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マイケル・クレリゾ(Michael Clerizo)は、25年以上の経験豊富なベテラン時計ライターである。ウォール・ストリート・ジャーナルの時計コラムニストを3年間務め、またWSJマガジンの寄稿編集者を10年以上担当した。さらにCNNのタイムレスコーナーにもプレゼンターとして頻繁に登場している。クレリゾは、『Masters Of Contemporary Watchmaking(現代時計製造の巨匠たち)』『George Daniels: A Master Watchmaker And His Art(ジョージ・ダニエルズ:巨匠時計師とその芸術)』、そして間もなく発売される『Greubel Forsey: The Art Of Invention(グルーベル・フォルセイ:発明の芸術)』の著書として執筆した。こちらは現在Amazonで予約注文が可能だ。
1970年の晩春、有名な24時間レースの開催地であるフランスのル・マンで、未来の時計コレクターを何十年にもわたって悩ませる4つの謎を生むことになる打ち合わせが行われた。その日、長身で痩せ型、黒縁メガネをかけ、長いもみあげを生やした人当たりのよいドン・ナンリー(Don Nunley)が、スティーブ・マックイーン(Steve McQueen)を待っていた。
ナンリーは自動車レースについてはほとんど知らなかったが、自分の役割はしっかり理解していた。それは当時、世界的な映画スターだったマックイーンが主演する映画『栄光のル・マン(原題:Le Mans)』のプロップ係としての仕事だ。この映画は、マックイーンが情熱を注いだプロジェクトであり、彼の会社ソーラー・プロダクションズが制作を手がけた。
ナンリーはプロップの世界で“権威”とされる人物だった。1959年に父親のあとを追ってこの業界に入り、テレビで見習いとして経験を積んだあと、1960年代に長編映画の分野へ進出した。『栄光のル・マン』の前年には、ダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman)氏主演の映画『小さな巨人(原題:Little Big Man)』に携わっている。その日の彼の仕事は、マックイーンが演じるレーシングドライバー、マイケル・デラニーが劇中で着用する時計を選ぶ手伝いだった。サーキット脇にあるプロップ部門の拠点となる大きなテント内で、ナンリーはテーブルにいくつもの時計を並べた。ロレックス、ロンジン、オメガ スピードマスター、ティソ、ブローバ、そしてホイヤーのモデルがいくつか並んでいる。それらはすべてソーラー・プロダクションズが現地で購入したものだった。
マックイーンは真っ先にスピードマスターに目をつけた。するとナンリーが意見を述べた。マックイーンが選んだレーシングスーツにはホイヤーのワッペンが付いているため、スピードマスターを身につけると“オメガがスポンサーということになってしまうだろう”と伝えたのだ。マックイーンはその意見に納得し、スクエアケースに青い文字盤、黒いコルファムストラップを備えたホイヤー モナコ Ref.1133Bに目を向け始めた。
するとマックイーンはナンリーに“それを見せてくれ”と言った。ナンリーが手渡すと、マックイーンはモナコを腕に巻いて“そうだ、これをつけよう”と言った。
その瞬間、4つの謎が生まれた。撮影現場にはブルーダイヤルのモナコが何本あったのか? マックイーンは何本を身につけていたのか? それらの時計はその後どうなったのか? そしてテーブルの上に並んでいた時計はどうなったのか? 2016年に、私がウォール・ストリート・ジャーナルの記事のために行ったインタビューでは、ナンリーはこう語った。マックイーンがモナコを選んだあと、ジャック・ホイヤーに連絡を取ってすぐに同じ青いモナコを6本受け取ったというのだ。ナンリーがル・マンで受け取った1970年6月26日付のホイヤーの請求書が、この主張を裏付けている。またナンリーは撮影中に、マックイーンがその6本すべてをつけていたことも認めた。
6本の青いモナコは今どこにあるのだろうか? 1970年11月13日付の手紙で、ドン・ナンリーはジャック・ホイヤーに、スティーブ・マックイーンがそのうちの2本を持ってル・マンを去ったと記している。そのうち1本は、マックイーンが財務コンサルタントのビル・マー(Bill Maher)に贈ったもので、2009年にオークションハウスのアンティコルムによって8万7600ドル(当時の相場で約810万円)で落札された。もう1本は、マックイーンの専属メカニックであり映画の主任メカニックも務めたヘイグ・アルトゥニアン(Haig Alltounian)に贈られた。この時計は2020年、ニューヨークで開催されたフィリップスオークションで220万8000ドル(当時の相場で約2億3570万円)の価格で落札されている。なお現在、どちらも匿名のコレクターが所有している。
ナンリーは私とのインタビューで、青いモナコを4本持ってカリフォルニアに戻ったと語った。そのうちの1本は友人に譲り、現在はスイスのタグ・ホイヤー博物館に収蔵されている。2本は2009年にeBayで売却し、そのうちの1本もタグ・ホイヤー博物館に収められた。もう1本はヨーロッパのコレクターを巡り歩いたあと、2012年にProfiles in Historyオークションで匿名のコレクターに79万9500ドル(当時の相場で約6380万円)で落札された。そして4本目は別のコレクターに売却された。
1970年11月13日付の手紙に記されているとおり、ナンリーがホイヤーから受け取ったほかの時計やテーブルに並んでいた時計は、撮影終了後に映画スタッフに売却された。残された謎はただひとつ。ル・マンであの春の日にマックイーンが選んだモナコは、いったいどこへ行ったのだろうか?
そして今年8月、サザビーズはプレスリリースを発表し、12月にニューヨークで開催されるオークションにてスティーブ・マックイーンが映画『栄光のル・マン』で着用した6本のモナコのうちの1本を出品すると発表した。このモナコには特別な特徴がある。それは、映画でマックイーンの手首に巻かれていたコルファムストラップではなく、金属ブレスレットを装備している点だ。
タグ・ホイヤー・コミュニティで名の知れたふたり、タグ・ホイヤーのヘリテージ・ディレクターであるニコラス・ビーブイック(Nicholas Biebuyck)氏と、ヴィンテージホイヤー専門サイトonthedash.comの運営者ジェフ・スタイン(Jeff Stein)氏のあいだで、疑問が浮かび上がり始めた。ふたりが最初に注目したのは言うまでもなく金属製のブレスレットだ。それがホイヤー製ではないという点ですぐに意見が一致した。「これはアフターセールスブレスレットで、ル・マンの宝石店で簡単に手に入るものです」とビーブイック氏は語る。「時計が撮影現場に届いたとき、このブレスレットは付いていませんでした」
「マックイーンが金属製のブレスレットを好んでいたことは間違いありません」とスタイン氏は言う。「彼が普段使いしていたのは、金属ブレスレットのロレックス サブマリーナーでした。撮影現場で彼がロレックスをつけている写真も手元にあります」
インターネットで何時間も検索を続けた結果、驚くべき発見があった。それはサザビーズが出品する時計と同じ、金属ブレスレットを装着したブルーダイヤルモナコをつけたマックイーンの写真だった。
ナンリーは几帳面な人物だった。スタイン氏とビーブイック氏は、ナンリーがホイヤーから納品され、請求書が残っている時計と、現地で購入され領収書がないテーブル上の時計を区別して管理しようとしたのではないかと推測している。しかしマックイーンがテーブルから選んだモナコにはコルファムストラップが付いていた。彼らはナンリーのチームがそのストラップを取り外し、撮影中にすぐ交換できるよう予備を確保していたのではないかとも考えている。撮影中にストラップが切れる可能性を考慮して、交換用のストラップが必要だったのだ。
その後、プロップチームがコルファムストラップを現地で購入した金属製ブレスレットに交換したか、あるいはマックイーン自身が金属ブレスレットに付け替えるよう依頼した可能性が考えられる。マックイーンは金属ブレスを装着したモナコを数日間着用しており、それが写真の説明となる。ただ感触が気に入らなかったのか、あるいは見た目の問題だったのか理由は定かではないが、彼はこの時計をプロップ部に返し、自身のサブマリーナーに戻した。おそらくナンリーは、“連続性((映画の撮影でシーンごとの小道具や衣装に矛盾が生じないようにするための配慮))”に関する問題を避けるため、モナコを金属ブレスレットのまま安全な場所に保管したのだろう。
スタイン氏とビーブイック氏はモナコが金属ブレスレットに交換され、マックイーンの手首に巻かれた経緯については納得のいく説明を得た。しかしこの時計がなぜ何十年ものあいだ発見されなかったのかについては、まだ十分に説明がつかなかった。その謎を解く手がかりを得るためには、サザビーズのプレスリリースに名前が挙がっていたアリゾナ州在住の元メカニック、ベブ・ウェストン(Bev Weston)氏の協力が必要だった。
ベブ・ウェストン氏は映画でマックイーンのポルシェに敗れたイギリス人ドライバー、デレック・ベル(Derek Bell)氏の乗るフェラーリのメカニックだった。
ジェフ・スタイン氏とのインタビューで、ウェストン氏は撮影終了後にプロップ部門のテントでオーバーオールが販売されているという噂が広まったと語った。オーバーオールを買うつもりでテントに入り、いくつかのセットを選んだウェストン氏は、支払いの際にカウンターに置かれた金属ブレスレット付きのブルーモナコに気づいた。彼がその時計も売り物かと尋ねると“はい”と答え、価格は40ドル(当時)だった。時計が気に入ったウェストン氏はよろこんでそれを購入品に加えた。そのあとの数十年間、写真が証明するようにウェストン氏はモナコを愛用。そして2010年、彼はそのモナコをサザビーズの委託者である匿名のコレクターに売却した。
コルファムストラップから金属ブレスレットに至る経緯の説明にウェストン氏のストーリーが加わり、スティーブ・マックイーンと映画『栄光のル・マン』に深く結びついたもう1本の青いモナコが、サザビーズから販売される可能性が高まってきた。
「ナンリーが撮影終了後に、マックイーンがつけていたモナコを40ドルで売り払った可能性はあるだろうか?」とビーブイック氏は言う。「1970年ごろには、このようにハリウッドで使われた時計に特別な価値があると考える人は誰もいなかったため、それは十分にあり得る話です。実際、ナンリーは最初に時計を売るまで30年以上も手元に置いていたのですから」
しかしこれまでの証拠は、法廷弁護士が“伝聞証拠”や“状況証拠”と呼ぶようなものに過ぎない。決定的な証拠は、シリアルナンバーという形ですぐ近くにあった。マックイーンがビル・マーに贈った時計のシリアルナンバーは160503。一方でナンリーがeBayで販売し、現在タグ・ホイヤー博物館に収蔵されている時計のシリアルナンバーは160903である。
金属ブレスレットが付いたこの時計のシリアルナンバーは160304だ。「シリアルナンバーは、この時計が該当する時期のものであることを示しています。おそらく、撮影クルーがフランスに到着し始めた1970年4月か5月に購入されたものでしょう」とビーブイック氏は話す。シリアルナンバーによって時期を特定できたため、スタイン氏とビーブイック氏はサザビーズが売りに出そうとしている時計が、1970年の春の日にスティーブ・マックイーンが選んだモナコであることに同意している。
「それが最も合理的な説明でしょう」とスタイン氏は言う。
映画のなかでマックイーンがつけていたものから、彼がテーブルから選んだものへと時計のストーリーが変わったことについて尋ねると、サザビーズの時計部門グローバル責任者であるジェフ・ヘス(Geoff Hess)氏は、新しい解釈に満足していると答えた。そして、「これこそ私が時計コレクションを愛する理由です」と語った。「最初はひとつの物語から始まる。そしてスタインやビーブイックのようなこの分野の真の識者が現れて、“あなた方は間違っていると思う”と言うのです。それはまるで美術史のようなもの。誰かが弟子の絵画だと思っていた作品が、調査を進めるうちに実は巨匠の作品だったと判明する、そんな感じですね」
「この時計が、マックイーン・モナコの伝説の始まりとなります。20世紀で、最も重要な時計のひとつと言えるでしょう」
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