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Auctions レース由来の希少なヴィンテージホイヤー カレラがサザビーズに出品中

このヴィンテージのサンレイ DX カレラは、1960年代にレーシングチームメンバーに贈られたおそらく12本存在するうちの1本だ。

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ホイヤーとレースは、ウイスキーをストレートで注文するのと同じくらい強く結びついている。

 私は、タグ・ホイヤーのロゴがコースに影を落とす、(インディアナポリス・モーター)スピードウェイの“パゴダ”で開催のインディアナポリス500マイルレースを観戦して育った。しかし、子どもの頃のノスタルジー以上に、オークションに出品される希少なヴィンテージカレラはそのつながりを再認識させてくれる。今月サザビーズで開催される“Fine Watches”オークションに、このつながりの新たな章を物語る、サンレイ DXロゴを備えたホイヤー カレラ 3647が登場する。

 このカレラのオリジナルオーナーはゲイリー・ゴス(Gary Goss)である。ゲイリーがサンレイ DXレーシングチームに加わったのは1967年のこと。チームがシボレーディーラー兼カーチューナーのドン・イェンコ(Don Yenko、元プロレーサー)のおかげで順調に進むなか、チームは新たな局面を迎えたときだった。21歳になったばかりのゲイリーは、レーシングチームの運搬係兼パイロットとして、サンレイ DXチームとそのマシンを全国どこへでも運んでいった。

heuer carrera 3647 sunray dx

サンレイ DXレーシングチームのロゴ入りホイヤー カレラ。エスティメートは1万5000~2万5000ドル(日本円で約225万~375万円)。

 67年のレースシーズンの終わりに、チームマネージャーはゲイリーを含む数人のチームメンバーに赤、白、青のサンレイ DXロゴを6時位置にプリントしたホイヤー カレラを贈った。On The Dashのジェフ・スタイン(Jeff Stein)氏によると、“よく頑張ったね”という言葉が添えられていたという。

 ジェフ氏は私に、「この時計はおそらく12本しか製造されておらず、チームメンバーに時計が手渡される際、ゴスが立ち会っていた」と教えてくれた。彼はコルベット、サンレイ DX、そしてカレラの全貌を自身のサイトで公開しているので、ぜひ一読することをおすすめする

sunray dx heuer carrera

サンレイ DX カレラにはさらにジッポーライター、レース当日のチケット、デカール(ステッカー)など、さまざまなアイテムが付属する。粋なパッケージだ。

 スタイン氏は、このサンレイ DX カレラは、シボレーにとって本当に重要な時期を象徴していると語った。「サンレイ DXとイェンコは最終的に、シェルビー コブラに対抗できる究極のパフォーマンスコルベットを作り上げたのだ」

 1960年代半ばまでに、石油会社であるサンレイ DXは多くの地方レースやチームのスポンサーとなった。そして67年には、すべてのレースプログラム(レースシリーズに参加する専属チームやドライバー)に資金を提供するまでになった。最初に購入したマシンとは? イェンコ シボレーからコルベットを導入し、ドン・イェンコがチームのリードドライバーとなった。ただのコルベットではなく、スーパーチャージャーのL-88エンジンを搭載した最初のコルベットである。

 シボレーは1953年にコルベットを発表したが、62年にはキャロル・シェルビー(Carroll Shelby)がフォード V8エンジンを搭載したスポーツカーであるコブラを開発したことで、パフォーマンス面で遅れをとることになった。

sunray dx racing team 1968

1968年当時のサンレイ DXレーシングチーム。

 1967年、シボレーはついにその答えを手に入れた。速く走るために設計された薄いレーシングカー、L-88 コルベットを完成させたのだ。ドン・イェンコは、ル・マン、デイトナとともに耐久レース“三冠王”の一角を担うセブリング12時間レースの数週間前に最初の量産モデルを確保した。その後、イェンコはセブリングレースでクラス優勝を果たす。これがサンレイ DXチームの大成功の始まりとなる。

 そのピークは68年のデイトナ24時間レースで、イェンコとほかの2台のL-88 サンレイ DXコルベットが、急な傾斜のあるカーブを並走したときだった。

コルベット、サンレイ DX、そしてカレラの物語

サンレイ DX カレラは、コルベットがついにシェルビー コブラに追いつき、そして追い越した極めて重要なタイミングを象徴している。L-88 コルベット、サンレイ DX、そしてカレラの全貌については、On The Dashをご覧いただきたい。

 ゲイリー・ゴスについては、サンレイ DXのパイロットと運搬係の短い仕事のあと、フロリダに移り、フォートローダーデール警察署にて法執行機関のキャリアを長く積んだ。警察官であるだけでなく、彼は8000時間以上もパイロットとして活躍した。彼が1967年の夏に受け取ったサンレイ DX カレラは、ほとんどの時間手首につけられていた。ご覧のように、私が大好きなセイコーのブレスレットがついている。

 カレラのReference Points記事でも紹介したように、カレラにはさまざまなレースや自動車関連のロゴが取り入れられてきた。

 「私にとって(サンレイ DX カレラの)素晴らしい点は、それが重要なマシン、つまり素晴らしい外観のロゴとクルマがつながっていること、そしてそれをオリジナルオーナーから直接手に入れていることだ」とスタイン氏は言う。同氏によると、ロゴ入り文字盤のカレラのなかでもトップに近い位置にあるという。「ディーラーの時計よりも、このようなレーシングウォッチが欲しい」と彼は付け加えた。

 「映画は『フォードvsフェラーリ(原題:Ford vs. Ferrari)』だったが、60年代のアメリカで育った私の友人たちは、フェラーリにあまり関心がなかった」と語る同氏。「16歳のときは、フォードかシボレーのどちらかが支持されていた」。

 そして、このサンレイ DX カレラは、シボレーがついにフォードとキャロル・シェルビーに挑戦して勝利した時計であり、L-88 コルベットの歴史を物語っているのだ。

ホイヤー サンレイ DX カレラは、3月12日に終了するサザビーズのFine Watchesセールにて出品中。ロットナンバーは90。L-88 コルベット、サンレイ DX、そしてカレラについては、On The Dashの記事をチェックだ。ゴスの話を詳しく教えてくれたジェフ・スタイン氏に心から感謝する。