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「英国を駆け抜ける旅」第1話:ロジャー・W・スミス

ロジャー・W・スミスの工房に続く道は、フィリップ・デュフォーの工房に続く道とさほど変わらない。しかし、スイス人が孤立を伝統に背負わせるのに対し、この英国人の場合は自らに課した試練であるかのようだ。

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本記事は2016年9月に執筆された本国版の翻訳です。

2016年7月、HODINKEE編集部は英国を12日間かけて旅し、時計製造の現状から歴史の深みまで、英国産時計に関するあらゆることを探った。欧州担当エディター(執筆当時)のアーサー・トゥシェットとシニア・デジタルプロデューサー/ビデオグラファーのウィル・ホロウェイ、そしてドローンのスペシャリストであるマウロ・ベラノバが、ロンドンを北上してマン島に向かい、途中で何度か寄り道しながら、1,400マイル以上を走破した。この旅は、ベントレーモーターズの協力により実現した。同社は、この旅のためにフライングスパー W12を快く貸してくれたからだ。それでは、5部構成のシリーズの第1話をお楽しみいただきたい。

マウンテンコースを走っているときに現れる美しい海岸線、この島で最も有名なレースであり、時には命を落とすこともある伝説的なマン島TTレースの痕跡が、狭いカーブに設置された標識として現れなければ、私たちはラ・ヴァレ・ド・ジュウ(スイス・ジュウ渓谷)に向かって走っているのだと錯覚してしまうだろう。この島の離れにあるロジャー・W・スミスの工房に続く道は、フィリップ・デュフォーの工房に続く道とさほど変わらない。見渡す限りの野原を切り裂き、文明とは逆方向に向かう孤独な道だ。しかし、スイス人が孤立を伝統に背負わせるのに対し、この英国人の場合は自らに課した試練であるかのようだ。

ロジャー・W・スミスのマン島にある工房

ロジャー・スミスはいつも笑顔を湛えている。

シリーズ2は、スミスが最も多く受注する時計である。

 スミスは、ジョージ・ダニエルズ(故人)と共に時計を製作するため1998年にマン島に移住した。ジョージ・ダニエルズは、同世代で最も偉大な時計師として広く認められている人物だが、それまでは工房を共有することに、ほとんど興味を示していなかったという。実際、ダニエルズは以前、スミスにはっきりとその旨を伝え、彼のキャリアの初期に弟子入りの機会を与えなかったことにも表れている。当時、アイルランド海を越えて英国ボルトンに住んでいたスミスに、ダニエルズは手書きの手紙で“君に来てほしいとは思わない”と書き残している。

1990年に故ジョージ・ダニエルズがロジャー・スミスに宛てた、弟子入りを謝絶する手紙の原本。

マン島にあるダニエルズの屋敷の前で、ジョージ・ダニエルズとロジャー・スミス

有名な懐中時計“スペース・トラベラー”のダイヤル6時位置に刻まれたダニエルズのサイン。

 その後、ダニエルズは心変わりする。スミスは、ダニエルズの“一人の人間に全時計産業を集約する”という理念に惚れ込んで、5年以上かけて作った2作目のハンドメイドの懐中時計で自らの将来性を証明した(1作目の懐中時計は、ダニエルズに全く駄目だと一蹴されていた)。しかし、この老齢の時計師が、自身の輝かしいキャリアの中で最も広範囲にわたる最後から2番目のプロジェクトを完成させるためには、どうしても助けが必要だった。彼は自身が発明したコーアクシャル脱進機をスイスの時計メーカーに採用してもらおうと何十年もかけて孤軍奮闘してきたが、最終的にオメガそれを製品化することにしたのだった。オメガは彼の発明の権利を取得し、50本の限定版に使用するために、生産ラインから50個のムーブメントを彼に送ってきた。ダニエルズは、2人がかりでないと成し遂げられない仕事だと悟ったのだ。

ジョージ・ダニエルズの眼鏡と拡大鏡が、彼の自作の作業台の上に置かれている。

ダニエルズが描いたムーブメントの図面。

ジョージ・ダニエルズが30年以上使っていた作業台。

 ダニエルズとスミスは、その後3年半かけてオメガのミレニアムシリーズを完成させる合間を縫って、ダニエルズの最後の腕時計であるコーアクシャル・アニバーサリー限定モデルの企画のために工房に戻った。2001年、前のプロジェクトを終えたスミスは、個人的なプロジェクトに専念するため、マン島北部に自分の工房を設立し、レトログラードカレンダーを搭載する“シリーズ1”の製作に着手した。

スミスによるタイムオンリーの“シリーズ1”。

 現在、スミスは他の5人の時計職人と1人のエンジニアと協力して、年に10本程度の時計を製作している。そう、たったそれだけである。フィリップ・デュフォーやローラン・フェリエ、あるいは顧客を満足させることができる有名な時計メーカーと比べても、その数は格段に少ない。2015年11月に発表された最新コレクションの納品は、現在のところ2018年からの予定だ。しかし、そんなことは誰も気にしていないようだ。

作業中のロジャー・スミスと、彼と一緒に働く時計職人の一人。

 ロジャー・スミスは、誰よりも親切で、シリーズ2でもダニエルズ・アニバーサリーでも、あるいは完全なカスタムオーダーでも、すべての時計に全力で取り組んでいる。スミスは、自分自身とチームのメンバーを、かつての師匠の基準に照らし合わせており、そうした姿勢から自分が継承した技術や技能を守ることに責任を感じていることが窺える。彼の時計には、非常に多くの想いが込められているのだ。

スミスのムーブメントに施された伝統的な(時には装飾的な)仕上げ。

スミスは現在、小さなチームを率いている。

 ジョージの工房よりも規模が大きくなり、忙しくなったとはいえ、スミスはひとつ屋根の下で、ダニエルズ式の手仕事による時計作りを続けている。彼は、英国でこのようなことをしている唯一の人物だ。スタイルの面でも、彼が師匠の流儀から逸脱したことはない。ほとんど作品において、彼のダイヤルにはエンジンターン模様が施され、ムーブメントの地板はフロスト加工され、受け石はゴールドシャトンにセットされる。このマン島の男によれば、これが英国の伝統なのだという。

スミスの時計職人が部品を検査しているところ。

 もちろん、スミスがよく知られた道を歩んできたとすれば、彼はほとんどの人が追いかけることができないような人物を追いかけてきたことになる。また、ダニエルズがなし得なかったこと、不可能だったことを可能とした:今年の初め、スミスは100%英国製の時計を初めてシリーズ化して発表したのだ。シリーズ1からシリーズ4には、タイムオンリー、パワーリザーブ表示、レトログラードデイト、瞬間送りのトリプルカレンダーなどがあり、これらはすべて、スミスがダニエルズのデザインを初めて大きく進化させた一体型ガンギ車を組み込んだコーアクシャル脱進機のを搭載している。彼はこの機構を、自国の技術進化を促進するために2013年に英国政府が発注したプラチナ製の“グレートブリテン”に搭載した。

英国政府からの依頼でスミスが製作した“グレートブリテン”。

ユニークピース“グレートブリテン”のムーブメントの刻印。

“グレートブリテン”を着用するロジャー・スミス。

  スミスは、自分の功績を誇りに思っており、英国製の表記を悪用する者に対しては毅然と立ち向かう。しかし、彼は驚くほど謙虚でもある。自分が作った時計を身に着けること自体を笑い飛ばしている。気取りすぎ、と彼は言う。高価すぎるとも。彼は、技術的に興味深いものであれば、スイス製の時計を身に着けるのも厭わないと考えているようだ。実際、彼のコレクションはすべてスイス製だ。彼のコレクションには、エクスプローラーIや、オメガのCal.321を搭載したシーマスタークロノグラフやデ・ヴィル・クロノグラフなどのヴィンテージオメガが並ぶ。

ロジャー・スミスがムーブメントの部品を加工しているところ。

 当然のことながら、スミスと時計の話をするときには、彼の師匠の話抜きにしては語れない。スミスは17歳のとき、マンチェスター時計学校のコースでダニエルズと出会い、彼の時計に注目した。それは、平均太陽時、恒星時、月齢、月相、均時差表示を備えた懐中時計型のクロノグラフ“スペース・トラベラー”で、ダニエルズの時計の中でも最も代表的な作品だ。その時から、スミスはハンドメイドの時計こそ作る価値があると思っていたという。そして、ダニエルズは、その "手仕事感 "を出す方法を教えてくれたのである。

 2011年、ジョージ・ダニエルズは85歳でこの世を去った。スミスほど、ダニエルズという時計師を、そしてダニエルズという人物をよく知る人物はいないだろう。ドキュメンタリー映画『The Watchmaker's Apprentice(偉大な時計師の弟子)』に収められた2人の関係を見ると、スミスは英国時計界の未来を担う人物であり、ダニエルズの仕事について最も信頼できる情報源であることがわかる。この映画はどちらの側から見ても信頼できる第一級の資料である。

ジョージ・ダニエルズの伝説的な懐中時計“スペース・トラベラー”。

マン島のジョージ・ダニエルズ邸の前に停車中のベントレー・フライングスパーW12。

 この日、ダニエルズのことを最初に口にしたのはスミスだったが、それは時計とは関係のない話だった。スミスは、私たちの車、ベントレー・フライングスパーを見て、ダニエルズが高級時計よりも愛しているものがあったとすれば、それは高級車ベントレーだと語った。ダニエルズは、4.5ℓスーパーチャージャー付き単座式を含めて、非常に多くのカーコレクションを有していた。もちろんレースにも出場したが、時には身の毛がよだつような運転で近所の食料品店まで出かけていった。

ジョージ・ダニエルズの時計台には様々な道具が並んでいる。

ダニエルズは、ベントレーをこよなく愛する自動車愛好家としても知られていた。

 スミスの工房のあちこちにダニエルズの面影が残っている。実際、彼のライフワークを紹介する部屋があり、そこには彼自身が使っていた時計用作業台がある。ダニエルズのキャリアは、彼が27歳のときにジョージ・W・ダニエルズのサインが入ったマリンクロノメーターを完成させたことに始まり、ロジャー・W・スミスにバトンタッチしたことで終わった。

 二人のミドルネームは同じWilliam(ウィリアム)だが、ジョージの "W "は、最初のクロノメーターのサインに重みを与えるために付けられた文字であり、いわばファンタジーである。“ジョージ・W・ダニエルズ”には、イニシャルがないと物足りない重厚感があったのだ。対して、ロジャーは "W "を持って生まれてきたのだ。

ロジャー・W・スミス シリーズ4“トリプルカレンダー”

ロジャー・スミスのラインアップ“シリーズ1‐4”

 スミスと彼のチームと1日過ごした後、彼らがローズエンジン旋盤を使うのを眺めても、プラチナケースを手作業で磨くのを目のあたりにしても、私は彼の時計がマシンで製作されたものではないと信じることができない。それほどまでに、すべての部品が精密に仕上げられているのだ。もちろん、それはダニエルズが望んでいたことであり、生産された時計ではなく、手仕事で丁寧に作られたように見える時計なのだ。

マン島の作業台に向かうロジャー・スミス


ギャラリー

ロジャー・スミスの詳細については、Webサイトをご覧ください。

“英国を駆け抜ける”エピソード第2弾を乞うご期待。

動画撮影:ウィル・ホロウェイ