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チペワ族の時代から続く伝説、
彼らがギッチェ・グミと呼ぶ
大きな湖の話…
– ゴードン・ライトフット『エドモンド・フィッツジェラルド号の難破』その世界最大の淡水湖は、東の端に行くにつれ徐々に狭くなり、カナダとアメリカ合衆国の国境を挟んで同じ名で呼ばれる2つの街、スーセントマリーにある峻厳な岩山に至る。20世紀初頭、スペリオル湖のこの難所には、1日に数百とはいわないまでも数十隻におよぶあらゆる形や大きさの船が行き交っていた。一部は巨大な鋼鉄の輸送船で、ミネソタ州のアイアン・レンジから数千tもの鉄鉱石を積載し、スーセントマリー運河を抜けて南の湖へ、そしてクリーブランドやデトロイトの高炉へと向かう。他は材木を運ぶバージ船、旅客フェリー、 あるいはカナダとアメリカの湖岸の村々に届ける食品や生活必需品を積んだ小規模な貨物船である。レーダーやGPSはおろか、無線通信すら存在していなかった時代、湖のこの長く伸びる区域の航行には危険が伴った。天候は変わりやすく、地図に載っていない岩だらけの浅瀬も少なくない。さらに交通量の多さも相まって頻繁に衝突事故が起き、数えきれないほどの船が、時には乗員を道連れに水底へと沈んでいった。
胸躍る冒険には特別な時計が似合う。(写真:クリストファー・ウインターズ/Christopher Winters)
ホワイトフィッシュ・ベイの深みは、数多くの船を旅の半ばで飲み込んだことからシップレック・コースト(難破の岸)の名でも知られる。当時の船乗りの悪夢は、今ではダイバーの夢だ。沈んだ船の荒廃を冷たく澄んだ水が防ぎ、索具がそのままの形で残っているスクーナー船もあれば、鋼鉄の船体に施された塗装やリベットがはっきりと見えることもある。私と、今回の記事で多くの写真を提供してくれた高校時代からの友人クリスは、五大湖の沈没船に長年にわたって魅せられてきた。毎年の夏に一度は、ポイントを決めて一緒にダイビング旅行に出かけている。これまでにマキナック海峡、アイル・ロイヤル周辺、さらにヒューロン湖に潜って難破船を見てきたが、いわばメッカであるホワイトフィッシュ・ベイにはまだ行っていなかった。というわけで数週間前、私は短いシーズンが終わる前にたくさんのダイビング装備を車に積み込み、9時間かけてミシガン州パラダイスに向かった。そこでクリスと落ち合い、湖底を探検して週末を過ごす計画だ。
TTSDは、ロレックス最高峰の大胆なラグジュアリーさと確固とした機能性を併せ持つ。(写真:ギシャニ・ラトナヤケ/Gishani Ratnayake)
もちろん、ダイビング旅行で新しい時計を試すチャンスは逃さない。それに胸躍る冒険には特別な時計が似合う。バーゼルワールド以来私が目を付けていたのは、新作のスティール&ゴールドのロレックス シードゥエラー、いわゆるTTSD(Two-Tone Sea-Dweller/ツートン・シードゥエラー)だ。ロレックスはサンプルの提供に同意し、左腕のゴールドの輝きに慣れるまで、私は長い時間ドライブした。強調しておかなければならないのは、この時計がバーゼルワールドで、そしておそらくは2019年で最も論争を呼び評価を二分した時計だということだ。純粋主義的な人々は、ロレックスが迷走し、ブランドルーツを忘れ去り、(なんと!)日付部分にサイクロップレンズを付けるなどという茶番にさらに駄目押しを重ねているという主張を、この時計の登場でさらに強めていた。
勝ち目のないことを承知であえて言うが、私は純粋主義者ではないし、個人的にゴールドウォッチ全般が大して好きでもないにもかかわらず、TTSDについては何も批判すべき点は見いだせない。じつを言えばTTSDはむしろ、ロレックス最高峰の大胆なラグジュアリーさと確固とした機能性を併せ持つ、理にかなった進化形であるように私には思える。
ご存知のように、サブマリーナーにヘリウムエスケープバルブを搭載し防水性能を強化したことで、ロレックスの腕時計は1960年代に飽和潜水士に使用されるようになった。何十年も前にサブマリーナーのゴールドバージョンが製作されたのだから、それがシードゥエラーでできない理由はない。チャレンジャー海淵の底で性能テストに耐え抜いた、1950年代の初代ディープシー・スペシャルですら、スティールとゴールドを使用したツートーンデザインだったのだ。
いずれにせよ、サブマリーナーであれシードゥエラーであれ、もう潜水時間の計測にはあまり使われていない(どのみちプロの飽和潜水士は潜水時間を分単位ではなく時間単位で計測するし、潜水地点でシフトが回ってくるのを待つ間に時計を眺めている時間の方が長いということはこの際置いておこう)。それに金の合金は素材としてはステンレススティールに劣るということはない(まあ、傷はつきやすくはあるが)。
私の経験から言えば、商業ダイビングというのは、危険な作業を引き受けるのであれば、かなり儲かる職業だ。ゴールドが好きなダイバーだっているかもしれない。それなら、ヘリウムが溜まってクリスタルガラスがはじけ飛ぶ心配なしに、こうした男たちが身に着けられるバージョンを販売しない理由はない。
現代のロレックスのダイバーズウォッチは、精巧に制作されたパーツの集合体として抜きんでている。(写真:ウィンターズ)
だが論争はもういいだろう。湖の底では、サイクロップレンズや、ゴールドのシードゥエラーにまつわる茶番や、ロレックスの迷走についての話のノイズは聞こえなくなる。ダイビングというものは、何が役立ち、何が役立たないのか、というレベルにまで物事を切り詰める傾向がある。そしてほとんどのダイバーズウォッチは、バルチックからブランパンに至るまでどれも同じように役立つ一方、現代のロレックスのダイバーズウォッチは、精巧に制作されたパーツの集合体として一歩抜きんでている。歯止めが完璧でつまみやすいベゼル、読みやすい文字盤、正確なムーブメントとしっかりした快適なクラスプ。こうした個々の要素は珍しいものではないが、しかしそのすべてが1つの時計に揃っていると、確かな信頼感が出てくる。70年にわたるダイバーズウォッチ製造の歴史の重みは言うまでもない。耐圧深度が大きいモデルも含め、これまでダイビング中に時計に水が流れ込んだ経験は何度かあるので、評判は重要だ。それに、これまで全く問題なくダイビングに使用できた時計は、他のブランドよりもロレックスとチューダーのダイバーズウォッチが多かった。約154万円の借り物と一緒に水底深くに潜るのだから、これはなかなか心強い。
ダイビング初日は理想的なコンディションで幕を開けた。保温スーツとドライスーツに身を包むと軽やかな風が心地よく、太陽は水底深くまで届くのに十分な光量で輝き、湖面が凪いでいるので係船ブイを沖まで簡単に運搬できる。私たちが最初に望む沈没船は全長300ft(約91m)の木製の蒸気船「ヴィエナ」号だ。1892年に他の船に衝突されて沈没し、湖底150ft(約45m)に上向きの状態で眠っている。
蒸気船ヴィエナ号、水面にいる状態と沈んだ状態をアーティストが描いた作品(ロバート・マックグリービー/Robert McGreevy、ケン・マーシャル/Ken Marschall、五大湖難破船博物館に収蔵)
私たちの船長イートカ・ハナーコヴァーはチェコ人で、「時計」を意味するチェコ語「ホディンキー」に私が言及したのを面白がっていた。彼女がヴィエナ号の船体中央部に合わせて浮かべたブイに彼女の「モリー5号」を係留すると、私たちは長時間潜水用の空気タンクを各自2本ずつ背負って飛び込んだ。水深が深いので、上がってくる際は段階的減圧が必要になる。2分ほどかけてどんどん潜っていくと、手つかずのままの沈没船の威容が目に入ってきた。デッキには船載ボートがあり、オールもまだ残っていた。船体後部のプロペラの方へ泳いでいくと、巨大な舵が湖底の泥に潜り込んでおり、喫水線がまだはっきりと見える。
まだ予定時間が数分残っていたので、上昇して沈没船の後部を探検した。巨大なボイラーとエンジンが、崩れたデッキ板を貫通して突き出ていた。水温は41℉(5℃)と冷たいが、段階的減圧停止のためにゆっくりと浮上していくにつれ、50℉(10℃)まで温まった。暖かな太陽が頭上で手招きをしているが、しかし水面は天井のようなものだ。減圧時間を短くすると、減圧病や身体の麻痺、さらに死の危険まである。そのため、私たちはボートから10ft(3m)下でこらえて留まり、待つ。
減圧の待ち時間は時計の評価にうってつけの機会だ。結局、他に特にすることがないのだ。ロレックスのダイバーズウォッチのスタイルは非常に見慣れたものになっており、今ではほとんど特徴がないと思える程だ。しかし最新世代のシードゥエラーでは、はっきりいえばサイズが大きくなったことから、このお決まりの設計にほんの少し調整が加えられている。
43mmの直径は、冷水へのテクニカルダイビングには最適だと感じられる。厚さ5mmのグローブとドライスーツの上に装着するので、これより小さな時計ではミニチュアのように見えるだろう。驚いたことに、TTSDにはダイビングスーツ用のエクステンションパーツが付属していない。これには少し落胆した。1970年代と80年代のシードゥエラーには、エクステンション用パーツのある93160という独自の品番のブレスレットがあったと記憶している。もしTTSDでブレスレットの延長が必要になった時は、ロレックスに要望すると加えてくれる。いずれにせよ、寸法の調整をしなくとも、ブレスレットはグライドロック クラスプの一番短い位置で私の7.5in(約19cm)の手首にフィットし、さらにグローブの上からもぴったりと留めることができた。
減圧の待ち時間は時計の評価にうってつけの機会だ。まあ、他にすることがない。(写真:ウィンターズ)
「厚いグローブをはめていても、つまみやすいベゼルだ」というのはダイバーズウォッチレビューの書き手が好む古典的なフレーズだが、今が使うべきところだろう。予備としてもう片方の手首にガーミンのダイビングコンピューターを装着していたこともあり、私は減圧の待機時間を計って遊ぼうとベゼルを回した。だが回転ベゼルはダイバーズウォッチの顔だから、最高によくできていて快適に使えるに越したことはない。ドクサを除けば、現代のロレックスの時計程、つい回したくなるベゼルを私は知らない。シードゥエラーのベゼルはサブマリーナーのものより厚く、しばしば高価な銀行用金庫のダイヤルに例えられる心地良い手ごたえと素晴らしいクリック感で、驚くほど正確に回転する。このベゼルはセラミックインサート入りの18ctゴールド製で、数字とトラック部分にゴールドが封入されている。
金だよ、ボンド君。生涯を通じて、
私はこの色、この輝き、この重みに
魅せられてきたのだ
– イアン・フレミング『ゴールドフィンガー』 しばしゴールドの話をしよう。これこそが新作シードゥエラーの重要なポイントであり、スタンダードバージョンとの大きな違いだからだ。ジャック(Jack Forster)は、ゴールドのロレックスの威力についての良記事を書いている。少なくともデイデイトには当てはまるが、ではダイバーズウォッチではどうだろうか? もちろん、特にロレックスの場合は、ダイバーズウォッチとゴールドの組み合わせは初めてではない。私は、葉巻の煙を吸うよりは新鮮な空気を吸うほうが好きなのと同じで、SSのダイバーズウォッチの方を好む。ゴールドのダイバーズウォッチにはどうしても何か身の程知らずの雰囲気がある。
マイアミ・ビーチのポスターを思い浮かべる人もいるかもしれないし、私の場合はよく日焼けしたカリブ海のトレジャーハンターのイメージが浮かぶ。多少の財を成した冒険野郎が、自分の功績を誇示して身に着けるような。もちろん私はそうじゃないし、五大湖の沈没船を目当てに潜るダイバーのほとんどに当てはまらない。彼らは湖の深みにまっすぐに下り、そこでぼんやりと見える古い沈没船には、よくても鉄鉱石のペレットが積んであるだけだ。
きらめきを集めて... (Photo: Ratnayake)
日焼けすることなどない自分の青白い腕にゴールドとスティールのブレスレットを巻くのは、やはりあまり慣れなかった。だがツートーンのデザインは、卓越したチューダー ブラック ベイや、ゴールドをブロンズに入れ替えたオリス ダイバー65「ビコ」にもみられるように、一部の時計では成功しているし、次々に登場している。とにかく、私にとって行き過ぎ感があるのはブレスレットだ。ツートーンのケースはほとんどSS製で、ゴールドは主役というよりはアクセントのようになっている。実のところ、ロレックスのブレスレットを、練習がてら分厚い22mmのオリーブドラブのイソフレーン ラバーに付け替えてみたところ、全く新しいレベルの満足感が得られた。これなら着けていたいと思う。
ダイビングボートに戻り、昼食をとって湖上で2時間の休憩を取っているうちに、ホワイトフィッシュ・ベイが今でも現役の航路であることを思い出した。巨大な鋼鉄製の船が3隻以上通って近くから警笛を鳴らし、全長1000ft(304m)のジェイムズ・R・ブロック号のたてる波は、2回目のダイブに向けてスーツを身に着けた私たちを揺り動かした。その船の乗員は、自分たちの先祖である沈没船にスリルを感じるダイバーを見るとどんな気分になるのだろうと、私はしばしば考える。実際には航行技術と安全性は大きく改善しており、この地域の事故の中でも最も有名な1975年のエドモンド・フィッツジェラルド号の難破以来、五大湖では死者を伴う大きな沈没事故は起こっていない。
TTSDにはダイビング用のエクステンションパーツは標準では付属しない。(写真:ラトナヤケ)
名刺代わりのヘリウムエスケープバルブ。(写真:ラトナヤケ)
ホワイトフィッシュ・ベイの先端にあるミシガン州は、エドモンド・フィッツジェラルド号と29名の乗員が眠る地点からわずか15マイル(約24km)程度しか離れていない。1975年11月10日、この船はハリケーンの強風の中で故障して沈没した。事故は世界中で報じられ、ヒット曲の題材になり、今でも五大湖や難破事故というと誰もが思い浮かべるものになっている。現在はこの沈没現場に潜ることはできない。沈没地点はカナダ側で、法律でも禁止されているが、沈んでいる場所が530ft(約162m)と非常に深く、ほとんどのテクニカルダイバーには潜ることができない。
だが人間が到達したことはある。1980年にはジャック=イヴ・クストーのチームが潜水艦で訪れたのだ。1995年にはフロリダ州の2人のテクニカルダイバーが潜り、沈没事故現場へのスキューバダイビングとしては世界で最も深い地点まで潜ったという記録を樹立、その後長年にわたって破られなかった。また1994年には、のちに法的な処罰を受けたものの、大気圧潜水服を着たダイバーが鐘などの備品をいくつか持ち帰った。これらはホワイトフィッシュ・ベイの古い灯台にある五大湖難破船博物館に展示されており、難破船ファンは必見である。
減圧時の内圧を軽減するために空気を逃がすバルブを取り付け、耐圧深度を強化してサブマリーナーから進化したというロレックス シードゥエラーの歴史は、時計マニアであれば誰でも知っている。だがロレックスを知っているという程度の普通の人にとっては、たとえサブマリーナーのことも少しは分かるとしても、シードゥエラーは長年「内輪ネタ」で、あまり興味を惹かれないものになっていた。このモデルは登場以来長い間、サイクロップスレンズがなく、少し分厚い点を除いては、ほとんどサブマリーナーと変わらないデザインだった。もしかしたら、ロレックスが新作のサイズを43mmまで大きくしたのは、それが理由もしれない。
もっとがっしりとした、従来のサイズではないダイバーズウォッチを好む人向けに、オメガ プラネット オーシャンのような他ブランドのディープダイバーズウォッチに匹敵する時計が、ロレックスには必要だったのだ。多くの人がこれで潜水時間を計るだろうか? 特にツートーンバージョンに関しては、それはかなり疑わしい。だがそもそも、その用途で使われているダイバーズウォッチは多くはない。しかし私たちダイバーが好んで言うように、それで潜水時間が図れると分かっているだけでも良いことなのだ。
蒸気船「マイロン」のプロペラ。(写真:ウィンターズ)
ダイビング2日目には天候が変わり、南西の風がふきすさび、船着き場を出てからはかなり激しい航行になった。元々潜る予定だった、深いところにある大きなテント状の難破船はやめにして、より安全な半島の風下、浅い地点にある2つの難破船に向かうことを船長から提案された。私は船長に従うことにした。特に彼女は夏の間中、五大湖の難破船をめぐって過ごしているのだ。そこで私たちはスクーナー船の「ミジテック号」、蒸気船「SSマイロン号」に潜ることにした。この2つは歴史を共有している。マイロン号がミジテック号をけん引していて、前者が沈んだのだ。ミジテック号はしばらく何とか浮かんでいたが、1年弱経ってからわずか1マイル(1.6km)先で沈んだ。
「牢獄に入るような策略をする
船員などいない、船に乗るということは
牢獄に入ることと同じだ。
しかもおぼれ死ぬかもしれない…」
– サミュエル・ジョンソンマイロン号の物語は悲劇的だ。1919年11月、動力の弱った蒸気船を嵐が襲い、すぐにその木製の船体は波に呑まれた。17名の乗員は脱出用のボートに向かったが、何人かは湖に落ち、他はどうにかその小さな船に乗り込んだ。船長は勇敢にも操舵室に残り、船と共に沈む心づもりだったが、皮肉なことに彼が唯一の生存者となった。船を囲んだ波が、操舵室を船長ごとデッキからもぎ取ったのだ。船長は屋根によじ登って丸1日漂流し、1マイル(1.6km)先で救出された。何人かの乗員は脱出用ボートの上で凍死しているのが見つかったが、他の乗員は見つからず、翌春になって氷漬けの遺体が8体、湖畔に打ち上げられた。遺体の身元は分からない状態で、スーセントマリー近くの丘の上の墓地で、貧困者用の墓に埋葬される前に、8名とも氷を取り除かなければならなかった。
マイロン号の巨大なボイラーは、スペリオル湖の湖底の砂の上にある。(写真:ウィンターズ)
沈没船マイロン号は、ほぼ無傷のヴィエナ号とは異なり、砕け散ったごみの寄せ集めになっている。だがダイバーにとっては魅力的な場所だ。金属がねじれてもつれあったプロペラとエンジンの部品、そして難破船から少し離れたところには、巨大なスコッチボイラーがある。氷のようなスペリオル湖の水に打たれたときに、衝撃ですぐに動かなくなったはずだ。暴力的な現場ではあったが、マイロン号とその乗組員の最後の瞬間とは対照的に、静かなダイビングだった。ここは浅い湖底で、水温は数℃高く、砂底を太陽の光が照らしていた。巨大なヘルメットとドライスーツがなければ、ほとんどカリブ海のように思えただろう。私たちはこの難破船で、減圧なしで45分間をゆっくりと過ごし、後ろ髪をひかれながら係留ラインを上ってモリーV号に戻った。水面からは天気が悪化していることがはっきりと分かった。家に戻る時間だ。
水上での休憩。(写真:ウィンターズ)
ダイバーズウォッチのレビューを何年も続けてきて、それは時計だけを切り離して考えるべき問題ではないということが分かってきた。むしろ、その時計と共に過ごした冒険が重要なのだ。おそらくは、この時計レビュー記事のふりをしたダイビングの話からもそれが分かってもらえることだろう。耐圧深度とか、ムーブメントのスペックとか、ケースの直径、ブランドの方向性がいいか悪いか、そういった細かいところに私たちはこだわりがちだ。
シードゥエラー スティール&ゴールドはいい例である。バーゼルワールドの無菌状態のショーケースやプレス写真を見て、この時計を簡単に分析したり、褒めたり、けなすことは簡単だ。多くの人はそれを一度に全部やる。
だが、腕時計は一度着けると単なるモノでなくなる。自分の延長になり、その時計と一緒にすることは、私たちの知性と同じくらい私たちの感情に訴えるものになる(そうでもないこともあるが)。紙面上や、小売店の激しい照明の下でしか見ていなければ、このツートーンカラーのロレックスを私は無視していたかもしれない。しかしこれからは、シップレック・コーストでのダイビングで、心躍る週末を共に過ごした時計として、私の記憶の中にずっと生き続ける。
だからこそ、これはスペリオルの名に相応しい卓越した時計なのだ。
単に時計だけの問題ではないのだ。(写真:ウィンターズ)
Photos:クリストファー・ウインターズ(Christopher Winters)ギシャニ・ラトナヤケ(Gishani Ratnayake)
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