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In-Depth セイコーの隠れたヒットSBEC005は完璧なクロノグラフかもしれない

SBEC005(SRQ029)と愛車の日産 スカイラインで出かけた大陸横断の旅で、この時計の真価が分かった。

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2016年に、この写真を携帯で撮影してインスタグラムに投稿したときのことを、私ははっきりと覚えている。餃子の街として知られる日本の宇都宮市郊外の、セブンイレブンの駐車場の車内だった。その日の朝、名所の山岳道路を旅しようと、私は日産 スカイラインR32 GT-Rの改造車をレンタルしていた。そしてその数日前、その旅行のためだけに1本の腕時計を買った。セイコー SBDY015、ご存知タートルとも呼ばれる時計だ。

私が購入したスカイラインは、ラインナップの中で一番ハイグレードのGT-Rではなく、中級モデルの1995年式R33 GTS25-TのタイプMだった。私はそれを新車のトヨタカローラ以下の値段で購入した。もしGT-Rであったならば(私には少々高過ぎる)、選んでいた時計は当然、グランドセイコーのGT-R 50周年記念限定版スプリングドライブクロノグラフGMT(同じく少々高すぎる)だっただろう。スカイライン50周年を記念して少数だけ作られたモデルだ。

 その時計を着けると、桜満開の足尾山系を縫う雲の上の狭い道路をフル加速で突進していくドライブが、さらに一層素晴らしいものになった。

 その日産 スカイラインの印象は強く残り、私は今年初めに1台購入して子供の頃からの夢を叶えた。若い頃にビデオゲームで、この車という禁断の果実(アメリカ国内でこの車は販売されていなかった)を味わって以来、ずっと憧れていたのだ。アメリカでは、25年以上を経た車であれば、世界中どこからでも輸入して合法的に登録することができる。たとえハンドルが反対側に付いていてもだ。そして私はそうした。

 こうして私はその車を手に入れた。しかし、それに合う時計を持っていなかった。

 さっさと要点を言ってしまおう。私は完璧な時計を見つけた。セイコーだ。セイコーと日産の長い付き合いを考えれば、それはそうなるだろうとわかってはいた。日産がラリーレースに取り組み始めた頃の1970年代に、セイコーがそのスポンサーを務めて以来の関係である。だが、SBEC005がセイコーの現在の最高傑作のひとつであるのみならず、それがスカイラインと理想的にマッチする理由を私が理解するには、ニューヨーク市からユタ州まで州間高速道路ルート80で米大陸を横断するアクセル全開の2100マイル(約3380km)の旅を必要とした。


セイコー スピードタイマーと俊足のダットサン

1960年代末から1970年代初めのセイコー5、Ref.6138と6139n スピードタイマーは、伊達に「スピード」をその名に冠してはいなかった。セイコーは実際、当時のモータースポーツ、特にラリーに関与していたのだ。リアクォーターパネルにそのロゴが示されている。

 1971年に日産は、工場で準備を整えたダットサン240Zで東アフリカ・サファリラリーに出場した(ダットサンは日産の輸出ブランド)。東アフリカ・サファリラリーは、世界ラリー選手権の全サーキットで最も過酷なことで知られていた。ケニアやウガンダを通るルートは車にとって熾烈を極めたが、エドガー・ヘルマン(Edgar Herrmann)とハンス・シュラー(Hans Schüller)の運転するダットサン240Zが優勝した。そしてこの車は1973年に、ケニアのドライバー、シェカー・メッタ(Shekhar Mehta)とロフティ・ドリューズ(Lofty Drews)の運転で再び優勝した。

 セイコーは、優勝したダットサン240Zのスポンサーを務めたブランドの1社だった。


セイコー プロスペックス SBEC005を選ぶ

 私はもう何年も、セイコーのクロノグラフ「パンダ」、Ref.6138-8020 を細々と探してきた。細々とというのはつまり、値段が高騰して目の前を通り過ぎていくのを及び腰で見ていたという意味だ。HODINKEEマガジンVol.8で編集部が歴代 セイコー、トップ10を選んだとき、私はリストにこの時計を入れるのを忘れなかった。この時計への私の短い頌歌をここに紹介する。

 人気漫画『頭文字D』に出てくる藤原拓海のパンダトレノに因んだトヨタAE86のように、セイコーのパンダは、日本らしい実用的なデザインをとことんまで追求している。レジスターは縦に配置されていて、分レジスターは、30分積算と60分積算を兼ねており、数字が二重に入っている。これらのレジスター以外、文字盤には一切数字を使っておらず、棒状のアプライドインデックスのみだ。色は白と黒で、このデザインが70年代のセイコー クロノグラフの特徴を成している。-コール・ペニントン

 『頭文字D』を見たことも読んだこともない方々のために紹介すると、オリジナル作品は漫画であり、藤原拓海という高校生が、父親の営む豆腐店から群馬の山深い地域に住む客たちに豆腐を届けることで、運転の腕を磨いていくというストーリーだ。彼の車は、1983年式前期型トヨタ・スプリンタートレノAE86
GT-APEX 3ドアで、その白黒の配色から、パンダトレノとも呼ばれている。

 もし拓海がこの車に相応しい時計を持つとしたら、それはセイコーのRef. 6138-8020になるだろう。

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 2019年にセイコーは、このレファレンスをまったく意外な形で復活させた。自動巻きクロノグラフムーブメント6139の50周年記念として、パンダクロノグラフ 6138-8000・8020をモダン版としてリリースしたのだ。この2つは、まったく異なるキャリバーを搭載した完全に別のレファレンスだ。これについて私は未だにやや当惑しているのだが、しかし結果として、セイコーの高級キャリバーである8R48を搭載し、ザラツ研磨したケースと、シルバーの文字盤には2つの大きく大胆なブラックのレジスターを施した1000本限定SBEC005の誕生となった。

 これは大々的に発表されたわけでもなければ、腕時計愛好家たちからの反響もそれほど大きくはなかった。だが私は、試してみたいと思うだけの興味をこれに抱き、そうしてみて本当によかったと思っている。

 SBEC005は、発売当初は爆発的人気を博すことなく、あとになってヒットする「スリーパー」型ウォッチと言うことができ、たくさん詰まったその「中身」のせいで、セイコーのラインナップのなかでも際立つひと品となっている。そして私はそこに、愛車の1995年式スカイラインGTS25-Tに完璧にマッチするものを見た。スカイラインの最上位ラインはGT-Rであり、それに因んで作られたグランドセイコーは既に存在する。しかし、ランクを一つ下げれば、同様に素晴らしいにも関わらず、ただ刺激的な宣伝を欠いているだけのものを獲得できるのだ。そして、価格も刺激的でないものが。そしてこれは、車にも時計にも言えることだ。

 SBEC005に搭載されているCal.8R48には、垂直クラッチとコラムホイールが使われている。セイコー機械式クロノグラフの最上位クラスのものだが、時計が手首から高く突き出ているように感じさせているのが、ザラツ研磨の放つきらめきだ。ケースは厚く、16mmある。しかしそれも、見事な磨き仕上げの占める面積が増えるだけのこと。これは、GTS25-TとGT-Rの比較にも似ている。中級クラスのモデルで、最高クラスのメリットの多くを得られるのであれば、大騒ぎは省いてその価値だけを受け取ることになる。グランドセイコー級の仕上げと技術を投入したセイコーの中核モデルは、価値という観点からみれば最適領域だということができ、SBEC005はまさにそこに当てはまるのだ。

 この時計について考えていると、車関連の別の驚異的現象が思い起こされた。馬力規制だ。

 日本では1990年代、実際の車の馬力がどれだけあろうとも、公式には280馬力と銘打った車しか買うことができなかった。こうした虚偽広告の横行は、街なかの走行レースを抑制し、メーカー間の馬力競争を止めるために、日本の自動車メーカーの間で馬力を制限する(少なくとも書類上は。そしてときには低性能化を施すことで)協定が結ばれたことに端を発していた。

 実際には、それらの車は300馬力の性能を持ち、時にはそれ以上のものもあった。

 セイコーはこれと同じことをしている。中核となるラインナップのなかに、グランドセイコーの品質を備えた時計を隠しつつ、一般にはそれを秘密にしているのだ。


路上に乗り出す

 SBEC005をつけたあと、いよいよ試してみるときがきた。

 2000年代に、ニュージャージー州北部の駐車場で催されていた地元の車の集会に私が参加していた頃、車界の新星とされる人物がよく来ていた。名はアレックス・ロイ(Alex Roy)といい、当時、改造したE39 BMW M5で、「キャノンボールラン」記録(ニューヨーク市からロサンゼルスまでの最速記録)を破ろうと猛スピードでアメリカを横断することで知られていた。私が行かなくなって1年後くらいに、彼はついに記録を破り、それに関する本を執筆した。それ以降にも記録は何度か破られ、一番最近ではコロナ禍で更新された。

 私は決してそのようなことをするつもりはない。あまりにも危険だ。しかし、ロイの取り組みからずっと刺激を受けていた私は、自分流の大陸横断記録にトライしようと決心した。法に緩く収まる範囲内でだ。

 とりあえず、ユタ州までの2100マイルを走破することにした。問題は、それにどう取り組むかだけであった。マラソンを着けてトラックでオザーク高原を昨年ドライブしたように、快適でゆったりとした旅か? いやいや。これはクロノグラフであり、時間を測るために使うためのものだ。

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 私はアレックス・ロイや、漫画『湾岸ミッドナイト』 の登場人物、高速道路走行で知られる朝倉アキオの方向性で行くことにした。Googleマップによれば、このドライブは31時間かかるとのことだった。目標はただ一つ、そこから安全に時間を切り詰めることだった。何も気違いじみてはいない。

 私のスカイラインの速度計の時速はマイルではなくキロで表示されるため、パトカーに捕まることのないように、換算した数値をいくつか付箋に書き留めた。そしてクロノグラフをスタートさせ、州間高速道路ルート80に乗り出した。給油以外では止まらず、その給油も食事休憩と合わせた。そしてその際にはクロノグラフを止めた。ただし、SR-71を見るために、戦略空軍航空宇宙博物館にだけは少しだけ立ち寄らずにいられなかった。

 SBEC005のレジスターは、30分積算と60分積算の目盛りを同時に表示することで、両方の積算計を兼ねている。これは、針がどこにあるかを推測する必要がないという点で、非常に使い勝手のよいことがわかった。時間レジスターの位置を見れば、分レジスターが1分から30分を積算しているのか、30分から60分を積算しているのかが分かる。シンプルでありながら賢いやり方だ。SBEC005のスモールセコンドは、レースにインスパイアされたスピードマスターを始めとする他の多くのクロノグラフとは異なり、3時位置にある。

 6138シリーズのパンダクロノグラフと同様、SBEC005はクロノグラフの針の先が蛍光オレンジ色を帯びている。これは大きなインパクトを持つちょっとしたニュアンスだ。小さなアクセントカラーをひとつ加えるだけで、この時計の生真面目な単色デザインが、スピード感のある刺激的なものへと変化する。時計に効かせたこのようなちょっとした個性が、最終的には旅の全般にわたり時計に対する私の絆を固めたのだ。

 未明に、シカゴ都市圏をかなり過ぎた辺りでいくらか時間を稼ぐことができた。20分のあいだ、反対車線には車が1台も通らず、進行方向の路上にも他の車はいなかった。

 私がGoogleマップを打ち負かしたのは、この機会を捉えてのことだ(繰り返すが、ほぼ合法な範囲内でだ)。このドライブは、いずれにしてもまったく大人げなく意味のないことではあるが(Googleマップは状況に応じて変化を予測するため、旅を通して常に変化するからだ)、しかし、こうしたことが通常のドライブに面白みを与えるのだ。2つの複雑な機械を所有して維持するのであれば、時折はそれを活用しなければ意味がない。RB25DET(スカイラインのエンジン)も、クロノグラフの駆動装置である8R48も、この旅で何サイクルも擦り減った。そしてこれらの機械は、まさにそうなるべく作られたものたちだ。

 最終的にユタ州に到着したとき(Googleマップの当初予測より3時間ほど短かった)、SBEC005には素晴らしい価値があるだけでなく、実際に操作するのが楽しいという結論に達した。プッシュボタンを押すにはある程度の力を要する。かなりの抵抗があるが、十分な力をかけさえすれば、心地よい確かなクリック感があり、プッシュボタンが分厚いケースのなかに入っていく感覚が味わえる。ケース左側に親指を当てて安定させつつ人差し指でプッシュボタンを作動させるときには、ケースに施されたコーティングも味わうことができる。クロノグラフの動力系車列が働いているときにも、スピードマスターとは違って静かだ。

 今では、スカイラインでワサッチ山脈の峡谷へ向かうときにはいつもSBEC005を装着する。この時計と車は今や永遠の絆で結ばれており、アクセルを踏み込むと、日産のピストン、コネクティングロッド、クランクシャフトが回転するのに合わせて、セイコーのエスケープメントがそれと同調して動くのを思い描くことができる。

 最近では、スカイラインでドライブに出かけても、自分がこの渓で一番イケていると思ったりはしない。とんでもない、今では大いに自覚している。自分は、クロノグラフと車で遊ぶのが少々好き過ぎる大人のオタクに過ぎないのだとわかっている。

Photography and video: @shokan_visuals

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