう。さらにグラスボックスと呼ばれるドーム型のクリスタル風防を採用し、クラシックテイストを強調するとともにフェイス全面を被うことでベゼルの幅を抑え、文字盤をより大きく印象づけている。ブレーキペダルを想起させるプッシュボタンのローレット加工や刻みを増すことで操作性を向上したリューズにも機能美が漂う。

ミッレ ミリア クラシック クロノグラフ ネロ・コルサ(レーシングブラック)ダイヤル 。Ref.168619-3001。ルーセントスティール™ケース。40.5mm径。125万4000円(税込)

 新たな試みとして、レースに参戦したクルマのボディカラーをイメージしたカラフルな4色で文字盤を彩り、それぞれに合ったエンジンターンやサーキュラーサテン仕上げを施し、インダイヤルのスネイル仕上げとのコントラストで多彩な表情を演出する。また、カラー文字盤とバイカラー仕様のパンチングレザーストラップに対し、ブラック文字盤にはコレクションの象徴である1960年代のダンロップレーシングタイヤのトレッドパターンを模したラバーストラップを合わせ、これもより柔らかな質感に向上している。

 ケースのコンパクト化に伴い、ムーブメントも刷新。これまでのETA 2894-2からより小径のETA A32.211をベースに、クロノメーター認定の高精度を継続する一方、パワーリザーブも42時間から54時間へと延ばしたことも見逃せない。


伝説のドライバーを掻き立てるレースと時計

ミッレ ミリア クラシック クロノグラフ グリージオ・ブルー(ブルーグレー)ダイヤル。Ref.168619-4001。ルーセントスティール™×18Kエシカルイエローゴールドケース。40.5mm径。149万6000円(税込)

ジャッキー・イクス(Jacques Bernard “Jacky” Ickx

1969年から1982年のあいだ、ル・マン 24時間レースにおいて6回の優勝で記録を塗り替え、F1では8回の優勝、表彰台には25回上った。さらにパリ ダカール・ラリーでは13回の完走を達成する。初めてミッレ ミリアに参戦した時は、ショイフレ氏はてっきりイクス氏の運転かと思っていたら、スタート直前に鍵をわたされ、自分がドライバーであることを知ったらしい。

 ル・マン 24時間レースで6度の優勝経験を誇る伝説的ドライバー、ジャッキー・イクス氏は、ショパールの共同社長カール‐フリードリッヒ・ショイフレ氏のコ・ドライバーとして過去15回以上にわたってミッレ ミリアに参加してきた。それはブランドアンバサダーという枠を越え、ともに走り続けてきた友情の証である。

 「最初にショイフレ氏と会ったのは35年以上前で、今に至るまでその絆はより深まっています。もうファミリーのひとりですよ」とイクス氏はいう。

 「現在のミッレ ミリアはスピードを競うレースではありません。1927年から57年当時に出走したようなスポーツカーが変わらず公道を走ることで、歴史や伝統をもう1度みんなで味わえるイベントになっています。風光明媚なイタリアを巡るこの素晴らしい機会は、僕にはコ・ドライバーのほうがより楽しめるんですよ」

 それにショイフレ氏のドライビングでなかったらミッレ ミリアに参加してないかもと笑う。

 「彼はすごく運転が上手なのでとても心地いいし、安心して乗っていられます。レースに向き合う真摯な姿勢やクラシックカーへの愛情があり、それがミッレ ミリアを支えていると思います。背景には5世代にわたるファミリービジネスがあり、それにも増して本人の情熱がなかったらここまで続かなかったでしょうね」

 そんなふたりはまるで初夏のドライブのように毎年レースを楽しむ。そのとっておきの時を刻むのがミッレ ミリアコレクションだ。

 「毎年発表される新作はいつも新鮮で、新たなインスピレーションを与えてくれます。そしてレースに参加し、これを贈られた皆さんが、のちのち時計を見るたびにレースを走ったことを思い出す。その記憶が刻まれるという点でもとても素晴らしいですね」

 モータースポーツは、人々のスピードへの情熱をかきたてると同時に、自由なモビリティを象徴するクルマの技術革新に大きく寄与してきた。その役割は今後変わったとしてもインスピレーションを与え続ける存在であることに変わりはないだろうと話す。

 「ミッレ ミリアにしてもそれは歴史であり、伝統です。それを間近にすることで多くの発見が得られます。それは人のあり方と同じで、積み重ねた時を大切にすることは人生にも繋がり、豊かな生き方をもたらしてくれると思いますよ」

 

熱狂はレースを超え、自動車文化の継承へ

ミッレ ミリア クラシック クロノグラフ (左)ヴェルデ・キアーロ(ライトグリーン)ダイヤル Ref.168619-3004、(右)ロッソ・アマレーナ(チェリーレッド)ダイヤル Ref.168619-3003。ともにルーセントスティール™ケース。40.5mm径。127万6000円(税込)

 ミッレ ミリアは、1927年に始まったイタリアの公道レースだ。きっかけは4人のモータースポーツファンが、特権階級や限られたエリートドライバーだけでなく、腕と才覚さえあれば誰でも参加できるカーレースを始めようと思い立ったことだった。出走も市販スポーツカーに限られ、ここにミッレ ミリアの思想が誕生したのだ。ブレシアをスタートし、ローマで折り返し、南北を往復する3日間(現在の開催期間は年によって異なる)におよぶ総距離が1000マイル(ミッレ ミリア=mille miglia)になることから名付けられた。

 しかし30年近く続いたレースも、1957年に起った市街地での事故で幕を閉じる。だがその復活を望む声は高まり、終了から20年を経た1977年に復活を果たしたのである。

1930年当時のミッレ ミリア(※1)

1952年当時のミッレ ミリア(※2)

1956年のレースにて。ブレシアのゴール地点に到着した参加車両(※3)

※1,2 Photo by Touring Club Italiano/Marka/Universal Images Group via Getty Images ※3 Photo by Marka/Universal Images Group via Getty Images

 競技は決められた区間タイムをクリアするラリー形式になったが、伝統へのオマージュを込めて参加車両は1927年から57年に出走した車両か同型モデルに規定されている。往時のスポーツカーたちは時を超えて美しく、初夏を迎えたイタリアの自然や街並みに映える。まさに“世界一美しいレース”と讃えられる所以だ。

©️Chopard

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 レースに魅了されたヴィンテージカー愛好家のひとりが、当時ショパールの副社長だったショイフレ氏だった。その虜になり、1988年にはスポンサーに名乗り出た。だがそれも単なるブランドのPRやイメージアップだけでないことは、ショイフレ氏自らが毎年ステアリングを握り、参戦していることからも明らかだろう。彼はミッレ ミリアの魅力についてこう語る。

 「イタリアで開催されるというところに意味があると思います。イタリアでは誰もがクルマに情熱を持っています。美しい風景、美しく古い建物、見て回るだけでも飽きない美しい街がある。そしてどこに立ち寄っても、おいしいコーヒーがいつでも飲める。だからミッレ ミリアは最高の国で行われているのかもしれないですね。そしてイタリアの人々みんなが楽しんでいる。人々の村や道路を通り過ぎる瞬間、どんな時間帯であろうと、人々がそこにいようといまいと関係なくね。言葉で表現するのはとても難しいですが、スイスでこんなことをしたら誰もクルマを走らせたがらないと思います。これは人間的な冒険であり、イタリアは私にとって特別な国なんです」

 今年は世界中から405台がレースを走った。行程も1日延長されて5日間にわたり、パルマからミラノのルートが追加された。これもようやく取り戻した日常の喜びを謳歌する粋な計らいだろう。35回目の出走となるショイフレ氏は、相棒ジャッキー・イクス氏とともに愛車のメルセデス ・ベンツ 300SL ガルウィングで参戦。さらにブランドアンバサダーである中国の俳優、朱一龙(Zhu Yilong)氏と、著名な耐久レースドライバー、ロマン・デュマ氏のペアがチーム・ショパールとして、ポルシェ 356 スピードスターに乗り込んだ。

©️Chopard

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 コース周辺は多くの観衆で埋め尽くされ、歴史ある街並みに歓声とエンジン音が響き渡る。まるでアートのような美しさとスピードを象徴するスポーツカーと、どこまでも走り続ける自由な開放感に誰もが酔いしれる。そしてレースを通して、人類が築き上げてきた自動車文化を継承するのである。

 

ミッレ ミリアという一族の壮大な叙事詩

 ミッレ ミリアというクラシックカーレースを語る時、ショパールとともに、そのオーナー一族であるショイフレファミリーの存在を欠かすことはできない。パートナーシップの始まりは、歴史的な名車や伝統のレースへの憧憬に過ぎなかったかもしれない。しかし実際にショイフレ氏自らがハンドルを握り、走り続けるなかで思いは覚醒したのだろう。

 ラリー形式であってもパレードのようなイベントではなく、れっきとしたレースだ。1600km以上を5日間に渡って走り続けることは、動態保存されていたとはいえ半世紀以上前のクルマには負荷が大きく、それにも増して現代のクルマに慣れたドライバーに相応の技術と体力、集中力を求める。流麗なスタイリングに猛々しくも精緻なメカニズムを秘めた往年のスポーツカーと対峙し、ハードなレースに向き合うことで、奥深き自動車文化と伝統に触れ、その価値の伝承こそ必須と考えたに違いない。ショイフレ氏はクラシックカーの魅力についてこんなコメントを残している。

 「私がクラシックカーを好きなのは、まずその形やデザインに引かれるからです。そして運転するうえでは、ステアリングも運転もすべてがアシストされる現代のクルマよりも、より挑戦的でおもしろいからなのです。クラシックカーでは運転に集中しなければなりません。そのあいだは電話で話すこともできないですし、ただ運転に集中するだけ。クラシックカーはその瞬間、別の時代に連れて行ってくれるのです。時間旅行とでもいいましょうか」

 そしてその思いはクルマに留まることはなかった。それと同じように変わらぬ情熱を傾ける時計である。メゾンの未来に思いを馳せた時、同じ考えがよぎったのは想像に難くない。着手したのがジュネーブウォッチの伝統技術を継承する自社ムーブメント、L.U.Cの開発だ。そしてレースの魅力をより広く一般に伝えるため、続く1997年にミッレ ミリアコレクションが市販されるようになったのである。

 こうしてミッレ ミリアは、ショイフレ氏にとって家族の肖像となった。父であり、当時社長だったカール・ショイフレ氏とともに愛車で参戦し、婚約時代のクリスティン夫人が同乗したこともある。そして、自身の娘であるキャロライン‐マリー氏とともにチーム・ショパールを率い、レースを盛り上げる。かくしてミッレ ミリアコレクションは一族の叙事詩となり、これからも壮大な物語を紡ぐのである。


ミッレ ミリア クラシック クロノグラフ ギャラリー
 

Photos:Akira Maeda(MAETTICO) Styled:​Eiji Ishikawa(TRS) Words:Mitsuru Shibata