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Inside The Manufacture ロレックス 全4工場の舞台裏に足を踏み入れる

ロレックスのスイス工場を初めて訪れ、目にしたものとは?

詳細にわたる本稿の冒頭で、私はごく当たり前のことを認めることから始めようと思う。私はロレックスが大好きだ。他のどのメーカーの、どの時計よりも多くのロレックスを所有しており、時計製造におけるロレックスの貢献は計り知れないものがあると信じてきた。しかし、私はもう1つ認めたいことがある。私が所有している数少ないロレックスの時計の中で、最も新しいのは1976年製のもので、何と私よりも年上なのだ。

※本稿は2015年3月にHODINKEE US版で公開された記事の翻訳です。

 今日のロレックスと昔日のロレックスの間には明確な違いがあり、私は後者の方が好きだと言っても、誰も驚くまい。しかし、それは私が現在のロレックスに敬意を払っていないことを意味するものではないし、それは私が新しい王冠を掲げた時計を見て、家族や友人、読者に勧めるのを妨げるものではない。 私のたった1人の妹が甥っ子を出産したとき、私は新品のロレックスを購入し、裏蓋に彼のイニシャルを刻印した。彼が18歳になった日(18歳のときの態度次第では25歳)に、彼の母親が何年も着用した後、それを手に入れることになるだろう。私が保証しよう。完璧に時を刻み、さらにこなれていくことを。そして、それは紛れもなく私自身の経験からロレックスについての最も素晴らしいと感じる点だ。信じられないほど正確で、驚くほどクールな、そして最高の耐久性を誇る時計なのだ。

ロレックスを代表する時計の1つであるデイトナ“ポール・ニューマン”。

 今回のHODINKEEの特集“Inside The Manufacture”では、世界で最も重要な時計メーカーに対する私の見方を一変させた4日間の体験をご紹介したいと思う。私は何を見るべきかについて多くのアイデアを用意していた。いくつかは考えていたとおりであったが、他のものは真実とはかけ離れていたかもしれない。以下では、ほとんどの人が経験したことのない、あるいは今後もないと思われる、ロレックスの内部を目撃することが出来るだろう。


ロレックス小史

ロレックスの創業者 ハンス・ウィルスドルフ

 ロレックスは、2つの全く別個の、しかし全く同等の強みをもつ数少ない時計メーカーの1つである。それは、時計製造技術に真に寄与するようなイノベーションをいくつも起こした歴史、そして世界規模の生産能力である。ある意味で、それらは相伴って、その強みを互いに高めてきた。ロレックスがなぜ、そしてどのようにして今日のロレックスになったのか業界人なら知っていることだが、より多くの読者に知ってもらうためにも、基本的なことを少し説明しておくべきだろう。

 ハンス・ウィルスドルフは1881年にバイエルンで生まれたが、イギリスの文化に魅せられ、1905年にイギリスで腕時計の販売を専門とするウィルスドルフ&デイビス社を設立した(当時はポケットウォッチが圧倒的に主流だった時代だ)。彼の会社のサプライヤーの1つであるスイス・ビエンヌのエグラー社は、腕時計に必要な小型で精密なムーブメント(当時はまだ一般的ではなかったが)の製造を専門としており、これが将来のモントレ・ロレックス社へと変貌を遂げることになる。しかし、当時のエグラー社は、グリュエン社をはじめとする多くの企業にムーブメントを供給する企業に過ぎなかった。

一貫した精度第一主義

腕時計に発行された最初の精度証明書 - 1910年頃。

キュー天文台が初めて腕時計に与えた“クラスA”認定証 - 1914年頃。

 ウィルスドルフはこだわりが強く、彼の目が最初に狙いを付けたのはクロノメーターの性能で、それは腕時計を念頭に置いたものだった。この時点まで、世界で最も正確な時計といえば懐中時計で、腕時計に注目する人はほとんどいなかった。ウィルスドルフが、1910年にスイスのビエンヌにあるスイスクロノメーター歩度公認検定局(COSCの前身)にエグラー社製ムーブメントを搭載した腕時計を提出したときに、歴史は変わった。その腕時計は全てのテストに合格し、この精度証明書を授与された最初の腕時計となったのだ。

 上の証明書コピーを見ると、ウィルスドルフ&デイビスの時計に収められていたが、製造名がウィルスドルフではなくエグラー社であることに気付くだろう。それから、1914年、ウィルスドルフはイギリスのキュー天文台に別の腕時計を提出した。同天文台は、スイスやフランスと比較しても、世界で最も厳しい精度テストを実施していた。例えば、ほとんどのテストが15日間で行われるのに対し、キュー天文台では44日間、姿勢差と温度変化を項目に時計をテストしていた。

 キュー天文台は、イギリス海軍のために船舶に送り出される前のマリンクロノメーターをテストする役割を担っていた。当時、GPSやデジタル技術などは存在せず、マリンクロノメーターは航海に欠かせないものであったことを覚えておこう。ロレックスの時計(ウィルスドルフが1908年にロレックスという名前を採用したのは、短くて、どの言語でも同じように発音でき、記憶に定着しやすく、時計のダイヤルとムーブメントの両方にエレガントに刻印することが可能であったからである)は、テストを行った際に非常に優れた性能を発揮し、同天文台から“A”の証明書を授与された。ロレックスは、優れた精度を実現した世界初の腕時計であり、それまでは本物のマリンクロノメーターだけがこのマークに相応しいと考えられていた。

“キューA”を収集する

"キューA" ロレックス天文台クロノメーター

 上で見たキューA証明書について、ちょっとした余談がある。ウィルスドルフが1914年にある時計をキュー天文台に提出したことが分かっているが、それは天文台クロノメーターの等級を受けた。このことが何を意味しているのか? それは、この時計が伝統的な機械式時計とは全く異なる次元にあることを意味している。その精密さと精度は賞賛に値するものだ。パテック フィリップの元テクニカルディレクターであるマックス・スチューダー氏は、次のように語っている。

時計にとって天文台クロノメーターは、F1のエンジンを積んだ乗用車のようなものなのです。

– マックス・スチューダー氏 パテック フィリップ元テクニカルディレクター

 天文台クロノメーターは、時計製造業においても、そしてコレクターにとっても特別な存在だ。プラチナ製のパテック フィリップのRef.570(典型的なヴィンテージカラトラバで、プラチナケースは非常に珍しい)が、最近、約10万ドル(約1100万円)で販売されているという事実を考えてみると良い(2014年11月クリスティーズでパテック フィリップRef.175が9.6万ドル(約1020万円)で落札されたのも好例だ)。一方で、例えばJ.B.チャンピオンのプラチナ製天文台クロノメーターの腕時計は数百万ドルで販売されたし、今後再販されても同じ値が付くだろう。天文台クロノメーターの腕時計は信じられないほど正確であるだけでなく、非常に希少価値が高いことも分かる。

 さて、ロレックスに話を戻そう。ロレックスがキュー天文台に送った腕時計のムーブメントは1914年製の1本だけではなかった。実際にはロレックスから送り込まれた145個のキャリバーの内、同天文台の認定を取得したのは136個であった。この情報は、ジェームズ・ダウリング著『ロレックスの歴史』に掲載された調査から得た。ポール・ブートロス氏(キューAロレックスに関しては当代の碩学と私が信じる人物である)によると、そのムーブメントが納められたのは1952年に製造されたフルサイズ(34mm)ゴールド製ケースの24本だけである。そう、たった24本だ。つまり、これらのキューA認定された腕時計は天文台認定のムーブメントを搭載しているだけでなく、ロレックスの中でも最も希少な時計なのだ。ポール自身もその1本を所有しており、彼のコレクションの中でも最も素晴らしく特別な時計のひとつだと考えている。

 これらの時計(Ref.6063)のムーブメントに、"KEW A TESTED "と刻印されていることが確認できるだろう。ゴールドのフルサイズが24本もあるのに売りに出される事はない。2009年のオークションで、5万ドル(約550万円)で落札されたのが最後だ。ジェームズ・ダウリング氏は彼のWebサイトでゴールドの“キューA”を販売しているが、ダイヤルはリダンされている(既に販売済)。もし、この時計に興味があるのであれば、オリジナルのダイヤルを保つ個体を探してみるのもいいだろう。

 また、忘れてはいけないのは、112本のスティール製オイスターウォッチ(ボーイズサイズ-28mm)に“キューA”認証ムーブメントが搭載されていることだ。これらの時計は、ありふれたスピードキングのように見えるが、6時位置に "キューA "証明書を謳うダイヤルをもつ。この時計は非常に小さく、見た目もそれらしくないので、非常に手頃な価格で販売されている。目を光らせつつ、そして小さいサイズでも問題ないのなら、あまりお金をかけずに特別な逸品を手に入れることができるかもしれない。Bonhams Londonでその内の1本が、2013年11月に3000ポンド(約42万円)以下で販売された。

 “キューA”についての最後に触れると、大半のロレックスとは異なり、これらの時計を作っているのは、ダイヤルの見栄えではなく、ムーブメント、特にギヨームテンプ(非常に精密な補正機能付きテンプの特別仕様)を搭載した脱進機だ。スティール製であれゴールド製であれ、耐震機構のない時計は、時間の経過と共に故障し、脱進機が交換されていることが多いのだ。天文台級の特別な脱進機とギョームテンプがなければ、“キューA”の魅力は失われてしまう。それは、1960年代後半のRef.1680 サブマリーナーを交換用の新しいダイヤルで購入するようなものだ。この問題に関して、ポール・ブートロス氏が2006年に投稿した詳細情報なしにこれら時計を購入することを私はお勧めしないし、購入には細心の注意が必要だ。

防水性、これぞ求められていた性能

1926年に発表された初代ロレックス オイスターの個体。

 1920年までに、ウィルスドルフがロレックスをジュネーブに移転したのは、全てのサプライヤーとの距離を縮めるためだけではなく、ジュネーブが時計ユーザーにとって聖地であることを認識していたからでもある。モントレ・ロレックス社が正式に設立されたのはこの時であり、今日のロレックスの原型が出来上がった。ウィルスドルフは、手首にフィットする小型の高精度ムーブメントの製造に成功しただけでなく、防水性を高めることでスポーツウォッチとしての機能を持たせることにも力を入れていたのである。それは、なぜか? 懐中時計は確かにスポーツに使用されていたが、それは常に観客席で使用されていたからだ。腕時計は観客だけでなく、競技者も使用することもできるし、使用されるべきだとウィルスドルフは考えたのだ。

 これを実現するために、ウィルスドルフは "オイスター "ケースを開発。1926年に発表すると、大きな反響を呼んだ。腕時計に革命をもたらしたオイスターは、ネジ込み式のケースバック、ベゼル、リューズを採用し、これまでにないほどの高い防水性を備えていた。あまり知られていないが、ロレックスのトレードマークとなっているフルーテッドベゼルの形状は、当初は目的があって作成されたということ。その刻み目模様は、ベゼルがオイスターケースにしっかりとネジ込まれるのにひと役かっていた。オイスターロイヤルのベゼルはミドルケースにネジ込まれていないが、ロレックスの最も象徴的なデザインのいくつかには、今でもフルーテッドベゼルが採用されている。

メルセデス・グライツのドーバー海峡横断泳(惜しい、あと少し)

画像提供: Jakes Rolex World

 ロレックスの製造能力とデザイン力は、この会社が同業他社から尊敬されている理由である(そして現在も同じである)が、スイス国内だけでなく、世界中の人々とってロレックスが高級腕時計の原型となるまでに高めたのは、ウィルスドルフのストーリーテラーとしての才能だった。

 1927年、ウィルスドルフは英仏海峡を泳ぐことに成功したメルセデス・グライツというイギリス人女性の話を聞いた。ウィルスドルフは、彼女の首にロレックスのオイスター時計を着用してもう一度泳ぐようグライツに依頼した。グライツはこの偉業に成功する前に7回挑戦しており、その後、別の女性が注目を集めようとしたために、再び泳ぐように頼まれたことは注目すべきだ。グライツがロレックスのオイスターを手首ではなく首に着けていたのはこのときだったのだ。

 実のところ、彼女は成功しなかった。凍てつく水の中での10時間後、彼女は挑戦を諦め、手足の痺れのために、トレーナーのボートに救助されることを余儀なくされた。それをものともせず、ウィルスドルフはロンドンのデイリーメールに広告を掲載し、この最新の挑戦ではなく、グライツが以前に成功した瞬間(もちろん、彼女はロレックスを着けていなかった)を引用した。それでも、彼女のオイスターはドーバー海峡の冷たい水の中で10時間まで耐えたわけなので、決して小さな偉業ではなかったのは事実である(詳細はこちらをご覧いただこう)。

 グライツがいわゆる“実証実験”に失敗したにも関わらず、ウィルスドルフの広告は彼女の存在を有名にした。彼女は何年にもわたってロレックスの広告に起用され、多くの人の目には、ロレックスのブランドアンバサダーとして、また現代から見ても最も早く、最も成功したブランドアンバサダーの1人として映ったのである。これはまさに、ロレックスの歴史だけでなく、時計製造、さらには製品全体の中で最も重要なパートナーシップの一例だ。我々は、グライツから得た成功例を採用して海だけでなく、陸と空を征さんとするウィルスドルフの手腕を見たのだった。

次なるステップ、自動巻き機構

 地球上で最も汎用性が高く、売れる時計を作ろうとしたウィルスドルフの基本計画の第3の信条は、自動巻きの腕時計を作ることであった。自動巻き時計を作ったのはロレックスが初めてではなかったが、防水ケースについても同様だった。アップルが製品開発において世界初の快挙となることがほとんど無いのと同様、ロレックスも、既存の技術を観察し、研究し、ブラッシュアップして製品化するのだ。例えば、ハーウッドをご存じだろうか? おそらく知らないだろう。ジョン・ハーウッドはロレックスよりも数年前(ロレックスが1931年なのに対し、ハーウッドは1924年)に自動巻き時計の特許を取得していたが、ハーウッドブランドはロレックスの成功とはほど遠かった。ハーウッドのコンセプトとオイスターパーペチュアルとの違いは、ハーウッドのコンセプトが“ハンマー”式の巻き上げ機構を採用しているのに対し、ロレックスのシステムは全回転するウエイトローターを採用している点にある。言うまでもなく、ロレックスの発明は業界のスタンダードとなり、ロレックスがロレックスたる所以となった理由だ。

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 1945年には、ダイヤル上ではなく窓枠の中にデイトを表示した最初の腕時計「デイトジャスト」、1956年には、ダイヤル上に日付と曜日の両方を表示した最初の腕時計「デイデイト」を発表し、20世紀半ばまでロレックスは革新を続けた。これらは、今では地上で最も模倣された腕時計の2つとなっている。


プロフェッショナル シリーズ

 この時点まで、ロレックスはさほど取扱いに注意しなくとも毎日着用することができる時計を製造していた。しかし、ブランドそのものだけでなく、時計全般を再定義したのが1953年のサブマリーナー、いわゆる“プロフェッショナル”シリーズの登場である。このシリーズには、サブマリーナーはもちろん、GMTマスター、コスモグラフ デイトナ、エクスプローラー、ミルガウスなど、何百万人もの人々が毎日の装いの一部として浸透している時計が含まれる。

1953年- サブマリーナー

 サブマリーナーを適切に形容するのは難しい。時計のコレクションとしても、サブマリーナーに始まり、サブマリーナーに終わることもあり得るほどだ。毎日着けていても、特段のケアも必要ないし、または金庫に入れて、価値が上がるのを待つのもいい。サブマリーナーは、私が思うところ、多くの人のための真髄を突いた時計なのだ。私は仲間のエリック・ウィンドと交わしてきた数え切れないほどの議論の中で、ある際立った発言をここに紹介しよう。

“時計”という言葉から脊髄反射的にサブマリーナーが目に浮かぶね。 

– エリック・ウィンド HODINKEE 寄稿者

 サブ(サブマリーナー)は、ブランパンのフィフティ ファソムズ(よく知られていることだが、実際には1954年のバーゼルワールドでお披露目されたサブマリーナーより前にリリースされた)やオメガのシーマスターのように、自ら誇るべき輝かしい歴史をもつ他のダイバーズウォッチよりも絶対的なカリスマ性を備えている。サブマリーナーの系譜は、100m防水のRef.6204から始まった。後に8mmのリューズに置き換えられることとなる、小さなリューズを特徴とするこのモデルはコレクター垂涎の的である。

 現代のサブマリーナーは、過去半世紀以上にわたってリューズガードを装備し、地球上で最も堅牢な万能時計の1つであり続けている。サブマリーナーについての詳細はこちら

1953年- エクスプローラー

 写真の時計は、私たちの多くが想像するエクスプローラーには見えないし、ダイヤルに“EXPLORER”の表記があるようにも見えないが、このモデルはプロフェッショナルラインの始祖でもある。エドモンド・ヒラリー卿がエベレストに初登頂した際にエクスプローラーを持参したという話があるが、それは半分だけ事実である。ヒラリー卿は確かにロレックスを身に着けていたが、ベイヤー博物館に展示されていたのは実はこの時計だった。これは厳密にはエクスプローラーではないが、エクスプローラーとは何か定義するのに役立つ存在だ。

 過去から現在に至るまで、ロレックスのエクスプローラーでは、12時位置に大きな逆三角形を配したブラックダイヤルが特徴だ。ダイヤルは3、6、9のアラビア数字を除き、バーで表記されている。下の写真はトロピカルダイヤルの珍しいRef.6610であるが、多くのコレクターはエクスプローラーの原型は直後に登場したRef.1016であると考えがちであるが、その実逆なのである。

 現代のエクスプローラーは39mmとやや大きめだが、オリジナルと同じ特徴を数多く残している。エクスプローラーは、私が思うに、ロレックスのツールウォッチコレクションの中では虐げられているが、その小さなサイズは、素敵なストラップでドレスアップすることができるので、実は最も汎用性の高いモデルだ。個人的な話をすると、エクスプローラーのRef.14270は、私の初めてのロレックスだった。

1955年- GMT-マスター

 ロレックスのツールウォッチの中で最も簡単にお伝えできるのが、GMTマスターの話である。なぜならGMTマスターは、上に述べた時計と同じように、新たなカテゴリを創り出し、今日まで生き続けているからである。GMTマスターは、第2のタイムゾーンを示すために、24時間ベゼルと一緒に24時間針を使用した最初の時計だった。
 大陸横断する航空会社のパイロットのために開発された、GMTマスターとパンナム航空との関係はよく知られている。初期のジェットセッター・ウォッチと考えられていたGMTマスターのイメージは、おそらく最も古いモデル(上のRef.6542)ではなく、リューズガードとアルミ製ベゼルの両方を備えたRef.1675であると考えられる。現在では、GMTマスターから連想されるペプシベゼルはホワイトゴールドモデルのみ(訳注:2015年当時。2018年にスティール製のペプシベゼルモデルが登場している)で、SSモデルではブラックとブルーのベゼルが採用されている。

1956年- ミルガウス

 ロレックスのスポーツウォッチの中で最も見落とされているのがミルガウスである。CERN(欧州原子核研究センター;現在の大型ハドロン衝突型加速器の本拠地)や他の場所で科学者や技術者が着用するために作成されたミルガウスは、耐磁性能をメイン機能としてもつ最初の時計の1つであった。商業的成功とはほど遠く、2000年代半ばに華々しく復活するまでは何年も宝飾店のディスプレイケースで眠っていた。

1963年- コスモグラフ デイトナ(ル・マン生まれ)

 初期のロレックス デイトナ Ref.6239は1963年に発売されたが、私は既に初期のデイトナについて、かなり網羅的な(そして疲労困憊するほどの)考察を書いているので、このことに膨大な時間を費やすことは止めておく。おそらくデイトナの最も有名で、人気の高いバージョンは“ポール・ニューマン”であり、これもまたReference Pointsで取り上げている。ロレックス デイトナは現在、優れた自社製、自動巻き、コラムホイール付きクロノグラフムーブメントを搭載しているが、詳細については後述する。

1967年- シードゥエラー

 シードゥエラーは、本格的なダイバーの心を掴む特別な存在といえる。1967年にプロダイバーの監修のもとに発表されたこのモデルを必要としている人は少ないが、多くの人が憧れる時計である。ロレックスがダイバーズウォッチの技術を徹底的に突き詰めるがゆえに、それは本当のアイコンになったのだ。シードゥエラーは今でも製造中であり、1220mの驚異的な深海の水圧に耐え得るモデルがある。

1971年- エクスプローラーⅡ

 エクスプローラーIIは、エクスプローラーIのピュアなエレガンスを踏襲した、まさに時代を感じさせるモデルだ。このモデルは、固定式の24時間ベゼルと明るいオレンジ色の24時間針を備えていたが、針もベゼルも操作出来なかったので、それは単に24時間表示を着用者に知らせるだけだった。伝えられるところによると、昼と夜の区別が難しい洞窟の中で働く洞窟学者のために、設計されたといわれる。ミルガウスと同様、当初は商業的に成功しなかったが、1990年代にはコレクターの間で熱狂的な人気を集め始めた。エクスプローラーIIは現在も製造されており、2011年にはオレンジ色の針が復活した。


ポスト・ウィルスドルフ時代

 1960年にハンス・ウィルスドルフがこの世を去ると、ロレックスの所有権は1945年に設立した非営利団体、ハンス・ウィルスドルフ財団に託された。財団は現在も存続しており、そのメンバーはこの数十億ドル規模の会社の100%の所有権を保持している。彼らは喧伝することなく、ヨーロッパ最大の慈善団体の1つとなっている。

 ウィルスドルフの死後、アンドレ・ハイニガーがロレックスの舵を取り、1992年には息子のパトリックが就任した。ハイニガーの指導のもと、ロレックスは今日のような垂直統合型の生産方式を確立した。27あった工場は4つに集約。
 ロレックスは、伝説のブレスレットメーカーであるゲイ・フレアー社を含む、ありとあらゆるサプライヤーを買収し始めた。ロレックス・ビエンヌとロレックス・ジュネーブの間の完全に非公式な取り決めは、ウィルスドルフ財団がボレル家からロレックス・ビエンヌの所有権を取得したときに正式なものとなったのだが、こちらは想像以上に最近起こったことである:ロレックス・ジュネーブがロレックス・ビエンヌを買収したのは2004年のことで、取得価額は10億スイスフラン以上であった。

完全に独立した事業体が所有しているにも関わらず、ロレックス・ビエンヌとロレックス・ジュネーブは70年以上にわたり、信頼関係だけで組織的に協働していたのだ。

 ジャック・ホイヤーの伝記の中で、ホイヤー(現タグ・ホイヤー)の長老であり現代のリーダーである同氏が、彼の会社が苦境に見舞われ、ロレックス・ビエンヌのオーナーであるボレル氏がホイヤーの買収を模索したときのことを語っている件が興味深い。
 ホイヤーの電子機器事業を利用した、未来のロレックスを認めなかったのはハイニガー氏だった。ホイヤーはさらに、ロレックス・ビエンヌが1960年代後半に株式を公開した際に、実際にホイヤーの会社の50%近くを買収したことを明らかにしている。もしこの買収が当時ハイニガー氏によって承認されていたらと想像してみて欲しい。ロレックスとホイヤーは力を合わせていたかもしれないし、もしそうならば今日の業界の勢力図は大きく違っていたはずだ!

 ロレックスの生産工程全体を管理するというパトリック・ハイニガーの信条により、今日の同社は4つの主要施設を残しているが、私が招待されたのは、この4か所の最先端の施設であった。


現在のロレックスの舞台裏

 ロレックス・ジュネーブの4つの施設を訪問するために招待を受けた際に、私は他の想像できる工場の全て、つまり既製品のムーブメントを梱包し、既製品のケースやダイヤルにはめ込んでいるだけの工場から、全てを手作業で行っている工場(ただし、年間数本しか生産していない)まで訪問していた。私がロレックスのホールで見たものは、そのどちらとも違うものであった。全てのもののスケール、ディテール、人々、そして完璧さは、全てのコンシューマ向け製品とはいわないまでも、時計製造の世界においては他に類を見ないものだと感じた。以下の写真は全てロレックス本社から提供されたものであり、私は自分自身で写真を撮影することは許されなかった。もちろん私は撮影したいと思っていたが、ロレックスの決定を理解し、尊重している。その理由は、品質と生産知識の面で失うものが多いのはやはりロレックスだからである。

レ・アカシア:最終組立と品質管理を司る旗艦工場

 ロレックスと最も関係の深い施設は、ジュネーブからアルヴェ川を挟んで対岸に位置するレ・アカシア(Les Acacias)である。この建物は国際本部としての役割を果たしており、全ての上級管理職のほか、ヘリテージ部門(そう、絶対にある;もちろん、私は立ち入ることは出来なかったが)が含まれる。レ・アカシアでは、マーケティング、コミュニケーション、デザイン、研究、開発の全てが行われており、いわばロレックスのハブとなっている。また、チューダーの本社もここにある。

 1965年に設立され、2002年と2006年に改装されたロレックス本社は、10階建ての2つの生産棟で構成されている。ロレックスの4つの施設の中で唯一、トレードカラーであるロレックスグリーンのファサードをもつのが特徴的だ。製造面において、ここで行われている作業は、最終的な組み立てと最終的な品質管理のいくつかの工程で構成されている。

 ここで初めて、私は自分の、そして多くの同業者の、ロレックスに対する先入観がいかに間違っていたかに気が付いた。私は、有名ブランドの社長をはじめとする数人の時計業界関係者から、ロレックスは人の手が全く入っていない時計を作っていると言われていた。時計製造室に足を踏み入れてすぐに、それがどれほど間違っているかが分かった。

 実際は人でごった返していたのだ。至る所、人、人、人である。アッセンブリを担当する何十人もの男女が、それぞれの目的をもって作業をしている。実際には、これらの部屋は“環境管理区域”と呼ばれるもので、埃(ホコリ)や湿気が全くない状態になっている。ここでは、組み立ての最後の10数工程を見ることができる。これには、他の3つの施設で作られた部品の多くを時計に組み込む作業が含まれている。覚えておいて欲しいのだが、上述したように、ロレックスは間違いなく世界で最も垂直統合された時計製造技術を擁する企業の1つであり、ほぼ全てのコンポーネントを製造している。しかし、例外として、針(フィードラー社と呼ばれるサプライヤーから供給されている)とクリスタル風防は外注している。

ロレックスの中に入って最初に気付くのは、人の多さだ。機械もあるが、ほとんどが人なのだ。

 ダイヤルや針をセットしたり、ムーブメントをケーシングしたり、シリアルナンバーをグローバルデータベースに入力したりして、ロレックスが1本1本の時計の流れを追跡できるようにしているのを観察することができる。最終組立工場の各グループは完全に自律しており、2~3ヵ月間のローテーションで作業を行っている。例えば、針を取り付ける作業は簡単だが、針が適切なテンションで回転し、ダイヤルと完全に平行になるように、または、ガラスを確実にクリアにするのは大変な作業である。さらに、ダイヤルが取り付けられた後、時計職人は、時計の内部のどこにも1点の埃がないことを確認するために可能な限りの時間を割く。最終ステップの1つは、COSCによってムーブメントに取り付けられた仮のリューズを交換し、自動巻きローターを取り付けることだ。

 最終的な組み立てが完了し、完成品に近い状態となった後、それらは最終調整部門に引き渡され、過酷としか形容できないほどのテストにかけられるのだ。

 我々が手に取る、完全に組み立てられた状態、つまり、ムーブメント単体だけではなく、またはケースだけでもなく、完全な時計の状態で最終調整部門に引き渡されることに注目されるべきである。これは、もちろん針も取り付けられていることを意味し、ブレスレットも取り付けられ、着用できる状態なのだ。テストの3つの焦点は、我々が期待する創始者ハンス・ウィルスドルフが掲げた3つの目標に資するものである。それは、精度、防水性、及び自動巻き機構の確実な巻き上げだ。

 オイスターケースのテストでは、各時計を実生活で想定される水中に沈めて、あるいは水中をシミュレーションする高圧タンクに入れて、表示された防水深度にさらに10%のマージンを追加して検査する。ダイバーズウォッチはどうだって? こちらについては、実際のところ、ロレックスの歴史的なパートナーであるコメックスが設計した特別な機械の中で、さらに25%の追加マージンをかけてテストが行われている。テストされた時計のうち、不合格となるのは0.1%未満だという。

 防水性テストと自動巻きモジュールの検査の後、完成した時計は10個入りの箱にセットされ、24時間の厳しい精度テストが実施される。テストが始まる前に時計が撮影され、そして、ちょうど24時間後にも再び撮影されて、2つの画像が重ねられる。もし、画像が完全に揃わない場合は、時計は調整のために送り返されるのだ。

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 テストの最終段階を通過した時計は、最終的にブレスレットが装着され、COSCタグが付けられ、ようやくロレックス独自の輸送用コンテナに入れられ、市場に流通される。

プラン・レ・ワット:中央研究所、ケース製造、金鋳造所、そしてちょっとしたSF的雰囲気

 諸君、ここは本当に良い所だ。プラン・レ・ワット(ジュネーブ郊外の工業団地で、ピアジェ、パテック フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタンなどがある)には、スターウォーズを彷彿とさせるロボット型の在庫管理機、秘密の金鋳造所、虹彩スキャナーなどが完備されており、我々の想像力を結集したロレックスが現実のものとなっている。
 2006年に建設されたロレックス・プラン・レ・ワットは、同社の中でも最大の施設で、長さ65m、幅30m、高さ30mの6つの異なるウィングから構成されており、全てのウィングは中心軸で結ばれている。また、建物の外から見えるものは全て、実際にはここにあるロレックスの半分以下であることにも注目だ。複合施設は11階建てだが、外から見えるものは5つしかない。残りの6つの階は地下にあり、誰の目にも触れないようになっているのだ。 

 ここではカメラの使用が禁止されているだけでなく、携帯電話の提出も求められる。この施設は、私に言わせれば、ロレックスの競争優位の核心であり、スイス(ドイツや日本も)の他の時計製造施設とは一線を画していると思う。実際、他の業界でも完全に他に類を見ないものかもしれない。以下にその理由を説明する。

 入り口に入ると(デジタル機器を全て提出させられ)、地下数階の小さなエレベーターに乗る。ドアを開けると、そこはマッドサイエンティストの地下の隠れ家のようなものが見える。床はセメントで、廊下は広い。立ち入り管理区域は至る所にある。もし、誰かが特定の部屋にいることが明確ではない場合、彼らはそこに入室することはできない。私たちはすぐに巨大なエレベーターのドアに気付く。尋ねてみると、最大5tの荷物を載せることができるという。

 私たちはセキュリティルームに案内され、伝説のロレックスの自動在庫システムを目の当たりにした。私たちのガイドは虹彩スキャナー(嘘ではない)で目をスキャン認証し、ドアをスライドさせ、眼前に広がるのは、まさに驚くべきものだ。それがこれである。

 おっと、申し訳ない。写真は許可されておらず、提供もされないのだった。仕方ないので、この驚くべき自動化されたシステムがどのように見えるのか私の渾身の描写で説明しよう。1万2000㎥の2つの保管庫が、総延長1.5kmのレール網で連結されており、1時間に2800トレー以上の部品を6万ヵ所の保管区画と2階のワークショップの間で輸送している。その眺めは、スターウォーズの世界(1970年代の作品を除く)を彷彿とさせる。これが効率性の高さを決定付けるのだ。

1万2000㎥の2つの保管庫は総延長1.5kmのレール網で連結されており、1時間に2800トレー以上の部品を6万か所の保管区画と2階のワークショップの間で輸送している。その眺めは、スターウォーズの世界を彷彿とさせる。

 上記のワークショップ内の誰かが部品を要求すると、この信じられないシステムは、わずか6~8分で部品を回収し、彼らの作業ステーションに届けることができる。私が大学のビジネススクールにいた頃、サプライチェーンの専任教授は、ウォルマートが模範的な物流のプロフェッショナルであると断言した。だが、彼はロレックスのプラン・れ・ワットに行ったことがないので、そう言ってしまったことは無理からぬことであろう。

秘密の鋳造所

 ロレックスは自社の鋳造所を所有しており、そこでは3種類の金と904Lステンレススティールを独自の配合で製造している。ロレックスが使用している合金は全て自社で生産されているのだ。その理由は、彼らが即座に回答したように、金属の組成が時計の美的特性、機械的特性、加工特性を決定する最も重要な要素だからである。

 ロレックスがこれらの特殊合金を創り出すことができるのは、彼らが素材だけでなく、摩擦学(摩擦、潤滑、摩耗の科学)、化学、材料物理学の世界的な専門家を擁する中央研究所に設備投資してきたからである。この研究室は見ていて本当に驚くべきもので、最も印象的だったのは、信じられないような実験が行われているだけでなく、彼らが独自に開発した機械(例えば、オイスターブレスレットのクラスプを数分のうちに1000回開閉する機械の発明など)だけでなく、そこで働く人材も然りである。ロレックスが一流の科学者の多くをどこからリクルートしているのかについては言及しないように求められたが、推察できるとおり彼らは100%時計業界出身ではない。

 ロレックスのセラミック部門も業界トップクラスで、今のところベゼルにしか使われていないが、その将来性について熱心に研究している。

ロレックスの仕上げ工程(そう、これは見ものだ)

 この施設の中では、まさか見られるとは思ってもいなかったものを見た。ロレックスの仕上げは専属部門で行われているが、我々ユーザーが超高級時計に求めるような伝統的な職人技に依るものではない。ケースは、研磨機に人間の手によってかけられるが、ジャガー・ルクルトやオーデマ ピゲにしてもそれは同じである。ロレックスのケースを磨く作業には、常時50~60人の職人が従事している。ロレックスの時計製造における属人性は、実質的かつ非常に現実的なものなのだ。

 トレードマークであるロレックスオイスターとジュビリーブレスレットを組み立てることも、いくつかの非常に巧妙なマニュアルの助けを借りて手で行われている。もちろん完全自社製である。

シェヌ=ブール:ダイヤル製作とジェムセッティングを司る工場

 次の目的地は、フランスとの国境沿い、プラン・レ・ワットの北東に位置するロレックス・シェヌ=ブール工場だった(ジュネーブからは車ですぐ)。これまでに何度か述べてきたように、ロレックスは自社の時計のほとんど全てを独自の方法で製造している。シェヌ=ブールでは、全てのダイヤルを生産するだけでなく、プリントしてインデックスなどをセットしているところを見ることができる。建物は全部で10階建てだが、またしてもそのうちの5階は地下に隠されている。製造は地下で行われ、数字の植字(手作業)やジェムセッティング(同じく手作業)は、太陽の光が降り注ぐ真っ白な部屋で行われる。ダイヤルのセッティングには、常時100人以上の職人が従事しているのだ。

 約800人の従業員がシェヌ=ブールのロレックス工場で働いており、その作業はまさに最先端のものだ。以前は感圧接着テープでダイヤルに塗料を塗っていたが、今では特殊なシリコンパッドで転写されている。ダイヤルは全て真鍮製で、ダイヤルのマーカーには全て金無垢を使用しており、ダイヤルが完成するまでには60以上の工程が必要となる。

 私がシェヌ=ブールを訪れて最も驚いたのは、ロレックスが扱う宝石や、そのセッティングのクオリティの高さだ。私はこの会社がダイヤモンドや宝石を使った時計を多く生産しているとは思っていないし、彼らもそのことを認めている。しかし、これがロレックスであり、彼らが何かをしようとするならば、ロレックス独自の方法でそれを行うことになる。ここでは、20人の専属宝石セッターを意味し、その中にはブルガリやカルティエ出身の経歴をもつ者もいる。使用する石は? IF品質のものだけ(ジュエリー用語に詳しくない方のために;IF、インターナリー・フローレスとはダイヤモンド鑑定者が10倍のルーペで観察した際に混入物が全くなく、わずかな結晶面の残渣のみ認められる高品質のものとして知られている)である。

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 私がここで見た中で最もクールなものの1つは、ロレックスが入荷した宝石をフィルタリングするために使用する機械であり、偽物、または品質基準に満たない宝石をふるいにかけるためのものだ。ロレックスの指定サプライヤーは、それが大きなビジネスであることを理解しており、おそらく本物の宝石に偽物のダイヤモンドを混ぜるためにその立場を利用する誘惑に勝てないことを前提としている。しかしながら、ロレックスは、大量の原石をフィルタリングして偽のダイヤモンドを検知することができる自社製マシンをもっているのだ。マシンは数万ドル(数百万円)の費用がかかるので、私はどのくらいの頻度でサプライヤーから偽のダイヤモンドが贈られてくるのか尋ねた。その答えは? 1000万粒に1粒くらいだそうだ。それでも、ここまでやるのは、ロレックスだからである。

ビエンヌ- ロレックスのムーブメント製造工場

 ジュネーブ郊外にある3つのロレックスの製造拠点とは対照的に、ロレックス・ビエンヌ工場はベルンの北、ジュラ山脈に位置し、ジュウ渓谷から山沿いを歩いてすぐの場所にある。この地域はスイスの時計製造の中心地であり、ビエンヌはまさにロレックスの中心地である。初めて聞く人には信じがたい話だが、完全な別会社であったエグラー社を2004年にボレル家が(報じられたところによると)10億スイスフラン以上でロレックス・ジュネーブに売却するまで、ロレックスは自社のムーブメントサプライヤーを所有していなかったのだ。

 それにも関わらず、ビエンヌほどロレックスらしい場所はない。この9万2000㎡の施設の内容は、時計製造の世界において、本当に貴重なものである。時計愛好家でありロレックスに興味がある人なら、誰もが1度は入ってみたいと思う建物である。

 1つはっきりさせておこう。まず第一に、ロレックスのキャリバーは全て他のブランドではほとんど見られないレベルで完全自社製造されている。第二に、全てのムーブメントは手作業で組み立てられる。だからといって、ロレックスは、時計職人がムーブメントを組み立てるための部品を集めるために、次世代型の機械を採用していないわけではない。ビエンヌ工場でも、先に述べたロレックスの社内在庫システムを採用している。ここで、ビエンヌのシステムのイメージと美しい内部の様子をご紹介しよう。

 ロレックスがビエンヌに立ち入る人を限定するのは、ロレックスが独自の製造システムを構築しており、そのためにロレックス専用の部品を作る機械を作っているからである。真鍮、銅、スティールのインゴッドは、スイスでは他に類を見ない独自の機械を使って、放電加工によってカットされ、地板は1分間に約100個のペースで生産される。片方の端に金属材を挿入すると、もう片方の端からは既にピンがはめ込まれた完成部品が出てくる切削機がある。

片方の端に金属材を挿入すると、もう片方の端からは既にピンがはめ込まれた完成部品が出てくる切削機がある。

 ビエンヌには伝統的な工具100本分の仕事を50秒でこなす機械がある。これらの機械は撮影しないように要請されたが、その理由はご理解いただけるだろう。ビエンヌでは、本工場ならではの部品が生産されている。パラクロム製ヒゲゼンマイやパラフレックス ショック・アブソーバなど、ロレックスの精度と耐久性に欠かせない部品たちだ。

これらの特別な、ロレックス専用のコンポーネントをもう少し掘り下げてみよう。

 このヒゲゼンマイはロレックスが独自に開発したもので、特許を取得している。ニオブ-ジルコニウム合金で構成されており、従来のヒゲゼンマイの10倍の精度を誇る。また、衝撃や磁場の影響を受けないため、耐磁性に優れたケージを必要としない。パラクロム製ヒゲゼンマイの製造工程は気が遠くなるほどだ。公差はミクロン単位であり、これらのヒゲゼンマイ製造には並外れた作業量が求められる。この部門では120人以上の職人が必要とされ、ブレゲ巻上げヒゲゼンマイが採用されている。この最終的なカーブを作るロレックス独自の工具は、職人の手に委ねられる。

 上の写真のパラフレックス ショック・アブソーバもロレックスが全く新しく開発した部品である。3Dモデリングを駆使した膨大な作業を経て、ロレックスは従来の機構に比して50%以上改善した特許取得済みのイノベーションを実現したのである。

 時計製造の現場では、複雑時計とそうでない時計には確かに違いがある。ロレックスの生産本数の中でエリート集団とされるムーブメントは、スカイドゥエラー、ヨットマスター、デイトナの3つだ。この3つの時計だけでも120人以上の人が働いており、それぞれ15人ずつ、8つのグループに細分化されている。ロレックスの自社製クロノグラフムーブメントCal.4130は、発売以来、何度もアップデートされていると噂されるが、ロレックスからもプレスからもあまり言及されてこなかった。その日のホストは、Cal.4130が発売されてからの具体的な話となると口を閉ざしたが、私は気になっていた。時計メーカーというのは、実際にお金を費やし、時間をかけて製品をよりよく仕上げるのをわざわざ喧伝しないのが流儀なのだろうか?

時計メーカーというのは、実際にお金を費やし、時間をかけて製品をよりよく仕上げるのをわざわざ喧伝しないのが流儀なのだろうか?

 このことについては後述するが、ビエンヌは私が訪れた4つのロレックスの施設の最後だったので、私はその日に考えていたことについての考えを素早くまとめたいと思った。私は最初からロレックスを愛していることは自覚していたが、この訪問の前は、この会社がどんなものであったか、過去50年間に誰がそれを身に着けていたか、そして現在のロレックスが何であるか、ということであった。
 この認識は完全に覆され、初めて私は自分自身が現行のロレックスを購入したいと思っていることを自覚した。地球上で最も長持ちし、最も精度の高い時計を作るという彼らの使命の純粋さには、夢があり、抗いがたいものがあるのだ。


匿名の時計師から得た証言

 上述したとおり、ロレックスのPR担当者の話では、現代のデイトナCal.4130は、発売以来、顧客への連絡がほとんどないまま、定期的にアップデートされているとのことだ。私には信じられなかった。結局のところ、HODINKEEで手掛けていることの多くは、実際には何もないところにストーリーを作ろうとしているブランドからのプレスリリースを扱うことだからだ。そこで、ロレックスや競合ブランドの友人数人に連絡を取ってみたのだが、誰も何も知らなかった。そこで私は独立時計師の友人に声をかけた。彼はロレックスの関係者ではないが、他のブランドの時計に加えて、ロレックスともいくつかの定期的な仕事をしている。彼は匿名を条件に取材に応じてくれた。それによると、次のような回答が得られた:

 “デュフォーやヴティライネン級の仕上げはさておき、純粋な技術的見地から見ても、ロレックスの3130系キャリバーは30年近くにわたって最高の地位に君臨してきました。ロレックス以外で量産されているムーブメントは、その品質、耐久性、信頼性のどれにも匹敵するものはありません。完璧だと考えられる機械式時計ムーブメントのあるべき姿に、このキャリバーは非常に近いものと定義されるのです”

 “ロレックスは3130系ムーブメントの長所を生かし、それをクロノグラフに応用しました。しかし、それだけに留まりませんでした。Cal.3130の設計思想をさらに信頼性の高いものにするためにはどうすればよいのか、長い時間をかけて厳しく批判的に検討したのです。また、Cal.4030の弱点にも目を向け、そこから学んだことで、どう改善するかを決定しました。その結果、Cal.4130が誕生したのです”

 “Cal.4030からの改良点としては、いくつかあります。上位5点は、私の考えでは、以下の通りです。

1. 垂直クラッチ 2. 自動巻きセクションのモジュール性 3. 高さ調整ナットを備えた両持ちテンプブリッジ 4. クロノグラフシステムの調整ポイントが1ヵ所(Cal.4030では5ヵ所) 5. パラクロム製ヒゲゼンマイ。
ブルーカラーであることを除き、私はそれが最初からあったと信じています。”

 “それに加えて、コラムホイールやフリースプラング、マイクロステラナットによる調速テンプ(ロレックスが現行のキャリバーの全てに装備している)など、Cal.4030で既にあった長所はそのまま生かしています”

 “それだけでは終わらなかったのです。話を戻しますが、Cal.4130は2000年の変わり目にデビューして以来、静かにデザインを改良してきました”

 彼は続けた。

 “ロレックスがキャリバーを少しずつ改良していくのは珍しいことではありません。Cal.1500系は長い歴史の中で何度も改良を重ねてきました。Cal.3000系では、部品の公差を調整するなどの小さな改良が行われました。全てのレディースキャリバーも、長い歴史の中で小さな改良が加えられてきました。それがロレックスのやり方なのです。細部に至るまで、継続的に改善していく。Cal.4130へのアップグレードは単なる微調整ではなく、劇的な改善をもたらしています”

 “「アップグレード」と騒がれていたのは、ブルーに変わったパラクロム製ヒゲゼンマイです。前述したように、それ以前のCal.4130は同じ分子構造で作られた白金色のパラクロム製ヒゲゼンマイを搭載していました。スウォッチグループや子会社のニヴァロックスなどからの部品供給の削減を考えると、ロレックスにとっては垂直統合生産の中で、このイノベーションを市場に出すことが重要だったのです。さらに私にとって重要なことは、パラクロム製ヒゲゼンマイは、時計の精度と信頼性という点で、時計製造技術に大きな飛躍を与えたことなのです”

 “彼らは、時分カウンターの信頼性を向上させるために、いくつかのコンポーネントとその上で動作する方法を変更し、輪列のブリッジに小さなアップグレードを行いました。私はこのアップグレードを、ロレックスの前世代のムーブメントに施されたマイナーアップグレードに似ていると分類します”

 “彼らが導入した、より注目すべきアップグレードは、ヒゲゼンマイ保護用ブロックで、時計に強い衝撃が加わった際に、ヒゲゼンマイの下側が上側に絡まる危険性を抑えるのです。私の知る限りでは、これは時計製造史上初の発明でした。他の時計ブランドでこのような時計は見たことがありません。そのシンプルさは驚くほど見事で、完璧に機能しています。デイトナの着用者はそれがそこにあることに気付かないかもしれませんが、時計が強い衝撃を受けた場合、これがなければすぐに気付くでしょう”

 “秘密裏に行われた最大のアップグレードは、クロノグラフシステムに搭載された遊びのない歯車です。ご存知の方も多いと思いますが、Cal.4130の垂直クラッチ機構は、クロノグラフのスタート時に水平クラッチを採用しているクロノグラフで問題になりがちな、秒針スタート時のギクシャク感を解消しています。遊びのない歯車はこれをさらに進化させたもので、ギアの歯間のバックラッシュを無くしています。バックラッシュとは、簡単に言うと、互いに作用し合っている2つの歯車の歯の間のわずかなスペース、つまり「遊び」のことですが、片方の歯が外れても、もう片方の歯が入ってきてエネルギーの伝達を継続できるようにすることです”

そのシンプルさは驚くほど見事で、完璧に機能しています。

– (匿名の)熟練時計師

 “従来の輪列機構の考え方では、輪列の硬直やロックを防ぐために、ある程度のバックラッシュが必要だとされてきました。1つ1つの歯車の歯の形状が絶対的に完璧でなければ(それは不可能)、歯車間の間隔が絶対的に完璧でなければ(これも不可能)、歯車自体の動きに遊びがゼロでなければ(ありえないし、効率が悪い)、つまりバックラッシュがなければ、外れようとしている歯は、先行する歯と後続の歯の間に挟まってしまうでしょう。したがって、バックラッシュは必要悪だったのです。この問題を解決するために、ロレックスはLiGa(フォトリソグラフィ;電解めっき微細加工)と呼ばれるプロセスを用いて、遊びのない歯車を原子レベルで製造しているのです。LiGaは、従来の機械加工機では実現できなかった歯車の形状を可能にするのです”

 “この技術を用いて、ロレックスは各歯車の歯の中央部を空洞化し、2つのバネのようなフランジを残すことで、従来の完全な歯形の役割を果たすことができたのです。このようにして、歯の両側は、エネルギーを伝達している間ずっと歯車と噛み合ったままで、歯の中央の中空部に必要な遊び(バックラッシュ)を取り入れることができるのです”

 “MB&F(マクシミリアン・ブッサー&フレンズ)は、HM2を発売した時にLiGaで作られた歯車が話題になりました。アジェノー社のジャン=マルク・ヴィダレッシュが、レトログラード分針に採用したこの技術を私が初めて知ったのは、そのときでした。その年の初めにヨットマスターIIを発表して、ロレックスは既にこの技術で量産していたことを私は知りませんでした。この技術はヨットマスターIIで実証された後、数年後にデイトナへのアップグレードとして導入され、クロノグラフのスタートとリセット時に、クロノグラフ針に絶対的な流動性とシームレスな動作をもたらしたのです”

"創業から現在に至るまで、Cal.4130のデザインに見られるような、細部への気配りと配慮に匹敵するムーブメントに、私はまだ出会ったことがありません"

 “要するに、ロレックスのCal.4130は時計工学の最高峰なのです。間違いなく、機械式計時の最高峰でもあります。創業から現在に至るまで、Cal.4130のデザインに見られるような、細部への気配りと配慮に匹敵するムーブメントに、私はまだ出会ったことがありません”

さて、この証言はお墨付きになっただろうか?


ロレックスの現在

 この記事で二度も言ったように、私は100万年に1度も、何があっても現行のロレックスのオーナーになりたいと思ったことはない。ヴィンテージデイトナ、サブ、GMT、そして、全ての古いものは非常に多くの個性と魅力をもっている。ダイヤルのパティーナ(経年変色)が示す時代を生き抜いてきた証は、現行のロレックスでは得られないものだ。
 しかし、現行のロレックス、その舞台裏を覗いた今、私はより深く理解することができ、より正当に評価することが可能なため、これまでとは異なる魅力を感じている。コレクターである私にとって、ヴィンテージの魅力は不変だ。どの時計にも個性があり、それにまつわるストーリーがある。しかし、ヴィンテージの時計は気まぐれで、時折、我慢の限界を飛び超えるような不愉快さをもたらしてくることがある。現行のロレックスは、それとは異なるストーリーを語る。つまり進化し続けているのだ。むしろ、オーナーが注意を払わなくとも毎日身に着けていられる時計を目指している。それは静かなる極上であり、極上とはスイスの時計製造の最高峰であるというだけでなく、それよりもはるかに偉大なものであるといえるかもしれない。
 私にとってロレックスは、大企業になる前のアップルだった。シンプルで長持ちするデザイン、革新的な技術、そして何よりも生活を破壊するのではなく、溶け込むことに重点を置いているのだ。

 現行ロレックスをそのうち買うか? 買うかもしれない。頻繁に身に着けるだろうか? 私はそうすると確信している。ロレックスは、あなたが他に何を所有していても、あなたの手首の上に彼らの流儀で機能するのだ。私は今、この効率性、デザイン、精度の真の砦を見下していた読者諸君が、もはやそうではないことを願っている。私は、"ロレックスがロレックスであるのには理由がある "と冒頭に語った。その理由をよく理解していただけただろうと、私は確信している。

詳細情報はロレックスの公式サイトをご覧ください。