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WATCH OF THE WEEK レベルソによって変えられた私の新たな時計観

ジャガー・ルクルトのレベルソ・トリビュート 1931 USエディションは、私が初めて手にしたハイエンドモダンウォッチであり、初めて刻印を施した時計でもある。そして、それが今日の私のコレクターとしての基礎となったのだ。

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Watch of the Weekという企画では、HODINKEEのスタッフや友人を招き、好きな時計とその理由について説明してもらう。連載のスタートは、HODINKEEの創業者に飾ってもらおう。

10年前のちょうど今頃、私は初めて本格的なモダンウォッチを購入した。ジャガー・ルクルトのレベルソ・トリビュート 1931 USエディション(2011年版)だ。とても長い名前を付けられたシンプルな時計だが、私にとっては画期的だった。成人してから手にする、文字通り初となる現代的な時計というわけではなかったけれども。 - 本当の初はプゾーの手巻きキャリバーを搭載したモーリス・ラクロアのマスターピース(当時、トゥルノーの24ヵ月無利子のプランで購入できた)か、650ドルもしなかったオリスのフォーミュラ1(これもトゥルノーで購入)だったと思う。

 どちらもHODINKEE以前の時代に購入した素晴らしい時計で、今でも持っていたらと思っているが、残念ながら私がまともな会社に雇用されていなかった期間に売却してしまった。当時、HODINKEEは、ガールフレンドがアップタウンの学校に行っている朝9時から夕方4時までのあいだに自分を楽しませるために書いたブログに過ぎなかった。ノリータの狭いアパート(興味があるなら場所は29 Spring Street, Apartment 4)に住みながら、事実上の失業状態で、酒やタバコなど20代前半の若者がすることに明け暮れていた。

筆者所有のジャガー・ルクルト レベルソ・トリビュート 1931 USエディション(2011年)。

 私の人生のなかで本当に素晴らしく、かなりロマンチックな時期が終わった直後 、 時計も彼女も去ってしまった。私は町の反対側に引っ越し、新たな方法でHODINKEEに夢中になり始めた。時計への憧れは執着となり、興味はまっすぐにヴィンテージウォッチへと向けられた。

 ここでアンティコルムで購入したオメガのランチェロが登場する。(ヒント:バイヤーズプレミアムと呼ばれるものと、あなたが支払うと思っている価格を最終的に約35%高くするニューヨーク州の売上税と呼ばれるものがある -このオメガでこのことを非常に苦労して学んだ)。それからの数年間、私は2つの生活を掛け持ちした。その一つは比較的ノーマルなジャーナリズム専攻の卒業生らしいこと、例えばブライトンビーチにある2つのシナゴーグが、当時のブルックリン区長マーティ・マーコウィッツを相手取り、通りの向こう側にあるアッシャー・レヴィ公園にコンサートシェルを設置する計画に対し訴訟を起こしたことなど実際の事件を書き、もう一つの生活では、今思えば不健康なほど時計に没頭していた。当時のことをもっと知りたい方は、HODINKEE Radioのエピソード1を聞いて欲しい。

 時計に関しては、買える数だけ買っていた。自分の持っているお金をすべて使ってボロボロの古い時計を買っていた。本当に学ぶには、買って所有するしかないと思っていたからだ。一時期、ジャガー・ルクルトのヴィンテージウォッチに夢中になったことがあった。そして、5512(これは今でも持っているロレックス)の次に購入した大物ヴィンテージウォッチはポラリスだった。大きくて、黒くて、アラームが付いていて、とにかくカッコいい時計だ。WannaBuyAWatchのKenから9000ドル(約99万円)で購入したのだが、今でも持っていたらと悔やんでいる。

Ben Clymer's JLC Polaris

私の初代ルクルト  ポラリス。背景のビタミンウォーターを見ると、この写真を撮ったときはきっと二日酔いだったんだろうと思う。

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 そういえば、JLC(=ジャガー・ルクルト)のマークXIもよかった。それと、とても素晴らしい黒文字盤のメモボックスも。同じ頃、ジャガー・ルクルトの米国市場担当社長だったフィリップ・ボネイという人物と親しくなっていた(彼は現在、米国でパネライを率いているが、私が知る限り、時計業界で最もクリエイティブで思慮深い人物の一人だ)。それは2010年頃のことで、ちょうどレベルソ初代モデルのアニバーサリーが近づいていた。彼は市場のために、1931年のレベルソ初代モデルを再現した特別な時計を作りたいと考えていた。

 まずJLCは、1931年に発売されたモデルに敬意を表して、文字盤に「レベルソ」とだけ書かれた特別なモデルを製作することを計画した。それだけでも十分にクールだが、フィリップによるUS版はさらに一歩進んで、滅多に見られないがオリジナルに忠実な注射型針を採用している。さらに興味深いことに、この時計のストラップは単なるJLCブランドのストラップではなく、世界最高のポロブーツを数世代にわたって製造するカーサ・ファリアーノ社のハンドメイドのものを採用している。非常に初期の動画で彼らの仕事ぶりを見ることができる。これは色々な意味で意義深い。私のクラスメートであり、後にTalking Watchesの生みの親となり、今ではHODINKEEの全チームにあらゆる情報を提供してくれている最も古い同僚、ウィル・ホロウェイと初めて共同で手掛けた仕事なのだ。さて、話は時計に戻る。

 すべてのパッケージは、とても思慮に富んでいた。私はこの時計の製作にはまったく関与していないが、ブランドの上級担当者が私の意見を気にかけてくれたのは初めてのことだった。フィリップは、JLC-Timezoneフォーラムのモデレーターであるハワード・パー氏と私に、早い段階でこの時計についてどう思うか尋ね、実際に耳を傾けてくれたのだ。

これが限定品であることを知る唯一の方法はストラップだが、そのストラップが何と素晴らしいものだったか。

 今では考えられないかもしれないが、2010年当時、我々デジタル関係者は本当のアウトサイダーだった。ラグジュアリー業界では "ブログ "は禁句であり、そのことは公然の事実だった。ブランドの広報担当者から、上司との打ち合わせの際に「実はメジャーな雑誌に書いています」と嘘をつくように頼まれたり(実際には書いてなかった)、その道のベテラン雑誌編集者から「デジタルは流行りものだ」「君がやっていることを見て時計を買う人はいない」「インターネットは貧乏人のためのものだ」などと言われたりしたのも同じ頃だ(すべて2009年から2011年にかけて面と向かって言われたこと)。

 歓迎され、話を聞いてもらい、自分にとって別世界だったものの一部であることを突然感じるのは、本当に気分がよかった。そして、ボネイ氏がハワードと私にその時計についての感想を求めたとき、この業界が初めて私に心を開いてくれたように感じた。

 そして私はたまたまこの時計を気に入っていた。発売されたとき、私はフィリップに彼の特別なUSエディションの1931レベルソを購入できる100人の幸運な人の一人になりたいと伝えた。この時計に関する私のオリジナル記事は、ここで読むことができる。10年経った今でも(奇妙なことに)まだオンライン中だ。当時、私は純粋にヴィンテージに興味があり、現行の時計にそれだけのお金を費やすのはばかげていると思っていたので、8000ドル(約88万円)の出費を正当化することはできなかった。そこでその時計に対する考えを改めた。「この時計を買うが、修士課程のプロジェクトを終えなければ身につけられない」と決めた。買ったはいいが、合格点を取るまでは保管しておくことにしたのだ。

 こうして私のレベルソは、人生の特別な瞬間のために購入した最初の時計となった。当時の私は、この時計を修士課程修了の証としてとらえていたが、実際には別の意味もあった。このとき初めて時計業界に自分の未来があると感じたのだ。

10年経った今でも、とても綺麗だ。

レベルソの、誰も考えつかないケースバック。

 私は時計を購入して、とても気に入った。そしてまた、私はこの時計に対する考え方を、資産(多くの若いコレクターが時計に対して考えている方法)より、はるかに意味のあるものにするよう自分に言い聞かせた。それは人生のある瞬間の記念碑であり、バランスシート上には存在しない、私の一部を成すものだ。これは決して売るものではない。だから、私のイニシャルを刻印することにした。やはりレベルソなのだ。

この時計は、私が初めて刻印を入れた時計だ。今では私が持っているすべての時計に何らかの刻印が入っている。

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 リバーシブルのケースバックに私のイニシャルが刻まれて時計が戻ってきたときのこと。ああ。とても素晴らしい気持ちだった。極度の感傷主義者で収集癖があり、紛れもなく古風な自分にとって、これまで所有してきた優れたヴィンテージウォッチのどれにもないような衝撃だった。この時計は私のものであり、これからもそうであり続けるだろう。それからの10年間、何十本ものヴィンテージウォッチを得ては、そのほとんどを手放した。同じ期間にいくつかの現行の時計も手に入れたが、その大部分は残った。それは、仕事上、あるいは個人的に、人生で忘れたくない瞬間を祝うために購入されたものだからだ。そして、すべての時計には工場から直接、あるいは友人によってあとから刻印が入った。それが現在、私がやっていることでもある。

Jack Forster's Day-Date with hand-engraving, a gift from the author.

ジャック・フォースターのロレックス デイデイトには手書きの刻印が施されている。著者からのプレゼントだ。

 私の親愛なる友人であり、同僚であり、我々の精神的支柱でもあるジャック・フォースターがHODINKEEで1000本めの記事を掲載したとき、時計でそれを祝うのは当然のことだった。実は、この時計は彼に贈る2年前に購入したもので(私には時計を見ると親しい人のことが頭に浮かぶという不思議な癖があるが、今回もそうだった)、そのときから彼に贈るまでのあいだに、時計を完全に修理したのに加えて、刻印を入れてもらった。写真に写っている通りだ。

 あのときのレベルソ・トリビュート 1931の経験がなければ、私はそのようなことを考えもしなかっただろう。あの時計がなければ、現代の時計がヴィンテージにはない意味を持つことを理解できなかっただろうし、HODINKEEと共にこの特殊で不慣れな業界に進出しようという野心もなかったかもしれない。私が持っている時計のなかで最もセクシーなものではないかもしれないが、このレベルソは私にとって非常に意味のあるものであり、所有していることにとても感謝している。また、年齢を重ねるにつれ、こういった時計が、この仕事に何度も惚れ直させてくれるのだと感じている。