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本稿は2019年11月に執筆された本国版の翻訳です。
今一度、ヴィンテージウォッチの世界で何を手に入れるべきかを考えるときが来た。今週は誰もが楽しめるちょっとしたものを用意。夜光を施した人気の高いユニバーサル・ジュネーブ ポールルーターから、存在しないウィットナー クロノグラフ、さらには有名なカルティエ クラッシュの限定復刻版まで、珍しいものが揃っている。さらに華やかなスパイスとして、A.ランゲ&ゾーネ関連の資料、オリジナルナビタイマーのリファレンスにダブルサインを施したものまである。本題に入ろう。
ウィットナー Ref.242T
バルジュー 72を搭載した時計について語ることは、今の時計メディアにおける段階では陳腐な表現に聞こえるかもしれないが、同キャリバーはこれまでに製造されたクロノグラフキャリバーのなかで最も優れたもののひとつである事実は変わらない。その見事な構築、信頼性、メンテナンスの容易さにおいて、精密機械工学の本領を発揮している。リード文を読み飛ばした方、ご心配なく。デイトナの宣伝はない。その代わりに、バルジュー 72ムーブメントを核とする風変わりなクロノグラフの、めったにお目にかかれないバージョンに焦点を当ててみた。
ヴィンテージロレックスの用語集を熟読している人は、このレイアウトを“ソロ”ダイヤルと呼ぶかもしれない。Ref.242Tの大半はウィットナーが製造したものであるが、“Geneva”と書かれたプリントと内側のドットトラックがないのでこの個体はそうではない。私はどのモデルが好きなのか、いつも行ったり来たりしている。一般的なドットモデルは明らかにユニークな雰囲気を醸すが、希少性を重視するのであればこれがぴったりだろう。ただこの構成を頻繁に見かけることは少ないだろうし、242Tが普通に出回っている場所をまだ見つけたこともない。ほかに選択肢がないのだ。
希少性に加えてコンディションにもこだわるなら、この個体はおすすめできる。分積算計の内側に擦り傷がひとつあるほかは、文字盤はほとんど汚れていない。期待どおり、すべての夜光塗料は無傷で、ケースラインもきちんと残っていて、長年にわたって大切にされてきたことがわかる。時計自体とは関係ないとはいえ、特にフォーラムに掲載されたものについては、その詳細な内容を高く評価せざるを得ない。誰かが時間をかけて完全なスクープをしてくれるのを見るのはいつだってうれしい。
ニューヨークを拠点とするコレクターが、このモデルをオメガフォーラムに1万5500ドル(当時の相場で約169万円)にて出品した。連絡先とそのほかの写真はこちらから。
カルティエ クラッシュ Ref.154-91、1991年製
運命にはときにマスタープランがあるので、そのプランに致命的な時計デザインが含まれていることもある。話によると、今やほかの何物にも代えがたいカルティエ クラッシュの原型は、ブランド幹部の手首に巻かれたベニュワール アロンジェから始まったという。致死的な交通事故のあと、その人物の手首につけていた腕時計が、サルバドール・ダリが1931年に描いたシュールレアリスムの絵画、“記憶の固執”に登場するような溶けていく懐中時計に似た、不気味な形で変形したままになっていた。この致命的な事件をきっかけに、カルティエは重役を偲ぶ時計を製作し、今世紀で最も魅力的な時計デザインのひとつを生み出した(編集注記:こちらの逸話は都市伝説。正しくはこちら)
60年代後半にリリースされたであろう真のオリジナルクラッシュではないが、私に言わせれば、この個体は今でも非常に珍しく好ましいものだ。この例は1991年までさかのぼり、ブランドのトップクライアントへ400本限定で提供された。ケースバックには、製造年を示す91の横に個別の番号が控えめに記載されており、時計に付属する書類には限定版の総サイズが記されている。今日、このモデルをより現代的に解釈したものを手に入れるのは簡単なことではない。ブランドのロンドン・ブティック(ここでしか販売されていない)では、全額のデポジットと数年間の待ち時間が必要だ。
この個体で最も気に入っているのは、クリーンかつ完璧であるという点だ。400本しか生産されていない珍しいプラチナ製ではないかもしれないが、未ポリッシュのままで、オリジナルのボックスと書類がすべて付属する。それにイエローゴールドケースのほうがこのモデルの精神を象徴しているのではないかと思う。なぜならこのデザインと言えば、いつもYGのほうを思い浮かべるからだ。その希少性、外観、型破りな起源を考慮すると、自然に発見したときには“私にはセンスがあるし、真面目にやっている”と言いたくなるような時計のひとつなのだ。
このシュールレアリスムなカルティエは、フォルトゥナ・オークションのニューヨークセールカタログに掲載。6万5000ドル(当時の相場で約709万円)で落札。詳細はこちらから。
ユニバーサル・ジュネーブ ポールルーター Ref.20217-8、1955年製
どんな人であれ、何かに純粋に情熱を注いでいる人は高く評価できる。そのため私は、常にひとつのモデルに集中してその内情や裏側を知り尽くすことを使命とするコレクターには、いつも深い尊敬の念を抱いている。ポールルーターのコレクターはそのような人らが多い。多くの人がジェラルド・ジェンタのオリジナルデザインの全貌を理解しようと、果てしない探求を続けているように。このモデルの製造が膨大な数のリファレンスに及んでいたことを考えると、その数は非常に多いが、1950年代半ばのRef.20217-8ほど魅力的なものはほとんどない。たっぷりと入った夜光を好む人なら、きっと楽しめるだろう。
ケース形状や十字が描かれたダイヤルのディテールは見覚えがあるかもしれない。しかし、ほかの多くのポールルーターリファレンスとは異なり、この個体にはふたつの特徴がある。ひとつ目を見逃すことはほぼ不可能だ。初期のオメガスポーツモデルのなかで最も好ましい例のように、このリファレンスには夜光塗料を塗布した“ブロードアロー”針がセットされており、一般的なドーフィン針よりも視認性が大幅に向上している。夜光性と視認性という話題のついでに、文字盤を囲む12個の巨大なラジウムの用途についても説明しておこう。これこそ、Ref.20217-8がポールルーターコレクターのあいだで伝説的な地位を獲得した理由である。
1955年当時、腕時計には発光化合物がほとんど使われなかったので、これは画期的なデザインだと思われていただろう。さらに特筆すべきはこれが実験的な時計であった可能性が高いということだ。ラジウムの下にはエンジンで挽いたようなディテールが見られる箇所があり、その結果ユニバーサル・ジュネーブは、リファレンス固有の文字盤を持たないこのような時計を製造していたと推測できる。これは、夜光を多量したバリエーションへとシフトする前に、市場の動向をテストするためだとされる。ポールルーターの真の意味での最上位モデルを探しているのであれば、これ以上の選択肢はない。
ベルリンのSHUCK THE OYSTERが、この珍しいユニバーサル・ジュネーブを希望価格1万2500ユーロ(当時の相場で約153万円)で販売していた。そのほかすべてのリストはこちらから。
ブライトリング ナビタイマー Ref.806 LIP
ティファニーがLVMHに売却されたことで、ティファニーとパテック フィリップの関係や、ダブルサインダイヤルがどうなるのか、かなり話題になった。個人的にはこの買収が待望のリファレンスバリエーションに何の影響も与えないと信じたいが、別れの可能性は確かにある。別離の可能性について推測するよりも、時計史において注目すべきふたつの名前を冠した時計について話を進めよう。次のモデルの文字盤にカラトラバ十字はないが、それでもあなたの興味をそそるはずだ。
これはブライトリングのナビタイマー Ref.806だが、ほかの製品と異なるのは、“GENEVE”と書かれたテキストとヴィンテージクロノグラフの針が積まれたあいだに挟まれている、小さなLIP(リップ)のサインだ。リップはフランスの時計メーカーで、革新的な歴史が記録されているが、このナビタイマーの場合、リップは一種の仲介業者として機能していた。このパートナーシップはフランスにおけるブライトリングの存在感を高めたいというウィリー・ブライトリング(Willy Breitling)の要望から生まれた結果だ。フランスのトップ時計メーカーの1社と手を組むこと以上に、最良の方法はない。この素晴らしい追加ダイヤルのサインを受け取ったあと、ブライトリングの時計はリップのフランスの販売網を通じて販売された。
ずっとこのような時計を探していた場合、ここであなたの時計探しは終了だ。研磨されていないケース、汚れのない文字盤、均一にエイジングされた夜光塗料を持ち、この例より優れたものを見つけるのはかなり難しいだろう。スカラップ型の計算尺ベゼルの端さえ、シャープでくっきりしている。おそらく長年にわたって細心の注意を払って着用されたか、あるいはほとんど着用されなかった可能性が高い。さらに、最初の購入時に付属していたナビタイマーのパンフレットも付属して販売されているため、ありふれた例よりも少し充実した内容となっている。
ディーラーでありナビタイマーの権威であるロブ・クーパー(Rob Cooper)氏は、この例を4950ドル(当時の相場で約54万円)で出品。詳細は彼のInstagramから確認できる。
フェルディナント・アドルフ・ランゲ メモリアルブックレット
ヴィンテージウォッチシーンの第一人者である友人との最近の会話のなか、ヴィンテージのマーケティング資料やブランド書類が、時計そのものよりもクールなのではないかという話になった。以前にも書いたように、我々の愛する時計メーカーが、どのようにして伝統的な印刷物でその遺産を築き上げ、今の大衆の目に映る形を作り上げたのかを探るのは、非常に興味深いことだ。そこで最後は、オークションで見つけた小冊子で話をまとめようと思う。これはA.ランゲ&ゾーネを創業したフェルディナント・アドルフ・ランゲ(Ferdinand Adolph Lange)の生涯と影響力を綴ったものである。
簡単に言うと彼は伝説的な人物であり、今日のグラスヒュッテ時計産業の興隆に大きく貢献した人物である。1845年、ランゲはザクセン地域が苦境に陥っていたとき、状況を好転させる意図して同地域に店を構える。そして急速に繁栄した時計製造技術により、町に新しい産業がもたらされたのだ。ランゲはグラスヒュッテの市長も20年近く務め、市民への献身を証明した。
ムッターシュタットにあるヘンリーズ・オークションハウスが、2019年12月7日のオークションでこのドイツ時計製造の歴史を提供する。カタログとそのほかの詳細についてはこちらから。
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