ルイ・ヴィトンが最新のオートマタを発表した。この種の時計はウォッチメイキングのなかでもさらにそのなかの、さらにそのまた中枢という、きわめてニッチなジャンルに属することは間違いない。非常に高価で、時刻を読むという実用性からは大きく外れ、機械的かつ芸術的な技巧に焦点を当てているため、日常づかいの時計とはまったく異なる存在である。実際のところ読者の99.9999%(もっと言ってもいい)以上は、オートマタを実際に目にする機会はないだろう。しかしこの機械仕掛けの芸術品を作り上げる技術は、時計史において大きな役割を果たしている。
ルイ・ヴィトン タンブール カルペ・ディエム(2021年発表)。
オートマタはかつて王侯貴族、あるいは少なくとも非常に裕福な人々のものであった。時刻を示すいわば初期のロボットともいえる複雑な機構を動かすための技術は、中国・漢代の紀元前3世紀にまでさかのぼる記録が存在する。だがより近代に目を向けると、スイスのジャケ・ドローが1785年にシンギングバード・ボックスを製作したことで知られている。これは“最近”と言っていいのでは?
もちろん、いまでも機械式オートマタを製作しているブランドは存在する。たとえばユリス・ナルダンは過激な表現を含む作品で知られている。しかしルイ・ヴィトンは、GPHGを受賞したタンブール カルぺ・ディエムのような作品によって、この分野で頭角を現しつつある。今年の初め、カリ・ヴティライネン(Kari Voutilainen)氏とのコラボレーション発表の前夜に、ルイ・ヴィトンの最新オートマタ3点のプレビューを見る機会があったのだが度肝を抜かれた。そしていよいよ情報解禁となったいま、その全貌を紹介しよう。
タンブール ブシドウ・オートマタ
これまでのルイ・ヴィトンのオートマタを覚えているなら、おそらくカルぺ・ディエムの時計を思い浮かべるだろう。そうであれば、今年発表された新作ブシドウにも、どこか見覚えを感じるはずだ。本作には、同じく426個の部品で構成されたCal.LV 525が搭載されており、約100時間のパワーリザーブを備える(インジケーターは富士山の背後から太陽が昇る仕様)。通常時の表示は待機状態であり、時刻は必要なときにのみ現れる。2時位置のボタンを押すとダイヤルが動き出して時刻が表示される仕組みだ。動作の様子は、以下に掲載されているルイ・ヴィトンの動画で確認を。
このオートマタのために製作されたダイヤルと作動用のプッシュピースには、彫金だけでおよそ140時間が費やされている。サムライの面頬(めんぽう/顔面を覆う防具)はホワイトゴールドを用いた浅浮き彫り(bas-relief)で仕上げられており、額の上部にある妖怪の装飾はローズゴールド製で、目にはルビーがセットされている。ケース側面のボタンを押すと、まず妖怪の頭部が横に動いてジャンピングアワー表示が現れる。同時に、刀が動いて分表示を指し示す構造だ。そして数秒後、ダイヤルはさらに変化する。目は大きく見開かれ、より鋭い表情を見せ、サムライの左目は丸みを帯びたLVモノグラム・フラワーから尖ったデザインへと変化。口元も開き、“武士道”の文字が日本語で現れる。
ムーブメント側を撮影したものの、撮り終えたあとできちんと掃除をしていなかったことに気づいた。というわけで、ホコリの斑点をお見せしないためにも、ここではルイ・ヴィトン提供の画像を共有する。写真には赤漆で彩られた妖怪とRGのムーブメントが写っている。全体のデザインは上から下まで“武士道”という物語を一貫して伝えるために、驚くほど緻密に構築されているように感じる。
Photo courtesy Louis Vuitton.
ケースの彫刻も実に見事で、赤いエナメルによる装飾が施されており、これだけでさらに200時間が費やされている。文字盤に用いられるエナメル技法については数千字でも語れるほどだが、ここでは一部に絞って紹介しよう。文字盤のゴールドトーンは、パイヨン(金箔)エナメル技法によって生み出されたものだ。この技法ではまず下地としてピンクのエナメルを施し、その上に銀箔を重ねる。さらに透明エナメルを2層にわたってかけることで、あの金色の質感が生み出している。仕上げには、光沢を与えるためにごく薄いフォンダン(無色透明の釉)エナメルを重ねている。なお富士山のモチーフにはクロワゾネエナメルを用いている。
面頬に話を戻そう。この部分にも、非常に高いクラフツマンシップが込められている。マスターエングレーバーのディック・スティーンマン(Dick Steenman)氏が面頬を彫刻し、その上に2層の赤いエナメルを重ねている。さらにその上から特殊な塗布エナメルを施すことで、ほぼマットで“アンティーク調”の仕上がりを実現した。面頬の目の部分は、外側にクロワゾネエナメル、中央には極小の金片を閉じ込めたパイヨンエナメルによって構成されており、異なる技法が精緻に融合されている。兜はRGから彫り出され、そのあとカラミン技法と呼ばれる高温焼成が施される。この技法により表面に薄い炭素質の被膜が生成されるが、そこからさらに手作業で仕上げを施し、下地のゴールドが輝きを放つように調整される。
ブランドのヘリテージに対するオマージュはほかにも数多く散りばめられている。たとえば、さまざまなモノグラム・フラワーや宝石などがその一例だ。ケースとラグは18Kピンクゴールド製で、サイズは46.8mm×14.4mm。多くの基準から見て、大振りかつ重量感のある時計だ。しかしこの時計をつけこなすスタイルと覚悟を持っているなら、サイズのことなど最後まで気にならないだろう。
価格は1億2232万円(税込)。詳細はこちらのリンクから。
タンブール タイコ・ギャラクティック
ブシドウは、その極端なデザインと美学においてかなり攻めたモデルだが、もう少し軽やかで(申し訳ない、どうしても言わずにはいられない)“宇宙的な”ものを求めるなら、このタンブール タイコ・ギャラクティックがそれにあたるだろう。このモデルは、もし予算が100万ドル(日本円で約1億4000万円)ほどあれば身につけたい時計として、周囲からも特に人気を集めていた一作だ(価格は現時点で未公表)。ギャラクティックはカテドラルゴングを備えたミニッツリピーターであり、WGとチタンのケースに収められている。ただし真の見どころは、ダイヤルの彫刻とエナメル装飾にある。これだけで300時間以上の工数を要しているそうだ。もちろん、オートマタとしての仕掛けも用意されている。
このモデルには、4種類の異なるエナメル技法を取り入れている。まずダイヤルのベースには、オレンジ、グリーン、ホワイト、ブルーなど7色を使ったミニアチュールペインティングを採用。星の輝きや太陽の奥行きには、パイヨンエナメルを用いており、パイヨンをダイヤルに置いた上からエナメルをかけることで、そのきらめきを演出している。宇宙飛行士と旗にはシャンルヴェエナメル、より単調な月面には白と黒の濃淡で描くグリザイユエナメルを使い分けた。
スライドを操作するとダイヤルが作動し、ミニッツリピーターとオートマタも連動する。チャイムを鳴らすと、宇宙飛行士が右腕を上下させてLVの旗を月面に突き立てる。それと同時に左腕がバランスを取り、無重力空間のような浮遊感を演出する。そのあいだに人工衛星のアンテナやソーラーパネル、スラスターが次々と稼働し、最後には流れ星が揺れながら、太陽が回転を始める。しかも、それぞれが異なる速度で動くように設計されているのだ。この光景を見ているうちに、なぜか頭に浮かんだのは“MTV的(派手で映像的な演出に富んだデザイン)”という言葉だった。ポップカルチャーと高度な職人技が交差するような、そんなビジュアル体験だった。
ケースに採用したサテン仕上げのチタンはグレイッシュでインダストリアルな雰囲気を漂わせ、宇宙産業的なイメージとうまく重なってくる。しかしムーブメントには一切の“工業的”要素は見当たらない。搭載するのは、新開発のCal.LFT AU14.02。459個の部品を手作業で組み立てるのに220時間を要するこのムーブメントは、約100時間のパワーリザーブを誇り、7つのアニメーションを駆動するというまさに複雑機構の塊だ。それに仕上げにも抜かりはない。コート・ド・ジュネーブのほか、サテン仕上げとフロスト仕上げを組み合わせることで、ハイエンドかつ洗練されたインダストリアル感を漂わせる独自の世界観を築いている。
ケースサイズは46.7mm×14.6mmと堂々たる存在感を放っているが、ラグを下向きに設計したことで手首へのフィット感が高まり、さらに軽量なチタンケースとの相乗効果で、実際にはブシドウよりも装着感が優れていると感じた。ルイ・ヴィトンはこのモデルの価格を正式には公表しておらず(少なくともブシドウのようにウェブサイトには掲載されていない)が、目にした価格は100万ドル(日本円で約1億4000万円)を優に超えていた。
エスカル オトゥール・デュ・モンド “エスカル・アン・アマゾニー” ポケットウォッチ
すでに実用性とは無縁なオートマタのなかでも、最も実用性から遠いこのモデルが、個人的には一番のお気に入りであり、最も印象的な1本だと感じている。“エスカル・アン・アマゾニー”は、ルイ・ヴィトンにとってまったく新しいシリーズであり、ポケットウォッチはこれまで特別注文に限って製作されていた。この作品は、“スタイリッシュ”な探検をテーマに据え、ルイ・ヴィトンが誇るトランク製造の伝統と匠の技を物語っている。そのため、ダイヤルにはミニチュアで彫刻されたトランクの意匠が確認できる。とはいえ、これは単なる数百万ドルする広告時計ではない。中身にはもっと奥深く、精巧な仕掛けが詰まっている。
このポケットウォッチは50mm×19mmのWGケースを採用し、ケース側面にはダイヤルの意匠やルイ・ヴィトンのトランク製造の歴史にちなんだ彫刻をあしらっている。ベゼルには、エメラルド31石、ツァボライト13石、トルマリン11石、イエローサファイア5石を含む、総計3.85カラットの60個のバゲットカットストーンをグラデーション状に配し、ダイヤル背景のエナメルカラーと響き合う色調に仕上げた。
ブランドによれば、このポケットウォッチはラ・ファブリク・デ・アール ルイ・ヴィトン(La Fabrique des Arts Louis Vuitton)のチームにとって、限界を押し広げるような挑戦だったという(ムーブメントも同様にラ・ファブリク・デ・ムーブメントにとっての挑戦だったが、それについてはのちほど触れる)。その言葉どおり、このモデルがいかに特別かはひと目で伝わってくる。時計正面は完全にオートマタ専用で、時刻の表示はない(時・分針はムーブメント側に設けてある)。奥行きとスケール感を生み出しているのは、膨大な彫刻作業によるものだ。背景には浅浮き彫りの彫刻を施し、その上にサル、ヘビ、コンゴウインコを立体的に配置している。体長1cmに満たないヘビの身体にはびっしりとウロコが彫り込まれ、コンゴウインコの羽にも一本一本、羽毛の繊細な線を描き出している。緻密な彫刻が、すべてのモチーフに生命の息吹をもたらしている。彫刻はダイヤルで140時間、ケースはさらに60時間かけている。
ブランドは、背景にミニアチュールエナメルとパイヨンエナメルを用い、31色を使い分けて表情豊かに仕上げている。あまり知られていないかもしれないが、一部のエナメル顔料は限られた資源であり、在庫が尽きればもう2度と手に入らない、まさに“失われた色”となってしまうのだ。そうした希少な素材をこれほど多く使い分けることで、この時計には、現代のウォッチメイキングでは滅多に見られないほどの強度と鮮烈な生命感が宿っている。たしかに、黄緑の水に浮かぶLVモノグラムのモチーフはややあからさまに映るかもしれない。だがこの仕上がりを見るかぎり、その演出も圧倒的なクラフツマンシップの前では些細なことだと思えてくる。流木ひとつとっても、驚くほどリアルな質感をたたえているではないか。
オートマタの動作は、トランクの開閉から始まる。蓋が開くとなかからゴールドのLVモノグラム・フラワーが現れ、それに反応するかのようにダイヤル上の動物たちが次々と動き出す。コンゴウインコは首をかしげ、ヘビは頭と尾をくねらせ、サルはその様子をじっと見つめる。そのあいだも、ダイヤル上部ではWG製の羅針図(コンパスローズ)がゆっくりと回転を続けている。
そして、忘れてはならないのがムーブメントだ。これはもう圧倒的というほかない出来映えである。搭載しているのはトゥールビヨンとミニッツリピーターを備えたCal.LFT AU14.03。ラ・ファブリク・デュ・タン ルイ・ヴィトン(La Fabrique du Temps Louis Vuitton)がこれまでに手がけたなかで最も複雑な機械式ムーブメントだという。
ブリッジの造形は、ヴィンテージのポケットウォッチをほうふつとさせるクラシックな設計。トゥールビヨンと輪列の次のギアを支える2本のブリッジが、そのまま中央のピニオンや各歯車のブリッジへと美しく流れるようにつながっている。手作業でブルーイングされたスケルトンの針は、全体の構造を考えれば十分な視認性を確保しているが、この時計においては視認性こそが主眼ではないのは明らかだ。ムーブメントはダイヤル上のオートマタ用モジュールも含めて、555個もの部品で構成されている。
この時計の組み立てと仕上げを担当するのは、たったひとりの時計師。その作業はまさに圧巻で、完成までに500時間以上を要する。歯車の歯の内側まで含めた646か所の鋭角部をすべてていねいに面取りし、そこにブラックポリッシュを施すことで、深い陰影と立体感のある質感を生み出している。その一因は、一部の歯車が持つ厚みにもある。とりわけラチェットホイールは凹型に成形されており、単体で3週間をかけて仕上げたという。今回初の試みとして、ルビーセッティングの爪にはイエローゴールドを用い、トゥールビヨンと連動する歯車には無垢のゴールド製ホイールを採用している。このポケットウォッチは約8日間のパワーリザーブに加えて、30mの防水性能も備えており、見た目からは想像しにくい意外性を備えている。
ミニチュア化の可能性について尋ねた際、(ジャン・)アルノー氏は特に歯車の寸法を課題として挙げた。ここで使用している歯車の厚みは0.8mmあり、これをそのまま小型化しながらハイエンドの仕上げを維持するのは現実的に難しいという。ただし、ムーブメントの配置や仕上げを若干簡略化すれば、腕時計としても十分に圧巻の1本になるはずだ。
もし購入を考えているなら、知っておくべきことがふたつある。価格と、すでに手遅れだという事実だ。関係者によれば、価格は300万ユーロ(日本円で約4億9200万円)だったという。そしてこの時計は、すでにクライアント向けのプレビュー期間中に売約済みだ。購入したのは女性の顧客で、このポケットウォッチを首から下げられるようにネックレスの製作も依頼したと伝えられている。
詳細はルイ・ヴィトン公式サイトをご覧ください。
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