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Historical Perspectives ホイヤー ダイバー プロフェッショナルが多くの信用に値する理由

ヴィンテージ・ホイヤーといえば、常に見出しを賑わせるのは歴史的なクロノグラフだ。しかし、ホイヤーの歴史上重要な役割を果たしていながら、ほぼ見過ごされてきた時計がある。

※本記事は2016年9月に執筆された、本国版の翻訳です。 

 ヴィンテージ・ホイヤーといえば、常に見出しを賑わせるのは歴史的なクロノグラフだ。つまり、最近、超レアで記録を更新したオータヴィア、カレラ、モナコについての記事を読んだことがない人は居ないだろう。しかし、ホイヤーの歴史上重要な役割を果たしていながら、ほぼ見過ごされてきた時計がある。その驚異的な成功は想定外のものであり、会社にとって最高のタイミングでやって来た。ジャック・ホイヤー自身が次のように言っている 「このモデルが会社の再興を助ける時計になるとは想像できませんでした」。驚くべきことに、この栄光のヒーローはクロノグラフではなかった - それはほとんどがクォーツムーブメントによって駆動されているのだ。1979年から今日に至るまでベストセラーであったにも関わらず、比較的無名のダイバーズウォッチを不公平感を払拭するために考察してみよう。ホイヤー ダイバー プロフェッショナルのことだ。 

Heuer Quartz Divers

1983年のホイヤーのカタログには、最初のクォーツ ホイヤー ダイバー42mmが掲載されている。写真提供:Heuerville

 この物語は、ホイヤーが会社としてあまりうまくいっていなかった1979年から始まる。1974年後半には、スイスの時計産業全体がクォーツ危機に見舞われ、ホイヤーの状況は悪化の一途をたどっていた。クォーツ時計は機械式時計よりも技術的に進んでおり、この時点では価格も求めやすくなっていたため、スイスの伝統的な時計メーカーにとって熾烈な競争相手となっていた。しかし、スイスの伝統的な時計メーカーがこの分野に参入しようとしなかったわけではない。パテック フィリップ、ロレックス、オメガ、IWCなど高級時計ブランド21社が、共同で独自のクォーツムーブメント「ベータ21」を開発した。にも関わらず、それは伝統的な職人技とは大きく異なる産業技術だったため、当時のスイス勢の見通しはさほど明るくなかった。

Heuer 1000 Divers

後のカタログには、4サイズ展開のダイバーが掲載されている。写真提供:Caliber11

 そのような厳しい状況の中で、ジャック・ホイヤーは1979年に開催された業界の展示会でチャンスを見出した。それは、水中スポーツ用の信頼できるブランドの時計を見つけるのが難しいというクレームから始まった。この分野は、ホイヤーにとって、稼ぎ頭であるレース用クロノグラフには及ばないものの、精度、頑丈さ、手頃な価格という要件は共通だった。この課題に挑むため、モニン(Monnin)と呼ばれるフランスのサプライヤーを信頼し、その後、ジャック・ホイヤーは信じられないようなことが起こるのを目の当たりにした。「驚くべきことに、私たちの新しいダイバーズウォッチは市場で非常に好評を博しました」と彼は語った。実際、その翌年、ホイヤーは4種類のサイズと複数のダイヤル構成をもつダイバー プロフェッショナルの提供を開始した。

Heuer Diver Cathedral hands

カセドラル型の針を持つ初期のホイヤー ダイバー。写真提供:MontresMecaniques

 我々はここで正面から取り上げるべきことがある;ロレックス サブマリーナーとの類似性だ。ホイヤーは、ケースのリューズガードからメルセデス針(初期モデルではカセドラル型針が使われていた)に至るまで、伝説のダイバーズウォッチから多くのデザインアイデアを得ていることが明らかだ。ホイヤーは、そのことを全く隠そうとしていない。彼らの考えは、サブに偽た時計を作るのではなく、良質なダイバーズウォッチを、ロレックスによって普及した外見と共に別の価格帯で提供することだった。1970年代後半、サブマリーナーは十分売れていたが、その完全にアイコニックで豪華なステータスは、今日の比ではないことを覚えておく必要がある。

Heuer Diver 38mm

カラーと素材が選べるダイバー。ホイヤーの1983年のカタログから。写真提供:Caliber11.com 

 ホイヤー ダイバーの価格は、現代のロレックス サブマリーナーの価格のわずかな数分の一で、確かに最も惹かれる要因の一つだ。1980年に、ステンレススティール製のホイヤー ダイバーは確かに200ドル台で販売されていたが、それに匹敵するロレックスのサブマリーナー デイトは1000ドルを少し上回る価格だった。 オリジナルの1979ダイバー プロフェッショナルは、クォーツまたは自動巻きのムーブメント(Ref.844と8440で見られる)のどちらかが搭載されていたことに注意すべきであるが、ホイヤー ダイバーのほとんどが、クォーツムーブメント(もともとESA、その後ETA)を搭載していた。多種多様なモデルがコレクションに登場していたため、ダイバー プロフェッショナルを一つの時計として語ることは、実際には不正確だ。

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 分かりやすくするために、4つの異なるサイズ(28mm、32mm、38mm、42mm、ちなみに今のロレックス サブマリーナーには40mmのケースサイズは無い)、異なる仕上げ(ブラックPVD、オリーブグリーン、ツートン、SSのサテン仕上げなど)と多くの異なるダイヤルカラー(ブラック、ブルー、オレンジ、ホワイトルミナス)が、長年にわたって提供されてきた。あなたが数学に強いなら、On The Dashで大部分がカタログ化されているその全範囲が広大だと分かるだろう。

Heuer 980.913N

1992年に発売されたスティールのレッドモデル。写真提供:クロノセントリック

 ダイバー プロフェッショナルはすぐに非常に好調な売れ行きを見せ、ホイヤーが1985年にタグ・ホイヤーになった後もそれは続いた。合併後、ラインはそのまま維持され、すぐに拡大された。1992年の赤いバージョンはその一例だ。ホイヤー プロフェッショナルシリーズはその後、2004年にアクアレーサー(これは今日も存在する)となる。

 その歴史を見てみると、ホイヤー プロフェッショナルによる実際のインパクトは大きい。形を変えながらも、このダイバーズウォッチは1979年以来、(タグ)ホイヤーのベストセラーとなっているのだ。そして、それは全て、派手なブランドのアンバサダーや大規模なマーケティングキャンペーンなしで起こったのである。最近、ティモシー・ダルトンがジェームズ・ボンドムービー『リビング・デイライツ』の中で2つのモデルを着用していたことが明らかになったが、正式なお墨付きはなかった。ジャック・ホイヤーの伝記を読んだ人なら、女優のボー・デレクがビーチで裸でレディスの時計を身に着けていたことを覚えているかもしれない(ここには写真はないが、ジャックの伝記「The Times Of My Life」の258ページに掲載されている)。

Heuer Lumed Dial

全面蛍光の文字盤は、昼間はかなり普通に見える。

Heuer Lume Shot

同じ文字盤でも暗くなると全く違って見える。

 では、収集性について話そう。正直に言うと、これらのホイヤーのダイバーズは非常に珍しいものでもなければ、非常に切望されているものでもない(ジェームズ・ボンドが着用していたPVD加工された夜光ダイヤルモデルのような、いくつかの非常に特殊な個体を除いて)。ebayやフォーラムで少し調べてみると、より一般的なモデルが300~500ドル程度で販売されている。ヴィンテージ時計によくあることだが、ホイヤーのロゴが付いた初期のモデルは、1983年後半に発売された1000/2000シリーズよりもプレミアム感がある(2つのコレクションの違いは、インデックス、ベゼル、ブレスレットに限られる)。あるホイヤーのコレクターが、彼のウェブサイトで様々なモデルをレビューしている。Heuervilleという、まさにぴったりの名前で、詳細はネットで検索できる。

1986 Catalog Heuer lume dial

1986年のカタログに掲載されていた全面蛍光ダイヤルのモデル。(写真提供: Heuerville)

 タグ・ホイヤーにとって、このコレクションがどれほど重要なものであったかを知ることは、なぜこのような成功を収めたのかを考える上で興味深いことだ。一方では、これらの時計が人気を博し、その人気を維持していたのは、非常に明確な価値観を提供していたからだと言える。それは、安心して身に着けることのできる尊敬すべきブランドのツールウォッチというものだ。しかし、この成功は、時計業界の多くが適応するのに苦労していた時代に、変化する潮流を受け入れ、独自の条件でクォーツの波に乗ろうとしたホイヤーの意欲への報いでもあった。行間を読むと、70年代と80年代にクォーツ時計が占めていたスペースをスマートウォッチが占めるようになり、数十年後にはまだ発売されていない製品についても同じことが言えるのではないかと考えられる。様子を見るしかないだろう。