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Photos by Mark Kauzlarich
世界最高峰の時計職人ともなると、発表する時計と同じくらいに身につけている時計も重要な意味を持ってくる。だから、カリ・ヴティライネン氏が今週、ニューヨーク時計学会(Horological Society of New York, HSNY)で講演するためにニューヨークを訪れると聞いたとき、彼の腕には何が巻かれているのだろうと興味が湧いた。
2022年に旋風を巻き起こしたばかりの、フィンランド生まれでスイスを拠点とするこの時計メーカーほど時計業界において注目すべきブランドもないのではないだろうか。2022年はヴティライネンブランドの20周年であることに加え、ゼニスのキャリバー135 オプセルヴァトワールが復活し、極めつけにヴティライネンのワールドタイマー、JI-KuがGPHG賞を受賞した年であった。こうして見ると、ヴティライネン氏が時計界で最も注目されている人物のひとりに数えられているのも、不思議ではない。
実際、ヴァル・ド・トラヴェールにある新しい工房では仕事に追われがちであったため、ヴティライネン氏はニューヨーク滞在中、スケジュールを空けるようにしていたそうだ。彼に予定は? と聞けば、予定を入れないことだ、と答えるだろう。HSNYでの講演のほかは、5番街でウィンドウショッピングをしたり街を散策したりと、のんびりと過ごしたいと彼は思っていたのだ。そのため、ヴティライネン氏が2023年の展望を語るために時間を割いてくれたことは特別なことだった。おっと、その前に時計についてだ。
時計職人になることで手に入る大きな特典のひとつは、自分だけのユニークピースを持てることだろう。だから当然、ヴティライネン氏も特別な28Sportを身につけていた。(通常の)28Sportはグレード5のチタンケースに夜光のサンドイッチダイヤル、スモールセコンド、さらに夜光針を備えた唯一無二のモデルである。ベーシックな28Sportでさえ、スポーツウォッチと呼ぶには無理があるほどエレガントなのだ。美しく堅牢なムーブメントは、希少なフリースプラング式テンプと厚い地板を採用しており、接着剤は使わずネジだけで組み立てと分解ができるようになっている。これは、ヴティライネン氏が最も伝統的だと考える手法だ。
このユニークピースにおいてヴティライネン氏は、28SCで見られたような文字盤こそ使用しなかったものの、同モデルのセンターセコンドムーブメントを取り入れつつ、夜光針は排してタンタル製のケースでスポーティに仕上げた。「文字盤がとにかくスポーティなんです」と彼は語ってくれた。ちなみにタンタルは、非常に硬く、耐久性と耐食性に優れ、ブルーグレーの美しい光沢を持つ金属である一方、機械加工が難しいという欠点も有している。しかしながら、ヴティライネン氏にとっては理想的な金属であった。
「腕の上で時計の存在感を感じてくれると、うれしいですね」と彼は言う。「タンタルとチタンは色調が似ていて、どちらも黒い文字盤を引き立てる深いグレーです。ですが、タンタルはチタンよりも光沢と重厚感があります」。
28Sportの特徴のほとんどは失われてしまっている。しかし、あなたがオリジナルの時計を作る場合も同様に、その一部、あるいは大部分を取り替えてしまっても、その時計を好きなように呼ぶことができるはずだ。
ビスポークウォッチの製造は、ヴティライネンブランドの存在意義に等しい。彼の工房では2022年に34人のスタッフを雇用しながら、わずか60本の時計を製造したに過ぎなかった。そこにはヴティライネン氏専用の作業台があり、つい最近まで彼が同社のすべての時計のケーシングを行っていたのだ。もちろん、彼は今でも同社の時計製造に携わっており、少し前まではフライングトゥールビヨンとスプリットクロノグラフを自ら製造していた。しかし、生産規模を大きくすることには慎重なようだ。
Watch Spotting: フィリップ・デュフォー、バーゼルワールド2019にてロレックスの“ペプシ”GMTを着用
バーゼルワールド2019でGMTマスターIIを着用したフィリップ・デュフォー氏は、知らぬ者のいない時計ツウである。ヴティライネン氏はHSNYでの講演で、デュフォー氏から 「バカになるな、自分のために働け 」というアドバイスを受けたことがあると語っている。
ヴティライネン氏は語る。「大量に作ろうとすればするほど、工業化されるのは当然です。ですが、私が興味があるのはそこではありません。手仕事が、失われつつあるのです。そう、テクノロジーは精度や(生産の)計画性という恩恵を与えてくれますが、手作業で作るという伝統にも大切なものがあります」
ヴティライネン氏は、文字盤やケースを製造する会社を傘下に収め、自分の好きなように時計を作るだけでなく、外部からの依頼を受けながら、それ自体がビジネスの支えとなるようなブランドをゆっくりと作り上げてきた。しかし、規模が大きくなりすぎたようだ。今後は自分の名前を冠した小さな工房を立ち上げ、より多くの特別な依頼に対応できるようにすると話してくれた。
「そのアトリエでは、ユニークピース、小規模なシリーズ、そしてプロトタイプを作ろうと思っています。すでにふたり採用していて、ひとりは先週から、もうひとりは来月から来てくれます。私の目標は、5人から10人のあいだで、少量の特注品を作れるようにすることです」
2021年からヴティライネン氏は、創業250年を迎えたウルバン・ヤーゲンセンの舵取りもすることになった。前オーナー時代に製造された時計のアフターサービスは、同じく時計職人である娘のヴェンラ氏が担当している。ヴティライネン氏はヤーゲンセンの今後の方針について多くを語ろうとはしなかったが、これだけ長い歴史を持つブランドであるからこそ、その歴史がブランドを前進させる役割を担っていることを説明した。
「200年前のブレゲの懐中時計を修復したことがあるんです」。ヴティライネン氏は、かつてヤーゲンセン氏自らが指導した時計職人について思いを馳せつつ、語ってくれた。「その香箱には、まったくガタがなかった。驚くべきことです。ブレゲという人は、時計が美しく、正しく機能していれば、永遠に使えるという哲学を持っていたのだと私は思います。誇大広告は続かないが、伝統は続いていくのだと」
「ウルバン・ヤーゲンセンは独創的で、伝統的なスカンジナビアンデザインに基づいて独自のキャリバーを作っていました。私はそれをあるべき姿に戻したいと思っています」と、ブランドの今後を示唆する。「最盛期には、業界でも一目置かれる存在だったのです。かつての地位に戻さなければなりません。それが次のステージです」
ウルバン・ヤーゲンセンの遺産に限らず、歴史の保存はヴティライネン氏にとって重要な課題だ。実際、今年のプランでは、2022年11月にスイスで現存するふたつの独立系旋盤加工会社のうち、ひとつを買収したことに焦点を当てている。会社の経営を担うだけでも彼は精一杯だったはずだ。しかしその同月、1896年にドイツで設立されたファベルジェの部品を加工する会社から声がかかり、その会社も買収した。そして今、彼は故郷の村にある古い時計学校の廃屋を買い取り、このふたつの会社を統合しようとしている。このことはヴティライネンにとって、すでに多忙を極めている2023年の目標のひとつとなっている。
「この伝統産業はすっかり途絶えてしまいました。そのための教育も行われず、存在する設備はスウォッチグループに買い占められ、機器の価格も高騰しています。しかし私は、この技術を存続させ、また身近なものにするための任務を担えることをとてもうれしく思っているんです」
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カリ・ヴティライネン氏については、こちらで紹介しています。
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