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In-Depth 自動巻きクロノグラフの歴史:ホイヤー、ブライトリング、ハミルトンが50年前に誕生させた足跡

すべてを変えた時計たちの50周年を機に、当時を振り返る。


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世界初の自動巻きクロノグラフの開発に挑んだ時計メーカー3社のレースは、ヴィンテージウォッチコレクターなら誰もが知っている、腕時計史上最も重要な出来ごとの一つだ。

 この物語について書くことは、少なくともジャーナリストにとって、もはや義務のようなものになっている。このレースに参戦していた勢力は3つあった。日本のセイコー、モバード買収前後のゼニス、そしてムーブメント専門メーカーのデュボア・デプラと協力体制にあったホイヤー、ブライトリング、ハミルトン・ビューレンからなるスイスブランド協同勢力だ。

 もちろんこの歴史を「レース」として定義するか否かの議論はまだ残っているが、不思議なことに、今日に至るまでこのレースの勝者は3社あるといわれている。1969年1月、ゼニスが自動巻きクロノグラフのプロトタイプを公開した。ただし「エル・プリメロ」クロノグラフの第1号が販売されたのは1969年の秋だったようだ。一方セイコーファンの指摘によれば、ケース裏のコードに基づくとクロノグラフ Ref. 6139は1969年3月に製造されていた。しかし日本のみでの販売で、国外では1970年になってから販売されたと見られる。

1969年バーゼルウォッチフェアのプログラムは、見開きでホイヤー、ハミルトン、ブライトリングが展示を予定した「クロノマチック」を一部紹介している。

 ホイヤー、ハミルトン、ブライトリングは1969年3月3日のジュネーブ時間午後5時、日本時間午前1時の同時記者会見で、新製品「クロノマチック」(Chronomatic)を公開した。

 1969年4月初旬、この3ブランドがバーゼルウォッチフェアで各社製品を展示し、メディアや販売店に合計100本以上のサンプルを提供した。1969年7月と8月の販売店領収書によると、顧客は1969年夏までにはこのクロノマチックを買えていたようだ。

1969年バーゼルウォッチフェアの公式報告書の表紙でも、世界初自動巻きクロノグラフの登場が告げられた。

 この記事では、レースの様子をまとめるよりも、時計史のこのチャプターを少し変わった角度から探ってみよう。まずは、1969年夏、ホイヤー、ハミルトン、ブライトリングが扱っていた自動巻きクロノグラフ23種が初めて店舗で販売された頃の製品ラインナップを紹介する。ホイヤー、ハミルトン、ブライトリング のクロノマチックのカタログ全体を見渡すことで、豊富で多様なセレクションがあったことを把握し、それぞれのモデルを他のブランドのモデルと比較しながらより深くご理解いただきたい。

 さらにクロノマチックのデザインソースについても探る。クロノマチック系は1970年代を象徴する時計と考えられがちだし、実際クロノマチックが最も売れたのはその頃だ。しかしホイヤー、ハミルトン、ブライトリングのポートフォリオをよく見ると、クロノマチックスタイルの源流はデザイン革命「スウィンギング60s」にあることが分かってくるだろう。


プロジェクト99

 ホイヤー、ハミルトン、ブライトリングが1969年夏に発売した自動巻きクロノグラフを理解するために、まずはこの開発プロジェクト(「プロジェクト99」と呼ばれた)に協力したメンバーを紹介する。ライバルの自動巻き腕時計の人気が高まり、自社のクロノグラフ(すべて手巻き)の売上が減少し出した頃、ホイヤーは自動巻きクロノグラフの開発プロジェクトに乗り出した。

 まずホイヤーはビューレンに協力を求めた。ビューレンは熟練のムーブメントメーカーであり、新しいクロノグラフの動力として有望な薄型マイクロローターの開発に成功していたからだ。

ビューレンが1957年に開発した薄型マイクロロータームーブメント (Cal.1000と1001) は、同社がその10年後に生んだ自動巻きクロノグラフムーブメント Cal.11の開発にとって無くてはならないものだった。

 次に、デュボア・デプラがチームに加わった。経験豊富なデザイナーであり、腕時計やタイマー用コンプリケーションモジュールのメーカーでもあるデュボア・デプラは、ビューレンのムーブメントに合わせたクロノグラフモジュールを開発することになった。そしてハミルトンも1966年にビューレンを買収し一翼を担うことになる。

 ジャック・ホイヤーは自伝の中で、ブライトリングがプロジェクト99合弁のメンバーになった経緯をこう説明している。
 新しいムーブメントの開発費用が膨大なのに対し、自社が事業に使える資本が少ないという事実に直面したホイヤーは、ブライトリングならこのプロジェクトに十分な資金を投じるのではと考えた。ホイヤーとブライトリングはライバル同士だったが、ホイヤーはアメリカ、イギリス、ドイツで強く、ブライトリングはフランスとイタリアで優勢だったため協力してもさほど差し支えないという思惑もあった。ただしそうだとしても、ブライトリングを合弁に招き入れたホイヤーは資金調達に必死だったのだと見るべきではある。

 プロジェクト99はCal.11の開発という成果をもたらした(その後継機と共に「クロノマチック」ムーブメントと呼ばれる)。Cal.11は、ビューレンのマイクロローターを動力とする腕時計ムーブメントと、デュボア・デプラ開発のクロノグラフモジュールを組み合わせたモジュラー構造を採用しており、このクロノマチックムーブメントを搭載した腕時計は見ればすぐに分かる。リューズが時計の左側にあり、プッシュボタンは右側にある。Cal.11は9時位置に12時間積算計が、3時位置に30分積算計が、6時位置に日付窓が配置され、スモールセコンドはない。

 Cal.11は、石数17と耐衝撃装置「インカブロック」(Incabloc)を搭載している。寸法は13.75リーニュ、直径31mm、高さ7.7mmだった。振動数は1万9800振動/時で、パワーリザーブは42時間。Cal.12では、振動数が2万1600振動/時になり、Cal.15にはKIF耐衝撃装置が採用された。

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ホイヤーのクロノマチック

ホイヤーの初期の広告。自動巻きクロノグラフ腕時計が、パイロット、レーシングドライバー、ラリースト、ヨットマンなどアクティブな男性のために誕生したと告げている。  

 1960年代中頃、ホイヤーのクロノグラフのラインナップには、2つのフラッグシップモデル「オータヴィア」 (1962年発売) と「カレラ」 (1963年発売) を始め、それより低価格で型番だけで呼ばれる多くのバリエーションが揃っていた。1968年には、ホイヤー第3のモデル「カマロ」が登場した。

 ホイヤーは自動巻きクロノグラフモデルを60年代末頃に発表する計画を進めつつ、手巻きモデルシリーズをそのままの構成で販売し続けるという手法をとった。新しいクロノマチックモデルはそのシリーズにプレミアムラインとして加え、それまでのモデルと併売することになっていた。

カレラ

ゴールドケースにシルバー文字盤のクロノマチック カレラ(Ref. 1158)。

 1960年代の手巻きカレラは伝統的な丸型ケースと特有の角型ラグを採用している。文字盤色は黒か白。しかしここからカレラのバリエーションはぐっと広がる。サブダイヤルは同色または対比色のどちらか。タキメーター、デシマルミニッツ、パルスメーターもあった。カレンダーはシンプルなデイトとトリプルカレンダー(曜日、日、月)から選べ、素材はステンレススティール、ゴールド、ゴールドメッキがある。

 ホイヤーはお気に入りのケースメーカーであるピケレ社(Piquerez)に新しいクロノマチック カレラのケースデザインを依頼した。ピケレは、カレラのために全く新しいデザインを起こすのではなく、ジェラルド・ジェンタが1964年にオメガ コンステレーション用に生み出したスタイルを引き継いだケースを作った。ジェンタが生んだ画期的な「Cライン」のケースでは、ラグはケースから延びているというよりリューズから弧を描くようにつながり、ラグからラグにかけてがCの文字の形になっている。Cラインのケースは1960年代後半に人気を集めいくつものブランドで使われるようになった他、手巻きクロノグラフモデルにも採用されはじめた(オメガ キャリバー321やエテルナ バルジュー72など)。カレラの新バージョンのためにピケレは厚みを増したCラインケースも設計したが、節度をもって新しいムーブメントを搭載できる最小サイズ (38.5mm) を維持した。

初期の自動巻きカレラ。YGとSSケース。

 クロノマチックカレラには2つのバージョンがあった。チャコールまたは青の文字盤に白のサブダイヤルを備えたSSモデルと、シルバー文字盤のYGモデルだ。その後すぐにシルバー文字盤にコントラストの強い暗色のサブダイヤルモデルも続いたが、こちらは文字盤にChronomaticではなくAutomatic Chronographと記載されている。新しいカレラの文字盤はどちらかというとクリーンで、タキメーターがベゼル内側の文字盤と風防の間に刻まれていた。

オータヴィア

初代自動巻オータヴィアには文字盤上部にChronomaticの文字がある。

 1962年の発売以来、オータヴィアの決定的な特徴といえば黒い文字盤と白いサブダイヤル、およびさまざまな機能のための刻印(ダイビング、トラベル、タキメーターなど)が入った回転ベゼルだったが、こうした特徴は新しいクロノマチック オータヴィア(Ref. 1163MH)にも引き継がれた。ピケレはCラインケースを新しいカレラのためにデザインし、オータヴィアのために2つ目のバージョンを作ることになる。オータヴィアの特徴である回転式のベゼルを組み込んだ、より大きなケース (42mm)だ。

 オータヴィアは最初の7年間、黒の文字盤に白のサブダイヤルを採用していた。しかしクロノマチック オータヴィアの開発を記念してホイヤーは2つ目の色展開を発表。白い文字盤とそれに対比させた黒いサブダイヤルを配置し、アクセントに青を効かせたモデル(Ref. 1163T)である。この白文字盤モデルはスイスのF1ヒーロー、ジョー・シフェールが使っていた。今でもオータヴィアの白黒青モデルは「シフェール」と呼ばれている。

モナコ

Cal.11のごく初期のクロノグラフにだけあるChronomaticの表示。その後のモデルにはすべてAutomatic Chronographと表記されている。

 以下で説明する通り、ピケレはハミルトンのために1966年と1967年、斬新な楕円と角型の防水腕時計ケースをデザインした。ホイヤーは自動巻きクロノグラフ第3弾に特別な要素を求めていたが、ピケレは彼らのために斬新なデザインの中でも最高の案をとっておいたようだ。世界で初となる、クロノグラフを角型防水ケースに収めるというのがそれである。モナコのケースデザインの鍵は、内部クリップで留められたユニークなモノコックケースとベゼルだった。

 前例のない自由さを持つクロノマチック モナコはミッドナイトブルーの文字盤に対比を効かせた白いサブダイヤルを採用し、初期バージョンはメタリックサテンに仕上げた。モナコのチャーコールグレーに同色サブダイヤルを備えたバージョンも続いて発売されたが、文字盤にはChronomaticではなくAutomatic Chronographと表記されていた。

初期の自動巻オウタヴィアとモナコ。それぞれ2色展開していた。

初期モデル vs 後期モデル

 ホイヤーの初期クロノグラフにCal.11が搭載されているか否かを見分けるのは容易い。一番最初のモデルはどれも文字盤上部にChronomatic、下部にモデル名が記載されている。ホイヤーがクロノマチックを発売した当時はアメリカが同社の最重要市場だった。ホイヤーは「クロノマチック」が自動巻きクロノグラフだとアメリカ人には理解されにくいことをすぐに見て取り、発売のほぼ直後に文字盤からChronomaticの文字を消し去って、その後15年間ホイヤーのCal.11(およびその後継種) 搭載モデルには、文字盤下部にAutomatic Chronograph、上部にモデル名が入ることになった。

自動巻きカレラとオータヴィアの発売から2年後、ホイヤーは手巻きモデルを同じスタイルのケースで発売した。

 オータヴィア、カレラ、モナコの「クロノマチック」モデルが1969年に発売された後、1971年頃にホイヤーは自動巻きと同じスタイルのケースを採用したこれらモデルの手巻きバージョンも開発した。

 ホイヤーは1972年、Cal.12を搭載したクロノグラフでラインナップを大幅に拡大し、際立って派手でサイズも大きいカリキュレーター、モントリオール、シルバーストーンを発表した。Cal.12の第3世代モデルは1977年頃コルティナ、デイトナ、ジャラマ、ケンタッキー、モンツァ、ヴェローナの各モデルとして発売され、こちらはより落ち着いた伝統的なデザインとなっていた。 

3世代のホイヤー Cal.12。1960年代の雰囲気、70年代のド派手なスタイル、そして1970年代後期にそれがやや落ち着いてきた様子が見て取れる。

 ホイヤーはCal.12搭載モデルの販売を1980年代半ばまで続けた


ブライトリングのクロノマチック

ブライトリングの初期型クロノマチックの広告。ブランド販売店に対し、新しい自動巻きクロノグラフに新しい顧客が群がるだろうと謳っている。

 ホイヤーは1960年代の自動巻き新モデル (1969年頃)と並行して、手巻きクロノグラフに新しいケースを採用したモデル (1971年頃) を販売し続けた。しかしブライトリングのアプローチはかなり異なっていた。ブライトリングは新しいCal.11の寸法を把握すると直ちに (おそらく1966年頃) 、同社の手巻きモデルのラインナップ用に新しいケースを開発した。そうすれば新しい自動巻きモデルのケースとして容易に応用できるためだ。こうしてブライトリングは、1969年ではなく1966年/67年に、1950年代から60年代前半にかけて同社の定番だった丸型ケースからクロノマチックムーブメントを搭載する新世代の大型ケースへと移行を遂げた。

 その頃のカタログや広告から、ブライトリングは自動巻きクロノグラフを以下の5つの特徴あるケースで発売していたことが分かる。 

回転ベゼルと角型ラグの伝統的なラウンドケース

クッションケース

トノーケース

18Kゴールドケース

いくつものリファレンスに使われたブライトリング独特の六面ケース (よく「ピッツァ」ケースと呼ばれる)

ラウンドケース Ref. 2110

 Ref. 2110は伝統的な丸型ケース(38mm)で、回転ベゼルと角型ラグを備えている。黒文字盤に白のサブダイヤル、または白文字盤に黒のサブダイヤルで、いずれもタキメータースケールが付いている。12時間積算計には12までの数字がすべて書かれる一方、30分積算計には明るい色のレースストライプが付いて5分ごとの刻みが読みやすくなっている。

クッションケース Ref. 2111

 Ref. 2110がブライトリングのクロノマチックの最もマイルドなモデルだとすれば、中程度からワイルドに至るカーブの最初に来るのがRef. 2111だ。38mmのクッションケースは丸みを帯びた四角形で腕時計上面は比較的平らだが、ケース側面には深くドラマチックな曲線が見られる。文字盤は黒または白で、それぞれの中央に対比の強い白または青の「サーフボード」が水平に置かれ、そして楕円形のサブダイヤルがサーフボード上に配置されている。

トノーケース Ref. 2112

回転式アワーベゼルとミニットベゼルが付いたブライトリングRef. 2112クロノグラフ。Ref. 2114にはタキメーターベゼルが付いている

 伝統的な丸型ケースから出発しシンメトリーなクッションケースを経たブライトリングは、Ref. 2112で (文字通り) 鋼を伸ばしてトノー型ケースを誕生させた。黒いベゼルが文字盤を囲み、アワーベゼルとミニットベゼルは回転式だ。文字盤とバンドはRef. 2110モデルと似た外観で、文字盤の色は黒または白 (いずれも対比色のサブダイヤル)、針とアクセントにはオレンジが使われている。

 Ref. 2114は概ねRef. 2112に似ていたが、Ref. 2114には固定のタキメーターベゼルがあり文字盤のタキメータースケールはなくなっている。

ピッツァケース

ブライトリングの「ピッツァ」ケースを採用した最初のクロノマチックのうち(左から右へ) 、ナビタイマー、コスモノート、クロノマット、Ref. 7651「ヨッティング」 

 ブライトリング クロノマチックムーブメントを搭載したケースの中でも、1969年発表の初期モデルに使われた六角形のケースは最も個性的といえるだろう。「目玉焼き」や「ピッツァ」と称されることもある48mmのこのケースは、ブライトリングが1967年4月に発売しその後手巻きムーブメントのヴィーナス178を採用した。クロノマチックムーブメントの開発を見込んで、9時位置にリューズを配置したケースが作られた。そうすることでリューズを3時位置 (手巻きムーブメント用に) にも9時位置 (自動巻きムーブメント用) にもできるからだ。

 1969年のクロノマチックムーブメントの誕生で、ブライトリングの六角ケースは少なくともクロノマチックの5モデルで採用された。6つめのモデルは1969年のカタログに掲載されているが、実物が発表された記録はなかったようだ。

 文字盤が白または黒のクロノマット (Ref. 1808) の起源は、ブライトリングが回転計算尺をベゼルと文字盤に組み込み、デシマルミニット用のスケールを文字盤に取り入れた1940年発売の初代クロノグラフにさかのぼる。ブライトリングのカタログはクロノマットモデルが数学者、エンジニア、ビジネスマンにも、スポーツや産業向けにも理想的だと述べている。 

ブライトリングの初期クロノマチックモデルのカタログには、ナビタイマーの3モデルが紹介されている。新しい自動巻きモデル、同じケースを採用した手巻きモデル、そして1950年代から使われているスタイルのケースの手巻きモデルだ。  

 ナビタイマー (Ref. 1806) はブライトリングが1954年に発表したアビエーションクロノグラフシリーズの延長線上に位置付けられていた。ブライトリングはクロノマットの計算尺をパイロット向けに時間速度、距離、フライト計算機に変更し、パイロットが燃料消費、平均速度、上昇速度計算に使うスケールを追加した。ブライトリングは、ナビタイマーはパイロットだけでなくラリードライバーやその他スポーツマンを含む速度のスペシャリストのためにあると語っていた。

 コスモノート (Ref. 1809) はナビタイマーと同じくパイロット向けツールを組み込みつつ、24時間制表示になっていた。つまり短針は1日に1周しかしない。Ref. 809 コスモノートは1962年に発表され、1962年5月24日には宇宙飛行士のスコット・カーペンターが身に着けていたことで初めて宇宙に出たスイス製時計となった。

 「ピッツァ」ケースを採用したクロノマチックモデルの第4弾と第5弾はRef. 7651 。Ref. 7651 のコー・パイロットモデルはブライトリングが1953年に発売したクロノグラフシリーズの一環として位置づけられ、30分積算計はパイロットのフライト前チェック用に15分刻みになっている。1969年に発売された他のクロノマチックはどれも12時間積算計が付いていたが、Ref. 7651は6時間だった。Ref. 7651のヨッティングバージョンにはマークが赤でセグメントが白の回転ベゼルが付き、ヨットレース開始までの15分をカウントダウンできるようになっている。

 ブライトリング最初のクロノマチックで一番最後に紹介するのは100本だけ限定生産された伝統的な18KYG丸型ケースのRef.2116だ。シャンパン色の文字盤にはコントラストの強い黒のサブダイヤルとタキメーター、パルスメーターが配置されている。

18Kゴールドケース Ref. 2116

 ブライトリング最初のクロノマチックで一番最後に紹介するのは100本だけ限定生産された伝統的な18KYG丸型ケースのRef. 2116だ。シャンパン色の文字盤にはコントラストの強い黒のサブダイヤルとタキメーター、パルスメーターが配置されている。

初期モデルvs後期モデル

 前述のように、ホイヤーのごく初期のCal.11搭載モデルを見分けるのは簡単だ。文字盤にChronomaticの文字や、ホイヤーが文字盤の表記がAutomatic Chronographに置き換えられたものでもその他の目印を探せばいいだけだ。これがブライトリングのクロノマチック初期モデルとなると少し識別が難しくなる。まずホイヤーはCal.11搭載のごく初期のモデルだけにクロノマチックという名称を使っていたが、ブライトリングはクロノマチックの名をほぼすべてのモデルで使い続けた。そこでブライトリングごく初期のクロノグラフ識別にはいくぶん慎重な分析と、シリアルナンバーの活用が必要になる。次に、ブライトリングのクロノマチックモデルのカタログはホイヤーと比べ、セレクションの幅がはるかに広い。初期モデルのバリエーションが非常に多いためモデルを確認するのが難しい。

 クロノマチック発売後、ブライトリングはこうした自動巻きクロノグラフのラインナップ開発に力を注ぐようになった。ピッツァケースを採用したカラフルな新型モデルには1970年発売のクロノマチックGMT (Ref.2115)、1971年発売の200m防水を備えたダイブウォッチであるスーパーオーシャン (Ref. 2105)などがある(上の写真)。

 新しいケースにはパルト「ブルヘッド」 (Ref. 2117 上中央) や、一体型ブレスレットとほぼ丸型のケースを備えたトランスオーシャン(Ref. 2119 上左)もある。Cal.15が1972年に登場すると、ファンキーでアシンメトリーな文字盤 (上右) が発売された。もっともブライトリングは、ナビタイマーやクロノマットの新バージョンではよりコンサバな伝統的ラウンドケースに敬意を表していた。

 ブライトリングが1977年に発表した最後のクロノマチックがRef. 2130だ。一見したところ初期のRef. 2110モデルに似ているが、エレガントなライヤー型の(ねじれた)ラグとなっている。


ハミルトンのクロノマチック

ハミルトンは最初のクロノマチックの広告で、同社の遊星歯車機構を備えた超薄型自動巻きムーブメントが、自動巻きクロノグラフを可能にしたと書いている。

 ホイヤーとブライトリングのCal.11腕時計のバリエーションを分類するのは困難かもしれないが、ハミルトンクロノグラフのラインナップは比較的シンプルだ。1969年春の広告に基づくと、ハミルトンは自動巻きクロノグラフを2種類のケースを使い3モデルで発売していた。これらのモデルはホイヤーが、おそらくプロジェクト99の合弁契約の一環としてハミルトンのために生産したものだ。

フォンテーヌブロー(Fontainebleau)

 ホイヤーとブライトリングが落ち着いた伝統的ケースを用いたホイヤーカレラやブライトリング Ref. 2110 から、大胆な形やサイズのホイヤーモナコ、ブライトリング「ピッツァ」ケースまで幅広いモデルを提供していたように、ハミルトンは未来的なスタイルを好む顧客にフォンテーヌブローを提供した。ハミルトンは1966年、男性用と女性用にスタイリッシュなフォンテーヌブローシリーズを発表。この初代バージョン(1966年から) は言葉に表しがたいユニークな楕円形だ 。(ただしここでは以下で言葉にしてみる)第2のモデルは (1967年から) 防水の角型ケースで、ホイヤーモナコの前身モデルと見ることもできるだろう。

 ハミルトンはフォンテーヌブロー クロノグラフで、Cal.11を上記2モデルのうち最初のモデルに搭載した。

 ケース は文字盤横幅サイズが47mmあり、元々円形の上下の弧の部分が、水平に切り欠かれたような形をしている(ストラップがはまるように)。艶消しグレーの丸い文字盤が中央にあり、対比をきかせた黒の、ケースと同形状のサブダイヤルがあり、文字盤の下部に同じ形の日付窓が配置されている。おまけに、このとびきり幾何学的な形に加えて文字盤とケースの間を黒のフランジが取り囲みそこに10個アワーマーカーが付いている。ケース裏側をよく見るとさらに不思議が続く。モノコック構造で、バヨネット・フィッティングを90°回すとムーブメントにアクセスできるのだ。

クロノマチック

ハミルトンのクロノマチックはCal.11クロノグラフの中で最小となる、横幅36.5mmだ。

 ハミルトンはフォンテーヌブローで幾何学的トリックをすべて使い果していたに違いない。クロノマチックモデルはこれ以上ないほどシンプルなのだ。

 クロノマチックは伝統的なラウンドケースでラグは角型、サイズは比較的小さめ (36.5mm)でCal.11を搭載した腕時計としては最小だ。色の組み合わせは白文字盤に対比させた黒のサブダイヤル (および同色のインナーベゼル) のものと、青文字盤とサブダイヤルのものがある。両方ともタキメータースケールが刻まれたインナーベゼル (テンションリング) が付いている。

初期モデルの後

 ハミルトンはクロノマチックモデルを3種類だけ発売したが、その後すぐにラインナップを拡大した。パンユーロ703クロノグラフには、ホイヤーのオータヴィア式回転ベゼルがあり、24時間ベゼルとGMT針が追加されたGMTモデルも作られた。巨大なハミルトン クロノマチック カウントダウンは、GMTとワールドタイムコンプリケーションの両方を搭載し、ケース右側にリューズが3個 (2個はインナーベゼルの回転に使う)、ケース左側にはクロノグラフのためのプッシュボタン2個が付いている。

クロノスポートのパンフレット(1969年)は、モータースポーツ用腕時計業界の第一人者がホイヤーとブライトリングのモデルをどのように開発したかを語っている。


販売状況について 1969年

 まとめてみると、ホイヤー、ハミルトン、ブライトリングが1969年夏に発売した自動巻きクロノグラフは、腕時計好きに多大な選択肢をもたらした。「マイルド」な自動巻きクロノグラフを求める層はホイヤーカレラかハミルトンクロノマチックを選んだかもしれない。一方「ワイルド」志向の層は、色々な機能を載せたブライトリングの「ピッツァ」や、フォンテーヌブローという幾何学パズル、はたまたホイヤーモナコの大胆な形や色を楽しんだかもしれない。

 そして総合すると、3ブランドは全世界展開においてメリットを得た。こうしたモデルはあらゆる販売店や専門家(例えばレーサー、パイロット、エンジニアの要望に応えるカタログ会社)を通して売られたのだ。自動巻きクロノグラフを最初に売り出すというレースにどのメーカーが勝ったかという問題の答えは、世界の小売チャネルにおけるクロノグラフのセレクションの幅広さを基準にするなら、間違いなくプロジェクト99のチームの優勝だ。


収集価値について – 2019

 ホイヤー、ハミルトン、ブライトリングが1969年に自動巻きクロノグラフをさまざまなバリエーションで発売したことで、50年後にこうしたモデルの「第1期生」を求めるヴィンテージ腕時計ファンにも多くの選択肢が与えられている。4000ドル (約44万円) 以下のエントリーレベルのチョイスならホイヤーカレラ、ハミルトンのフォンテーヌブローまたはクロノマチック、あるいはブライトリングRef. 2110 / 2111 / 2112モデルがいいかもしれない。中級レベル(4000ドル〜 1万2000ドル/約44万円〜131万円) であればブライトリングRef. 7651 (コー・パイロットかヨッティング) または Ref. 1163、文字盤黒または白のオータヴィア(Automatic Chronograph表記のもの)。そしてCal.11の頂点を極めたいコレクター (1万2000ドル/約131万円以上) で時間をかけて探す覚悟があるなら、ホイヤーの文字盤にChronomaticの表記が入ったモデルや、ホイヤーまたはブライトリングの18KYGモデルを狙うのもいいだろう。

クロノスポートカタログ (1969年 / 1970年)に掲載されているホイヤーおよび、ブライトリングのラインナップ。


革命

 腕時計ファンは自動巻きクロノグラフ誕生という革命をこれまでも称えてきたし、今日でも最高級クロノグラフの多くは自動巻きムーブメントを採用している。しかしプロジェクト99チームは新しいムーブメントの技術的側面に取り組んでいたと同時に、ホイヤー、ハミルトン、ブライトリングの3ブランドは、新しい自動巻きクロノグラフのデザイン面でそれぞれに革命を起こしていた。

 クォーツ腕時計の登場を受けて、1970年代になるとこの3ブランド始めその他すべての機械式腕時計メーカーは多大な困難や障害に直面した。それでも1969年のクロノマチック誕生を通し、ホイヤー、ハミルトン、ブライトリングはスウィンギング60年代スタイルを最高の形で華々しく世に送り出した。

OnTheDash では クロノマチックの総合文献目録を紹介している。またInstagramのハッシュタグ #Chronomatic50 では素晴らしいクロノマチック時計が何百と見られるのでぜひチェックを。

ライターより: この記事のために画像や情報、ブライトリングとそのヴィンテージファンに関する着想も提供してくれた@WatchFred に感謝します。