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1966年、ロレックスのマーケティングキャンペーンを担っていた広告代理店の幹部たちは、同ブランドの広告戦略に変革が必要であると進言した。時代の空気にはシニシズム(社会に広がりつつあった冷めた空気)が忍び寄り、文化的価値観も変化していたため、それまで理想的なロレックスの着用者像として掲げていた国家元首や政治的権力者たちはもはや畏敬の対象ではなくなっていた。ロレックスには新たな英雄が求められていたのである。広告代理店ジェイ・ウォルター・トンプソン(J. Walter Thompson)社の幹部は、「現代の男性たちはもはや政治家に対してかつてのような敬意を抱いていない」と新たなビジョンを示すメモのなかで述べている。
「このキャンペーンは、すべての男性がロレックスのもたらす冒険と名声に自分自身を重ね合わせることができる、というアイデアにもとづいています。なぜなら彼らは心の奥で、いつか山を登りたい、あるいはビジネスを成功させたいと夢見ているものだからです」。この広告関係者たちの発想はその翌年から実際に展開され、そして今日に至るまで続くロレックスの新たなコミュニケーション戦略の礎となった。ロレックスの時計が持つ精度や防水性、そしてそれらを身に着けていた世界的指導者たちに焦点を当てるのではなく、スポーツ、冒険、ビジネス(のちには文化や芸術)といった分野で成功を収めた個人にスポットを当てる方向へとシフトすることでロレックスはスイスブランドの頂点に立ち、地位を確固たるものにしたのだ。こうした見解を示しているのが、書籍『The Making of a Status Symbol: A Business History of Rolex(ステータスシンボルはいかにして生まれたか。ロレックスのビジネス史)』の著者、ピエール=イヴ・ドンゼ(Pierre-Yves Donzé)氏である。
本書は2024年にフランス語で初版が刊行され、今回初めて英語版が登場した。ロレックスを世界有数の巨大かつ強大なブランドへと押し上げたこの120年間のビジネスの歩み、重要な出来事、そして企業としての意思決定を学術的視点から最も徹底的かつ網羅的に分析した書籍であると言って差し支えないだろう。
それは決して小さな偉業ではない。周知のとおりロレックスは、見方によっては賞賛にも批判にも値するが、公的なアーカイブを一切持たず、ジャーナリストや研究者に対してもごく限られた情報しか提供していないのだ。同社は、創業者ハンス・ウィルスドルフ(Hans Wilsdorf)の名を冠したジュネーブの財団によって運営されており、ここでは自社の輝かしい成功とそれをめぐる歴史的な物語を徹底的に統制・管理している。この一貫した企業メッセージは1960年代に磨き上げられたものであり、その姿は“卓越した人物によって、卓越した顧客のために、卓越した時計を生み出す存在”であるというドンゼ氏の言葉によって適確に表現されている。
1984年のロレックス広告には、実業家マーク・マコーマックが登場。
では、ロレックスはいかにしてスイス時計産業の象徴的存在となり、世界全体の売上のおよそ3分の1を占め、年間100万本以上の時計を製造するまでに成長したのだろうか。大阪大学でビジネス史を教えるピエール=イヴ・ドンゼ教授はスイス国内の市町村・州・連邦レベルの公的記録に加え、英国、米国、その他各国の政府・企業・学術機関のアーカイブを徹底的に調査し、史料にもとづいたロレックス初の包括的かつ学術的なビジネス史を編み上げたと語る。「たとえロレックスの社内アーカイブに足を踏み入れたことがなくとも、他所にロレックスに関する資料は存在しています。なぜならロレックスは数多くの機関、政府、業界団体、企業と常に連絡を取り合っているためどこかしらに必ず“ロレックス”の名前が残っているのです」とドンゼ氏はインタビューで述べている。
本書の調査は、創業者ハンス・ウィルスドルフの生涯と事業活動、そして1960年の彼の死後も続くロレックスの発展と成功の歴史にまで及ぶ。企業登記書類、ビジネス記録、特許、公的機関や労働組合の文書、書簡、さらには当時の新聞・雑誌広告などの資料をもとに、英国およびスイスにおけるウィルスドルフとロレックスの創業期に関する新たな洞察を提示している。
1985年のロレックス広告には、個人の成功と達成を体現する新たなタイプのテスティモニー(ロレックス独自の用語。アンバサダーという意)のひとりとして、アーノルド・パーマー(Arnold Palmer)が登場している。
本書は、ロレックスが1910年代後半にイギリスからスイスへ本拠を移した理由が英国における関税および課税政策に起因していたことを明確に示す。しかしそれは同時に、同社が重要なパートナーやサプライヤーにより近づくための戦略的判断でもあった。なかでも、ビエンヌに拠点を置くムーブメントメーカー、エグラー社(Aegler SA)との関係と投資は、ロレックスの成功にとってきわめて重要な転機となった。本書では、同社が2004年にロレックスによって買収されるまで独立した家族経営を貫いていたことも記録されている。
また本書には特許出願や企業買収記録をもとに、ウィルスドルフがいかにして防水性や自動巻きに関する革新技術を追い求め、“オイスター パーペチュアル”という時計ケースと自動巻きムーブメントの基礎を築いたかが詳述されている。これらがのちのロレックス製品を特徴づけるシンボルとなった一方、1960年から1990年のあいだには機械式時計に関連する新たな特許出願や技術革新がほとんど見られなかったことにも言及している。この時期ロレックスはすでにオイスターケースを備えたデイトジャスト、デイデイト、エクスプローラー、GMTマスター、デイトナといった代表モデルを確立しており、戦略の重心を転換していた。つまり製品技術そのものを進化させることよりも、これらの時計を身に着けた成功者たちの実例を用いることで、人々がブランドへ抱く憧れをいかに高めるかに注力するようになったのである。
この戦略が実を結んだのはスイス時計業界が1970年代から90年代にかけて深刻な危機に直面していた時期である。クォーツムーブメントの登場により、オメガ、ジャガー・ルクルト、ティソ、ゼニスといった名だたるブランドが打撃を受けるなか、ロレックスはCEOであるアンドレ・ハイニガー(André Heiniger)の指揮のもと、ジェイ・ウォルター・トンプソン社によるマーケティングとコミュニケーション戦略を武器に、世界ナンバーワンの地位へと登りつめた。
アンドレ・ハイニガーは、1964年から1992年までモントル・ロレックスSAのCEOを務めた。Source: Rolex/Christian Poite
ドンゼ氏は、COSCの記録、スイス時計の輸出データ、ロレックス幹部とサプライヤー、提携先、広告代理店との社内通信、特許出願、企業記録などの史料にもとづき、戦後のロレックスがアメリカを最も有望かつ重要な市場と認識していたことを明らかにしている。ブランドが展開した新たな広告キャンペーンは、成功し魅力的な人生を送る非凡な男性たちを登場させることで、急速に成長するアメリカ中産階級の憧れに強く訴えかけるものであった。
注目すべきは、第2次世界大戦後までロレックスはアメリカ市場においてほぼ存在していなかった点である。しかしこの状況は1964年から1992年までCEOを務めたハイニガーの指揮のもと、大きく変化する。ドンゼ氏によれば、ロレックスは1970年代だけでアメリカにおける売上を5倍にまで拡大したという。この変化を象徴する出来事として、ジュネーブを拠点とするロレックスは、1977年にニューヨーク・5番街のビルを1500万ドル(当時の相場で約36億円)で購入した。この当時の判断について経営陣は「アメリカ市場の拡大に対する自信の表れ」と説明している。
1979年、モントル・ロレックスSAと広告代理店JWT(ジェイ・ウォルター・トンプソン)グループとのワークセッションで撮影された写真。中央右に座るのは当時のロレックスCEOアンドレ・ハイニガー、左が当時のJWT会長兼CEOドン・ジョンストン(Don Johnston )、その右隣にロレックスUSAディレクターのルネ・デンタン(René Dentan)が座っている。Source: Duke University, Rubenstein Library, J. Walter Thompson Collection.
戦後期におけるロレックスの急激な拡大は、同時代の競合他社、なかでも長らくスイスブランドの頂点に君臨していたオメガとの明確な対比をなす。1964年から1988年にかけて、ジュネーブに本拠を置くモントレ・ロレックスSAの従業員数が95%も増加したのに対し、スイス時計産業全体ではこの期間中に雇用の3分の2が失われた。ドンゼ氏の著作によればロレックスはもはや製品の品質を競合と差別化することに注力するのではなく、顧客の質そのものでブランドの優位性を打ち出すという、競合他社とはまったく異なる方針を取っていたことが明らかにされている。
もちろん、当時のロレックスが自社製品の優れた点を完全に語らなくなったわけではない。しかし、かつて広告戦略の柱であった精度競争やその他競争からは撤退していた。その結果としてロレックスの時計そのものの卓越性を訴求するメッセージは大きく後退し、代わって社会的ステータスという概念をマーケティングの中核に据えることで、ロレックスを“個人の成功の象徴”として位置づける方向へとシフトしていった。この方針を示す例として、ドンゼ氏は1980年にロレックスの米国子会社の責任者であったルネ・ダンタンの発言を紹介している。彼はこう述べた。「ロレックスの新しいパートナーは、我々と並ぶ名声を持つ人物でなければならない」と。
2008年のロレックス広告にはロジャー・フェデラー(Roger Federer)氏が登場。Source: Europa Star archives.
ゴルファーのアーノルド・パーマーは、ロレックスの新たな広告キャンペーンにおける最初期のアンバサダーのひとりであり、やがてロレックス テスティモニーと呼ばれる存在となる。彼はしばしば、手首に時計を着けないまま広告に登場した。そのメッセージは、彼個人の成功という概念そのものであった。スキーヤーのジャン=クロード・キリー(Jean-Claude Killy)氏、テニス界の名選手ジョン・ニューカム(John Newcombe)氏 、女子ゴルファーのナンシー・ロペス(Nancy Lopez)氏、F1ドライバーのジャッキー・スチュワート(Jackie Stewart)氏、スペイン人オペラ歌手のプラシド・ドミンゴ(Placido Domingo)氏らがブランドの顔として早い段階から起用された。こうした関係の多くは、アメリカ人ビジネスマンでありスポーツエージェント、インターナショナル・マネジメント・グループ(IMG)創業者のマーク・H・マコーマック(Mark H. McCormack)氏によって築かれた。そして彼自身も、国際的に活躍する企業家としての非凡な成功を讃えるロレックスの広告に登場している。
1984年のロレックスのプロモーションには、マコーマックの多岐にわたる業績と興味関心が列挙されている。密度の高い広告文の最終段落でのみ、彼の時計について触れられている。「成功者として、マーク・マコーマックはロレックスと好相性である。絶え間なく動き続ける男にとって、その信頼性はまさにふさわしい」という。このような新たなマーケティングおよびコミュニケーション戦略のなかで、ドンゼ氏はロレックスがアメリカおよび日本市場で急速に売上を伸ばしていった様子を記録している。1987年当時の価格で3500ドル(約50万円)以上する高級時計市場の規模は、8億〜10億ドル(約1160億~1450億円)に達し、スイスの10ブランドがこの市場を席巻していた。そのうちロレックスが占めるシェアは実に半分に及んだ。
こうしたアメリカ主導の成長は、1960年から1990年という決定的な時期における全体売上にも明確に表れている。1960年当時、オメガの年間売上は約3000万スイスフラン(約25億円)とされ、ロレックスと姉妹ブランドのチューダーを合わせた売上は約3800万スイスフラン(約30億円)で両ブランドはほぼ同等の水準にあった。10年後、ドンゼ氏によればロレックスの売上は約1億スイスフラン(約80億円)に跳ね上がり、オメガは6500万スイスフラン(約50億円)と遅れをとった。さらに1980年にはロレックスが4億7000万スイスフラン(約635億円)、オメガが3億7000万スイスフラン(約500億円)とさらに差を広げた1980年代、特にレーガン政権下で消費主義が加速した時代にはロレックスが優位に立ち、1987年には年間売上がついに10億スイスフラン(約970億円)に達した。一方のオメガは同年5億3000万スイスフラン(約510億円)にとどまった。
※編注;文中の日本円はいずれも当時の相場で換算したものです。
スイスウォッチメイキングの中心地、ラ・ショー・ド=フォン出身のドンゼ氏は多作な著者として知られ、2014年の『A Business History Of The Swatch Group』や2022年の『The Business of Time: A Global History of the Watch Industry』など時計産業をテーマにした著書を数多く執筆してきた。今回の『The Making of a Status Symboll(ステータスシンボルはいかにして生まれたか)』においては彼の学術的研究力を業界最大手にして絶対的存在であるロレックスに注ぎ、その世界的支配への着実な歩みを記録している。
物語としての高揚感や、ウィルスドルフやハイニガーをはじめとする主要人物の人間的・心理的側面の描写には欠ける部分があるものの、本書は時計業界において最も重要存在であるロレックスの歩みをアーカイブ資料をもとに体系的にまとめた重要文献である。クラウンに関する蔵書をそろえるならば必携の1冊である。
『The Making of a Status Symbol, A Business History of Rolex(ステータスシンボルはいかにして生まれたか。ロレックスのビジネス史)』の詳細については、マンチェスター大学出版局のウェブサイトをご覧ください。
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