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Four + One クリストファー・ダブールにとってのインディーズウォッチのすべて

EsperLuxeのオーナーは、時計と同じくその裏に隠されたストーリーを大切にしている。

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思い出すのが大変かもしれないが、少し前まで独立時計師は、よほどのコレクターや愛好家でない限りあまり注目される存在ではなかった。独立時計師の多くは、年間数本から数十本の時計を黙々と作り続け、なかには大手メーカーに商売を持ちかけて生計を立てるところも少なくなかった。

 だが今日、誰もが認める天才的な才能を持ったレジェップ・レジェピ(Rexhep Rexhepi)氏やマキシミリアン・ブッサー(Max Büsser)氏、そしてドゥ・ベトゥーン(De Bethune)のデニス・フラジョレ(Denis Flageollet)氏といった名士たちから生まれる結晶(時計)には高値がついている。タイミング的にもポジション的にも中間にいるクリストファー・ダブール(Christopher Daaboul)氏は、いまの独立時計師ブームになるずっと前からそうしたストーリーに魅了されたひとりだ。そして現在、彼はその時計師たちが作った作品を、自分と同じようにストーリーを大切にするユーザーの手元に届ける手伝いをしている。昨年の秋、マサチューセッツ州のボストン郊外にある彼の小売店“EsperLuxe”で、ダブール氏と私は、彼の提供するユニークな時計に引かれた多くの愛好家たちとともに時計を語り、コーヒーを飲み、そしてワールドカップを観戦した。

Christopher Daaboul at the ExperLuxe lounge

 現代の時計収集においてもっとも幸運な人たちは、時計への愛情を育んだ両親や祖父母が、ときにはパテック フィリップの、“次世代のために時計を継承する”というスローガンを体現するために最善を尽くしてくれたからこそ、彼らの道は築かれているのだ。ダブール氏もその幸運なひとりといえるが、しかし彼とその家族が歩んできた道は、時計の世界では最も困難で、そしてさらに険しいものだった。

 「私の父は30年以上、時計の仕事に携わっています」と話すダブール氏。「レバノンに住んでいた頃、父のモーリス(Maurice)は当初、ブライトリングの時計を売り始めたんです。その後ファーブル・ルーバ、オメガの販売を経て、最終的にはジュエリーの製造にも乗り出しました。しかし当時、レバノン内戦の影響で、国や経済は打撃を受け大混乱に陥りました。結局、自国の通貨に価値がない以上、国際的な企業との取引は不可能となり、彼のビジネスは破綻してしまいました。そして彼は突然、長期にわたって成功させようとしていたその事業から、手を引いてしまったのです」

Christopher Daaboul at the ExperLuxe lounge

 1997年、ダブール一家はアメリカにわたりゼロから再出発した。モーリスは、ともに旅をするダブール氏と妹、母親、そして叔母を支えるためにいくつかの仕事を掛け持ちし、浮き沈みを繰り返しながらも、やがて隠れ家的なレストランをスタートすることができ、お店を成功するまでに導いた。ダブール氏は、そんな苦労を乗り越えてから父親が手にした、バルジュー7750ムーブメントを搭載したルシアン・ロシャ(Lucien Rochat)のツートンウォッチが印象的だったことを覚えていて、それがきっかけで時計に憧れるようになったという。父親が学校に迎えに来てくれるたび、ダブール氏は左手を握り、ムーンフェイズのイラストが描かれた腕時計をじっと見つめていた。

A Lucien Rochat two-tone watch belonging to Chris Daaboul

Photo courtesy Christopher Daaboul

 アメリカでしっかりと地に足をつけたモーリスは、自分が本当に好きな時計の世界に戻りたいと決心し、新しく小さな会社を立ち上げた。接客業をしていたダブール氏も、やがて父親のもとで働くように説得され、仕事に従事することとなる。だがしばらくは、期待していたほど楽しいものではなかった。しかし、あるスイスへの運命的な旅がすべてを変えたのだ。

 「無名のブランドの時計はいくつか所持していましたが、卸しの仕事は楽しくありませんでしたし、リテーラーとの会話もどこか感情がこもっていないようで楽しくなかったんです。2013年に開催されたバーゼルワールドの横に、サーカスのテントのようなものが設置されているのを見つけました。そのテントは“パレス(The Palace)”と呼ばれる場所で、私はそこに迷い込み、そこですべてが変わったんです」

The Urwerk UR-103 Watch in white gold on the wrist of Christopher Daaboul

ダブール氏が選ぶお気に入りの4本のうちの1本、WG製のウルベルク UR-103。

 「入った瞬間、私はマキシミリアン・ブッサー、ウルベルク、ドゥ・ベトゥーンを発見しました。フィリップ・デュフォー(Philippe Dufour)は、まだ準備段階でした。それがやがて、レジェップ・レジェピとの出会いにもつながってくるのですが。これをきっかけに、私の時計に対する考え方がガラッと変わりました。当時はこれらの時計を買う余裕はありませんでしたが、私は“ここにクリエイティビティがある、ここに革新があるんだ”と確信しました。幸いにもこのとき、ブランドの背後にいる実際に時計を作っている人たちと話をすることができました。数字の上だけのビジネスではありません。彼らとともに仕事をするだけではなく、ほかの人たちにもこの気持ちを届けるためにはどういう仕組みを作るべきか自問し、以来それをずっと続けています」

 その過程で、これまで手の届かなかった時計がダブール氏のコレクションに加わり、時計の世界と彼のキャリアを変えたブランドや独立時計師との出会いを思い起こさせる。


彼の4本
ウルベルク ホワイトゴールドのUR-103

 「この103は、ウルベルクというブランドであるだけでなく、独立時計師によるウォッチメイキングのアイコンでもあります」とダブール氏は言う。「私にとってこの時計は、まさにインディーズウォッチのムーブメントと、立ち直る力の強さを象徴したものです。というのもあの人たち(ウルベルクの共同設立者であるフェリックス・バウムガルトナー/Felix Baumgartner とマーティン・フレイ/Martin Frei)は、倒産寸前だったんですよ。最初のコレクションである103を発表する前、銀行には5万ドル(日本円で約670万円)ほどしか残っていなかったのですが、この時計が彼らを支えたのです」

The Urwerk UR-103 watch on a table

 UR-103は、デザイン面でもまさにアイコニックな時計だ。(ユニークな時刻表示の)サテライトアワーは、それ以前に他社がさきがけとなって開拓、製造していたにもかかわらず、いまではウルベルクの代名詞になっているといっても過言ではない。しかしこの時計は現在発売されても、20年前と同じように受け入れられるだろう。そしてダブール氏にとってこの時計は、自分や父親がそうだったように、自分たちのビジネスを発展させるために行ってきたウルベルクのストーリーと、リンクするものでもあるのだ。

マキシミリアン・ブッサー&フレンズ(MB&F) オロロジカル マシーン5

 「私はインディーズの時計づくりについて、“ウルベルクは先駆者であり、マキシミリアン・ブッサーがそれを永続させ、ジュルヌ(Journe)がそれを検証する”と、いつも言っているのですが、特にマキシミリアン・ブッサー氏がいなければ、今日私たちが知っているこのインディペンデントウォッチメイキングのムーブメントは存在しなかったでしょう。そして50年後にはマックスを、いま私たちが想像したり理解したりする以上に、時計製造に大きな影響を与えた人物として振り返ることになると思います」

 MB&Fのコレクション、レガシー・マシンはマキシミリアン・ブッサーとその仲間たちが、時計づくりの高い技術をふるった人気のモデルだ。ダブール氏のコレクションに選ばれてもおかしくない、ユニークでクリエイティブにあふれたプラットフォームでもある。

The MB&F HM5 watch on the wrist

 「オロロジカル マシーンはいつ見ても魅了されます。レガシー・マシンもすばらしく美しいし、MB&Fの観点から見ると、まさに伝統的な時計製造への抒情詩であると言えます。しかしオロロジカル マシーンは、マックスのその桁外れたクリエイティビティを発揮するのに最適なコレクションなのです」

 「機械加工をみると、このような少量生産でしかもどれほどの複雑な作業が必要になるのか、さらにその技術やケース、ムーブメントなど、すべてに関わるコストにどれほどかかったかがわかります。どのように、どこで、どうやって...」ダブール氏は興奮のあまりつっかえてしまう。「私にとって、これらすべてのものはオリジナリティが重要なのです。ジルコニウム製のケースも素晴らしいですが、私にとって決め手となったのは、マックスが設計の経緯を語ってくれたことです。単なるドライバーズウォッチではなく、ランボルギーニ・ミウラのスラントバックのようなデザインコードを持ち、クルマのような設計のドライバーズウォッチを作りたかったのだと」。

MB&F HM5 on the wrist
ドゥ・ベトゥーン DB28

 ダブール氏は「私が初めてDB28を見て手首に巻いたとき、2013年か2014年だったか、日付ははっきりしませんが、ただ覚えているのはそのときの体験です」と話す。「バーゼルワールドでそのブランドに訪れたときのこと。そのとき“カインド オブ ブルー”を目にして、こんなの見たことがないとなったのを覚えています。私はすっかりその時計に魅了されてしまいました」。

 私も最近惚れ込んでいるブランドだからわかる。確かに、そうならないわけがない。ダブール氏は、DB25のようにほかのどんな時計が注目されようとも、DB28がドゥ・ベトゥーンの真骨頂だと主張する。つまりDB28は、可動するフローティングラグと斬新なケース形状に加え、未来的なデザインとトラディショナルな高い技術による仕上げが、絶妙なバランスを生み出しているのだ。

The De Bethune DB28 Watch

 「ブランドが死にかけたとき、つまり倒産しそうになったときでさえ、このモデルが信じられないほど素晴らしかったために、まだマーケットがあったのです」

 「デニス(ドゥ・ベトゥーンの共同創業者であるフラジョレ)氏がやっているようなことは、まさにすごいとしかいいようがないんです。彼は冶金(やきん)学の魔法使いですよ。そして、伝統的な時計づくりの経験やノウハウを、彼が持ち込んだアバンギャルドな時計製造に応用しているのですから、これはほかの誰もやっていないことだと思います」

The De Bethune DB28

 しかもダブール氏にとってはセンチメンタルな理由も相まって、特別な時計になっている。ドゥ・ベトゥーンはEsperLuxeに時計を流通してもらうことにいち早く乗り出したブランドのひとつである。「私は今、夢のような生活を送っています」

 この時計を探そうとしたとき、彼は2011年にGPHG賞を受賞したDB28のオリジナルモデルのひとつから探した。そしてようやく手にした彼は、それを裏にひっくり返すと、自身のラッキーナンバーである7のシリアルを持つ時計だったそうだ。運命の出合いってやつだろう?

ブレゲ トゥールビヨン Ref.3350 Aシリーズ、第1世代

 ほかのコレクションであれば、この時計が特に秀でた存在となることはないだろう。しかしダブール氏が最近手に入れたこのブレゲ Ref.3350 Aシリーズのトゥールビヨンは、上で紹介した3本の時計と比較すると、間違いなくいちばん伝統的で、しかも意外性のあるモデルだろう。この時計がダブール氏のコレクションに欠かせない存在となったのには、とても納得する理由がある。

The Breguet tourbillon ref 3350 laying on its side

 「長いあいだ、私は初期に生産された素晴らしいダニエル・ロート(Daniel Roth)を探していました」と言うダブール氏。「なのに、なぜか時間を忘れてオークションを見逃し、価格が安かったころのいい取引を逃し続けたことが多々ありました。そしてとうとう手に負えなくなり、後悔するようになったのです」

 「ダニエル・ロート氏はいま、この業界であまり知られていないかもしれません。というのも彼は元祖独立時計師のひとりだから。このなかにはロート氏のほか、スヴェン・アンデルセン(Svend Andersen)や、ヴィンセント・カラブレーゼ(Vincent Calabrese)、そのほかにも何人かいます」

 ロート氏は、華麗なる最初のキャリアをブレゲで14年間過ごし、そのモダンな美学の確立に貢献し、その手腕がこの時計に最大限発揮されている。この時代のブレゲのトゥールビヨンや永久カレンダー、クロノグラフなど、ブランド復活の根幹となったレマニアムーブメントの製作には、ロート氏が関わったことから始まったとダブール氏は説明した。ここに、驚くべきハンドエングレービングと素晴らしい仕上げが施されている、初期の100本のトゥールビヨンがある。ただし何よりも重要なのは、この時計が巨匠の意志を継ぐモニュメントであるということだ。

The Breguet tourbillon rear engraving

もうひとつ
真鍮製のエトルスカンネックレス

 「割とこのネックレスは、ネックレスという物体としてはなにもおかしなものではありません」と言うダブール氏。「貴金属でもなんでもありませんが、私にとってはとても大切で意味のあるストーリーを持っているのです」

A necklace held up by the hand.

 「このネックレスは、パンデミックによるロックダウンのあと、初めての家族旅行で手に入れたものです。両親、姉、義兄、妻、そして息子の7人全員で、イタリアにあるコルトーナ(Cortona)という小さな町へ訪れ、10日間ほど滞在しました。そこで私たちは、人生のかけがえのなさ、そしてそれを時間をかけて一緒に楽しむことの大切さを改めて実感しました」

 「この町で真鍮やブロンズにエトルリア文字を書いたジュエリーを作っているアーティストを見つけ、それが旅の思い出や気持ちを思い出すのにぴったりだと思い、その気持ちを形にしたのです。ちょっと辛いことがあったときも、これを見ればそのときの本当に大切なものを思い出させてくれるから、肌身離さず持っているのです」

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HODINKEE shopでは、ブレゲの中古腕時計を販売しています。コレクションはこちらからご覧いただけます。

ブレゲドゥ・ベトゥーンウルベルクMB&Fについては、それぞれのウェブサイトで詳細をご覧ください。