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In-Depth グランドセイコー エレガンスコレクションのデザインを紐解く 寄稿:マーク・チョー

セレクトショップ"アーモリー"のマーク・チョー氏によるグランドセイコーデザインに関するインタビュー

今年早々、東京・銀座のセイコーウオッチ本社を訪ねました。訪問の目的は2つで、私が手がけた「理想の腕時計サイズ調査(Ideal Watch Size Survey)」を先方のデザイン・商品企画チームにプレゼンテーションする事と、最近購入したSBGZ001(スプリングドライブ20周年を記念して、2019年にグランドセイコーが発表した、新しいエレガンスコレクション・ドレスシリーズの非常に特別な仕上げが施されたモデル)についての知見を深める事でした。私からいくつか個人的な質問をさせていただくだけのつもりでしたが、最終的には、新しく誕生したグランドセイコーのシリーズがどれほど重要な存在になるかということをじっくり語り合う時間をもつことができました。

参考:私の店(The Armoury)では、香港にてグランドセイコーのディーラーを6年ほど務めています。個人的には、9年ほど前からグランドセイコーを集めています。これからお話するSBGZ001、SBGY003は店舗にて扱っているモデルではありません。すごく特別な時計だと思い、もっと探求したくなったのが今回の記事を執筆するきっかけになりました。

クレドール 叡智

グランドセイコー SBGZ001

 初めに少し背景を。私は一部の時計愛好家によく知られる、その素材の活かし方と仕上げが秀逸なモデル、クレドールの叡智を2013年に購入しました。これは、セイコーエプソン塩尻事業所のマイクロアーティスト工房という、セイコーエプソン社が最先端の技術を駆使して手がける全ての高度な時計がデザイン・製造される部署が製作したものです。この工房で製造された時計には、クレドールのミニッツ・リピーターや、グランドセイコー スプリングドライブ 8Days、そして叡智Ⅱなどが含まれます。2014年に塩尻事業所を見学した際、本館の階段下のこじんまりとしたスペースに位置するマイクロアーティスト工房も見る機会に恵まれました。15人にも満たない小さなチームですが、規格外に素晴らしい時計を制作しています。私の持っていた叡智は他のコレクターに譲ってしまいましたが、この工房で作られた時計をまた所有したい、とずっと思っていました。昨年、SBGZ001が発表され30本の限定製造という事だったので、すぐに予約しました。広報用の写真を見ただけで購入を決意するのは躊躇しましたが、実物は非常に見事だったので、全く後悔はしませんでした。

セイコーエプソン塩尻事業所、2014年。

中澤義房氏 塩尻のマイクロアーティスト工房にて、2014年撮影。

塩尻 マイクロアーティスト工房、2014年撮影。

 SBGZ001のような時計はどのようにして誕生するのか? この疑問はまず、新しいグランドセイコーの製品がどのように作られるのかを理解していなければ答えられません。セイコーは大きなデザインチームを有し、サブブランドを含む全社分の様々な時計のデザインを手がけています。そのうち、小規模なチームがグランドセイコーを専門にデザインしているのです。2018年当時、全てのグランドセイコー製品を統括するマーケティング部長の原 教人氏と、グランドセイコーのデザイン責任者である久保進一郎氏が、新しいドレスウォッチのシリーズを企画しました。「ドレスシリーズ」と呼ばれるこの新しいシリーズにはグランドセイコーのDNAを持ちつつ、斬新な方向性が伴う新しい視覚的デザインが必要となりました。社内コンペには久保氏監修の下3人のデザイナーがコンセプトを提出し、才能ある若手デザイナーの酒井清隆氏が優勝しました。

酒井清隆氏 東京セイコーウオッチ本社にて、2020年撮影。

 酒井さんのデザインが選ばれたのは、グランドセイコーのこれまでのデザイン史とうまく繋がっていたからです。スプリングドライブ20周年記念コレクションの一部となるため、その原点を尊重するデザインであることが重要でした。ドレスウォッチなので袖の下になめらかに滑り込ませることを想定し、酒井さんのコンセプトは、側面の薄さを強調。グランドセイコーの3時側と9時側のケースサイドの柔らかな丸みを残しつつ、ケースと風防の一体感を保ちながら、横から見た際のさりげないカーブを加えた、フレッシュなデザインを取り込みました。全体の印象として、風をいっぱいに受ける船の帆を連想させる、オーガニックで軽い外観に仕上げられています。酒井さんのデザインが薄型ドレスシリーズの核となり、彼のデザインしたケースとインデックスは、シリーズ全般に使用されることになります。

 薄型ドレスシリーズには、酒井さんのデザインが多く採用されています。まず、2018年に日本市場にて発売されたクォーツモデルであるSBGX329と330です。エレガンスラインのモデルに携わっていたデザイナーは他にもいました。2019年に、機械式エレガンスライン初のグローバルモデルとして発表されたSBGK002、004そして005は、小杉修弘氏によるデザインでした。2019年、酒井さんの最も特徴的なデザインはSBGY003、薄型ドレスシリーズにスプリングドライブを搭載したステンレス製の限定版モデル、そして、「信州の雪白」ダイヤルのイエローゴールドケースであるSBGY002でした。

酒井清隆氏のコンセプトスケッチ、2020年撮影。

 薄型ドレスシリーズの特徴のひとつは、もちろんその薄さにあります。サファイアガラスが時計全体のカーブと調和し、かつ時計の厚さを最小限に抑えるように製造することが、大きな課題でした。グランドセイコーは、中心部をわずかにドーム型に盛り上がらせ、縁部のカーブ傾斜を深くした、新しいデザインのガラスを開発。この形は最適な可視性と共に、ガラスの内側面に反射防止のコーティングを施す事を可能にしました。ドーム形は、アクリルが使われたヴィンテージ時計への素敵なオマージュでもあります。

 新型の薄いムーブメントが、機械式・クォーツ式・スプリングドライブ式それぞれで特別に作られました。SBGY003には、新しいCal.9R31が使われています。これは、手巻きのスプリングドライブ・ムーブメントで、自動巻き時計に通常使用されるローターを省く事で、貴重な数ミリの厚さを削ることに成功しました。グランドセイコーの時計は針の美しさが有名ですが、針そのもののサイズ、ムーブメントが支える重量は、見落とされがちな素晴らしい技術特性の一つです。原さんは、自動巻きスプリングドライブモデルと同じように、72時間のパワーリザーブ性能をCal.9R31にも搭載した事を誇らしげに語って下さいました。ドレスウォッチとしての役割を鑑みて、これだけの長い時間パワーリザーブがあるのです。週末には使わない時計が、月曜日にまだ動いている事を可能にした、非常に気が利いた機能というわけです。

 薄型ドレスシリーズの開発にあたり、針やインデックスまでもが更新され、繊細で幅の細い形状が強調されています。通常のグランドセイコーの針は笹形で、それぞれトップと針の形4面の計5つの面で構成され、針に傾角をもたらすデザインになっています。薄型ドレスシリーズの場合はトップと笹形の長辺2面の計3つの面で構成されることで、針をより細くエレガントに見せる新しい形状となりました。また、ハンドの長さを考慮して先端をややカーブさせる事ですっきりと長い針の形状を保ちながら針が動くための必要な隙間をガラスとの間に確保しています。酒井さんは、晴れ舞台に着けられる時計と想定してデザインしたので、ダイヤル上のごく小さなディテールも、目に留まるようなものにしたかったと話してくれました。光が乱反射して様々な方向に煌めくように、インデックスは楔形になっているそうです。

 スプリングドライブ版の薄型ドレスシリーズを手に取ると、ケースにもう一つ見事な視覚トリックが施されている事に気づくかもしれません。ケース下縁を凹面にすることで、ケース全体をさらに薄く見せる作りになっているのです。これはよくノートパソコンのデザインに見られる、デバイスの下部縁が内側のベースに向かってカーブしていく仕様が生み出す効果と同じものです。凹面は細やかに磨かれており、薄い時計が手首に浮かんでいるかのような光の反射を生み出します。

 SBGY003の文字盤をデザインするにあたって、酒井さんは木漏れ日からインスピレーションを得たとのこと。放射線状の彫りが文字盤の中心から全体をカバーするように伸びており、一番外側の目盛り部分は挽目模様に。彫り模様の凹凸と目盛りが干渉しないように作られています。ハレの日に合うデザインでありながら、視認性の高さもキープした時計という酒井さんの考えにつながる、格別に繊細で、主張しすぎない美しい装飾です。

 エレガンスラインの基礎があり、SBGZ001が次に作られました。マイクロアーティスト工房の時計は、叡智Ⅱ以降に同工房からリリースされる時計全ての外装デザインの責任者となった星野一憲氏によってデザインされました。SBGZ001は表層だけでなく内部構造の向上もなされています。例えばムーブメントにおいては、余力の一部をメインスプリングの巻き上げに使用するトルク リターン システムのおかげで、通常の72時間を上回る84時間の稼働を実現しました。

星野一憲氏、2020年

星野一憲氏、2020年撮影

 星野さんは、マイクロアーティスト工房の目的は高度な時計製造技術の研究と向上を果たす事だ、と考えておられます。マイクロアーティスト工房バージョンの薄型ドレスシリーズ企画の初期段階のインスピレーションは、グランドセイコーが70年代に製作していたハンマー仕上げのケースでした。当時の時計デザイナーたちが、現在の最先端のマイクロアーティスト工房の設備を使えたらどのような事をしただろうか、と想像するのがお好きだそうです。最初の試作を経て、マイクロアーティスト工房と現代のグランドセイコーのアイコンとして使われているスノーフレークを組み合わせて、ケース外装の仕上げを現代化する機会を見出します。スノーフレーク(雪白)という通称は、独自のプレス技術で作られた雪を連想されるダイヤルの仕上げから付けられました。この雪白を次のレベルに引き上げたいとの考えのもと、SBGZ001が誕生したのです。

星野一憲氏のデザインアーカイブより:1970年代のグランドセイコー 東京、2020年

星野一憲氏のデザインアーカイブより:1970年代のグランドセイコー 東京、2020年撮影。

SBGZ001の初期サンプル、 2020年

SBGZ001の初期サンプル、 2020年撮影。

 SBGZ001のケースは、まず全面に磨き上げられたプラチナケースの表面に、歯科医にあるものに似た極細の電子ドリルを使って、独特の雪の柄が手で彫られます。写真ではオレンジの皮のような細かい凹凸に見えますが、実物を手に取ると極小のうねりが見事に有機的に連続していく柄が非常に素晴らしく、1点1点職人の手で施されているので、全ての個体が異なる表情をもっています。

 個人的には手彫りが施されていない部分に更なる感銘を受けます。他のパーツを残しながらラグなどの曲面に彫りを施し、縁のシャープな輪郭を残す為には高度な技術が必要とされるからです。雪白の彫刻部分がマットに仕上げられているのに対して、わざと仕上げずに残された細かな切子面がきらきらと輝き美しいコントラストを生み出します。このコントラストはダイヤルに対して垂直のベゼルの端やストラップ部分のラグの内側端のベベルに見られます。SBGZ001の文字盤は通常のグランドセイコーの雪白モデルと類似していますが、文字盤のロゴと文字は、プリントではなくプレスされています。 

グランドセイコー SBGZ001: 彫りが施されたケースベゼルと側面に挟まれた、鏡面部分の接写。

ラグ内側の、ごく小さな鏡面磨きの部分。

 SBGZ001のムーブメントである9R02は、SBGY003の9R31とは別に開発されており、手仕上げによる非常に細かな仕事がなされています。メインスプリングが収められている香箱のキキョウ形の型抜き、丁寧に磨き上げられたベベルエッジ、プレートに施された表面仕上げのデリケートなストレートの筋目、ネジやルビーの磨かれた受け穴、そしてスクリューヘッドの青い光沢感などの見事な手仕事は、フィリップ・デュフォーの名品に匹敵するほどの傑作であることに間違いはありません。

グランドセイコー SBGZ001の 9R02ムーブメント

 スプリングドライブのムーブメントの大部分が地板の下に隠れていて、もっと露出されなかったのはなぜでしょうか。星野さんは、水晶振動子は光に敏感なので密封される必要がある、とご説明下さいました。

 グランドセイコーから、SBGZ001の所有者へ粋なディテールが用意されています。ムーブメントに付属する金のプレートに一言、あるいは二言、好きな言葉を刻印できるというものです。私はどんな時にでも役立つものである”optimism”(楽観)という言葉を選びました。

グランドセイコー SBGZ001  “optimism” 刻印のクロースアップ、2020年

グランドセイコー SBGZ001  “optimism” 刻印のクロースアップ。

 締めくくりに、星野さんが一番気に入っているSBGZ001の特徴について語り合いました。ダイヤルとケースを一体化させた時計が作れたこと。更に言えば、デザイナーとしては珍しくかなり自由にデザインが出来たことだと星野さんはおっしゃっていました。他ブランドでは、パーツの少なくとも一部を外注する事が一般的で製作が制限されてしまうことも多い中、グランドセイコーでは文字通り全ての部品を自社製作するので、プロダクトデザインの起点を、課題解決にする必要が無いとのことでした。

グランドセイコーデザイン部門のみなさんと、2020年撮影。

左から右: デザイン部課長鎌田淳一氏、デザイナー酒井清隆氏、筆者、デザイナー檜林勇吾氏、マイクロアーティスト工房デザイナー 星野一憲氏。

 この記事のインタビューは2日間にかけて行われました。その間、グランドセイコーの多様な分野に携わる方と多くの時間を共有することができたのは、幸運なことでした。私自身の専門分野はハイエンドなメンズクロージングとアクセサリーのビスポーク・クラフトマンシップ。私たちの企画・生産は一職人あたり年間50アイテム程度と非常に小規模です。大きな組織の中で様々な人の意見が取り入れられながら製品が作られていく過程を知るのは新しい発見がありましたし、セイコーほどの大企業でも、製品ひとつに個人の思いが詰まった貴重なプロジェクトとなり得、セイコーの時計もまた職人によって精工に作り続けられている事に心強さを感じました。
 それ以上に、スプリングドライブなどの技術やSBGY003、SBGZ001に代表される数々の名品の誕生を可能にさせる独特の風土、クラフトマンシップと独創性を可能にするゆとりを確保する姿勢が保たれていることを、私は心から尊敬します。

本記事に関する動画(日本語字幕付き)はこちらからご覧いただけます。

全ての写真と文章:マーク・チョー