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In-Depth ジョン・グレンの時計を求めて

アメリカの宇宙飛行士であり上院議員であった人物が身につけていた8本の時計が、あまり注目されなかった郊外の遺品整理セールで突然見つかったとき、何が起きたのか。

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本稿は2019年12月に執筆された本国版の翻訳です。

編集注記:2019年12月10日、ニューヨークで開催されるフィリップスの“Game Changers”オークションには、宇宙飛行士であり米国上院議員のジョン・グレン(John Glenn)が所有していた2本の腕時計が出品される。その時計とは、ブライトリングのコスモノート Ref.809 “スコット・カーペンター”モデルと、ジャガー・ルクルトをカスタムオーダーしたRef.3027 “ラッキー13”ウォッチである。どちらの時計も、2018年3月にグレンの個人資産の遺品整理セールで購入されたものだ。HODINKEEの寄稿者であるジェフ・スタイン(Jeff Stein)氏は同オークションで3本の時計を購入した。この記事では、売却の背景、ジョン・グレンの時計をどのように追跡したか、またその追跡がどのようにしてNASAの7人の初代マーキュリー宇宙飛行士に支給されたか、これまで知られていなかった時計の発見にどのようにつながったのか、販売の裏話を語っている。

フィリップスの“Game Changers”オークション、ロット14である、ブライトリングのコスモノート Ref.809。

同オークションのロット13は、珍しいルクルト ラッキー13 ウォッチ。同じくジョン・グレンの遺品である。

 アメリカ東部時間帯に住む時計コレクターにとって、朝は1日のなかで最もエキサイティングな時間である。私のスマホ画面が5時30分か6時に目を覚ます頃には、ヨーロッパとアジアの“時計仲間”がチャットをしている。ウェブサイトの多くで新しい時計が売りに出されるし、時計の世界ではいくつかのニュース速報が届く。最高の日には、UPSまたはFedExから荷物が日中に配達されるというアップデートもある。チャットは1日中続くが、議題は通常、最初の数時間で形成される。

 2018年3月8日(木)の深夜、私は友人から簡潔なメッセージを受け取った。“これは一体何なんだ?”。彼はInstagramの“Watchknut”というアカウント のスクリーンショットを添付し、ブライトリングのコスモノートのクロノグラフがジョン・グレンの遺品整理(エステート)セールで売却されたことに言及した。彼のInstagramの友人のなかに、この時計を買った人がいるかどうかを尋ねた。Instagramに投稿された画像には4本の腕時計が写っており、黒くて大きなコスモノートはほかの3つを圧倒していた。その投稿のコメントは答えよりも質問のほうが多かった。なぜジョン・グレンの遺品整理セールのことを誰も知らなかったのか? オークションはどこでやっていたのか? オンラインまたは電話入札で時計を購入できるか? そのすべての答えは“まったく知らなかった”。

 私がすぐに感じたのは、珍しいものや古いもの、たぐいまれな宝石がほとんどの場合、2度と見ることができないまま消えていくのを目の当たりにしてトラウマに苦しむ人たち特有の、胸が張り裂けるような痛みだった。私は1962年からジョン・グレン大佐のファンであり、2006年以来、彼の時計に興味を持っている。スコット・カーペンター(Scott Carpenter)が宇宙で着用したこのスペシャルなブライトリング・コスモノートは、数年前から私の“最も欲しいもの”リストのトップにいた。

ジョン・グレンのブライトリング コスモノート Ref.809。

 ジョン・グレンの3本もの腕時計が、私の耳に入ることなく遺品整理セールに提供されるはずがない。通常のディスカッションフォーラムやソーシャルメディアをチェックすると、その遺品整理セールは時計収集コミュニティ全体のレーダーの下にあったようだった。最も厄介なのは、地元のセール業者である“ピッカー”たちが、その時計を持ってグレン・ハウスから出て行く姿を思い浮かべたことだった。

クリスティーズもサザビーズもない。オンラインカタログもない。ただ地元のエステートセール会社が、まるで彼が普通の人であるかのようにジョン・グレンの遺品を売却したのだ

 私の怒りはすぐに調査へと変わった。Googleで検索したところ、 グレーター・ワシントン・エステート・セール・サービス(Greater Washington Estate Sale Services)という会社が、3月8日(木)から3月11日(日)まで、ジョン・グレンの遺品を売却していることを確認した。そこはアトランタにある私のオフィスから、641マイル離れたメリーランド州ポトマックにあるグレン旧邸宅で開催されていた。

メリーランド州ポトマックにある、彼のかつての自宅で所持品のエステートセールが展示された。Photographs courtesy of Greater Washington Estate Services.

 クリスティーズもサザビーズもない。オンラインカタログもなく、検索も閲覧もできなかった。ニューヨーク・タイムズ誌にプレスリリースや全面広告も掲載されていない。ただ地元ワシントンD.C.のエステートセール会社が、ジョン・グレンが以前住んでいた家にあった遺品を、まるで彼が普通の人であるかのように売却したのだ。

グレーター・ワシントン・エステート・サービスのウェブサイトに掲載された、ジョン・グレンコレクションの時計の写真。Photograph courtesy of Greater Washington Estate Services.

 EstateSales.netのページには263枚の小さな写真が掲載されていて、それを見ると何千もの遺品が販売されていることがわかる。グレンが海兵隊にいたときに着ていた革のフライトジャケットと、宇宙服を着た“ボンゴ”という名前の2体のビーニー・ベイビー人形もあった。またクリスタルからコロン、庭の道具、カフスボタンまで、セール品は日用アイテムでいっぱいだった。グレンが宇宙飛行士として、また米国上院議員として受け取った何百もの贈り物も見受けられた。そしてそのなかに、8本の腕時計が載ったトレイがあった。

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ミッキーかウィリーか

 グレンの私物の写真をめくっていると、1960年にタイムスリップした。当時の子どもたちは、スポーツチームやアスリート、ミュージシャンを応援するのと同じように、マーキュリーの宇宙飛行士を応援していた。ミッキー・マントル(Mickey Mantle)かウィリー・メイズ(Willie Mays)、ドジャースかジャイアンツ、フォードかシボレーのそれぞれのペアから、子どもはひとつ(そしてひとりだけ)を応援することができたのだ。そこにジョン、ポール、ジョージ、リンゴも加わり、友人らも自分のお気に入りを宣言していた。

マーキュリーセブンの宇宙飛行士。左から カーペンター、クーパー(Cooper)、グレン、グリソム(Grissom)、シラー(Schirra)、シェパード(Shepard)、スレイトン(Slayton)。

 マーキュリーセブンの宇宙飛行士もそうだ。彼らの名前であるふたつのC(カーペンターとクーパー)、ふたつのG(グレンとグリソム)、そして3つのS(シラーとシェパードとスレイトン)は今でも私の心に刻まれている。海軍、空軍、海兵隊など、自身が所属していた兵科に基づいてお気に入りを選ぶ友人もいた。メディアは彼らの笑顔、ウィットさ、そしてもちろん妻たちの姿を見せてくれた。

ジョン・グレンは第2次世界大戦と朝鮮戦争で、6つの殊勲十字章を受章した。

 ジョン・グレン大佐は、マーキュリーセブンのなかで最も好きな人物だった。彼は7人のなかで唯一の海兵隊員である。第2次世界大戦と朝鮮戦争で飛行し、6回の殊勲飛行十字章を受章している。1957年、彼は平均超音速で初の大陸横断飛行を達成した。1962年2月にアメリカ人として初めて地球周回軌道に乗ったことで、祖国にとって非常に重要な英雄となったため、彼が遭難するのを恐れてジェミニやアポロでの2度目の飛行は許されなかった。

 私はマーキュリーの宇宙飛行士のことを思い出したが、すぐに目の前の仕事に戻った。残っている7本の時計の写真を見ながら、自分が欲しいと思う時計があるかどうか、これらの時計のひとつを購入することができるかどうかを考えた。

 7本の時計を特定するのは簡単なことだった。1940年代か1950年代のハミルトンで、“時刻表示のみ”のミリタリースタイルウォッチが2本。ルクルトの時計が2本で、ひとつは24時間表示の文字盤、もうひとつは各時刻に“13”と記された文字盤。1960年代半ば製のブローバ 2レジスター クロノグラフ。そしてプラスチック製のセイコー パルスメータークロノグラフに、金メッキのエルメス ワールドタイム懐中時計だ(このセールには、ペンダントウォッチやアニメのキャラクターウォッチなど、いくつかの地金製時計も含まれていた)。想像上“何を選ぶか”について、そう時間はかからなかった。


廉価版ホイヤー

 私は1930年代から1980年代にかけての機械式クロノグラフを収集しているのだが、そのトレイ上で該当していたのはブローバの2レジスター クロノグラフだけだった。ぼやけた写真に映る時計を見ているうちに、それにますます熱中していた。私は長いあいだ、ホイヤー クロノグラフでありながらほかのブランド名(例えばハミルトンやゾディアック)で販売されていた、いわゆる“廉価版ホイヤー”の大ファンだった。ホイヤーがブローバのためにいくつかのクロノグラフをつくっていたことは知っていたが、これは確かにそのひとつだった。文字盤とケースは、ホイヤーのリファレンス404と同じように見えたのだ。

私が入手したグレンのブローバ 2レジスター クロノグラフ。

 次の課題は、オンラインや電話入札での購入手続きなしに、数百マイル離れたエステートセールからブローバ クロノグラフをどうやって購入するかということだった。

 グレーター・ワシントン・エステート・サービスのウェブサイトには、電子メールアドレス、送信可能な連絡フォーム、電話番号が記載されていた。セール初日の正午までに、その3つの連絡方法すべてを用いた。だが誰も電話に出ず、メールボックスは満杯だった。残っている時計のいずれか、または全部に興味がある旨の短いテキストメッセージを送ったし、1時間おきに電話もした。夜の8時に突入したときもうやめようと思った。

20年にわたるコレクションキャリアのなかで、何十本ものヴィンテージクロノグラフを手にしてきたが、この時計を腕につけたときの感動は、ほかのどの時計とも違っていた

 木曜日の夜遅く、突破口が開かれた。グレーター・ワシントン・エステート・サービスのオーナーであるカレン・ジョーンズ(Karen Jones)氏が、メールに返信をくれたのだ。彼女は私に、その時計のいくつかは昼間に売れてしまったが、何本かは残っていると教えてくれた。その後、深夜のメッセージのやり取りで、ブローバ クロノグラフと、24時間表示のルクルト、ハミルトンのミリタリーウォッチの両方が入手可能であることを確認した。彼女は次の日の朝に電話するよう私に伝え、その際、購入の手配の可能性についても話し合うことができた。

ストラップの使用具合から、グレンはこの時計を頻繁に着用していたことがわかる。

 私はこのブローバ クロノグラフをつけたジョン・グレンの写真を探そうとしたが、見つからなかった。それでもジョン・グレンがその時計を持っていたという事実だけで十分だったし、ストラップの使用具合から、彼が頻繁にそれを身につけていたことを示唆していた。

 金曜日の朝、エステートセールの2日目の開場前に、私は新しくできた親友のカレン氏に電話をした。私は南部なまり(と魅力)を強めて時計実業家のトーンを控え目にし、ブローバのクロノグラフを購入したいことを伝えた。その日のうちに支払いを済ませ、数日後には無事にブローバ クロノグラフが届いた。

ブローバの時計はホイヤー製で、ホイヤー Ref.404と同じ文字盤とケースを備えている。

 私は20年にわたるコレクションキャリアのなかで、何十本ものヴィンテージクロノグラフを手にしてきたが、この時計を腕につけたときの感動は、ほかのどの時計とも違っていた。この時計は、私のコレクションにあるほかのホイヤー Ref.404 クロノグラフと同じように見えたが、手首に巻いたストラップを締めると、不思議な感覚に陥った。これはジョン・グレンがつけていた時計で、50年後、今では私の手首にしっかりと巻かれているのだ。

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奇妙なクォーターマスター

 ブローバ クロノグラフをつけた興奮が冷めやらぬまま、売れ残った時計をもう1度見てみることにした。ハミルトンのミリタリーウォッチはグレンのキャリアの重要な局面に関係していたが、ミリタリーウォッチは私の好みではない。そこで私の焦点は、24時間表示ダイヤルを持つ小さな黒いルクルトの時計に移った。

NASAがマーキュリーセブンの宇宙飛行士にこのルクルトを支給したのは、彼らが90分ごとに地球を周回するため、24時間表示の時計を必要としていたからである。

 私は真の24時間表示をもつ時計のファンだが、この時計は本当に奇妙に見えた。“クォーターマスター”と呼ばれる、24時間表示のルクルトウォッチだということは何となく知っていたが、ジョン・グレンの24時間表示の時計(ここではルクルトの“マーキュリーセブン”と呼ぶ)とはまったく違って見えた。クォーターマスターは、偶数時間にエキゾチックなアプライドメタル数字を、奇数時間にドラマチックな矢印を配した、1950年代半ばのスタイルをほうふつとさせるものだ。また文字盤を1周する“レイルウェイトラック”には、精緻な印刷が施された数字があしらわれている。

グレンの“マーキュリーセブン ルクルト”(左)と、“ルクルト クォーターマスター”。

 対照的に、グレンのマーキュリーセブンにある数字やマークは非常に粗削りで、クォーターマスターをはるかに下回る仕上がりだった。マーキュリーセブンの文字盤をつくるために、まるで誰かがクォーターマスターの文字盤を手に入れ、マーカーと塗料を剥ぎ取り、“修正液”のボトルを使って数字とハッシュマークを塗り直したようだ。いくつかの主要なウォッチフォーラムに時計の写真を投稿したところ、予想どおりの反応が返ってきた。ルクルトの専門家たちは、それは偽物か、あるいはクォーターマスターの粗悪なリフィニッシュ品だと断言した。ただミリタリーウォッチの専門家はまったく情報を提供しなかった。それでも、この時計には何か興味をそそられるものがあり、どうしても本物であって欲しいという気持ちがあった。

 時計コレクターは、おもしろい時計を身につけたヒーローを見つけようと、GoogleやGetty Imagesなどの写真サイトに膨大な時間を費やす。宇宙飛行士とその時計を研究する人は、膨大な量の課題に直面している。NASAは初期の宇宙飛行士(マーキュリー、ジェミニ、アポロ計画)の高解像度写真を何千枚も公開し、ミッションのための訓練、記者会見、飛行中など、彼らの生活のあらゆる側面をカバーしている。そのためマーキュリー宇宙飛行士7名分の写真をクリックして、彼らがどんな腕時計をつけているか特定しようとするのは、気の遠くなるような努力である。

NASAは、マーキュリーセブンの宇宙飛行士が砂漠で訓練している写真など、何千枚もの広報写真を公開している。

 ジョン・グレンが腕時計をした、わかりやすい写真を見つけるのは特に難しかった。彼はほかの宇宙飛行士よりも長袖のシャツを着る傾向があったのだ。そして普通、時計の文字盤は手首の外側に着用するが、グレンはいつも手首の内側に文字盤をつけていたので、ブレスレットはわかるのだが時計そのものを見ることはできなかったのである。


24時間表示の読み方を知る

 “CollectSpace”のオンラインフォーラムを訪問すると、これまで聞いたことのなかった事実が判明した。マーキュリーの宇宙飛行士であるウォーリー・シラーの自伝、『Schirra’s Space』の一節によると、ハロルド・ジョンソンというNASAのエンジニアが、マーキュリー宇宙飛行士7人と自分のためにそれぞれ8本、24時間表示の腕時計を注文していたというのだ。どうやらエンジニアのジョンソンは、90分ごとに地球を周回し、昼から夜へ、そしてまた昼間へと頻繁に行き来する宇宙飛行士には、24時間表示の時計が必要だと考えていたようだ。マーキュリーセブンの時計があれば、24時間表示の時計に慣れることができるだろう。

 これほど多くのNASAの写真があって、多くの時計愛好家が彼らが着用していた腕時計に注目しているなか、マーキュリーの宇宙飛行士が訓練中にこの時計を着用していても気づかれなかった可能性はあるのだろうか? 我々はホイヤー ストップウォッチ、ブライトリング コスモノート、オメガ スピードマスター、ブローバ アキュトロンという、初期の宇宙飛行士と彼らが身につけていた時計の年表を知っている。コレクターのあいだで知られていない宇宙飛行士の時計が、まだ存在しているのだろうか?

フロリダのビーチでトレーニングを行ったあと、ルクルト マーキュリーセブンを着用するグレン。

 私はNASAの公文書館に行き、マーキュリーの宇宙飛行士がこの奇妙な小径ルクルト 24時間表示モデルをつけていたかもしれないという証拠を探した。すると証拠はすぐに出てきた。アラン・シェパードが雑誌“Life”の表紙でルクルトのマーキュリーセブンを着用している大きな写真を見つけたのだ。そしてスコット・カーペンターがグレンと文書について話しているとき、この小さくておもしろい見た目の時計をつけていた。ジョン・グレンは飛び立つ数日前に、ルクルト マーキュリーセブンを着用して、フロリダのビーチを走ったり発射台に立っていた。そして帰還してから数日後、彼はリムジンでジョン・F・ケネディ大統領の隣に座り、国中が彼の宇宙飛行を祝う中、再び同じ腕時計をしていたのである。

もしかしてコレクターのあいだで知られていない宇宙飛行士の時計が、まだ存在しているのだろうか?

ルクルト マーキュリーセブンウォッチをつけたグレンと、マーキュリーの宇宙飛行士であるスコット・カーペンター。

 NASAがどうやってこのルクルトの時計を選んだのか、そしてこの特別なマーキュリーセブンの時計がどこでつくられたのか、不思議に思った。しかし、いくつかわかったこともある。それは7人のマーキュリー宇宙飛行士に支給された時計であること。グレンが1962年2月の飛行の直前と直後に着用していた時計だったということ。そして、これが私のコレクションに仲間入りする次の時計であるということだ。私はカレン・ジョーンズに電話をして銀行小切手を送り、その3日後に時計を受け取った。

グレンのマーキュリーセブンウォッチは、現在、私が所有している。

 この小さな時計を腕につけたとき、衝撃を受けた。ジョン・グレンが1962年2月にこの時計をつけていて、今は私がつけている。NASAの写真のなかには、ブレスレットリンクのひとつに大きな凹みがあるのを確認していた。その素晴らしい凹みはまだ残っていた。ポール・ニューマンのロレックス デイトナやスティーブ・マックイーンのホイヤー モナコを購入したコレクターたちのことを思い浮かべながら、彼らはどんな気持ちでその時計を身につけているのだろうと考えた。しかし少なくとも自分には“あいつらのことは忘れろ。私はジョン・グレンの時計をしている”と正直に言えた。ニューマンとマックイーンはヒーローとしてキャスティングされた俳優だったが、ジョン・グレンは実在するヒーローであり、世界中から称賛される存在だった。それ以上に、彼は私のヒーローなのだ。

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1本多すぎた時計

 グレンのルクルト マーキュリーセブンを身につけたときの高揚感は、私のコレクションに、さらにグレンの時計を加えたいという衝動をもたらした。セールから1週間以上経っていたが、ハミルトンのミリタリーウォッチ2本はまだ売り切れていなかった。そのうちの1本は、もうひとつよりも古いもののようで、文字盤の下部にサブセコンド針があり、裏蓋には軍用のマークがあった。もう1本の新しいほうは秒針が中央に配置され、裏蓋に軍用のマークがなかった。

グレンが第2次世界大戦中に着用していた、海兵隊支給のハミルトン製腕時計の裏蓋に記された軍用マーク。

 ミリタリーウォッチフォーラムやウェブサイトをすぐに訪れると、古いほうのハミルトンは1944年頃に海兵隊によって支給されたであろう個体なのを確認した。さらにWikipediaによると、グレンは1943年に海兵隊に入隊し、1944年初頭にハワイへと出征していた。それで情報は十分だった。私はその時計を購入した。海兵隊が支給したハミルトンの時計やグレンの軍歴についてはほとんど知らなかったが、調査は後回しでいいと割り切っていた。

 届いて箱を開けて最初に感じたのは、時計を1本多く買いすぎたということだった。風防はイエローとグリーンの中間色で、針はサビだらけ、リューズは巻き上げも時刻合わせもびくともしなかった。裏蓋にあった軍用マークの刻印は素敵だったが、この時点では時計というより記念品に近い。

グレンが所有していた1940年代製のハミルトン。修理前(左)と修理後(右)。

 状況が一変したのは、修理を終えて時計が戻ってきたとき。新しい風防は文字盤が適度に新鮮であり、リューズはきちんと機能し、ムーブメントは当初の軍用仕様の範囲内で動いていた。修復を担当した技師に確認したところ、これはグレンが入隊した当時、海兵隊のパイロットに支給されていた時計のひとつだったことがわかった。

私が遺品整理セールで購入した3本のジョン・グレンウォッチ。

 ジョン・グレンの遺品整理セールから20カ月のあいだに、私は3本の時計をすべて修理し、今でも定期的に身につけている。実際、これらの3つの時計は、私が時計収集で最も楽しんでいることの多くを象徴している。追及するスリルと、時計の歴史について学び、購入し、修復するために素晴らしい人たちと協力することで得られる満足感だ。しかし結局のところ、これらの特別な時計の楽しみは、私の子どもの頃のヒーローが50年以上前にそれらを着用していたことを知りながら、身につけることにある。

 今日、時計愛好家たちは腕時計をつける本当の目的について議論している。時計とは時間を表示するだけでなく、ファッションアクセサリー、あるいは社会的な主張として機能したり、優れた高級機械式計器を操作するよろこびを与えたり、また我々が好きな人や物事、そしてもしかしたら自身のヒーローや歴史とを結びつけてくれる。時計はまた、今ここから、記憶に残る時代へと思いを馳せることもできる。

1962年のフレンドシップ7号での宇宙飛行後、ケネディ大統領とのモーターコースで、ルクルトの宇宙飛行士用腕時計を着用するグレン。彼の習慣で、文字盤を手首の内側につけている(右上の挿入図を参照)。

 ジョン・グレンは毎日、飛行訓練中も、ビーチで走っているあいだも、ケネディ大統領と同乗しているあいだも、マーキュリーセブンを着用していた。ある日、私も同じ腕時計を身につけてデスクに座ったり、ミーティングをしたりしている。そして袖口をめくって時計を見ると、すぐに1962年2月に戻れるのだ。家庭の白黒テレビが、フレンドシップ7号が発射台から飛び立つのを映したとき、スコット・カーペンターが“ジョン・グレン、素晴らしい旅を(Godspeed, John Glenn)”と伝えていた記憶が呼び起こされる。それは私が6歳の頃、子どもの頃のヒーローがロケットに乗って星に向かうのを見て感じたのと同じ興奮がある。

1962年2月20日に打ち上げられたフレンドシップ7号。

 ジョン・グレンの腕時計についての追加情報は、OnTheDashの『Watching John Glenn』をご覧ください。