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WATCH OF THE WEEK 叔父のブライトリングに捧ぐ、決して替えがきかない時計

彼は人生を謳歌するために時計を買ったのだから、悲劇で定義されるようなことはないだろう。

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Watch of the Weekでは、HODINKEEのスタッフや友人から、時計にまつわる個人的なエピソードを募集しています。本日ご紹介するのは、HODINKEEのブランドパートナーシップ担当シニアセールスマネージャー、ティム・マーレイ(Tim Murray)。彼の叔父が1996年に購入したブライトリング ブラックバード クロノマットのエピソードを語ってくれている。

この時計は、10年間、ほぼ毎日身につけていました。大学時代も、面接のときも、出張や休暇のときも、ずっと手首につけていたのです。結婚式から平日のオフィスワークまで、ありとあらゆる場面でこのブライトリングは私の手首の上にありました。しかし、1996年から2001年まで、この時計はニューヨークで別の道を歩んでいたのです。

 このブライトリング ブラックバード クロノマットは、9月11日の攻撃で世界貿易センタービル内で悲劇的な死を遂げるまで、私の叔父の時計だったものです。彼は妻、娘、両親、兄弟、姪、甥、そして限りなく多くの親しい友人を残していきました。そして、ここに彼の時計があります。

1996 Breitling Blackbird Chronomat

 叔父のブライトリングを1度サイズを合わせたあとは、何年も私の手首から離れませんでした。常に手首につけていても、自分のものだという実感が湧かないことに変わりはありません。それは重く、光沢があり、私の腕の毛はかつてないほど試練にさらされました。そして、フィットしているとは思えませんでした。誰かのために持っているような気がしたのです。しかし、その不安とは裏腹に、身につけているときは何よりも大きな責任と誇りを感じていたのを覚えています。その物理的な、そして比喩的な重さは、あっという間に私の日常や生活の一部となりました。

 重みのある時計は、そういうもの。玄関を出て3歩も歩けば、何かが欠けていることに気がつくものです。

Tim Murray

 叔父のブライトリングが人々、特に私に与えた真の影響に気づき始めたのは、大人になってからニューヨークで生活し、仕事を始めてからでした。友人たちは、私が毎日身につけている時計にまつわるストーリーを知っていましたが、年に何度も話題に上るようなことではありませんでした。しかしニューヨークで時計産業に関わる仕事をするようになってから、その状況は変わりました。その時計にまつわるストーリーは? そのブライトリングにはどんなストーリーがあるのだろうか?

 ブライトリングの90年代というのは、今の時計界ではややニッチな存在です。身近にあるけれど、毎日見るものではないから、少しは注目されました。何も言わず、“家宝”として受け流すこともありました。また観客と打ち解けることができれば、叔父の話や私の手首にはめるに至った経緯を話すこともありました。一緒に仕事をしたことがある人なら、きっと聞いたことがあるはずです。

 今年の記念すべき年に、叔父とその時計について何か書くのは正直ためらわれましたが、もし書くのに適切な場所があるとすれば、それはこのHODINKEEだと確信しています。

1996 Breitling Blackbird Chronomat

 父と叔父は1990年代後半、世界貿易センターのカントール・フィッツジェラルドで一緒に仕事をするようになりました。ふたりとも大ブレイクしたので、叔父はお祝いをしたかったようです。結局、父と何の相談も話し合いもなく、自分の功績を称えるためにこのブライトリング ブラックバード クロノマットを購入することになったのです。ふたりとも質素で勤勉な家庭だったので、叔父にとってはまったく未知の領域でした。そのため、叔父は当然、自分の大奮発を余計な目で見られないよう、できるだけ静かに、目立たないように机の下で新しい腕時計の箱を開けたそうです。

1996 Breitling Blackbird Chronomat

 しかし叔父が時計をシャツの袖口にしまう前に、父は何かが起きていることに気づいたのです。今日、父がその話をするとき、叔父が何を買ったかを知らせた瞬間、眉をひそめ、喜びと満足でにやにやしていました。私は、25年以上前のあの世界貿易センターのオフィスに、ふたりと一緒にいるような気分になりました。

 叔父にとっては大きな買い物でしたが、長年にわたって私が聞いていた話では、弟が時計という形で成功を収めるのを見て、叔父が新しいブライトリングを手にして経験したのと同じように、父も誇りと充実感を得たのだそうです。

1996 Breitling Blackbird Chronomat

 その後5年間にわたるこの時計の冒険について私が知っているのは、正確さよりも一般的なことですが、この時計が素晴らしい旅行、コンサート、パーティー、そして私の家族との数え切れない思い出の証人であったことは確かです。このブライトリングは、ビーチから役員室まで、ニューヨーク・レンジャーズの試合からチェルシーFCの試合まで、そしてそのあいだにあるあらゆる場所で叔父と行動をともにしました。彼が誰かと握手するたびに手首にありました。そのような偉大な人々の何人かがこの物語を読んでいても、私は驚かないでしょう。

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 叔父の時計と暮らした経験で最も衝撃的だったのは、その時計について知る人に与える影響を目の当たりにし、理解できたことだと思います。叔父と時計の話をすると、ほとんどの場合、ほかの人が21年前のあの恐ろしい日の体験や記憶を思い出し、詳しく話してくれるのです。私は、世界中のさまざまな立場の人たちが、忘れていた記憶をよみがえらせるのを目の当たりにしてきました。ある年齢の人たちは皆、あの日、あの瞬間に自分がいた場所について基準点を持ち、その結果、私や叔父の時計とつながりを持つようになるのです。

1996 Breitling Blackbird Chronomat

 時計の世界で数年働いたあとも、叔父のブライトリングを毎日つけていました。ただ、ずっと持っていたいと思うようなものを自分用に買うという衝動には駆られなかったのです。でも、誘惑はありました。今思えば、自分用に何か買いたいと思った最初のきっかけは、OEMストラップの選択肢が少なくなってきたことでした。ニューヨークのブライトリングブティックの常連になり、引き出しのなかにはラバーやレザーストラップのコレクションがたくさん入っていました。

 そんな衝動に駆られたのは、ちょうど私の好きな時計ブランドのひとつであるチューダーが新しいことに取り組んでいるときでした。2018年のバーゼルワールドに仕事で参加していたとき、チューダーがブラックベイ フィフティ-エイトを発表したのです。私はすぐにその魅力に取り憑かれました。そして、すぐに時計を買う予定ではなかったにもかかわらず、誘惑に負けてしまったのです。結局、2019年の初めにチューダーから時計を入手することができました。

 そして、叔父のように、私も新しい時計を身につけるまで時間を無駄にすることはありませんでした。その日、私はブラックベイ フィフティ-エイトを腕につけてチューダーブティックをあとにし、叔父のブライトリングをオフィスに持ち帰った箱に安全にしまい込みました。

1996 Breitling Blackbird Chronomat and Tudor Black Bay Fifty-Eight

 代替品を探していたわけではありませんが、ブラックベイ フィフティ-エイトは叔父の思い出を手の届くところに置いておくのに役立ち、同時に新しい経験を受け入れ、ブライトリングは特別な瞬間のために取っておくことができることがわかりました。

 人生で最も重要な日には、いつも叔父の時計に手を伸ばします。もし直接会ったときにチューダーやほかの何かをつけていても軽視しないでください。結局のところ、人生の最大の瞬間のいくつかは予期せぬものなのだから。