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Culture Of Time ヴァージル・アブローが変えた腕時計のあり方

彼は、ストリートウェアとラグジュアリーを融合させることでファッション界の頂点に上り詰めた。またその過程で、全世代のリストウェアのテイストを形成し、時計メーカーが見習うべき手本を示したのだ。

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ファッションデザイナーのヴァージル・アブローは、日曜日にごく稀な癌のため41歳という衝撃的な若さで亡くなったが、彼が残した文化的遺産は計り知れないものがある。特に、高級ストリートウェアブランド「オフホワイト(Off-White)」のファウンダーとして、また、ルイ・ヴィトン初の黒人アーティスティック・ディレクターとして知られている。彼はまた、時計収集家でもあった。時計(特にパテック フィリップのノーチラス)に関しても洋服と同じアプローチをとった。素材をヒップホップのビートのようにサンプリングして改良していったのだ。彼は、高いものとチープなものを衝突させ、逆転させた。こうすることで、彼はラグジュアリーの概念を再定義したのだ。

 彼は3本のパテックで知られていた。ゴールドのノーチラスと、カスタマイズされた5726のムーンフェイズのペアだ。私は彼がゴールドをつけている姿がとても好きで、ゴールドを扱うその姿はまるで作業着だった。「ああ、この古いヤツ?」と、誰もが欲しがり、誰も手に入れることができなかった時計を、グリーンの半袖シャツとペンキのついたカーペンターパンツに合わせていたのだ。これまでにまったくない使い方だった。

Late fashion designer Virgil Abloh wearing his gold Nautilus

 彼にはコンテクストがすべてだった。自分の名前さえも。他の高級メゾンの同業者が「~氏」や「~さん」と堅苦しく呼び合うのに対し、彼はただのヴァージルだった。彼は自分自身を、そして彼の服を親しみやすいものにした。それはもちろん、今日の消費者が求めていることであり、ソーシャルメディアで育った消費者が期待していることでもある。クチュールの黎明期から何百年ものあいだ、ラグジュアリーとは手の届かないもの、排他的なもの、エリートは所有できても庶民は所有できないものであり続けた。ヴァージルはそれを嫌ったのだ。彼は貴重なものを象牙の塔から持ってきて、我々に見せた。「ここにある」と彼は言ったのだ。「触れてみて」と。

 逆もまた真なりだ。ガーナ人移民の息子としてイリノイ州で生まれた彼は、世界的に最も勢いのあるミレニアル世代の典型的なコスモポリタンに成長した。オフホワイトの本拠地はミラノ。ヴィトンはパリ。ヨーロッパの伝統主義の砦に根を張ることは、単なるビジネス上の決断ではなかった。それは、彼がその一員であることを証明する方法だったのだ。

 彼は年を追うごとにそれを証明し続けた。LVの最初のコレクションでは、フォーマルなテーラードビジネススーツを、スウェットのようなプロポーションのラフなルームウェアに再構築し、最後のコレクションでは、飛行機が着陸できそうなほど広い襟と肩章のついた、驚異的なオーバーサイズのコートを発表した。オフホワイト以前のキャリア初期にも、すでにそれを証明していた。ラルフ ローレンの古いラガーシャツにブロック状の新しいロゴをプリントしたパイレックス・ラインだ。そう、これこそが革新だった。それは、色あせた古いプレッピーウェアを、古着屋の売れ残りから憧れの品に変えるのに十分だった。また、アーティストが自分のものとして再生するには、元の素材を3%調整するだけでよいという彼の哲学のテストケースでもあった。

Late fashion designer Virgil Abloh

 ヴァージルはこの哲学を時計にも適用し自由にカスタマイズしたが、それは3%をはるかに超えるものだった。彼の個人的な作品は、MAD Parisの魔法使いたちによってイオンで粉砕され、無慈悲にも黒くなった5726だ。1本の時計がこれほど多くを物語ることはめったにない。例えばこうだ。「自分がこれにお金を払ったのだから、自分のしたいことをしてもいい」。また、こうも語りかける。「誰かの完成品が私の出発点だ」「そこから最高傑作を作ることができる」。

 ヒップホップで育ったアーティストだけが、このような世界を見ることができるのだろう。ヒップホップはサンプリングがすべてだ。そして反復する。アパッチ・ボンゴ・バンドのドラム・ブレイクを操作して、『Made You Look』が反対側から聞こえてくるまでにする。ヴァージルのパテックは、カスタマイズに対する時計業界の反射的な怒りを、恥ずかしいほど田舎臭いものにしてしまった。それは、いくつかの不快な質問を投げかけた。時計をカスタマイズすることは、ジーンズのパッチワークやNIKEのシューレースを交換することと何が違うのか。なぜ時計の設計者の意図を純粋に保たなければならないのか、そして“純粋”とはそもそも何か。阻止しなければならない“不純物”とは一体何なのか。

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 2017年、ベルギー人デザイナーのラフ・シモンズは、オフホワイトには特に感銘を受けないと言った。「私は、これまで見たことがないと思うもの、オリジナルのものを持つ人に刺激を受けます」。 ヴァージルの作品に率直な人は、ある意味でシモンズが正しかったことを認めざるを得なかった。ヴァージルの作品は必ずしもオリジナルではなかったから。では、なぜオリジナルの方が自動的によいと決めるのだろうか? そして、すべての「オリジナル」は、それ以前にあった何かの上に築かれるものではないのか?

 “純粋主義者”たちをあざ笑うかのように、ヴァージルはさらにワイルドな5726を作った。ブレスレット、文字盤、ベゼルにエメラルドを散りばめた、ドレイクのためにデザインしたモデルだ。それは、時計界への大胆で冒涜的な行いだった。これを身につけたい異端児がどれほどいるだろうか? この時計を公開したインスタグラムの投稿には、67万9000の「いいね!」がついた。つまり、少なくともその数だけ存在するのだ。

 ヴァージルは、奔放な子供のような喜びを持って時計を身につけ、デザインした。2018年には「ツーリスト vs. ピュリスト(純粋主義者)」の緊張感について記し、色あせた皮肉屋になるくらいなら、初心者の心で人生を歩みたいと主張した。「これは、私がものを作るときの視点を整理するための原則です。ツーリストとは、学ぶことに熱心で、パリに来たらエッフェル塔を見たいと思っている人のことです。純粋主義者とは、すべてのことを知り尽くしたと思っている人のこと」。彼の考えは、世界は純粋主義者よりもっと多くのツーリストを活用すべきだという。

今年の初め、私はヴァージルにインタビューを依頼した。Talking Watchesのゲストとして、上記で紹介した作品について語ってもらいたいと思ったのだ。もちろん、ヴィトンの時計についても。私の同僚であるジャック・フォースターが指摘したように、ヴィトンは独自の立場で強力な時計メーカーになりつつある。もし実現すれば、そのエピソードは伝説となったことだろう。インターネットはパンクするだろうが。

 返答は「残念ながら、ヴァージル・アブローは現在、お受けすることができません。この素晴らしい機会のために、彼のことを心に留めておいていただき大変光栄です」というものだった。そのときの私は、これは丁寧な言い方で追い払われたのだと解釈した。しかし、彼ががん治療を受けていたことを知った今では、より寛大に解釈している。できることなら、彼は受けたかったのかもしれない。

 もし長生きしていたら、きっと他にもたくさんの仕事をしていたことだろう。彼がヴィトンにいたのはわずか3年。カール・ラガーフェルドが亡くなったときの年齢の半分にも満たない41歳だった。彼が成し得たであろうことを考えてみて欲しい。彼が指導できたであろうクリエイターたち。彼が壊せたであろう壁。彼が形作ることができたであろうカルチャーの数々を。

 ヴァージルに批判がなかったわけではない。批判のなかには正当なものもあった。彼の服や時計は、控えめに言っても複雑だった。しかし、その複雑さこそが面白いのである。その重要性は議論の余地がない。非常に重要だったのだ。ヴァージルが生きていたときでさえ、彼のいない世界を想像するのは難しかった。今ではもっと難しい。