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時計業界の変わり者。いつだって私は人が注目しないものにこそ目を向けている

今誰も目を向けていないことが、将来的に価値を認められないことの証明とはならないのだ。

本稿は2016年12月に執筆された本国版の翻訳です。

 アーティストになってクラバットを巻き、モノクル(片眼鏡)をかけるようになる数年前、 私は広告業界で働いていた。しばらくはとある伝説的な広告マンのもとで仕事をしていた。彼はふたつの逸話で知られた人物だった。ひとつは、彼が “悲しそうに見えたから”という理由で猟犬を手ずから訓練した話。もうひとつは、彼が人の心理を的確に理解する術を持っていたという話だ。ある日、ミーティングからの帰り道に彼は私を見てこう言った。「フィル、君は病的なまでに逆張りをしたがるんだね」。

 まさに、彼の言うとおりである。

 さて、前回のコラムでも触れたが、再びこの話を持ち出したのには理由がある。病的な逆張り屋の長所としては、他人が見ていないようなところに本能的に注目してしまうことが挙げられる。悪い点は、時として自分が見ている方向を誰も見ていないことがあることだ。だから時折ユニコーンから出た粉と、スワロフスキークリスタルでできた金床サイズのウブロをひとり抱え込むことになったりもする。

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 時計収集の世界においては、よそ見ばかりしているとしばしば日の当たらない一角に迷い込んでしまうことがある。クルマで言えば、1987年型ポルシェのスラントノーズに行き当たってしまうようなものだ。5年前は、お金を払ったとしても誰かに引き取ってもらうことすらできなかった。しかしそのおかげで、1980年代に流行したグループBのラリーカーをこよなく愛するようになった。そのためか、私は自分の奇妙な衝動に身を任せることを学んだ(少なくとも、それがどこに行き着くかを見極めるまでは判断を保留することにしている)。ここがクルマと時計の違うところだ。時計の場合、今さら発掘すべきブランドはほとんど残されていないように思える。しかしまったく日の当たっていないブランドというものはほとんどないものの、あまり好かれてない(あるいはそこまで愛されていない)ブランドというものは確かに存在する。たとえばブライトリングだ。私の逆張り本能を刺激し、臨戦体制にさせてくれるブランドである。

Vintage Breitling 765 AVI, late 1960s.

ヴィンテージのブライトリング AVI Ref.765、1960年代後半製。

 決して悪気はないのだが(“悪気はない”というフレーズのあとに、たいてい悪意の波が押し寄せてくるのはおかしな話だ)、現在のラインナップはかつてアメリカにあるショッピングモール内の宝飾品売り場で働いていた全盲のピエロによってデザインされたようだ(言い過ぎか?)。明確なデザイン言語があるわけではなく、過去50年に見られたさまざまなものを漠然と引用し、それらを時計という文脈のなかで攪拌しているように見えるのだ。

 しかし、1940年代から70年代初頭にかけて同社が作っていたものを見ると、息をのむような美しさがある。なおここまでの考察は、丸1年間をかけて時計収集に打ち込んできた男によるものであることを心に留めておいてほしい。

breitling pilot's chronograph

ブライトリングのパイロット クロノグラフは、十分な評価を受けていない。

 クロノマット、スーパーオーシャン、ナビタイマー、765 AVI、クロノマチック、トップタイム。これらの時計の多くは歴史的に価値のあるものであるが、それ以上に重要なのは、デザインの観点からブライトリングが独創的な飛躍を遂げたことである。特に1960年代の時計は私の知る限りデザインが非常に退屈で、時計を見るだけで眠くなりかねない時代だった。

 そのなかにおいてブライトリングは独自のスタイルを貫いており、文字盤デザインからケースサイズに至るまで、そこに落とし込まれた創造性は大胆かつ驚くべきものであった。現代のブライトリングのブランドイメージを考察するにあたって、40年前、50年前に製造されたモデルが熱心なコレクターの目にどのように映っているのかを知ることは、非常に興味深いことである(しかしまあ、驚愕するほどのものはない)。

 ここでふたつの時計を例に挙げよう。ひとつは私が所有しているもので、もうひとつは所有したくてたまらないものだ。まずは所有している1966年製のスーパーオーシャンから。まず第1にデザインの観点から見て、当時のほかのダイバーズウォッチとは似ても似つかない。ダイヤルはきれいだが、オリジナルを維持している。中央にセットされたクロノ針は先端に太いダイヤ型のデザインが施され、のちのバージョンではこの意匠は針とアワーマーカーにも採用されていた。手元に届いたとき、プッシャーを押しても何も反応がなかったので、クロノグラフの機能が壊れているのかと思った。検索してみると、スーパーオーシャンは秒ではなく分を計測する“スロークロノグラフ”を搭載していることがわかった。私の知る限り、このような機能を備えた時計はほかにはない。今後この機能を使うかと問われれば多分使わないし、どのように機能するかも気にならない。しかし、これはスマートかつ驚くべきテクノロジーであり、完璧に理にかなっている。ダイビングをするのに秒の計測なんて必要ないのだ。

Breitling 765 AVI Digital Mk. 1.2

ブライトリング “デジタル” AVI Mk.1.2。Photo: @watchfred on Instagram

 もう1本は、デジタルカウンターを備えた1951年製のRef.765 AVIである。3時位置に従来のインダイヤルではなく、デイト窓のようなカウンターがあり、15分単位で時間を計測する。1950年代のパイロットに15分間の計測が必要だったのには理由があったのだろうが、私にはとんと見当もつかない。15分でカフスボタンを磨いたりしていたのか? 大切なのは、革新的で珍しいアイデアだったということだ。なお、誰か売ってくれる人がいたら、大至急連絡してほしい(ブオリーブガーデンでレッドスティック食べ放題のディナーをおごろう!)。

 さて、ゴールドシュレーガーに触発されたここまでの戯言の要点は何だろう? 私がこれまでに買ったほとんどすべてのクルマは、当時はほとんど愛されなかったか無視されたものだった。しかし、ある時点でその価値が認められた。人々はようやくクルマに対する漠然としたイメージではなく、目の前のクルマそのものを見るようになったのだ。私は自分のことを予知能力者だというつもりはないが(まあ、少しはそうかもしれない)、私が言いたいのは、今愛されていないことが将来的にも愛されないことの証明にはならないということだ。これは私たち誰もがつい忘れがちなことだ。ゆえに、世間の総意という引力に抗うことができれば、そのものの本質を見抜くことができるようになる。たとえばそう、ヴィンテージ ブライトリングのように。

Image of the Breitling 765 Digital AVI courtesy watchfred on Instagram.

フィリップ・トレダノ(Phillip Toledano)はアーティストであり、自動車愛好家でもあるが、最近になって時計収集の沼に頭から飛び込んだ。彼はウィットと愛嬌、そしてセンスを武器に、あっという間に著名なコレクターになった(Talking Watchesで特集されるほどに)。今、彼はコラムニストとして、混迷を極める時計界で自らの道を切り開こうとする者としての試練と葛藤を語ってくれている。今後もお楽しみに。Instagramでは、時計とクルマの両方における彼の奇妙な冒険譚を追うことができる。