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モータースポーツのレースやラリーの勝者に時計を贈る慣習には長い歴史がある。ロレックスは、毎年開催されるル・マン24時間レースとデイトナ24時間レースの優勝者に特別なデイトナを贈呈していることで最もよく知られた存在だろう。これらのイベントの賞品として用意される時計は、通常、既存の生産モデルの派生型で、特別な刻印、素材、カラーリングが施されており、そのレースのために特別に考案されたユニークピースというわけではないのが通例だ。
しかし、ルールには常に例外が存在するように、1980年代のカルティエは、当時のCEOであったアラン・ドミニク・ペラン(Alain Dominique Perrin)と、伝説的なパリ・ダカールラリーの創設者であるティエリー・サビーヌ(Thierry Sabine)が、カルティエ・チャレンジを発案したことでルールから逸脱した。パリ・ダカールラリーは、1979年に始まったオフロード耐久レースで、ドライバーはパリをスタートし、約3週間かけてサハラ砂漠を6200マイル(約1万km)走り、セネガルの首都にゴールする。世界で最も困難なレースのひとつとされているが、ペランとサビーヌはその過酷な競技にすら物足りなさを感じていた。カルティエ・チャレンジの優勝条件は、パリ・ダカールラリーで連続1位を獲得することである。そして連覇を達成した選手には、新作カルティエ シャイヒ(Cheich)が贈られることとなった。
当時のカルティエのクリエイティブ・ディレクター、ジャック・ディルトエ(Jacques Diltoer)がデザインしたこのモデルは、カルティエのケースデザインに対する非常にクリエイティブでユニークなアプローチを示す一例となった。このユニークなケース構造は、サハラ砂漠に住むベルベル人のトゥアレグ族が日除けのために被っている伝統的なタジェルムストコットンヘッドスカーフ(通称シャイヒ)から着想を得たものだ。WG、YG、RGの3種類のゴールド素材が織り成すユニークなレイヤーケースが特徴的なこの時計は、2種類のサイズとダイヤモンドセッティングの有無が生産された。ダイヤモンドをあしらったスモールサイズはレースの女性優勝候補に贈られ、ラージサイズは男性優勝候補のために作られた。
ペランとサビーヌは、カルティエ・チャレンジの制覇は不可能に近いと確信していたのだろう。しかし、それは間違いだった。ベルギー出身のガストン・ライエ(Gaston Rahier)は、BMWのバイクでレースに参加し、1984年にカルティエ・チャレンジが発表されてから最初の2大会で優勝し、最初の、そして今のところ唯一の、カルティエ シャイヒの所有者となったのだ。しかしカルティエ・チャレンジは長くは続かなかった。1986年、サビーヌはヘリコプター事故で悲劇的な死を遂げ、パリ・ダカールラリーは存続したものの、ペランはカルティエ・チャレンジの表彰と贈呈を取りやめたためだ。
その短い歴史のなかで、カルティエ シャイヒは合計4本しか製造されなかったと言われている。カルティエはチャレンジが発表された1984年に、男女ペアの個体が製作された。ライエが受賞したのち、カルティエ・チャレンジが終了する前に、将来の優勝候補のためにラージサイズモデルを追加で製作した。4本目のシャイヒは、ペランからサビーヌに贈られたものと思われる。ライエの時計は、カルティエの伝統的なレイルロード風ミニッツトラックをダイヤルに配し、ほかのモデルとは少し異なっている。2本のシャイヒは授与されることなく、カルティエのアーカイブに保管され、販売されることはない。ペランが所有する個体は永久に失われたとみなされている。ライエの時計は、トロフィーというモデル本来の目的を果たし、個人の手に渡った唯一のシャイヒでもあるのだ。
カルティエに精通したコレクターや愛好家は、ライエのシャイヒについて長いあいだ話題にしており、多くの人がこの時計をカルティエのタイムピースのなかで最も希少で魅力的なもののひとつと考えている。そして約40年の時を経た今、サザビーズがパリで開催するオンラインオークション“Fine Watches(ファインウォッチ)”で、ライエの時計が初めて市場に出回ることになった。
ライエが獲得したカルティエのシャイヒは、これまで一度も公に販売されたことがない。2005年に亡くなるまで彼の手元にあり、その後はベルギーにいる彼の遺族のもとに保管されている。
「この時計はガストンの家族から直接譲り受けたものです」と、サザビーズのインターナショナル・スペシャリストでパリ在住のブノワ・コルソン(Benoît Colson)氏は言う。「このオークション以前に展示されたことは一度もありません。ガストン氏にとって最も貴重なものだったので、パリ・ダカールラリーで優勝したあと、テレビに出演したときに一度だけ着用したことがありますが、それだけです」。
実際にこの時計を見たり触ったりする機会はなかったが、カメラマンが撮影した画像を見ると、40年前のこの時計はダイヤル6時付近にわずかなクスミが見えるだけで、完璧なコンディションを保っているようだ。興味深いのは、シャイヒがトロフィーとして使用されたことを示す刻印がないことだ。この時計のオリジナルの特注ケース、つまりこのオークションに付属するカルティエのクラシックな赤の三角形の箱には、カルティエの署名の下に“Trophée Paris Alger Dakar”と書かれた小さな金色のラベルが見えるだけである。
ライエ所蔵のカルティエ シェイヒのエスティメートは20〜40万ユーロ(約2812〜5625万円)と予想されているが、私が最近話したカルティエの専門家やコレクターのなかには、さらに高い期待を寄せている人もいる。この2年間、オークションに登場したカルティエの高級時計や希少な時計が達成した高値が話題をさらっている。フィリップスでは2021年春のジュネーブ・オークションで、1972年製のカルティエ ペブルが36万2000ユーロ(約5091万円)という驚くべき価格で落札された。そして今年5月にオンラインオークションプラットフォーム“Loupe This”で1967年製のカルティエ ロンドン クラッシュが達成した150万ドル(約1億9720万円)という驚愕の価格を忘れることはできないだろう。カルティエ シャイヒは、この2本の結果を上回る可能性だってあるのだ。
「この時計に興味を持つコレクターは実にさまざまです」とコルソン氏は語る。「この時計を何年も待ち望んでいたカルティエのトップコレクターがいることは明らかです。パリ・ダカールとの関連から、クルマのコレクターも興味を示すでしょう。そして、誰も持っていないし、誰も手に入れることのできないこの時計を欲しがる、著名な富裕層の方々もいらっしゃいます」
コルソン氏の指摘はもっともだ。シャイヒは完全にユニークな時計である。カルティエが所有する2本の個体は永遠に販売されることはなく、4本目の個体は永久に失われているからだ。例えば、最近好調なカルティエのクラッシュは、非常に希少なモデルだが、シャイヒのような1点ものではない。
2022年9月30日のオンラインセールで入札が締め切られたのち、シャイヒがどのように着地するのか、非常に興味深いところだ。シャイヒのような時計は、ぜひライブオークションで落札されてほしいものだが、サザビーズはオンラインオークションで大きな成功を収めており、最近では今年初めにロンドンのオンラインセールでロレックスのデイデイトが世界記録を樹立している。
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サザビーズの高級時計オンラインオークションは、2022年9月16日にスタートし、9月30日に終了します。詳細情報や入札のための登録はこちら
HODINKEE Shopでは、カルティエの中古腕時計やヴィンテージ腕時計を取り扱っています。カルティエの腕時計について詳しくは、公式Webサイトをご覧ください。
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