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時計コミュニティの一員であることの醍醐味のひとつは、“おそらく二度と見ることはないだろう”と即座に思うような時計を目にする機会があることだ。場合によってはさまざまな理由から写真を撮ることはもちろん、そのような経験を共有することすら許されないことがある。しかしヴァシュロン・コンスタンタン(そしてこの時計の所有者)のおかげで、最近ニューヨークの旗艦店に入荷したユニークピースの簡単な概要を共有してもらうことができた。それがヴァシュロン・コンスタンタン レ・キャビノティエ - ピーテル・パウル・ルーベンス『アンギアーリの戦い』へのオマージュだ。
このユニークな時計は、2020年12月にヴァシュロン・コンスタンタンがオークションに参加し、収益の100%をルーブル美術館による教育ワークショップの広大なプロジェクトを収容するスタジオスペース、ル・ストゥディオ・デュ・ルーヴルに寄付したことから始まった。ル・ストゥディオ・デュ・ルーヴルでは家族連れや学生、学校グループ、障害者や恵まれない人々など、あらゆる年齢層の来館者が美術や文化に親しむことができるよう、さまざまなプログラムが用意されている。さらにうれしいことに、これらのプログラムにはすべて美術館の入場料が含まれている。
落札者は28万ユーロ(日本円で約4375万円)を支払い、ヴァシュロン・コンスタンタンにルーヴル美術館のコレクションにあるあらゆる芸術作品をミニアチュール・エナメルまたはグリザイユ・エナメルで再現した文字盤を備えたオーダーメイドの1点ものモデルを制作してもらうチャンスを得た。しかしそれは、カタログをめくってインスピレーションを得るような単純な体験ではなかった。
代わりに入札者は時計の文字盤にするのに最適な作品を求めて、美術館の専門家による案内で個人的なプライベートツアーに参加した。予約制で一般公開されているキャビネ・デ・デッサン(版画・素描閲覧室)を訪問し、入札者はこの時計のベースとなったルーベンスの作品を見つけた。それが『アンギアーリの戦い』である。
この絵は英語で『The Struggle for the Standard of the Battle of Anghiari』と訳される。フランドル派の巨匠ルーベンスにより描かれたもので、彼が17世紀初頭にイタリア滞在中、アンギアーリの戦いを描いた素描を購入し、インクやチョーク、水彩で加筆したと言われている。
レオナルド・ダ・ヴィンチが、フィレンツェのシニョリーア広場(のちにヴェッキオ宮殿となる)の大会議室のために制作を依頼した巨大な構図が、この“戦い”の原型である。この作品はローマ教皇エウゲニウス4世とヴェネツィア共和国およびフィレンツェ共和国の軍隊がミラノ公国軍に勝利したことを祝して描かれたもので、ダ・ヴィンチの偉大な傑作のひとつと見なされていたが、1506年にレオナルドによって未完成のまま放置され、急速に劣化していった。ほかの最近の美術史家たちはこの作品は着手すらされていなかったと示唆しているが、ダ・ヴィンチのこの作品のための研究はしっかりと記録されている。
ルーベンスの作品の歴史について私が理解しているところでは、この作品はのちにロレンツォ・ザッキアによって彫られたものが元になっている可能性があり、それ自体はダ・ヴィンチによって描かれた原画か、未完成のオリジナルが元になっているかのどちらかである(原画が存在したとすればだが)。ダ・ヴィンチの原案を物理的に永続的に思い起こさせる作品はいくつかあるが、ルーベンスによるアイデアの“共同作品”という点では、この作品が最も有名だろう。ヴァシュロンのエナメル職人は、ルーベンスの作品の深みと力強さを見事に表現し、写真では残念ながら実物ほどには伝わらないが、素晴らしい仕事をした。
絵画の一部を切り取り、直径わずか3.3cmの文字盤にミニチュアとして表現することがどれほど難しいか、私には想像できない。レ・キャビノティエに所属する匿名のエナメル職人の言葉によれば、ディテールと奥行きの両方を達成するには微妙なバランスが必要だったという。エナメル職人はジュネーブに古くから伝わるミニアチュール・エナメルの技法が原作へのオマージュとして最もふさわしいと考え、一般的にグリザイユ・エナメルで使用されるリモージュ・ホワイトを取り入れた。彼らは細かいディテールを表現するために3、4本の硬い毛が付いた筆やサボテンの棘を使うこともあった。
私の心を本当に引きつけたのは作品の躍動感だけでなく、光がエナメルのさまざまな部分に反射し、特に馬のたてがみの暗い部分にアクセントを与えていることだった。それが立体感と動きに象徴されるリモージュ・ホワイトの力だ。またジュネーブフラックスのアンダーコート(何層にも重ねたガラス化エナメルを最終的に無色透明に保護するもの)によって、さらに輝きと深みが増したという。
最終的に職人はブラウン、グレーブラウン、セピアブラウン、クリームブラウンの約20の色調を用い、それぞれ着色するあいだに文字盤を900℃の温度で焼成した。最初の層は非常に軽く焼成する必要があり、エナメルのガラス化プロセスを開始するのに十分な時間、しかし色の濃淡を変えすぎない程度に焼かなければならなかった。
最終的に時計は40mm径、9.42mm厚の18Kピンクゴールド製ケースにオフィサータイプのケースバックを備えたものとなった。内部にはヴァシュロンが設計・製造したCal.2460SCを搭載し、時・分・秒を表示する。このキャリバーは主にメティエ・ダールの時計に搭載されている自動巻きムーブメントで、2万8800振動/時(4Hz)で作動し、パワーリザーブは約40時間である。私はこの時計を身につけることはできなかったが(もちろん完璧な状態で引き渡しを受けたいオーナーへの配慮から、時計をつけさせてもらうのは無理な話だった)、この時計のサイズと手に持った感触は間違いなく完璧に身につけられるものだ。しかし私の考えからすると、この時計は身につける時計というよりもディスプレイピースであり、芸術品である。
この時計のポイントが文字盤であることは確かだが、ヴァシュロンは期待どおり、ムーブメントの仕上げに時間と思慮を注いでいる。その最たるものがルーブル美術館の東側ファサードをエングレーヴィングした22Kピンクゴールド製のローターである。
おそらくこの時計で最もクールなことのひとつは、ユニークでありながら、ヴァシュロン・コンスタンタンと関係をもつ人(そして余裕がある人)に開かれた新しいパートナーシップと体験への扉を開いたことだろう。この時計が初めてオークションに出品されたとき、彼らはこの時計を“あなたの腕に傑作を(A masterpiece on your wrist)”と呼んだが、これは現在ルーヴル美術館とヴァシュロン・コンスタンタンが提供する新しいプログラムのタイトルとなっている。そして最近、夏のパリ観光の猛暑と気が狂いそうな混雑を乗り切った私にとって、製作される時計だけでなく、この新しいプログラムが提供する体験をこれほどうらやましいと思ったことはない。
このプログラムを通じて、顧客はルーブル美術館のガイド、ヴァシュロン・コンスタンタンの熟練時計職人や職人とともにプライベートツアーに参加し、自身が選んだシングルピースエディションの完璧なインスピレーションを探すサポートを受ける。ピーテル・パウル・ルーベンスへのオマージュと同様、購入者が選んだアートはエナメルで再現される。そして私が選ぶだろう絵画を想像すると心が躍るが(結局のところ、これはおそらくカラヴァッジョを所有することに最も近づくだろう)、値札(魔法の言葉"on request"が特徴だ)は私の手の届かないところにあることは確実であり、幸運な顧客のためにこのプログラムから生まれたほかの時計も見みられることを願っている。
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