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在りし日の益井俊雄氏。時計ディーラーとして身を立てる以前、1981年に渡米して間もない頃の写真だ。
昨年11月に香港で開催されたフィリップス TOKI -刻- ウォッチオークションに続き、2025年5月10日と11日に開催されるアンティコルム ジュネーブオークションにもVOGA Watch Museum(島根県江津市)所蔵のコレクションが出品される。このミュージアムと設立者である伝説的な時計ディーラーの故・益井俊雄氏(以降、尊敬の念を込めて益井さんと表記する)について本稿では多くを記さないが、HODINKEE Magazine Japan Edition Vol.5に掲載の記事「ALL YOU NEED IS LOVE 日本のヴィンテージウォッチ市場を陰で支え、時計を愛したあるディーラーの物語」、そして昨年公開の記事も合わせてご覧いただけたら幸いである。
「私たちは、コレクションを売却して儲けたいわけではありません。益井俊雄という人間の生きた証を、そして彼の名前を後世に残すことが一番の思いです。そこで昨年のフィリップス TOKI -刻- ウォッチオークション、そして今回のアンティコルム ジュネーブオークションでの売り上げを合わせたまとまった金額を、彼の故郷である島根県浜田市の教育支援事業へ寄附することにしました」。彼の親族はこう話す。
どのような事業に使われることになるのか、詳細については現在、浜田市と交渉中(記事執筆時点)だそうだが、未来の担い手である子どもたちが希望を持って日々を過ごせるように、充実した学生生活を送れるように、オークションの売り上げを役立てて欲しいという考えを筆者に聞かせてくれた。その結果については、状況が明らかになり次第、改めてお伝えしようと思っている。
では、そんな未来ある若者たちを支援する原資となるべく出品される膨大なコレクションのなかで、特に注目すべきロットにはどんなものがあるのだろうか? なお、今回はチャリティを目的とした出品ということもあり、ミュージアムコレクションはすべて最低落札価格の設定がない“No Reserve”形式を取っている。そのため欲しい時計を思わぬ手頃な価格で落札できる可能性もある。本稿によってオークションが活気あふれるものとなり、益井さんのコレクション、そして彼の名を後世に残す一助となることができるのなら、これほどうれしいことはない。
Lot 133:チューダー サブマリーナー Ref.7924 “ビッグクラウン” モイスチャーインジケーター。この時計も今回のアンティコルム ジュネーブオークションに出品されている。注目度の高い時計ではあるが、この時計については多くのエピソードがあり、また別の記事のなかでしっかり紹介したいと思う。
Lot 171:ロレックス サブマリーナー Ref.6538 “ビッグクラウン”
Lot 171:ロレックス サブマリーナー Ref.6538 “ビッグクラウン”のエスティメートは、5万~10万スイスフラン(約870万〜1740万円)。そのほかの詳細はこちらから。
1959年製のロレックス サブマリーナー Ref.6538 “ビッグクラウン”だ。時計ディーラーであった益井さんの場合、コンディションのいいものやレアモデルなどは基本的に商材であり、手元に残ることは少なかった。では、この個体はあえてそうした希少な時計を手元に残していたのかというと、決してそういうわけでもない。彼がディーラーとして商売を始めた1980年代後半から90年代は、今とは状況がまったく異なり、Ref.5512や5513などのリューズガード付きのサブマリーナーのほうが人気も価格も高かった。逆に今ではコレクター垂涎の的であるリューズガードのないサブマリーナーは“型落ち”のような扱いであったため、驚くほど値ごろな価格で手に入ったという。この個体はダイヤルにはかなり焼けが見られるものの、全体的にブラウンへ変色したギルト4ラインのトロピカルダイヤルを備えている。ケース、ベゼル、そして“ビッグクラウン”はオリジナルで、ブレスレットはSSのUSAリベットブレスレットを合わせる(1969年製)。ムーブメントは長年使われていなかったこともあり、アンティコルムは落札後のオーバーホールを推奨しているが、オリジナルを値ごろに手に入れる可能性がある“掘り出し物”である。
Lot 134:チューダー サブマリーナー Ref.7924 “ビッグクラウン”
Lot 134:チューダー サブマリーナー Ref.7924 “ビッグクラウン”のエスティメートは、1万5000~2万5000スイスフラン(約260万〜435万円)。そのほかの詳細はこちらから。
先ほど紹介したLot 171、ロレックス サブマリーナー Ref.6538 “ビッグクラウン”のチューダー版となるのがこの時計だ。Lot 171ほど均一ではないが、一部がブラウンに変色したトロピカルダイヤルを備えている。ロレックス同様、チューダーにもさまざまなヴィンテージレアピースが存在するが、このモデルもそのひとつ。過去にチューダー史上過去最高の落札額を記録したのは、このチューダー サブマリーナー Ref.7924 “ビッグクラウン”だった。この個体には、オリジナルのダイヤルと針がトロピカルブラウン色に変化しており、オリジナルの赤い三角形のインサートも残っている。市場では1000万円をゆうに超える価格で取引されるモデルだが、エスティメートは控えめの1万5000~2万5000スイスフラン(約260万〜435万円)。最低落札価格の設定がない“No Reserve”形式のため、こちらも思わぬ“掘り出し物”となるかもしれない。
Lot 179:ロレックス GMTマスター Ref.1675/8
Lot 179:ロレックス GMTマスター Ref.1675/8のエスティメートは、1万~2万スイスフラン(約175万〜350万円)。そのほかの詳細はこちらから。Photo by Kyosuke Sato
18金無垢エクステンションリベットブレスレット、そしてブラウンニップルダイヤル(日本では“フジツボ”という呼び名がなじみ深いかもしれない)を備えたGMTマスター Ref.1675/8だ。セカンドモデルに当たるリファレンス(初期のモデルはRef.6542で、ベークライトベゼルとアルファ針を備えた)で、Ref.1675/8金属製のベゼルインサート、そしていわゆる“メルセデス”スタイルの針を持つ。Ref.1675/8には同じリファレンスでも2種類あり、同個体はケースにリューズガードが付かない初期タイプ(後期にはリューズ ガード付きモデルが追加された)。金無垢のGMTマスターではファーストモデルのRef.6542がオークションでも高値で取り引きされているが、Ref.1675/8は実はそれほど高額ではなく、リューズガードなし、フルオリジナルの良個体では1000万円を超えることがあるというのが今の市場での評価。同個体はケースのエッジが丸みを帯びているなど決して状態がいいわけではないこともあり、エスティメートは控えめだ。
Lot 68:ユニバーサル・ジュネーブ トリコンパックス Ref.881101/3 “エキゾチックグレーダイヤル”
Lot 68:ユニバーサル・ジュネーブ トリコンパックス Ref.881101/3“エキゾチックグレーダイヤル”のエスティメートは、1万~2万スイスフラン(約175万〜350万円)。そのほかの詳細はこちらから。
ブランドの再始動がアナウンスされてからヴィンテージモデルの注目度が高まっているユニバーサル・ジュネーブ。本個体は、エキゾチックダイヤル最終シリーズのひとつで、スレートグレーバージョンはなかでも希少なモデルと言われている。ケースはオリジナルコンディションを保っており、裏蓋にはリファレンスナンバーとシリアルナンバーが鮮明に刻まれている(磨き上げられている場合が多い)。ただし、出品されたこの個体に関しては、裏蓋のケースリングが欠損していることに注意して欲しい。フルオリジナルの素晴らしい個体というわけではないが、今回出品されたミュージアムコレクションのユニバーサル・ジュネーブのなかでも注目に値するモデルだ。
Lot 8:ギャレ クラムシェル クロノグラフ
Lot 8:ギャレ クラムシェル クロノグラフのエスティメートは、1500~2500スイスフラン(約27万〜44万円)。そのほかの詳細はこちらから。
スイスのラ・ショー・ド・フォンで創業したギャレ。ユニバーサル・ジュネーブ同様、ブライトリングがブランドを取得したことで現在、注目度が高まっているブランドのひとつだ。スイスの時計メーカーであったが、ギャレット家の親戚であるジュール・ラシーヌがアメリカに輸入業の拠点を構えていたこともあり早くからアメリカ市場へ進出。これにより、ギャレはアメリカで市場を拡大していくこととなった。多種多様なクロノグラフを手がけたことで知られているが、ホコリや湿気、大雨にも耐えられるよう設計された初期の防水クロノグラフ、クラムシェル クロノグラフはブランドを代表するモデルのひとつとして知られている。これから注目度が増していくであろうブランドで、まだ市場での評価はそれほど高くはないことからエスティメートは低め。益井さんは、アメリカを拠点として長年商売をしてきた時計ディーラーであり、ミュージアムコレクションにもギャレのクロノグラフが数多く見られる。今回のオークションでも数多く出品されているため、今後の評価の行末を見るという意味でも注目してもよさそうだ。
Lot 125, 127, 129:パテック フィリップ カラトラバ Ref.96
ズラリと並ぶパテック フィリップ カラトラバ。写真はオークション出品前、ミュージアムのショーケースから取り出したばかりのため、オークション登場時に付けられているものとはストラップが異なる。
オークションにおけるパテック フィリップの花形というと希少なユニークピースや、コンプリケーションであることは間違いないが、日本で特に人気が高いコレクションといえば、シンプルな機能と洗練された多彩なデザインを展開するカラトラバだ。そうしたことも背景にあり、ミュージアムには数多くのカラトラバがコレクションされおり、今回のオークションでも出品された。ミュージアム所蔵のカラトラバにはアーカイブが取得できない個体も少なくないが、「年々アーカイブ取得の有無が価格に大きく影響するようになって、アーカイブが取得できない、合致しないパテックは敬遠されるようになっているのが悲しい」と、時代の変化を嘆いていた益井さんの姿が思い出される。
ミュージアムに展示されていたカラトラバは基本的にアーカイブを取得していなかったが、誤解して欲しくないのはそれが理由で、販売されずにショーケースに展示されていたのではないということ。すべてではないが、今回出品されている個体にはアーカイブが取得可能(オーダー済み)の個体がいくつか出品されているのでチェックしてみて欲しい。時代の流れとはいえ、やはり実際に入札するならそうした個体のほうが安心感があるのは否定できない事実だ。
Lot 125, 127, 129:パテック フィリップ カラトラバのエスティメートは、すべて5000~8000スイスフラン(約87万〜140万円)。
Lot 13:ブライトリング クロノグラフ Ref.175 回転ベゼル
Lot 13:ブライトリング クロノグラフ Ref.175 回転ベゼルのエスティメートは、2000~4000スイスフラン(約35万〜70万円)。そのほかの詳細はこちらから。Photo by Kyosuke Sato
最後に紹介するのは、1944年頃に作られたブライトリングのクロノグラフだ。製造時期からするとブライトリングのクロノグラフのなかで比較的初期のものとなる。この時計を取り上げたのは、オークションシーンで期待されるような高額落札が期待できるレアピースだからというわけではない。もちろん、数多く見られるものではないので貴重な個体ではあるが、エスティメートは2000~4000スイスフラン(約35万〜70万円)と決して高くはない。わざわざ取り上げたのは、益井さんがかつてこの個体を自慢のコレクションだと見せてくれたことをお伝えしたかったからだ。
本個体は45分積算計が12時位置にレイアウトされたクロノグラフで、多くのヴィンテージウォッチを見てきたコレクターでも初めて見る人が多いモデルではないかということだった。この時計は、益井さんが時計ディーラーとしてまだヴィンテージウォッチの収集を始めて間もない1980年代初期、ロサンゼルス最大のフリーマーケットであるローズボールで見つけて購入したものだ。ベゼルのコンディションからもうかがえるが、ほとんど使用した形跡がないほどきわめて状態がよく、彼は傷が付くのがイヤで腕にすることなく見て楽しんでいると言っていた。
益井さんが手にしてから実に40年以上も経過したわけだが、このブライトリングのクロノグラフは、時計ディーラー必携の本『VINTAGE AMERICAN & EUROPEAN WRIST WATCH PRICE GUIDE』のなかで、1946年に発売された時計として紹介されていたそうだ。現存数が極めて少ないのか、プロトタイプで作られたのか、同じ時計をついに1度も見ることがなかった非常に珍しいモデルだと、うれしそうに語ってくれたことを覚えている。
レアリティばかりがクローズアップされる傾向にある現在の時計市場。この時計は、そういった意味では市場で高値をマークするような類の時計ではないかもしれない。だが、筆者にとっては、なんの気兼ねもなく珍しい時計を手にすることの楽しさを教えてくれた益井さんのことを思い出させてくれる印象深い1本だ。冒頭でも紹介したが、今回のアンティコルム ジュネーブオークションでは数多くのミュージアムコレクションが出品されている。願わくば、今回のオークションを通じて、自身の心に刺さる時計を手にしたときの高揚感、楽しさこそが時計収集の魅力であることを思い出してもらえたらうれしい。
オークションの詳細は、アンティコルムのWEBサイトをご覧ください。
特に記載のないものはすべてPhotos by Keita Takahashi, Video(Shoot & edit) by Keita Takahashi
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