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Just Because オメガ シーマスター 34mmの真価を楽しむ

あなたは、大きさで判断しますか?

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先日、私はいつものように時計を見ていた。しかし、この日は他の日とは少し違っていて、特に内向的な気分だった。私の観察対象となったのは、所有するヴィンテージのオメガ シーマスターだ。一生懸命考えていた理由は、自分の時計の全貌を知らなかったから。それは、私の家で代々受け継がれてきた時計であり、その完全な起源が時の流れと共に失われていたことが大きく関係している。もう一つの理由は、1950年代に製造された34mmのオメガ シーマスターであるということだ。その数は非常に多く(サイズは33mmから35mmまで)、特定の時計についての信頼できる情報を見つけるのは困難だったのだ。

 瞑想状態の中、私はヴィンテージウォッチの愛好家であり、同僚でもあるHODINKEEのヴィンテージマネージャーのブランドン・フラジンと話し始めた。私は彼に自分の時計の写真をいくつか送り、リファレンスナンバーやムーブメントなどについて質問をし始めた。彼がナイフについて話し始めたのは、この時だった。ラグの間を覗くだけでその物語を紐解くのに役立つヴィンテージロレックスとは異なり、34mmのオメガ シーマスターは、もう少し作業が必要となる。この時計がスナップバックの裏蓋を備えていることを確認した彼は、9時側の小さな開口部にナイフを当てて、時計を開けば必要な情報を見ることができると教えてくれた。私はジョン・ゴールドバーガー氏ではないので、次に何をしたかは想像にお任せする。

 アパートから数ブロック先に小さな時計修理店がある。好奇心が最高潮に達していた私は、その店に足を踏み入れることにした。店内に入ると、年配の紳士である時計師に出会った。彼はエドという名だった。私はエドに時計の裏蓋を開けるのを手伝ってくれるかどうか尋ね、彼は快く引き受けてくれた。寡黙な彼は私に時計を手渡す前に一瞬ムーブメントを確認して、「良い時計...とても良い時計です」と話した。私も同感だった。

 エドが私の時計をそう評価してくれたことは、このアイデアを実践した理由の一部だ。34mmのシーマスターは、ヴィンテージウォッチの歴史の中では過小評価されている遺物のようなものである。セカンダリーマーケットでは、わずか数万円という価格で手に入れることができるほど、豊富に存在している。これは父の時計で、60年以上前に祖父が父に贈ったものなのだ。自分が長年この時計を過小評価していたことに罪悪感を感じた。それはあまりにも小さすぎたし、もっと具体的に言うと、後年の大きくてスポーティなシーマスターのダイバーズではなかったからだ。シーマスターに関する書籍や記事を読むとき、私の経験はいつも同じだった。シーマスターというコレクションの紹介があり、その起源について1〜2行で説明され、その後すぐ1950年代の終りに導入されたプロフェッショナルユースのダイバーズモデルに焦点が移るのだ。私は一体どうすればいいのだろうか?

 免責事項として、私はミッドセンチュリーの34mmオメガ シーマスターの全てを語ることはできない。1つには、1940年代後半から1960年代にかけて生産されたモデルの中には、ラグ、ダイヤル、針、複雑機構など、同様に多種多様な時計があり、そのライン全体について意見をまとめて述べようとするのは難しいだろう。とはいえ、私の意見は自分の時計だけを中心に、あちこちに大げさな一般論を散りばめながら、最善を尽くしたいと思う。しかし、その前に、簡単な歴史的な回り道をしてみよう。

オメガ シーマスターの広告、1951年。画像はEuropaStar archives; 許可をて使用。

 第二次世界大戦の終結後オメガは、堅牢な構造と高精度のムーブメント製造という観点で、戦争のための時計の製造(ダーティ・ダース)から学んだことを活かし、軍用に必要不可欠な機能(耐衝撃性や耐磁性など)を受け継いだ民間人のための新しい時計を開発。それがシーマスターであった。そして、その能力を称賛する素晴らしい広告コピー(「Made for a Life of Action」や「The Watch the World Learned to Trust」など)にも関わらず、実際にはただ本当によくできた時計であり、シンプルなものだった。多くの点で、ヴィンテージの34mmオメガ シーマスターは、シンプルで信頼性の高いスイス製腕時計を最も象徴的する時計なのである。

 私のシーマスターの由来に話を戻そう。今回いくつかの情報を得ることができた。この時計が1960年に祖父が父のバル・ミツワー(ユダヤ教徒の成人式のようなもの)のために父に贈ったものだということは以前から知っていた。実はこの時計は父のその日の唯一の思い出なのである。なぜなら当日の大規模な吹雪のために、友人や家族がお祝いのために集まることができなかったからだ。それでもこの時計はずっとそばにいてくれたそうだ。父は大学の在学中ずっとこの時計を身に着けていた。ご想像の通り、その次の大きなものを購入するまでは。数年後、私はこれを受け取ることとなる。その後、多くの人がそうであるように、私は15年間その時計を忘れていたのだが、運よく見つけることができた。

 結果的にこの時計は、1960年よりさらに数年前に遡ることになる。オメガのアーカイブによると1957年11月18日に製造されたものであることが分かる。それはその後、米国陸軍外国為替(PXつまり米国軍隊内の売店のこと)に送られ、販売されることとなる。

 私は数ヵ月前に、祖父が所有していたロレックス サブマリーナーの詳細と、彼がどのようにして第二次世界大戦中に陸軍に従軍したか、そして彼がそのキャリアの全てを外務員として働く前にどのようなキャリアを経たのかについての記事を書いた。だから、時計の生産された日付を知って、それが1957年か1958年に私の祖父が配属されているであろう場所を見つける必要があった。その頃、祖父はインドでの任務を終え、ワシントンD.C.に戻る準備をしていた。インドからワシントンに向かう途中で、おそらくヨーロッパに立ち寄り、そこのPXで時計を購入したようだ。それは父に時計が贈られる2年ちょっと前のこと。贈り物を信じられないほど前に購入しておくという典型的なケースだったようだ。もしかしたらそんなケースについて、ここから学ぶことがあるかもしれない。

これは私の34mmオメガ シーマスターRef.2802のケース内部にあるCal.471の写真。時計師のエドに会いに行ったときにカメラを持っていなかったため、iPhoneで撮影した。

 この時計はリファレンス2802、ムーブメントは20石のオメガCal.471。本ムーブメントは、その時代にいくつかのバリエーションを経ている。このムーブメントのこの特定のバージョンは、耐磁性と耐衝撃性を備えており、パワーリザーブは最大40時間だ。直径25mm、厚さ5.5mmで、2.75Hzで駆動する。時計師エドへの訪問中、私はムーブメントを長い時間見る機会を得た。63年前の時計にしては、このムーブメントの動きは素晴らしく、ローターには「The Omega Watch Co. Swiss」とある。この時計に関する全ての関連情報は、ケースバックの裏側にあった。その他にも「裏蓋にワッシャーをはめ込む」ように指示するテキストが、ドイツ語、フランス語、英語、スペイン語で書かれていた。また、ケースバックをケースの裏蓋以外の場所には置かないよう記載されていた。もちろん私もエドも、その指示について何の問題もなかった。

 この時計に対する個人的な賞賛に戻るが、特に高く評価していることの1つは、ドーム型のアクリルクリスタル風防だ。ご覧頂きたいのだが、とにかく本当にドーム型なのだ。この時計は、私の知る限りでは、何年にもわたって一度もオメガに修理を依頼したことが無い個体である。これに関しては、年代の割には風防の状態が素晴らしいということだけを述べておきたい。この時計は非常にシンプルなファセットを施した曲線のラグを備えており、四角いラグよりも少しスポーティな印象を与えている。ケースにもいくつかの素晴らしい面取りが施されている。

 名前に「海」が入っている時計の防水性能は、もともと30mか60mそこらしかなかったのだが、私はそれをテストするつもりはない。私の理解では、これらの時計は、水に飛び込む人のためではなく、船を操舵する船長のために作られたのではないかと考えている。水中での時計に関しては、また別のシーマスターの仕事になるのだ。この発想は、別の分野へとうまく分岐する。

 ヴィンテージコレクターの間で最も注目されている「シーマスター300」は、この時計と同じ年、1957年に発売された。新しいシーマスターが登場しても、この34mmサイズのシーマスターは、プロ向けのダイバーズモデルと比較してかなり多く生産されていた。つまり、もし1957年に戻ることができたら、どんな時計を買っていただろうかと妄想を膨らませながらも、正直な答えは「おそらく34mmのオメガ シーマスター」ということになる。これは、多くの点で理想的な時計だったのだ。ロレックスよりも安価で、当時の多くの勤勉な男たちの手首に装着されていた。これが、私のように、誰かに受け継がれてきた時計を持っている人が珍しくない理由の1つだ(全く反対の可能性もある)。

 私はこの時計についてロマンチックに語っているわけだが、明白な事実を無視しているわけではない。そう、34mmのシーマスターは間違いなく小さい時計である。もっと大きければよかったと思うこともあるが、このサイズが放つ気取らない雰囲気が、この時計を身に着けるたびに時を遡るような気分にさせてくれるのだ。完全に時代を超越したものであることができないのは、その強みでもある。それ自体がタイムカプセルであり、時計の歴史の中の特定の地点の器であり、私の家族の歴史でもある。

 私の家族は誰もこの時計を普段使い用として使わなかった。にも関わらず、時計はこのような興味深い方法で熟成されていく。文字盤には、内部に水が浸入したことによる酸化とシミが見られる。この影響は、オメガのロゴとシーマスターの文字にも見られる。私は時々、この時計が古いことを知らせてくれているのではないかと思うことがある。ドーフィン針にも酸化の痕跡があるが、それが時計全体の魅力を高めている。魅力といえば、秒針のわずかなカーブも魅力的だ。

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 私のシーマスターには、ラジウム夜光が塗布されている(されていたの方が正しいか)。 時針と分針の上にあるスリットの上には、夜光が黒っぽくなっているのが分かる。上から下まで、この時計はヴィンテージ時計のタイポグラフィ愛好家にとって本当に面白いものだ。まず、アプライドされたロゴの下にはアール・デコの影響を受けたオメガの文字(そして上部にはアプライドされた12がある)、次にクラシックでフラットな "A "のタイポグラフィをもつオートマティック、そして忘れてはならないのがシーマスターの幻想的でクールな "S "のタイポグラフィである。ケースバックにも同様の特徴が見られる。クラシックなシーホースのエングレービングなど、シーマスターの特徴がないことにもご注目いただきたい。しかし、ケースバックの底面には「Waterproof」の文字が刻まれている。このように小さなディテールが、時計の評価をミクロレベルで規定しているのだ。

 この時計は、私にとって日常的に身に着けるものではないし、そうであったこともない。実際、私はこの時計と行動をするとき「身に着けるよりもじっと見ている」ことが多いのだが、それには何の問題もない。手に持ってリューズを回して、その巻き上げ機構の心地良い音を聞くだけで十分な時もある。私はしばしばこれを私のドレスウォッチとしてのラベルを付けようとしてきたが、それは明らかにそうではない何かであることを感じた。結局、ミッドセンチュリーの、戦後の時計製造の美しい見本であるこの時計自体を評価するようになったのだ。小さくて、どんな時計師にも簡単に修理ができるようなムーブメントを搭載している。それだけでも、その強さと耐久性の証なのである。

 オメガ シーマスター34mmのバリエーションは非常に多く、私のものと全く同じものに出くわしたことはない。しかし、私はそれがむしろ良いと思っている。この小さな時計は大きなパンチを効かせているが、それが時計を大きくするわけではない。歴史、精度、そして個性という点で、この時計がテーブルにもたらしたものを評価する私の能力を損なうものでもない。この時計が非常に良い時計であることを知るために、必ずしもエドのお墨付きである必要はなかったのだが、それにしても、手に入れることができて良かったと言わざるを得ない。

写真: カシア・ミルトン