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WATCH OF THE WEEK 謎の言葉が刻まれたロンジン

この意味するところは?

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Watch of the Weekでは、HODINKEEのスタッフや友人を招いて、時計を愛する理由を説明してもらう。今週のコラムニストは、HODINKEEのオーディエンス・エンゲージメント・マネージャーだ。

友人のHは、アイダホ州ハイリーへ着陸するときに窓の外を見て、風景を見ておくべきだと言った。しかし、やはり窓の外は見たくないかもしれない。クロケットのボールのように山の間を抜け、戦時中によく使われた角度で着陸するのだから(彼の記憶は誇張されていたかもしれない)。数列前の人の声が聞こえてきた。「外はどんな感じ?」

A caseback with the inscription "To Harry From Your Plant Friends"

 私は窓ガラスの端に手を当てた。私が身につけているのはロンジンのタンク。コロラドの男性から購入したものだが、彼は元の持ち主については何も知らなかった。コロラドの上空を飛行していた私はそのブレゲ針の時針を熱探知ミサイルのようにして、タンクを生まれ故郷に近づけていると想像した。その風景は目を閉じたときに目の中で泳ぐ小さな粒のようでもあり、風防の傷に由来するダイヤル上の影のようでもあった。ダイヤルは年月を経て変色し、左上の11時を示すマーカーの周りが微妙に白くなっていた。私がこの時計を買ったのはケースバックに刻まれた謎めいた言葉が気に入ったからだ。「TO HARRY FROM YOUR PLANT FRIENDS.(植物仲間よりハリーへ)」

 イタリアの哲学者レモ・ボデイ(Remo Bodei)は、著書『The Life of Things, the Love of Things』のなかで、モノ(object)とコト(thing)の違いを説明している。「コトの意味はモノよりも広く、人や理想、そしてもっと一般的には我々が興味をもち、心に寄り添うものすべてを含むからだ」と書いている。しかし、HODINKEEの読者にはおなじみの変化で、モノがコトになることがある。「モノは個人や社会、歴史によって投影された感情や概念、シンボルを帯びてコトになり、使用や交換、ステータスシンボルとしての価値を持つ単なるモノである商品とは区別される」

A Longines watch on plant leaves

 このロンジンはモノとして(285ドル、税別)やってきたが、すぐにコトになった。10Kホワイトゴールドめっきされた「ビロードのうさぎ」だ。F・スコット・フィッツジェラルドが「アメリカ人の人生に第二幕はない」と書いたとき、彼はヴィンテージウォッチのことなど考えていなかったはずだ。飛行機のなかで、子供の頃に好きだった男の子が、のちにプロのパイロットになったことを思い出していた。駐機場を通過するときにはいつも、コックピットのなかに彼の顔を探していた。

 一度好きになったものは、ある意味でいつも探しているものかもしれない。所有者が時計を探すように、時計も失った所有者を探すのだろうか? 私の変わった行動のひとつに、モノの摂理を信じるということがある。もしそれを信じているなら、モノに内面があるかもしれないという考えを持つことは、それほど飛躍したことではない。

The back of the strap of a Longines watch

 ボデイはこう書いている。「……ファンタジーは我々とモノとの関係において本質的な要素を構成している。ファンタジーは我々が世界に投影するものを絶え間なく変化させ、我々が物事に込めた複数の意味を再構築するものである。このような注意が必要なのは世界に再び魅せられたという賛辞を述べるためでも、アニミズムへの回帰を提案するためでもなく、むしろ物事の本質に固執するためである」

An art deco watch on the arm of a sofa

 ロンジンを購入する1ヵ月前に、母から祖母の時計をもらった。1950年代のアール・デコ調のレプリカで、ダイヤルには“Sellita”と書かれていた(セリタのムーブメントに詳しい同僚の好奇心をそそった)。最初に気づいたのは風防の角に欠けがあることだった。ガラスとその耐久性は、私の母方親族のテーマでもある。私の高祖父であるジグモンド・ロート(Zsigmond Roth)はブダペストでステンドグラス作家として活躍していたが、彼の息子であるミクシャ(Miksa)の名声に押されてしまった。跡を継いだミクシャはハンガリー国会議事堂などの名所の窓をデザインしたが、彼の作品は全体の15〜20%しか残っていないと言われている。

A frame of a stained glass window

 1865年から1944年までを生きたミクシャ・ロートの自伝には、時計フォーラムのような苦悩と機械的な正確さが込められている。「デザインとは約束であり、最終的な作品を作る者が十分な才能を持っている場合にのみ、その約束は守られる」と彼は書いている。別の文章では世紀末の模倣作品を嘆いているが、これは1900年代後半の時計製造にも当てはまるかもしれない。「当時のステンドグラスは悪い意味での無批判な折衷主義だった。さらに作品を企画・制作する際、素材の性質を考慮していなかった。カラーエナメル塗料を自由に使い、吐き気をもよおすようなシーンの甘さがこの不毛で実りのない時代の芸術の特徴である」

 私がこれらのことを知っているのは、彼の家が私の家族とは関係のない学者たちによって博物館として保存されているからだ(保全は見知らぬ人の善意に支えられていることが多い)。2017年にブダペストを訪れた際、博物館の館長は不在だったが、プライベートツアーをしてもらった。ガイドは1950年代のある夜、小石が建物を叩くような音で目を覚ましたミクシャ・ロートの未亡人の話をしてくれた。玄関には地方から夜を徹してやってきた見知らぬ男がいた。彼の袋の中にはロート作の教会のステンドグラスが丁寧に分割され、一つ一つ包装されてあった。ソ連は宗教的なものをすべて破壊しているところだったが、この崇拝者の機転によりステンドグラスは救われたのである。

Two panes of a stained glass window
Close up of hand

 祖母の時計の裏蓋には祖母と祖父のイニシャルと結婚記念日が刻まれているが、それは私が左薬指にはめている祖母の結婚指輪の内側にもある。二人のイニシャルの間にあるオープンピリオドは、シーマスターのロリポップ秒針のようなアニメ的な魅力がある。

 私の祖母はクイーンズで生まれた。祖母の父は通販で儲けるための本を書き、ベストセラーとなった。この本は時計を含めた小売業の問題点をすべて先取りしたものだった。祖母の叔父は、ローワーイーストサイドの長屋から身を起こし、アーカンソー州のリトルロック・セントラル高校のゴシック・リバイバル建築の設計者になった。私の祖母はパンナム航空で働き、企業割引を利用して西半球を旅行した。彼らにとって再発明は必要であっただけでなく、生き方でもあったのだ。

An art deco watch on a black rock

 認めたくはないが、私が祖母の時計に感じるのはハリーのロンジンに感じるのと同じように、空想の投影なのかもしれない。なぜなら私には彼女に関する記憶がないから。少しでも知っていることは大切にしたいから、祖母の結婚指輪のサイズを直したときに取れた小さな金属片はグランドセイコーのスノーフレークの余ったリンクと一緒に引き出しにしまってある。小さな、ささやかなかけらだ。

 私は友人たちに、ハリーの時計に刻まれていた「TO HARRY FROM YOUR PLANT FRIENDS.(植物仲間よりハリーへ)」という言葉からインスピレーションを受けてなにか短い物語を書いてほしいと頼んだ。結果はすべての作品がダークな話になっていた。友人のAはこの時計を温室の爆発事故の唯一の生き残りとして想像した。Tは死んだ恋人の時計を郵便で受け取る女性の視点で書いた。Pは仕事に就けず、小さな園芸協会に入り浸っている不適合者としての彼を想像した。誰が私たちの物語をハリーに押し付けることができるだろう? 彼の人生に暗い日がなかったとしたら?

A Longines watch on a desk

 ブダペストで唯一できなかったことは旧ユダヤ人墓地にある私の高祖父ジグムンドの墓を訪れることだった。博物館の館長は、あの迷宮のような場所では私たちが迷子になってしまうだろうが、彼がいるときに来れば喜んで案内すると言ってくれた。

 いつかブダペストを再訪してジグムンドの墓に手を合わせ、すべてに感謝したい。熱いコーヒーの香り、並んだ夫のスウォッチが少しずれてカチカチいう音、寝ているときに夫の指が無意識にピクピクする様子、つまり、私の人生に感謝したい。でも、そこに導いてくれる適切な人が必要だ。なくなったものと、見つかってもまだ未知のものは違うのだから。

Photos by Caroline Tompkins