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Just Because 宇宙の入り口まで行ったタグ・ホイヤー モナコ

ある写真家が7万フィート以上の上空から写真を撮影した。そして彼は時計を携行していた。

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“ドラゴンレディ”の愛称で親しまれる、航空機のロッキード U-2は、おそらくこれまでに作られたなかで最も有名な偵察機である。1950年代にアメリカ空軍とCIAが初めて使用した単発の偵察機であり、高度7万フィート(約2万1000m)以上を飛行して情報収集を行うことができる。最近、アメリカ空軍は、2026年までにこのU-2を退役させる計画を発表した。

 生涯の大半を諜報活動に費やしてきた偵察機U-2の、数十年にわたり綴ってきた伝説を称えるべく、最近プロ写真家であるブレア・バンティング(Blair Bunting)氏は偵察機に乗り込み、“宇宙の入り口”とも呼ばれるU-2の最高飛行高度まで行く旅に出た(U-2は偵察機であるため、正確な飛行高度は機密のままである)。そこで彼は、U-2がすぐそばを飛行している写真や、カーブを描く地球、飛行用宇宙服の外側に巻かれた腕時計、タグ・ホイヤー モナコなどを撮影することができた。

tag heuer monaco that went to space

 このプロジェクトは、バンティング氏が飛行に成功した2023年4月より1年以上前から始まっていたが、彼が初めて国防総省に宇宙への飛行を打診したのはほぼ10年前のことだった。彼の訓練は飛行する約半年前からスタートしている。まず宇宙服のフィッティングのために、カリフォルニア州ユバシティにあるビール空軍基地を訪れた。U-2はアームストロング・ラインと呼ばれる、人間の体温で液体が沸騰する一定の高度の上を飛行するため、飛行には完璧な宇宙服が必要なのだ。バンティング氏は、宇宙服のなかはとてもうるさく、呼吸のひとつひとつがヘルメットに響き渡ることに驚いたという。またこのスーツは減圧が発生した場合に機体から射出することができるよう、腕を下にしておくように設計されているため、写真撮影が難しい。

 バンティング氏は、「写真家にはもっと高いところを目指してほしいです」と、この旅に参加した動機について語っている。フライトの日が近づくにつれ、彼は参加の辞退を考えていたというが、写真を、そして彼自身の創造性を押し進めたいという意欲が彼を突き動かし続けた。最初にU-2で飛行することに同意してから実際に飛行するまでのあいだ、彼は父親にもなっており、このこともまた飛行機に乗ることを再考させたという。

blair bunting spacesuit photography

ビール空軍基地で宇宙服を着たブレア・バンティング氏。

 バンティング氏は肉体的、精神的なトレーニングに加え、飛行のためにカメラとレンズの組み合わせを数百とおりテストした。結局、彼はU-2に3つのカメラボディを持ち込んだ。しかし高度6万5000フィートあたりでカメラの液晶画面が映らなくなり、基本的には何も見ずに撮影しなければならず、すべてマニュアルで行わなければならなかった。バンティング氏はこれが起こることを予想し、高速道路の陸橋の上に立ちファインダーやスクリーンを使わず、通過するクルマをマニュアル操作で撮影する訓練をしたという。

 「1970年代の技術に逆戻りしました」とバンティング氏。さらに父親が所有していた70年代製のニコンのカメラも持ち出していた。バンティング氏は、これは主に長年にわたる父親へのサポートの意味を示すためのセンチメンタルな行動だったことを認めたが、飛行高度ですべての機能を維持していた唯一のカメラが、最も古いものであったことはおかしかったと言う。

 バンティング氏が宇宙服を着用したあと、宇宙服班の責任者である女性が、自動巻きキャリバー11で動く彼のタグ・ホイヤー モナコを、宇宙服の周りと手首に巻きつけた。そのモナコは、バンティング氏の宇宙服の大きなOリングの上に装着しなければならなかったため、彼は過去のNASAミッションで使用されたような長いベルクロストラップを探す必要があった。そこでタグ・ホイヤーのヘリテージ・ディレクターであるニコラス・ビーブイック(Nicholas Biebuyck)氏の協力を得て、バンティング氏はある小さなサプライヤーからNASAのベルクロストラップのレプリカを入手した。このストラップは、フライトのわずか1日前にスイスから届いたものだった。

 「長年、芸術や職人技、歴史のための時計が好きでした」と同氏は述べたが、彼は失読症のため、いつも時刻を読むのに苦労してきたと話してくれた。彼は以前にも特殊な航空機を使った写真撮影を行ったことがあり、その際にはたびたび時計を使用していた。しかし今回のフライトは自分で時計を選びたかったという。 そしてモナコが宇宙に行ったことがないと知ったとき、彼はこれしかないと確信した。

u-2 spy plane dragon lady
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 バンティング氏のU-2での飛行は、約5時間にも及んだ。当初は7万フィート以上の高さから地球の写真を撮ることだけを考えていたが、プロジェクトチームは最終的に、2機のU-2をその高さで編隊飛行させ、彼が2機目を撮影できるようにすることを決めた。

 写真を撮るべく2機目のU-2と編隊を組んで約30分間飛行したあと、バンティング氏と彼のパイロットは最大飛行高度に達するために2機目を離れた。彼はこの時点でいろいろなことを処理するのが難しくなり、“オーバービュー・エフェクト”と呼ばれる、宇宙へ行くことによる精神的混乱や視点の変化に悩まされるようになったという。ウィリアム・シャトナー(William Shatner)氏は宇宙に行ったとき、今まで経験したことのない“最も強い悲しみの感情”を味わったと語っている。

 「宇宙とは何か、という現実にぶつかります」とバンティング氏。「からっぽでとても暗いものです。(亡くなった)愛犬のドッグタグを持ってフライトしたので、もっと身近に感じられると思っていたのですが、地球が描くカーブを見て、自分のいる場所がただの暗闇だと気づきました。地球を見下ろしたとき、人類がこれまでにつくってきたものが見えないと本当に衝撃を受けます。脳内で何かが引き金となって、反応を引き起こすのです」。バンティング氏は感情に打ちのめされることなく、自分の仕事をすることに集中しようとしたという。

view from u-2 spy plane

U-2による、“宇宙の入り口”からの眺め。

u-2 spyplane
u-2 spyplane

 バンティング氏は、「飛行中に何度か時計を見たのを覚えています」と話す。「高度のせいで多くの記憶が飛んでしまいましたが、時計のことは確かに覚えています」。バンティング氏は、U-2に乗っているときにモナコの写真を撮り忘れそうになったが、幸運にもフライトの終わりにやっとカメラを下に向けて数枚の写真を撮ることを思い出した。針の位置は10時9分を指していた。時計を撮影するときにしばしば設定される、“笑みを浮かべた”10時10分位置にちょうど針があった。

 「個人的な観点から見れば、この時計は今では大きな意味を持つものです」とバンティング氏は述べる。彼が自分で購入したタグ・ホイヤー モナコは、自動巻きキャリバー11を搭載したごく普通の既製品だ。彼はフライト前、時計にエングレービングを施すつもりだった。というのもフライトでは、大気が最も薄くなる時間を基準に窓(大気圏のいちばん外側の部分)を動かしていたからだが、結局その時間さえなかった。無事に地球に戻った今、彼は宇宙の入り口への飛行を記念して刻印を入れるという。

u-2 dragon lady cockpit

ドラゴン レディのコックピット。

 バンティング氏は、「この時計は絶対に処分しません」と話す。「いつか娘にプレゼントするつもりです」

 彼はこの飛行について、「もう2度としたくありません」と話す。その後3日間、体内に窒素が戻ってきたと同時に、インフルエンザのような恐ろしい症状に見舞われた。フライト後の数週間で記憶が戻り始めたが、自分が見たこと、やったことを整理するのに数週間かかったという。

 バンティング氏が撮影した、同記事に掲載している写真のほかに、自身の体験を記録した短いビデオも制作している。

 PetaPixelでは、バンティング氏の準備とフライト当日の舞台裏を撮影した20分のビデオもまとめている。そちらもぜひ見てみて欲しい。

 バンティング氏とは1時間以上話をしたが、このプロジェクトおよびU-2とビール空軍基地の(ドラゴンレディ含む)人たちの物語を伝えることへの情熱は明らかだった。実際の名前は機密扱いとなっているため、コールネームでしか知らないにもかかわらず、彼はミッションで出会った2人のパイロットと親交も深めている。

 ただ彼らはスパイであり、ほとんどの場合、正体が明かされないことを望む。しかしバンティング氏のレンズ越しに、その仕事ぶりを垣間見れたことはとても素晴らしいことである。

All images: courtesy of Blair Bunting