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ファレル・ウィリアムスはエンターテインメントの食物連鎖、その上位に位置し、あまりにも長きにわたって遍在し続けている。そのため、彼が音楽にファッション、そして私たちが今日認識しているあらゆる流行にどれほどの影響を与えてきたか理解するのは難しいかもしれない。ある言葉を借りれば、彼はすべてであり、あらゆる場所に、同時に存在することができるのだ(2023年3月公開予定の映画『EVERYTHING EVERYWHERE ALL AT ONCE』より)。
ファレル・ウィリアムスは、音楽プロデューサーとしてブレイクした。バージニア州出身のファレルは作曲・制作デュオ、ネプチューンズの一員としてチャド・ヒューゴとともに活動しており、グウェン・ステファニー、ブリトニー・スピアーズ、ジェイ・Z、フランク・オーシャンといったアーティストにヒット曲を次々と提供してきた(ペースは落ちているが、現在も続いている)。2003年、アメリカのラジオで流れた音楽の実に43%がネプチューンズのプロデュースによるものだった、という統計も彼の仕事のスケールを如実に物語っている。
しかし、彼の影響は音楽業界以外にも及ぶ。
彼のファッション界での功績としては、日本のストリートウェアとカルチャーに精通したNIGO®︎とビリオネア・ボーイズ・クラブを設立したこと、さらにルイ・ヴィトンとコラボサングラスを作り、ジュエリーラインのブラゾンコレクションを発表したことなどが挙げられる。また、2017年にはシャネルの初の男性アンバサダーにまでなり、リシャール・ミルの“フレンド・オブ・ザ・ブランド”にも選ばれている。
そこで、彼の腕時計の話だ。ファレルは熱心なコレクターであり、時計業界関係者以外も含め、皆がロイヤル オーク QPやコンセプトに注目する前から身につけていたことでも知られている。また、歌詞のなかでその名前を出すなど、まだ誰もリシャール・ミルが何なのか知らないうちに愛用していたりもした。また、ジェイコブのファイブタイムゾーンやバゲットダイヤモンドをあしらったショパール、G-SHOCKも所有している。
先週、ファレル・ウィリアムスは世界で最も影響力のある高級ファッションメゾン、ルイ・ヴィトンのメンズ クリエイティブディレクターに就任した。これは、ファッションが広義でエンターテイメントのカテゴリーに含まれることを意味し、一部の人々にとって物議を醸す出来事となった。この新しい人事は明らかに、ヴァージル・アブローの死後、文化的なつながりを維持するための試みである。このことはまた、時計を愛する多才な人物がランウェイの内外で、時計を自分のルックにどのように取り込んでいるのかを観察する絶好の機会でもあるのだ。
さて、ルイ・ヴィトンとの初コレクションを待つあいだ、彼の時計が最高に輝いていた瞬間の数々を振り返ってみよう。
オーデマ ピゲ ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー
2003年、ビースティ・ボーイズとレッド・ホット・チリ・ペッパーズがコーチェラ・フェスティバルのヘッドライナーを務め、ソーシャルメディアがようやく黎明期を迎え、高級時計がごく少数の人にしか知られていない極めてニッチなカテゴリーだった時代のこと。ファレルはイエローゴールドのオーデマ ピゲ ロイヤル オーク スケルトン パーペチュアルカレンダー を着用し、N.E.R.Dとステージに立っていた。2000年代初頭、本格的なオフショア時代の幕開けでもあったが、メインストリームではまだ誰もロイヤル オークを欲しがっておらず、ましてやスケルトンのパーペチュアルカレンダーなど眼中になかった。彼はまさに、時代を先取りしていたのだ。
初期のスケルトン仕様のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーは非常に珍しく、オーデマ ピゲによれば、イエローゴールド製のRef.25636は126本しか製造されなかったとされている。
この写真でファレルがつけているのは2002年にAPが製造した34本のうちの1本で、より希少価値が高いプラチナモデルである。
オーデマ ピゲ ロイヤル オーク コンセプト
オーデマ ピゲがロイヤル オーク コンセプト コレクションを発表したのは2002年のこと。1972年の初代ロイヤル オークをベースとして高度に進化したオクタゴンフォルムは、プロポーションやデザインの華やかさに加え、最先端の機構を搭載したコンプリケーションの実験場としての役割も有していた。
ファレルは、2008年に発売されたカーボン製のトゥールビヨンクロノグラフ、Ref.26265FO.OO.D002CR.01をつけているところを頻繁に目撃されていた。ロイヤル オーク CCW1は2022年10月、オンラインオークションプラットフォーム、ジュピターにおけるファレルの初回オークションで(上記のQPとともに)落札されている。
このロイヤル オーク コンセプトはハイテクなフォージドカーボン製で、ベゼルとリューズ、クロノグラフプッシャーにブラックセラミックが使用されている。384のパーツで構成されたキャリバーは、トゥールビヨン、クロノグラフに加えてツインバレルを搭載しており、約10日間のパワーリザーブを実現。また、リニアクロノグラフミニッツカウンターは従来のクロノグラフ機構とは異なり、2本のバーティカルスケールを備えたオープンワーク仕様のブリッジを備えている。
重量わずか90gのこの時計は、その軽さからファレルがかつてパフォーマンスの際に愛用していた。
ジェイコブ ファイブタイムゾーン
ファレルは、ジェイ・Zやデヴィッド・ベッカムなどと同じく、ジェイコブ・アラボ氏の信奉者だった。この3人はNIGO®︎とともに、それまでのものとはまったく異なるマルチカラー・ジェムセットの美学を確立したのだ。彼らの作品は、今日のヒップホップ界で見られる多くのジュエリーの原型となった。
彼のためにカスタムメイドされたファンシーカラーのダイヤモンドペンダントに加え、最近ジュピターのオークションで落札されたフルバゲットセッティングのロイヤルファイブタイムゾーンを含む、数えきれないほどのジェイコブ ファイブタイムゾーンをファレルは手にしてきた。さらに、ルビーがフルセッティングされたフォータイムゾーン トゥールビヨンや、ダイヤモンドがセッティングされたザ・スタンダードの着用も確認されている。
ジェムセットされたカシオ G-SHOCK×ベイプ DW-6900(ジェイコブ)
2000年代、セレブリティのあいだでG-SHOCKの人気が急上昇した。NIGO®︎とファレルが日本のストリートウェアをアメリカに持ち込んだことが、この時計の成功の一因であることは間違いない。しかし、ファレルはさらに一歩踏み込んで、ジェイコブにホワイトゴールドとダイヤモンドによるベイプコラボレーションのDW-6900を依頼した。実用性を重視した時計にエキセントリックなひねりを加えてみせたのだ。この時計は、ダイヤモンドとピンクサファイアをセットしたジュエリーライクなベイプ×ベイ・バラーのG-SHOCK DW-6900を2021年にメットガラで着用した、キッド・クーディに影響を与えたと思われる。
膨大な数のリシャール・ミルコレクション
ファレルとリシャール・ミルの友情は、ファレルがグウェン・ステファニーをフィーチャーしたシングル『Can I Have It Like That』でこのブランドの名前を出した2006年にまでさかのぼる。現在ではリシャール・ミルとより正式な提携を結んでおり、ファレルは私のお気に入りであるスマイリーのような新作をつけているのをよく目撃されている(この話は本当にやめられない)。
ファレルのコレクションには、知る人ぞ知るリシャール・ミルの名品も散見される。2017年、ファレルはその時点で2回にわたり製作されていたフェリペ・マッサ ウォッチ、RM 056 フェリペ・マッサ(世界限定5本)を着用していた(RM 056-01とRM 056-02はそのあとに発表されている)。同年、彼はRM 031(世界限定10本)をつけているところも目撃されているが、これもまた2012年に登場したモデルである。2017年ごろには、彼ほどのセレブがリシャール・ミルを使用するのはごく当たり前のこととなっていた。だが、ファレルは古いAPと同じように、古いリシャール・ミルの限定品を手に入れて身につけていたのだ。
ファレルは意外にも、セレブリティによるリシャール・ミル ブームの先陣を切った存在だ。2014年に初めて公の場で着用する姿(RM 011 ロータス F1チーム ロマン・グロージャン)を目撃された彼は、同ブランドと強い関係を築き、2019年には彼自身のリシャール・ミルの時計、RM 52-05 ファレル・ウィリアムスを共同制作している。忘れてはならないのは、ファレルが生まれたのは1970年代、『スター・ウォーズ(原題: STAR WARS)』やクラフトワーク創世記の時代であるということだ。さまざまな要素(科学、工学、芸術、視覚言語)が混ざり合うことで彼の宇宙的でアバンギャルドなビートを生み出しているように、ファレルとRM、そしてそのほかの時計全般との関係もまた非常に興味深いものとなっている。
では、次はどうなるのだろう?
ジュピターのオークションを控えたファレルが最近撮影したビデオでは、この売却は再出発への道を開くためのものだと説明している。私の同僚であるリッチ・フォードンは、ファレルが時計を購入し、身につけるときにちょっとしたパターンがあることを巧みに指摘した。「彼は5年おきに新しい時計をいくつか買って、それを5年ぐらい使っては、また新しい時計を買う。2002年から2006年まではAPのQPを2本、2006年から2010年まではG-SHOCK、2010年から2014年まではAPのコンセプトと、一種のサイクルがある」と。
2023年から2028年まで、彼の腕には何が巻かれているのだろうか。もしかしたら、ルイ・ヴィトンの時計かもしれない。いずれにせよ、メンズのファッションディレクターという新たな立場になることで、彼は特に若いコレクターが何を買って身につけ、クールだと感じるのかということに、より大きな影響力を持つようになるだろう。また、コレクションやデザイン文化の多様化も担う立場にある。そして、黒人としてのアイデンティティや経験の豊かさ、幅広さを生かし、ラグジュアリー界において黒人ならではの才能をより積極的に発信していくのだ。彼がファッションのためにこれらのすべてを成し遂げることは、すでに当たり前のことのように思える。私は、彼が時計の世界にも同じような影響を与えることを望む。
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