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パリ・エッフェル塔の影の下、肌寒い8月の夜。私はベンチに腰を下ろし、オリンピックのビーチバレーボール競技が始まるのを見守っていた。試合が始まって間もなく、見知らぬ男性が隣に座った。彼の手首には、新作のオメガ シーマスター アクアテラ 150M ウルトラライトが輝いていた。それは棒高跳び界の新星、モンド・デュプランティス(Mondo Duplantis)選手とともに発表されたばかりのモデルだ。話してみると意気投合し、すぐに打ち解けた。その謎の男の正体は、当時オメガのプロダクト担当副社長だったグレゴリー・キスリング(Gregory Kissling)氏。そして彼にはもうひとつ秘密があった。そのときすでにキスリング氏は、スウォッチ グループで2番目に歴史の長いメゾン、ブレゲのトップに就任することが2カ月前から決まっていたのだ。
創業250周年を迎えたブレゲは、昨年10月末にグレゴリー・キスリング氏が着任して以来、どこか活気を取り戻したように見える。ブレゲのスタッフ数名に話を聞いたところ、彼の存在によって社内に活力と希望がもたらされたという。これは、近年苦戦を強いられてきたブランドにとってまさに福音である。セカンダリーマーケットでの価格動向が需要の指標となるなら、その苦戦ぶりは明らかだ。
グレゴリー・キスリングCEO。Photo courtesy Breguet.
キスリング氏はスウォッチ グループ内で将来を嘱望される存在と見なされており、ムーンスウォッチのマーケティングおよび商業的成功の立役者としても知られている。また、同グループ内の貴金属部門の責任者を13年間務めた経歴も持つ。とはいえ、オメガとブレゲはまったく異なる性格を持つブランドだ。キスリング氏がブランドをどう捉えているのか、そしてどのような変化をもたらそうとしているのかに迫るため、私は2週間前、彼がニューヨークを訪れた際に直接話を聞く機会を得た。このニューヨーク訪問は、パリで始まり再びパリで締めくくられる、ブランドのアニバーサリーローンチスケジュールの一環である。その節目として、ニューヨークではブレゲ製のゴールドを採用した手巻きの新型タイプ XXが発表され、同時にヒストリカルピースの展示も行われた。以下に、キスリング氏の発言を紹介する。
※本インタビューは明瞭さと簡潔さを保つために編集しています。
マーク・カウズラリッチ(以下M.K.): 最初にお会いしたとき、あなたは新作のオメガ ウルトラライトを着けていましたよね。それがきっかけでプロダクト開発や異なる市場へのアプローチについて話が弾みました。そこでまずお聞きしたいのが、ムーンスウォッチについてです。あれはあなたが主導したプロジェクトだと聞いています。ブレゲとはまったく毛色の異なる試みで、ブランドイメージの毀損を懸念する声もありましたが、実際には多くの人々がオメガに対して新たな興奮を抱くきっかけになりました。ムーンスウォッチの開発を通じて得た学びでブレゲに応用できそうなこと、つまり新しい層をブランドに呼び込むために役立ちそうなことはありますか?
2023年、ムーンシャイン・ムーンスウォッチの発売時に撮影されたタイムズスクエアのスウォッチストア。
ブレゲCEO グレゴリー・キスリング氏(以下G.K.): ムーンスウォッチは、今でも“自分の子ども”のような存在です。あのときの発想や開発の進め方から学べることは確実にあります。というのも、ムーンスウォッチはスウォッチの基準で見ても非常に、きわめて短期間で開発されたプロジェクトだったからです。
私たちは、少人数で柔軟かつ迅速に動くことで開発期間を通常の4分の1に短縮しました。そして、これが私にとって大きな学びとなりました。ごく少人数のチームで動き、意思決定やそのやり直しといった無駄な時間をかけないことです。同時に、常にある種の緊張感を持つことも重要でした。もちろん張り詰めすぎてはいけませんが、適度な緊張感を持って明確な戦略目標さえあれば、驚くほどスピーディかつ的確に物事を進めることができるのです。
M.K.: つまり、今のブレゲにはもう少し反応の早さや、機敏な対応力が必要だと感じているということでしょうか?
G.K.: まさにそのとおりです。そしてブレゲにおける大きな強みは、真のマニュファクチュールであるという点です。私たちはムーブメントを自社で開発しており、ただ外部からパーツを取り寄せているわけではありません。真の意味でのマニュファクチュールであり、優れた人材がそろっています。私がブレゲに加わって最初に気づいたのは、独自に物づくりを行う力があるということです。同時に、ブレゲは単独で存在しているのではなくスウォッチ グループの一員として活動していることも改めて実感しました。
たとえば一例を挙げると、今回のブレゲゴールドはグループ内の冶金技術によって実現したものです。私たちにはニヴァロックスの冶金部門があり、ブレゲだけでなく他ブランド向けにも貴金属などの原材料を製造しています。私自身、過去に新たな貴金属を開発した経験があります(編注;キスリング氏はオメガのムーンシャイン™ゴールドやブロンズゴールド合金の開発に携わっている)。だからこそ言えるのですが…これは簡単なことではありません。まずどこを目指すかを明確にする必要があります。とはいえ、私たちはこのブロンズゴールドの開発を極めて短期間で実現しました。それはグループ内に蓄積された、経験と設備のおかげです。貴金属の鋳造や専門知識において、これほどの体制を持つ時計グループはおそらくスウォッチ グループだけだと思います。
M.K.: 250周年を記念する最初の大きなローンチは、ブレゲ クラシック スースクリプション 2025でしたね。非常にヘリテージ色の強いモデルでしたが、同時にブレゲゴールドという新素材もデビューしました。この素材は同プロジェクトを特別なものにするために、あなたの主導で開発された素材なのでしょうか? というのも、昨年10月の就任から今年5月の発表までを考えると、かなりのスピード感だったのではと思いまして。
G.K.: そうですね。それは私の指揮のもとで進めたものです。公式には10月1日から着任しましたが、実際にはその発表直後、1カ月前からすでに動き始めていました。そして私たちが出会った数カ月前から、ブランドについてのリサーチも始めていたのです。ただ、ひとつ強調しておきたいのは、スースクリプションに使われたケースは私たち自身のグループ会社で製造しているということです。ダイヤルも自社製です。通常、針だけは自社製ではありませんが、スースクリプションに限っては手作業で製造しています。つまりムーブメント、ケース、ダイヤルのすべてがブレゲ製なのです。だからこそ適切なデザインがあり、さらにプロダクト開発から工業化、そして製造までの全工程を把握していれば非常にスピーディに進めることができるのです。
Hands-On: ブレゲ クラシック スースクリプション 2025、創業250周年を記念して誕生した特別な1本(編集部撮り下ろし)
新作の詳細については、エディター和田の記事を読んでみて欲しい。
M.K.: 総生産数や売上高について、どこまでお話しいただけるかは分かりませんが...(※キスリング氏が手を振って“何も言えません”とジェスチャー)なるほど(笑)。では質問を変えます。現在のブレゲの立ち位置において、そうした数値はご自身の理想とする水準にありますか? それとも、生産数をさらに増やしたいとお考えですか?
G.K.: ブレゲのマニュファクチュールは、ある一定の生産規模を想定して構築されたものですが、現時点ではその水準には達していません。ですので成長の余地は十分にあります。とはいえ今年はあくまで、アニバーサリーに焦点を当てています。目標はブランドについて語ることにあり、その手段として最適なのがプロダクトの発表でした。とはいえ、いきなり全コレクションを展開するのではなく、段階的に、地域ごとに展開していくひとつのタイプのコレクション(=アニバーサリー ピース)という形にしました。その狙いは、ブレゲの多彩な発明の数々について語ることにあったのです。
250年にわたり、ひとつずつ発明をかたちにする。私たちの主張はこうです。だからこそ各製品は中核となるコレクションと結びついており、それぞれが異なる発明を語るものとなっています。たとえば数週間前に発表したトラディション 7035BH(レトログラードセコンド)では、プラチナ製の回転ローターを採用しました。これはアブラアン-ルイ・ブレゲが、永久カレンダー搭載時計において史上初めてプラチナを導入した時計師だったことにちなんだものです。今回のアニバーサリーコレクションは、ブレゲの多様な発明について語ると同時に、歴史的なタイムピースと組み合わせることで、私たちのレガシーがいまなお生きていることを示すという狙いもあります。そして、おそらく起源から現代のコアコレクションに至るまで、一貫したアイデンティティを保っているブランドはブレゲ以外にはほとんど存在しないのではないでしょうか。1970年代や1980年代のブレゲと現在のブレゲを見比べても、そのデザインには明確なつながりが感じられます。それこそが、ブレゲの大きな独自性なのです。
忘れてはならないのは、アブラアン-ルイ・ブレゲは卓越した時計師であったと同時に、おそらく史上初のウォッチデザイナーでもあったということです。彼はウォッチメイキングに新たな様式を持ち込み、技術的な発明だけでなくそのスタイルによっても時計界を近代化しました。ブレゲ針やブレゲ数字といった意匠がその代表例です。だからこそこのスタイルはいまなお色褪せることなく現代に通じているのです。
新作スースクリプションモデルにあしらわれた伝統的なシークレットサインは、ブレゲのパンタグラフによって刻まれている。Photo courtesy Breguet.
M.K.: ブレゲは、現在スウォッチ グループのなかでも最上位に位置づけられるブランドであり、同時にウォッチメイキングにおいて実在した人物のレガシーを受け継いでいるという点でも、もっとも重要な名前だと思います。かつては、オーデマ ピゲやパテック フィリップと並び称される存在でもありました。ただ正直に言うと、今はそのレベルに完全に並んでいるとは言い難い状況だと感じています。ヘリテージや歴史、時計製造技術、そしてブランドの認知という観点から、あのレベルにどうすれば戻れるとお考えですか?
G.K.: 私は過去を評価するためにここに来たのではありません。私の使命はブランドの魅力を高め、認知度を向上させることです。だからこそパリからパリへと展開する、このアニバーサリー企画を実施することにしたのです。ブレゲというブランドについて、1日だけで語り尽くすことはできません。そこで、異なる場所で段階的に対話を重ねていくというアプローチを選びました。確かに、ブレゲはピラミッドの頂点に位置するブランドです。そしてスウォッチ グループ全体のブランドを見渡せば、それぞれに投資する必要もあります。しかし、私たちはブレゲに対して非常に大きな投資を行っています。私たちには素晴らしいツール、つまり優れたマニュファクチュールがあります。それだけではありません。ブティックの展開も加速しており、“小売化”は着実に前進しています。今後さらに多くのブティックをオープンし、そこにも大きな投資をしています。同時に製品への投資も欠かしていません。戦略の中心にあるのは常に製品なのです。
それから、おそらくお気づきかと思いますが、私たちはコミュニケーションの手法も刷新しつつあります。よりフレッシュな表現で新しい顧客層、具体的にはZ世代にリーチしたいと考えているのです。この新しい世代にブランドを伝えていくには、教育的なアプローチも必要です。そこで今回のようなポップアップ形式のエキシビションを導入することにしました。ブレゲのさまざまな発明を体験できる場を提供することで、ブランドをより深く理解してもらえると考えています。というのも、ブレゲというブランドを知らなければその魅力やすごさを理解するのは難しいからです。この展示を通じて、現代のウォッチメイキングを定義づけてきた発明の数々を直接体験できるわけです。まさにその理由から、ブレゲは近代時計の父であり、ウォッチメイキングにおける絶対的な基準として評価されてきました。私たちはあのポジションを取り戻すために、訓練が必要だと考えています。だからこそ繰り返し伝え、語り、行動していく。その積み重ねこそが成長への道なのです。
最後の大きな技術革新といえばマグネティック・ピボットで、あれはもう2013年のことです。ですから、こうしたブレークスルーとなる技術を再び戦略のなかに取り入れていく必要があります。
– グレゴリー・キスリング氏, ブレゲCEOM.K.: バランスの取れたアプローチが理想ではありますが、もしストーリーテリングとプロダクトのどちらかを優先しなければならないとしたら、どちらが正しい道だとお考えですか?
G.K.: 両方です。ただ先ほども申し上げたように、中心にあるのはやはりプロダクトです。そして同時に、イノベーションを絶やさないことも重要です。というのも、ブレゲは常に革新的な技術を世に送り出してきたブランドとして知られてきました。最後の大きな技術革新といえばマグネティック・ピボット(磁力を利用してテンプの軸を浮かせ、摩擦を減らし耐衝撃性と精度を高めるブレゲ独自の耐震機構)で、あれはもう2013年のことです。ですから、こうしたブレークスルーとなる技術を再び戦略のなかに取り入れていく必要があります。現在、まさにその取り組みを進めているところです。
M.K.: ハイエンドウォッチの業界全体でよく見られるのは、どれだけ優れたプロダクトであってもセカンダリーマーケットでは正規価格を下回って取引されることがある、という点です。たとえばパテックのRef.5270などもそうですが、現代のブレゲでもよく見られる傾向です。もちろん、それが製品として劣っているという意味ではありません。ただあくまで推測ですが、もしかすると価格設定が正規ブティックへと足を運ばせるには適切な水準にないのではないか、そう感じることもあります。こうした二次流通市場の動向は、価格戦略を考えるうえで意識されていますか? またブランドへの信頼感をどう築き、顧客をブティックへと導いていくお考えでしょうか?
2025年6月のサザビーズに出品されたロット77。1969年製のブレゲ エンパイアで、落札価格は10万7950ドル(日本円で約1570万円)だった。Image courtesy of Sotheby's.
G.K.: セカンダリーマーケットについては、もちろん私たちも注視しています。たとえばエンパイアモデルのようなヴィンテージの一部は、価格を見ていても本当に驚くほどの評価を得ています。もうひとつ注目すべきなのはオークション市場です。最近、ヒストリカルピースに関しては非常に素晴らしい結果を残しています。ただし、私たちがこのマーケットと競り合うというのは現実的ではありません。
新製品を生み出し、イノベーションを継続していくことが重要です。その一方で新たなプロダクトをコレクションに加える際には、うまく機能していないものをフェーズアウトしていくことも同時に求められます。このバランスを保つことが不可欠です。もうひとつ重要なのが生産体制です。私たちは常に、需要を上回るような過剰な生産は避けなければなりません。これは、これからの戦略を考えるうえで非常に大切な要素です。
ブレゲ パンデュール・サンパティーク No.1。最近開催されたフィリップスオークションにて、F.P.ジュルヌが約600万ドル(日本円で約8億7300万円)で落札した。
M.K.: ここで少し個人的な観点からお聞きします。CEOとしてのお立場から見て、あなたはこれまでにデザイン、機構、冶金、そして製品開発に深く関わってこられましたが、私自身の経験から言ってもストーリーテラーとしてそれらを伝える力にも優れていると感じています。では、自身でもっとも大きなインパクトを残したいと思っているのはどの分野でしょうか? 今後もプロダクト開発やデザインに深く関与していくのか、それともより俯瞰的な立場でブランド全体を見ていくお考えですか?
G.K.: 私はまず製品から着手し、明確な戦略を立てました。そのあと同僚たちの助けを借りてコミュニケーション戦略を構築し、さらに強固な商業戦略を打ち出しました。これはグループとして承認されたグローバルな戦略です。でも私にとってもっとも重要だったのは、250周年のためだけでなく、その先の数年を見据えた明確な戦略を整えることでした。この勢いを継続していかなければなりません。さらに年末にはいくつものサプライズを控えています。今回の取り組みは過去と現在について語るだけでなく、未来について語ることも目的としていました。イノベーションこそがブレゲの本質であり、それを戦略の中心に据え続ける必要があります。なぜならイノベーションなくしてブランドは生き残れないからです。
M.K.: ほかグループによるブレゲへの関心、とりわけフランスとのつながりからLVMHが名指しで挙がることについて噂がありました。ではなぜ、ブレゲが将来的に成功するうえでスウォッチ グループこそが最適な環境だと言えるのでしょうか?
G.K.: ブレゲはグループにとって常に重要な存在でした。ブランドは1999年、ニコラス・G・ハイエック・シニア(Nick Hayek Sr.)によって買収されています。彼はブレゲに心から惚れ込んでいました。ただし、当時の買収はブレゲ単体ではなく、レマニアも含まれていた点が非常に戦略的でした。もちろんレマニアの取得は(オメガ)ムーンウォッチとの関係においても重要な意味を持っていましたが、ハイエックはブレゲにも多大な投資を行いました。だからこそ、現在においてもブレゲはグループにとって極めて重要なブランドであり、私たちは強力なサポートを受けているのです。
忘れてはならないのは、スウォッチ グループは単に15のブランドを擁しているだけでなく、実に150もの製造拠点を抱えているという点です。これほど垂直統合が進んだ時計グループはほかに存在しません。これこそがスウォッチ グループの大きな強みです。潤滑油から調速機構のすべてのパーツに至るまで、自社で製造できる体制が整っています。サファイアクリスタルの風防も自分たちの手で製造しています。あらゆる工程がインハウスで完結しているのです。
M.K.: 創業250周年という節目を祝うにあたって、長い歴史のなかでさまざまな時代やオーナーシップの変遷を経てきたブレゲにおいて、どの要素を本質的に伝えるべきものとして選び取ったのでしょうか? そして、今年後半にはどのような展開を予定されていますか?
G.K.: 私たちは毎月1本ずつ新作を発表していくことにしました。夏のあいだはお休みをいただき、その後はロンドン、日本、ドバイといった各地で展開を続けていきます。そして最後はパリとヴェルサイユに戻って締めくくる予定です。というのも、マリー・アントワネットと深いゆかりのある地だからです。
目的地には意味があります。たとえば、明日(※インタビュー当時)は新作タイプ XXの発表を控えています。今回はこのタイプ XXとニューヨークを結びつけることにしました。というのも、パリからニューヨークへの初の大西洋横断飛行の目的地が、まさにニューヨークだったからです。そして私たちはブレゲの多様なラインナップについてもお話したいと考えています。ブレゲはひとつの製品だけを軸にしたブランドではありません。非常に多くのラインがあり、それぞれがブランドの異なる章を物語っています。タイプ XXはアビエーションを象徴していますが、それだけではありません。海洋クロノメーターという側面もあります。これはかつてのGPSのような役割を果たしていたものです。そしてフライバック機構、あれもまた、空中で正確な位置を把握するために開発されたものでした。
新作ブレゲ タイプ XX。近日公開予定のHands-On記事より。
ブレゲには、語るべきストーリーも発明も、本当にたくさんあります。だからこそ今回のコレクションではブレゲゴールドとギヨシェという共通の要素を軸に据えることにしました。私たちが見せたかったのは、新たなギヨシェ模様を創造し、具現化できる技術力です。これ自体、決して簡単なことではありません。たとえばクル・ド・パリ装飾といったブレゲならではの伝統的パターンは存在しますが、それに加えて、新しい模様に対応できるようローズエンジン旋盤(ギヨシェ彫り用の伝統機械)を自社で再構築することもできますし、新たな模様に対応するカム(型板)さえ、自分たちで加工することができるのです。
ギヨシェ彫りとエナメル装飾。Photo courtesy Breguet.
だからこそ、私たちが持つ多彩なメティエ・ダールを見せることが重要だったのです。ギヨシェ彫りだけでなく、エナメル装飾も同様に大切な要素です。忘れてはならないのは、ブレゲがギヨシェ装飾のダイヤルを手がける前に、まずエナメルのダイヤルをつくっていたということです。そしてそこには、彼自身がデザインしたアラビア数字インデックスが配されていました。今回のスースクリプションでは、ドーム型のエナメルダイヤルにシークレットサインを施すという、伝統の再現を強く意識しました。これはパンタグラフによって彫られたもので、現代では通常実現が難しい技術です。現在では転写技術やレーザー技術が一般的ですが、私たちはあえてこの古典的なパンタグラフ技法を蘇らせることを選びました。このパンタグラフは、ジョージ・ダニエルズ(George Daniels)のコレクションから譲り受けたものです。彼はブレゲの熱烈な愛好家であり、実際にこのパンタグラフはブレゲ時代のものを所有していたのです。
年末には、ブレゲのタイムピースだけを集めた大規模なオークションが開催される予定です。これはサザビーズが主催し、11月にジュネーブで行われます。そして最後に、今年の締めくくりとして大きなサプライズを用意しています。どうぞご期待ください。それは革新的な技術となるはずです。
ブレゲについての詳細は、ブランド公式サイトをご覧ください。
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