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Watch & Learn 全くの初心者が、初めて時計コレクターと出会う

先月、恐れ知らずの初心者サラ・ミラーにロレックスを購入してもらった。そして今日、彼女は素晴らしいコレクションを手にして、いくつか疑問が湧いてきたようだ。

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私が初めて時計コレクターに出会ったのは4月、ロサンゼルスのウエストサイドのはずれだった。青い海を背景にピンク、オレンジ、グリーンの色がいたるところに見られ、いかにもロサンゼルスらしい複数のリーフブロワーの絶え間のない轟音だけが、この景色にちょっとだけケチをつけていた。私はワクチンを接種したばかりで、サンタモニカの友人の家に滞在しており、友人がパシフィック・パリセーズまで車で送ってくれたが、誰かの車に乗せてもらうのは1年以上ぶりだった。初めて尽くしの一日だ。この日の目的は、マイケル・ウィリアムズ氏を訪ねることだった。おそらく彼はニュースレター、A Continuous Leanでよく知らている。そこでは、ファッション、ゴルフ、そして人生について語っているが、彼はまた時計コレクターでもあった。

マイケル・ウィリアムズ氏

 私は時計のコレクションを実際に見たことが一切なく、何を期待していいか全く分からなかった。退屈しないだろうか? ビビってしまうだろうか? あまりの時計の数の多さに圧倒されてしまうのではないか? 変なことを言ってしまうかもしれない。「わあ、本当に時計が好きなんですね 」とか「時間がどれほど奇妙なものか今まで考えたことはないですか?」とか……。

 ウィリアムズ氏の家や敷地は、彼の時計コレクションがどのようなものかを予感させるものだった。車道には1976年製の白いBMW 2002があり、裏手には芝生の北端のヒノキの中に赤いツリーハウスがあった。私を迎えてくれた彼は42歳、ダークカラーのリーバイスにランコート&コーのレンジャー・モック、オックスフォード生地のボタンダウンを着て、端正でリラックスした感じだった。左の手首にはチューダーのブラックベイを着けていた。彼が醸し出す雰囲気は、ラルフ・ローレンをより若く、よりカリフォルニア風にしたような感じだった。

 時計はまさにこの人がもっていそうなものばかりだった。ジャガー・ルクルトのレベルソ、IWCが5本、チューダーが3本、ちょっといかしたセイコーが2本、ロレックス、そしてオメガのスピードマスター、これも専門家とは程遠い私が見ても、おそらくヴィンテージか、少なくとも “古い”ものだと分かる(実際、1968年製で、私より1歳だけ年上であった)。私は、これらのブランドが自ら何を語っているのか、誰を、そして何を想起させたいのかを理解しているふりをすることはできなかったが、飼い主が飼い犬に似るように、これらの時計はマイケル・ウィリアムズ氏に似ていることに気がついた。オーナーもコレクションも、丁寧にまとまっているが、派手さはない。明らかに目を引くのはIWCだが、見ためには(繰り返すが、先週IWCとは何かを初めて知った者には)、どれも同じように見えた。

watch collection

ウィリアムズ氏のコレクションを撮影したもの。  

 私たちは裏庭にある木造のガレージの隣にあったシンプルな椅子に腰かけ、間の椅子に時計が置いてあった。二人ともマスクをしていたが、私が「こんにちは、よろしくお願いします」、そして「すみません、このマスクがずっと鼻の下に落ちてくるんですけど、わざとじゃないんですよ」と言った後、私がウィリアムズ氏に最初に言ったのは、「どうしてこれに似た時計を1つもっているのに、微妙に違うものが欲しいんですか?」というものだった。

 ウィリアムズ氏は微笑んだが、その目は、寛容な人によく見られるような、自嘲気味で少しうんざりしているような感じだった。そして彼は「だって、私が頭がおかしいから?」と言った。

  彼は2005年、昼休みにトゥルノー(Tourneau)の店に入り、IWCのポルトギーゼ・オートマティックを見たときの話をしてくれた。当時、彼はアパレルブランドのマーケティングマネージャーとして働いており、決してたくさん稼いでいたわけではなかったため、この小さな時計に「いつか戻ってくる」と約束し、その3年後、マーケティングコンサルタント会社を立ち上げた後、彼は再び店を訪れて約束を果たしたという。「それは私にとって本当に重要な瞬間でした。地下鉄の中でその時計を着け、わあ、自分の総収入の10%を手首に着けているんだ、と思ったのを覚えています」。私はこのスリルに深い親近感を覚えた。自分にとんでもなく素敵なプレゼントを買うということは、常日頃から間違った決断をしているにもかかわらず、自分は大丈夫と言い聞かせているようなもので、この購入もその一つに過ぎないのだと。

 数年間、彼は自分がIWCというブランドに夢中になっているだけだと思っていた。「何と素晴らしい仕事をしているんだろう。全てが審美的に統一され、まとまりのあるものにしている」と。しかし、IWCの時計を5本、そしてチューダーを2本(ロレックスのような存在でありながら、知る人ぞ知る控えめな存在であることが気に入っている)もつようになった頃には、彼は、自分が夢中なのは単にIWCやチューダーといったブランドではないと認めざるを得なくなった。彼は時計そのものに夢中だったのだ。

 彼が話している間に、私が時計を着けてみようとすると、彼は親切にもクラスプを締めるのを手伝ってくれた。というのも、時計のクラスプが見た目ほど直感的に扱いやすいものでなく、私が全くの機械音痴であることがその理由だ。場合によっては壊してしまうのではないかという恐怖心が、行動をひどいものにしている。「時計はどうやってもダメになることはありませんよ」と彼は励ましてくれた。確かに、これらの時計はとても頑丈なものである。私が一番に気づいたのは、時計が実に重いということと、ダイヤルデザインがその重量感を強調しているということだった。

Illustration of a hand selecting a watch

 チューダー ブラックベイの大きな白いドットや、IWCの巨大なイニシャルも気に入ったが、私が盗んでしまいたいと思うほど惹かれたのは、洗練された印象のレベルソだった。これは私に似合っていたし、毎日でも着けていたいと思ったのだが、彼は、ほとんど袖を通すことがないスーツを着る時にしか着けないと言った。そうか、彼はゴルフをするときにそれを着けるんだ、彼はゴルフをよくするようだし。私は、彼がコースに出るときに、あの格好いいヒンジのメカニズムを動かしているのが想像できた。そして、私は自分がバーに入って、あのメカニズムを動かしているのを想像した。バーで、私は手を振り回しながら話すため、新品の時計に傷を付けてしまったりすることがある。スポーツで怪我をする人もいるが、私の場合はジェスチャーで怪我をしてしまうのだ。

 私のレベルソへの親近感は、彼がなぜあれほど多くのIWCをもっているのかを理解するのに役立たった。というのは、彼がパイロットウォッチに夢中になるのと同じように、私はポロウォッチに夢中になっているのがよく分かったからだ。私はとにかくこのパチンという音が大好きで、100種類のポロウォッチから100通りの違った音を聞いてみたいと思っていた。もし私がレベルソを着けるとしたら、ジーンズを履いていてもドレスを着るときでも、あるいは買い物に出かけるときでも、ずっと着けていることだろう。この時計を着けたら私はスニーカーには決して合わせない。それは要するに、この時計は私の名誉のために、その効果をすぐに発揮してくれるということを意味する。

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 私は、機械式とは何ですか?、クオーツとは何ですか?、ムーブメントとは何ですか? などと、初歩的な質問を次々としてしまった。彼は、たとえついていない日でも、パッとしないコースだとしても、雨の日でさえも、ゴルフを愛する人のような辛抱強さをもっていた。彼は自分のロレックスはGMTマスターで、トラベルウォッチであると言うのだが、これに私は困惑させられた。なぜなら、トラベルウォッチは旅行用の歯ブラシや目覚まし時計のようなものだと私は思っていたからである。それから彼はデイトナ、デイデイト、サブマリーナーの話をしてくれるのだが、この時点で私は彼に、どれも私にとってはただのロレックスだと言ってしまった。

 また、こうした基本的な情報を得られたことは非常にありがたく、ここ数カ月の間に人々がロレックスについて言っていたことを必要な文脈で理解することができたのだが、私はおそらく時計ブランドについて基本的なこと以上のことを知りたいと思う人間ではないのだろうと考えてしまった。ウィリアムズ氏もまた、そのような人であることが分かった。「私に細かいことを言わないでくれ、知りたくないと職場でジョークを言っています」と彼は言う。「私は、全ての微妙な差異にこだわる人間ではありませんし、おそらく一生読まないであろう時計の本を棚に並べています。私が時計メーカーのCEOと会ったら、その美意識について話したいと思うでしょう。そのブランドが本物の時計を作るかどうかは知りたいですが、私はムーブメントにはこだわりませんし、何が評価されるかを考えたり、良い投資先を探したりすることもありません」

 この言葉には私も共感するものがあった。私たちは、同じ考えをもっているようだった。1968年製のムーンウォッチであろうが、台湾でセイコーボーイと呼ばれる人から手に入れた300ドルのカスタムメイドのセイコーであろうが、あるいは私がフォントと赤い秒針が気に入って買ったばかりのベラルーシ製の120ドルのルーチであろうと、時計についてせいぜい言えること、そして最も重要なことは、単に“カッコいい”ということだけなのだ。

IWC Pilot watches in a display

ウィリアムズ氏のコレクションにあった、3本のIWC パイロットウォッチ。

 私は、彼が時計や洋服の良さを家族から教わったのだろうと思ったのだが、彼は首を振って肩をすくめ、その表情は全てが謎であることを示唆していた。彼の母親は看護師、父親は造園業を営んでいたが、二人とも時計やファッションには関心がなかった。「私はいつも自分の欲しい服にはとことんこだわっていました 」と彼は言う。「母と一緒に新学期に備えた買い物に出かけたら、母を怒らせていたでしょう」。彼は生まれつきそうだったようだ。

 彼の時計コレクターの定義はかなり幅広いもので、嘆かわしくもあり、面白くもあると思った。「コレクターとは、人と時計の話をしたり、Instagramやインターネットで時計を見たりする時間が長い人。大好きなものについて考え、探し、見つけ出し、買おうとし、最終的には買ってしまう人。ハイテンションになれる人。それを着け、しまい込み、また取り出しては興奮する人。そして、次の時計を探し始める人です」

 まだ読んでもいない時計の本1冊しかもっていないが、これは私が今の時点でまさに感じていることであり、彼もこのように感じているというのは、私のコレクターとしての将来にとっては良い兆候である。時計コレクターになるために特別な条件をクリアする必要などなく、時計を買ったばかりなのに、もう1本欲しくなるとか、必ずしも全ての時計を欲しがる必要はなく、欲しいものだけを買えばいいのだ。私がこれまでに何かを集めたことがあるとすれば、子供の頃のマダム・アレクサンダーの人形ぐらいだろう。髪の色、身長、ドレスのスタイルなど、ある程度の種類を揃える必要があると感じたことを覚えているが、一番集めたときでも人形は4つしかなく、でもこれで十分だと思っていた。

 ウィリアムズ氏は、時計は3本で十分かもしれないと考えており、コレクションの整理を検討している (その反面、新しいチューダーが欲しいと思っていたり、新しいIWCを手に入れてもいいと思っている。彼はもうヴィンテージウォッチは要らないという。オメガと古いBMWを修理しに出している間に、古いものへの興味を失ってしまったからだ)。彼は、レベルソ、オメガ、そして最初のIWC以外の全ての時計を売って、何か大きなものを手に入れようと考えている。サイズの話ではなく、本当に夢の時計のような大きなものを。

時計を買ったばかりなのに、もう1本欲しくなるとか、必ずしも全ての時計を欲しがる必要はなく、欲しいものだけを買えばいいのだ。

 「割り当てられることが困難な、あのロレックスのデイトナのようなものです」と彼は言う。

 「もしかしたらこの記事を読んだ人が、あなたの助けを求める声を聞いて、あなたに分けてくれるかもしれませんよ」と、私は言った。

 「そんなことはないと思う」と彼は言った。「きっと、これを読んだ人たちは、こう思うでしょう。この人は何も考えていないんだな、何てダメな奴なんだろうって。時計の世界にいる人たちは、そこに参加する人が本物であるかについて、非常に強い考えをもっていて、感じの悪い人たちもいます。クラブに入るためにはテストを受けなければならないとか」。そして、時計コレクターとしての自分の最終的な評価に反抗するかのように、彼は言う。「つまり、私は審美性に興味があるのですが、この小さなスペースに全ての技術を詰め込むことができるというのは、彼らにとって魅力的な偉業でもあるのです。彼らはあらゆる複雑な問題を解決して、ほんの一部の人しか気に留めないようなことをやっているのです」

 会話が終わりかけた頃になって、私は、時計コレクターと出会うことの最大の不安が何であったかに気づいた。彼が私を無知だと思うのではということではなく、私がそれを馬鹿げたものと思う、全くつまらないものだと思い、興味を示すふりをしなければならないのではないかと考えていたことだった。厳密に言えば、それはつまらない考えだった。いい時計が10本も必要な人はいない。逆説的だが、私はそれこそが魅力だと感じた。

 「時計を集めることの無意味さは、何かとても癒されるものがあります。私は本当に好きです」と、私は言った。

 彼は笑って、「じゃあ、あなたは人生が好きなのに違いないですね」と言ったのだった。

サラ・ミラー氏は、北カリフォルニア在住のライター。フォローはTwitterで。 @sarahlovescali.

Illustrations by Andrea Chronopoulos