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世界で最も世論を二分する時計ブランド、ウブロを真摯に研究する

そう、彼らの時計のなかには正気ではないものもある。でもそこがポイントではないだろうか?

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Photos by Kris Evans

 最初は身につけたくなかったが、初めてピンクのトゥッティ フルッティを手にして以来、私はウブロに魅了され続けている。HODINKEEで記事を書いているあいだにもその魅力は増していった。今年の初めに新しいビッグ・バントゥールビヨン オートマティック イエローネオン SAXEMの評価を任されたとき、その気持ちはクライマックスに達した。

 このレモンタイムピースはダイヤモンドが入っていないにもかかわらず、2696万1000円(税込)と大変高額である。こんなものを買おうとする人は愚かだと思われても仕方ない。あるいは気前よくいうと、あまりにも裕福なために、目隠しした状態のままタップ対応のクレジットカードを持ってショッピングモールに行き、どこかでつまずくまで何が起こるかわからないゲームをするのが好きな人といったところか。

 この2本の時計は格好悪いと思う人がいることはわかっていたのだが、だからこそとても欲しくなった。本物の時計コレクターはそんなものは眼中にないと思っていたからだ。真面目な時計コレクターには無視されることが多いため、この時計が欲しかったのかもしれない。

hublot signs

 このユーモアが意図的なものかどうかはわからないが、私はウブロをおもしろいと思った。それと同時に疑問も生じた。いったい誰が実際にこれを買うのだろうか? と。

 私はこの質問の答えを見つけたかったが、でも見つけることができるかどうかわからなかった。だから何を思ったか、ブランドCEOであるリカルド・グアダルーペ(Ricardo Guadalupe)氏に電話してこういったのだ。「ちょっとだけ知りたいのだけど、ウブロは一体どうなっているの?」

 それから数週間前に、ウブロのマニュファクチュールを見学する機会を得た。さらにスイスのタトゥーアーティスト、マキシム・プレシア-ビューチ(Maxime Plescia-Büchi)氏とのコラボレーションによる新作サンブルーの発表とも重なり、彼とともにミラノに行くことになった。これはSAXEM(サファイア・アルミニウム・オキサイド・アンド・レアアース・ミネラルの略である)がどのように製造されているのか、間近で見られるチャンスだった。

hublot watches
hublot watches
Maxime Plescia-Büchi at Hublot

 はっきりいうとウブロとは何かを知りたかったのだ。ロレックスは誰もが知っていて欲しい時計に位置付けられ、また高価な時計という概念を文化的に支えているブランドだ。オーデマ ピゲはロレックスだけでなく、時計についてもう少し詳しい人が欲しいものだろう。そしてパテック フィリップは、超一流でスノッブ(お高くとまった)な人たちが集めている。なにも意地悪で言っているわけではない。スノッブがスノッブである理由のひとつは、あるものがほかより優れているということだ。パテック フィリップを強制的につけさせられる世界の誰もが、それに腹を立てることはないだろう。

 しかしもしウブロを身につけることを強要されたら、まあ憤りを感じる人も一部存在するだろう。ウブロは多くの人々が野暮だと感じている。大物時計コレクターは、前述したブランドのエレガントな最新モデル(またはヴィンテージ)のセットやリシャール・ミル1本に対して簡単に20万ドル(日本円で約2801万3000円)を費やせるが、しかし20万ドルする光り輝くSAXEMを手首に巻くとこう思うだろう。“怖い!”

 エントリーモデルについても考えてみよう。ロレックス オイスター パーペチュアルは、もし手に入れることができれば6500ドル(日本円で約90万円)前後だ。そしてウブロ クラシック・フュージョン オートマティックは約5500ドル(日本円で約77万円)だろうか。前者はウェイティングリストがあるが後者はすぐに手に入る。

hublot sign

 このサイトを訪れている人で、私が持つ疑問をすでにここまで読んでいるのなら、ウブロを愛するということはある種の時計愛好家のあいだでは不人気な立場であるという共通認識のもと話を進めることができる。しかし、もちろんそれはウブロのすべてのストーリーではない。ウブロは“人々がいやがるもの”以上の存在として、頑丈な時計をつくり続けているのだ。

hublot watches

 ではウブロとは何か? ウブロはどのような感情を生み出すのだろうか。一部の人たちを怒らせて、またある人は財布を取り出してそれを買いたいと思わせるようなものだ。ではなぜウブロを買うのか? それどころか、なぜ22本もウブロを買うのか?

 この記事を執筆するにあたり、まさにこれだけの数のウブロを持っているコレクターに話を聞いた。50歳のテッド・グエン(Ted Nguyễn)氏は、ヒューストン在住のゼネコン兼不動産開発業者である。グエン氏が最初にウブロのブティックに足を運んだときはひどい仕打ちを受けたが、次に行ったときにはとてもよくしてもらったという。そこから先はご存じのとおりだ。

 ウブロは私の好きなブランドでとても気に入っているんだと伝えたら、彼は「ああ、私も好きですよ」と言って、まだウブロは持っていないけれどと付け加えた。「それではまだ愛が足りませんね」と彼は笑いながら話す。

a hublot themed after a cigar

ウブロ クラシック・フュージョン クロノグラフ アルトゥーロ・フエンテ キングゴールド ブラウン セラミック。

 クラシック・フュージョン クロノグラフ アルトゥーロ・フエンテ キングゴールド ブラウン セラミック(彼が手に入れた最初のモデルは2015年だ)、クラシック・フュージョン セラミック ゴールドクリスタル、クラシック・フュージョン アエロ・フュージョン アスペン スノーマス、それとお揃いのペアモデル、クラシック・フュージョン クロノグラフ キングゴールド ブルー45mmとクラシック・フュージョン キングゴールド ブルー38mmなど、彼が所有する22本ものウブロのテキストツアーが始まった。彼が送ってくれた写真に写っていた小さいバージョンは、購入時にヒューストンのブティックが出してくれたというモエ・エ・シャンドンのスプリットによって囲まれていた。

 彼は45mmのものしか身につけたことがない。小さいほうは“幸運な女性”が現れたらその人のためにあげるのだと教えてくれた。

 ツアーは続く。ビッグバン・コネクテッド E ブルー ヴィクトリー、ビッグバン・ゴールド クロノグラフ、そしてステンレスのビッグ・バンもあった。

 そのなかでも、セクシーなブルーのペアウォッチと、クラシック・フュージョン クロノグラフ アルトゥーロ・フエンテ キングゴールド ブラウン セラミックがとても気に入った。シガーからヒントを得たと知ったが、確かに見た目はシガーの色に似ている。そしてロゴの下に赤い字で“FORBIDDEN”と書かれており、響きは悪いようだがいい。

a Classic Fusion Aerofusion Chronograph Aspen Snowmass

ウブロ クラシック・フュージョン アエロ・フュージョン アスペン スノーマス。

 例えばクラシック・フュージョン アエロ・フュージョン アスペン スノーマスなどはそれほど夢中にはならなかった。まるで時計が雪崩から逃げている、あるいはそこに向かって走っているように見えたのだ。それと同様に、元HODINKEEエディターでテキサス出身のローガン・ベイカーが、ビッグ・バン カモ テキサスを好まなかったことについても同意せざるを得ない。ただのビッグ・バンなのに森のなかに隠れようとしているからだ。

 なぜパテック フィリップよりもウブロのほうが好きなのかとグエン氏に尋ねたら彼は長いこと回答を考えていた。だから私はそれに対する長い答えを準備していたが、彼は「ああ、私は80歳ではないのです」としか言わなかった。

hublot HQ

今、ジュネーブから北へ20マイル(約32km)のところにあるウブロ本社に訪れている。私はこれが初めてのマニュファクチュールツアーではない。だが、まるで婚約者の故郷を初めて訪れ、魔法の始まりの場所を見つけようとしているかのような、ちょっとした期待に満ちたときめきを感じている。

 本社にはふたつの建物があり、それぞれが歩道橋で結ばれていた。高さは4階建てで、大量の窓があるとてもきれいなオフィスという意味ではスイスならではのオフィスビルである。まさにクラシック・フュージョン・ブラックマジックを建築形式に落とし込んだようだ。

a swiss valley

 パンジーのSAXEMパープル、チューリップのSAXEMオレンジなど、鮮やかな春の花がいたるところに咲いている。黄色い花が何かはわからなかったがこれもSAXEMっぽい。なかに敷かれていたカーペットはウブロの象徴であるダブグレー(紫がかった灰色)で、アートを引き立たせるのにふさわしい。当然ながらウブロの時計そのものの写真があり、それに加えて、時計の代わりにウブロの時計で表現されたサルバドール・ダリの記憶の固執や、フランス人アーティストのマーク・フェレーロ氏のリップスティック絵画、そして同じくフランス人アーティストのリチャード・オーリンスキー氏のブルー・コングの彫刻など、皮肉たっぷりのポップアートもたくさん飾られていた。

 ウブロの人たちは若い。ツアーガイドをしてくれたブランド・アイデンティティ・ディレクターのミカエル・エンゲンヘイロ(Mickael Engenheiro)氏は30歳だった。昼食時、白髪頭の人たちの数を数えてみたが、基本的に私ひとりだけだった。58歳のCEOリカルド・グアダルーペ氏はそういうのが気に入っているようだ。彼はアイデアが新鮮であることを望んでいる。私はこのポジションに憤りを感じると同時に感謝もしていた。

 エンゲンヘイロ氏は、それが迷惑というよりこちらも元気になるくらい、爽快でエネルギッシュだった。彼はもともと時計職人だったがマーケティングの道に進んだという。それがいかにもウブロらしいと感じた。彼はトゥールビヨンに精通しているが、しかしそれ以上に何がそれを際立たせるのか、また華やかにするのかに興味を持った。そしてそれを売ることに長けていたのだ。

sarah miller at hublot

 彼のおかげでウブロツアーはわかりやすく、でもまったく退屈するものではなかった。彼は歴史から始めたことを半ば謝罪し、おそらく私がすでに知っていることも多いだろうとほのめかしたが、しかしそうでなかったとしても、時間をかけて再確認し、自分自身の体制を整えることは重要だった。ブランドはほかの企業と同様、意思決定を意図的に行っている。例えば、ある日スイスの時計ブランドとして目覚め、タトゥーアーティストのマキシム・プレシア-ビューチ氏とともに直径42mm、厚さ15.7mmのトノー型ファセットウォッチを発表するようなことはない。またある日突然、ブルー・コングの彫刻を鑑賞しながらリチャード・オーリンスキー氏を電話で呼び出して、青いガラスでできたゴリラのような時計を作りたいと案を出すことはないのだ。

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 ウブロのキャッチフレーズは“The Art of Fusion(異なる素材やアイデアの融合)”である。あまり相性があわない素材を組み合わせるという意味で、1980年にイタリア人のカルロ・クロッコ(Carlo Crocco)氏がゴールドの時計にラバーストラップをつけたことから端を発する。「当時そんなことをするのは本当に奇妙なことでした」とエンゲンヘイロ氏はいう。すでに知っているようなものでも、いまでは正当化されたコンセプトがどのような世界に入ってくるのか、覚えておくことは大切だ。ラグジュアリーウォッチにラバーストラップを採用したのは、実に大胆な試みだったのだ。

a blue hublot watch on the author's wrist
hublot movement elements
hublot watches

 この最初の時計が、クラシック・オリジナルと呼ばれていたことを知る。エンゲンヘイロ氏のフランス語訛りを真似しながらこの名前を独り言のように繰り返した。『パルプ・フィクション』のなかでサミュエル・L・ジャクソンが“ロイヤル・ウィズ・チーズさ”と言っているのを思い出しながらそれを味わっていた。クラシック・オリジナルは始まりに過ぎなかったが、そのなかに今日のウブロの姿を見ることができる。ラグジュアリーさとラバーを合わせた無造作感と、そして左腕を波のように振り上げたHロゴは、過去に別れを告げ未来に挨拶をしているようにも見えるし、また親しみを込めて手を振っているようにも見える。

 ウブロはラバーストラップを使いながらも高価であることを続けた。それはうまくいってはいたのだが、決して成功を収めていたとはいえなかった。2004年、業界の重鎮であるジャン-クロード・ビバー(Jean-Claude Biver)氏が登場し、実際にアート・オブ・フュージョンについて最初に語り始めた。このフレーズは数年たったいま重宝されており、アーカイブの名前としてもふさわしい響きを持つようになった。ビバー氏にとってのアート・オブ・フュージョンとは、ラバーや金属だけではなくカーボン、ラバー、ゴールド、チタン、ダイヤモンド、研究所で作られた人工サファイアなど、この世にあるありとあらゆる素材を指していたのだ。

the author lookin into a microscope

 彼のビッグ・バンは2005年に発表されたが、今ではトノー型のスピリット オブ ビッグ・バンやスクエア・バンなど、形状的にも広がりを見せる。これらの展開はとても重要だが、私にとってウブロのストーリーとは、2005年のスポーティなオリジナルのビッグ・バンから2012年のビッグ・バン トゥッティ フルッティ、そしてシェパード・フェアリー、村上 隆、ジェイ・Z、DJ スネークや前述したアーティストたちとのコラボレーションなど、まさに素材とアートがやりとりすることが重要であると感じている。またアートといえば、最近(そして私的にはベストな)発表されたアーティストのウェン・ナ(Wen Na)氏との素晴らしい旧正月コラボレーションモデルも紹介したい。それは鮮やかなブルーのパンツと真紅の衣をまとった丸々としたウサギの心臓の真上に時・分・秒針が固定されたものだ。

 まさにこれこそ私にとってのウブロの最高傑作である。過剰なまでの時計づくりのアプローチにより、ある人は好き(私のように)で、またある人は嫌いということだ。ある有名な時計コレクターで起業家の人が以前、“ウブロは格好悪い”といった。“でもすごく楽しいものだよ”と私は答えた。すると彼は、“私も時々ケンタッキーフライドチキンを食べるが、だからといって美味しいとは限らない”と言っていた。

hublot watches

 ウブロといえばそうだ、アート・オブ・フュージョンとかなんとかというのはわかる。ただその場所を見渡してフュージョニスティが展示されているのを見るのはまた別の話だ。振り向くたびに本当に存在してはいけない時計を見ているようで、それはあまりにも酷ではないだろうか。誰かが見たと思うようなもの、例えば、ウブロ ビッグ・バン ポップアートや、ウブロ MP 05 ラフェラーリなどを見て、この時計には本当に9色も必要だったのか? この時計は怒りを表している宇宙人のように見える必要があったのだろうか? といった風にだ。

 もちろん、そんなことはない。そしてこのアプローチはどんどん進んでいき、激しさを増していくのだ。

 そのため、実際にムーブメントを製造しているところを見学することはあっても、そこに何時間も滞在することはない。時計愛好家間で意見が一致することがあるとすれば、1日に900本のブリッジ、500個のローター、2万個の歯車というノルマをこなして、穴を開けたり、(パーツを)滑らかにしたりするCNCマシンを1度でも見たことがあれば、そのすべてを見たということになるのだ。あるいはそれは私だけかもしれない。私は切削工具が激しい動きとさわやかな水しぶきを交互に繰り返すのを見て動悸がしてくるような時計ジャーナリストではない。金属が入る。形が出来上がる。ああ、もうわかったよ。

a watchmaker at the hublot factory

 とても楽しみながらジェムセッティングルームに入ると、3人のジェムセッターに出会った。そのうちのひとりは、私が彼の顕微鏡でひと握りのダイヤモンドを覗くと本当にうれしそうにしてくれた。ダイヤモンドホールのなかには、機械で加工できる標準的なものもあるのだが、手作業が必要なものもあると説明された。そのことについて私は知らなかったのだが、このような違いがあるからこそ、時計や工芸品について考えることがより興味深く、リアルに感じられるのだ。

 そしてそのときが来た。ミカエル、SAXEMまで連れて行ってくれと。またセラミックも同じように扱われているようだったからセラミックのほうにも連れて行ってくれと伝えた。

the author and mikael

 その場所まで歩いていくとミカエル氏は、ほかにも多くの時計ブランドがセラミックを採用しているが、ウブロはそれを鮮やかな色を保つことで世界をリードしていると話す。

 素材部門で働く女性を紹介してくれた。彼女はウブロの素材について話すときワクワクとした豊かな表情をしていたため、フランス語が話せない私でもなんとなく理解できた。彼女の話が終わって、ミカエル氏が翻訳しなければならないかと尋ねたときには、もうほぼ理解していた。セラミックを着色するためには熱を使う必要があるが、あまりに熱しすぎてしまうと顔料が沈着してしまう、というのが主なアイデアだろうと伝えた。

 「そのとおりです」と彼は言った。

 赤、白、ピンクの顔料が入ったリップグロスポットのような小さな容器が展示されており、これらはすぐにビッグ・バンやスピリット オブ ビッグ・バンのケースへと変身するようだ。「私たちはすべての顔料を維持しておくプロセスを考え出しました」とミカエル氏。私は顔料の幹線道路や学校がある顔料の街で維持された顔料があるという彼らのアイデアが大好きだ。

colorful pigments

 その横には大きな白いクリスタルのようなものがあり、それはまるで寝室に置くような小さなランプのようだった。神様お願いですと私は無言で唱える。それがSAXEMであるようにと。そして合っていた。熱、圧力、保存された顔料というストーリーはここでも同じだった。

 今SAXEMのすっぴんを見たような気がしてちょっと変な気持ちになった。それほどまでに質素なものであるとわかり、それを真に高価なアイテムにするべく黄色や紫、オレンジなどで着色する方法を見つけ、そこにどれだけの膨大な時間とエネルギーが費やされたかに気づいた。SAXEMの謎が解明された一方で、それでもただの鈍い物質の塊にすぎないものが壮大なものになることに感動を覚えた。

parts for a hublot watch

 最後にビッグ・バン トゥールビヨン オートマティック パープルサファイアを試着した。この1日が終わるのにふさわしかったと思う。彼が箱を持って出てきたとき、私はそれがトゥッティ フルッティであることを半分期待していたことを正直に認めなければならない。ウブロの人たちが、「このお嬢さんはトゥッティ フルッティが大好きなんだ! HRのホールを少し下ったところにある、トゥッティ フルッティの引き出しから彼女の分を1本取ってこよう」と話していた。

 いうまでもないがそんなことは起きない。一方、ビッグ・バン トゥールビヨン オートマティック パープルサファイアを手に持ってみると、まるで小さな紫のイルカのように触り心地が滑らかで、洗練された印象を受けた。

the author during a tour of Hublot

 工業用のネジと夢のような色合いのコントラストに感心した。パープルストラップに沿って指でなぞり、大胆なチタンでつくられたウブロの上で、マイクロロータームーブメントが動いているのを眺める。私は分別がある半倹約家であるため、まるでブランドが自身を愛してくれるかのような話を聞くと目を丸くするのだが、この時計は私の心にしか聞こえないシグナルを発しているような気がしてきた。もっと正確にいうと、ウブロはこれを50本製造してすべて売り切っているので、少なくとも49人と私の心にだけ聞こえるシグナルを発しているということだ。

 手持ちに時計がないまま工場を去ることになり残念だ。でも次の目的地であるミラノでは、どれだけ悲しい思いをすることになるのだろうか。

アメリカでは、ファッションプレスやツイッターを連続して見ている人なら誰もが“静かな”あるいは“密かな”ラグジュアリーの台頭に関するトレンドストーリーに満ちている。この流れはミラノには届いていない。

a hublot

 ドゥオーモからほど近いところにある私たちのホテルには、デザインと家具の一大イベントである“ミラノサローネ(Salone Del Mobile)”に参加するための宿泊客が多くチェックインしていた。艶やかなブロンドの下からダイヤモンドが輝き、セリーヌやシャネルのラベルが貼られたハンドバッグを持ち、ロビーにはヒールを鳴らす音が響いている。スイスの次にイタリアが衝撃的だった。スイス、特にジュネーブが持つエネルギーは10段階のうち2点くらい。その点ミラノは10点だ。ジュネーブで目を見ればジョギングをしようとしているのがわかるが、一方ここではセックスについて考えているように見えるし、少なくとも怒っている人が怒鳴られるに値するかどうかを考えているように見える。

duomo italy

 私はCEOのグアダルーペ氏に会って新しいサンブルーを見て、そしてプレシア-ビューチ氏に会うためにここまで来たが、私の1日がすべてウブロになる前に少し自由な時間があった。ソルフェリーノ通りを歩いて、テッド・ワン・バー・カフェという場所でコーヒーを飲むことにした。カフェでは、完璧に仕立てたスーツを着た4人の男性がバーで会議をしていた。また外には、太ももまである高さのスエードブーツと小さなデニムスカートを履いた女性が闊歩している。そしてもうひとりの女性は、ただ電話をかけているだけなのにとてもシックでそれが重要なシーンに見えた。だから電話の向こうの相手はアンジェラ・ミッソーニ(Angela Missoni)氏か、あるいはジェイソン・ボーン(Jason Bourne)氏であることは確かだった。

lady on a phone

 私は女性を見る。するとシルバーのアクセントがついたエナメルのピアスをしており、そのエナメルはピカソ(が描いたか)のような顔がアレンジされていた(彼女がアメリカ人かどうか知らないし、知りたくもない。彼女がオランダ人かもしれないと思うことにした、そう願おう)。そんなに悪くないかも。私は自分がなぜウブロを好きなのか理由を知るためにここに来ている。それらは身につけるタイプのアート(ウェアラブルアート)だったが、私が彼らを愛さない方法、つまりウェアラブルアートに踏ん切りがつくかどうか考えている自分がいることに気がついた。

 ウェアラブルアートを定義するのは難しいが、猥褻物と同じようにそれを見ればわかる。半月形の樹脂製イヤリング、生身の人間が丹念かつ極めて不自然に夕日を描いた、流れるようなシルクのドレス、歌手のビョーク(Bjork)が2001年のアカデミー賞で着ていたエド・ハーディー(Ed Hardy)の白鳥のドレスなど。

 もちろんこれはウブロが歩んでいる路線でもある。だから多くの時計をどれだけ上品で控えめにするかが重要なのだ。私がここで考えているのは、カルティエのタンク、ヴァシュロンのパトリモニー、パテックのカラトラバなど。これらの時計はすべて、“パーティでは完全に着飾って、ジュエリーをひとつだけ外す”というプレッピー的な控えめなエトスで、階級の代名詞ともいえる雰囲気を醸し出している。

hublots and a tiny drill

 さて、私はウブロのポップアートの真っ向なファンであり、ウブロ MP 05 ラフェラーリのファンであるといったが、それは単に(ネジを)巻くために使う愛らしいドリルを持った私の写真が、お世辞にも美しいとはいえないからである。

 しかし私にとってサンブルーはとうに限界を超えており、私が訪れたくない、行き過ぎたウェアラブルアートの世界に少しずつ入り込んでいる。ただ私には多いだけなのだ。セリフが多すぎるし、一生懸命になりすぎている。その行動に満足した大きなトカゲが岩に覆いかぶさったような感じとでもいおうか。

the author with a tiny drill

 ミラノでウブロCEOのリカルド・グアダルーペ氏にインタビューする機会を得たとき、彼はチタン製の新しいサンブルーに身を包んでいた。グアダルーペ氏は隣の部屋で待機しているアーティストも含めて私たち全員をミラノに招待してくれた。私はなんとなく、このハードな質問でインタビューの幕を切るのは素晴らしいアイデアだと思った。“トゥッティ フルッティを復活させるつもりはあるか?”

 グアダルーペ氏は青のスーツと極端に白いシャツをよく着こなしていたが、過剰なまでの滑舌の悪さはなかった。暖かすぎるミラノのウブロブティック2階にはたくさんの人がいて、たくさんの電球が点滅し、お菓子のトレイが置かれていた。それを処理できないわけではないが、ホテルに戻って夕食の前に20分ほど横になるのは申し訳ないような気がすると、私が予測しているだけかもしれない。

the author with Hublot CEO Ricardo Guadalupe

 彼が生まれ育ったヌーシャテルは電車のホームからしか見たことがないが、のどかで牧歌的な印象だ。スイスとUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の両方で教育を受けたあとブルガリとブランパンで働き、そしてここに辿り着いた。2004年、ビバー氏がCEOを務めるウブロにマネージングディレクターとして入社し、2012年にビバー氏が会長になるとともにCEOに就任した。フュージョン革命の功績を認められているのは派手で有名なビバー氏だが、グアダルーペ氏はここに来てその革命の大部分を担ってきた。ふたりがウブロに入社したとき、時計のラインナップはほとんどがクォーツで、年間2500万スイスフラン(当時の相場で約21億7650万円)の売り上げだった。そしてLVMHが買収した2008年に、その数字は2億ドル(当時の相場で約206億7000万円)にまで達していた。

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 グアダルーペ氏はトゥッティ フルッティを復活させるつもりはないそう。彼らはトゥッティ フルッティが成し遂げた仕事として、ビッグ・バンに搭載された、簡単にストラップ交換ができるワンクリックシステムを備えたことだと感じているようだ。事実女性向けの売り上げは、トゥッティ フルッティがあったころの15%から、28%にまで増えているという。女性に時計を買ってもらうために必要なのは、簡単に交換できるストラップだったという事実に少し落ち込んでいるが、こんなことはいえない。私がどう思うかなんて気にする必要ははいだろう? 私はマーケティングの天才ではないが、人口の50%を占める女性は時計メーカーが勝ち取るべき重要な層なので、ストラップが役立つのであれば、ストラップをクリックさせればいいのではと思いついた。

 ウブロの時計を身につけることで人はどんな気持ちになると思うのか、彼の考えを知りたい。

 「楽しい気持ちになれますね」と彼は話す。「ウブロの時計を身につけると、ポジティブなエネルギーを感じることができるのです」

 時計ブランドのCEOが、自身が働いているブランドが人々に“ポジティブなエネルギー”を与えていると主張していても、驚くようなことは何もない。しかしあの忌々しいトゥッティ フルッティを身につけると驚くほどに、しかしまったく現実的な幸福の波動を感じられ、その気持ちは見るたびに繰り返された。つまりそう、これはPRなのだが、まさに彼の主張するようなことを体験したのである。

Hublot CEO wearing a Hublot Sang Bleu

 彼の手首には巨大なサンブルーが巻かれており、その話題は尽きない。彼によるとサンブルーはビジネスの中核ではなく、むしろクラシック・フュージョンに似ていると語る。サンブルーは憧れの存在なのだ。

 クラシック・フュージョンのような時計とサンブルーのような時計、どちらをより売りたいのか彼に尋ねてみた。すると彼は穏やかに笑い、出口を探すように部屋を見渡していた。

 でも、いや本当に。彼はサンブルーを売りたいと話していた。「そんなものよりもっとエキサイティングです」と同氏。そしてそう、ウェアラブルアートは刺激的だからこそ問題があるのだと私は言いたい。

 特に価値が上がらないかもしれないとわかっていながら、どんな人がウブロを集めているのか聞いてみた。

 「ウブロはまあ、時計に関する素晴らしい知識を持っていない人たちのためのものなのです」。そんな彼らにとって、時計をつけるというのは楽しいことなのだ。私たちがよく知る(価値が上がることを前提にした)コレクター性は、必ずしもこのブランドの目的ではない。また彼は、ウブロのスペシャルエディションの多くが実際に価値を高めたとして、村上 隆とのモデルを例に挙げた。「しかし消費者にとっては、“この永久カレンダーが必要だ、このクロノグラフが必要だ、このムーンフェイズが必要だ”などという問題ではありません」

 最後にウブロのスタッフがなぜみんなそんなに若いのかと質問を投げかけた。その理由のひとつとして、50歳以上の客層の売り上げが10から15%程度しかないことだという。「当社のコアな消費者は25歳から45歳です。私の心の若さを保つために、周りに若い人たちが必要なのです」

 帰り際、最後に彼はトゥッティ フルッティについて「何かスペシャルバージョンを製造して戻ってくるかもしれません」といってくれた。

 私は彼のいうことを信じていないが、それでもいい。

people sitting at a hublot-themed dinner

 天井が高くて、お世辞にも明るく照らされているとはいえないガレリア・メラヴィッリで開催されたサンブルーパーティーに参加すると、ルイナール ブラン・ド・ブランがグラスに注がれ、私たちの手に渡る。上の写真は主賓であるウブロの有名人たちを撮影しているところだ。今日のランチでこのなかにいるふたりを見て、異様にハンサムなただの時計ジャーナリストだと思った。そのVIPとは、シャオイエン(フランス人モデル)氏、モルウィン・バークハルター(スイス人モデル)氏、ジュゼッペ・マッジョ(私たちと一緒に車で来たイタリア人俳優)氏らが含まれているがこれだけではない。

 サンブルーのディナーで私の向かいにいるのは、豪奢な今晩のウブロのインフルエンサーのトップ、もしくはそのうちのひとりである、イギリスの女優エイミー・ジャクソン氏だ。彼女はスパンコールのついたストラップレスのコルセットブラックドレスに、ダイヤモンドの付いたビッグ・バン スティールを身にまとっていて、きらびやかで美しかった。彼女がリバプール出身であることを知ったときの私の安堵感を想像して欲しい。「ウブロのことはまったく考えていませんでした」と彼女は語る。「でも今これを見て、これこそが時計のあるべき姿だと感じました」

the author and a guest from the party

 ウブロは“クマになるならグリズリーになりなさい”と言わんばかりだ。

 彼女はこの表現を聞いたことがなく、「ええ」と繰り返した。「まさにそれですね」と。

maxime

 私の左側にアーティストのマキシム氏本人がいることにふと気づく。彼は1日中サンブルーの話をしていたので、それ以上その話はしない。コネチカット州のことについて、ジャーナリズムについて、またこれだけ多くのソーシャルメディアのフォロワーを持つことの責任について話した。私のインスタグラムのフォロワーは500人くらい。でも彼は13万人ものフォロワーがいる。彼の「私はファッションが好きなのではなく、服が好きなのです」というフレーズが気に入ったのでここに書いておこう。

 彼は黒のトレーナーを着ており、それはかなり発達していると思われる左胸筋にプラダと書かれた大きな赤いラバーラベルがある以外シンプルなものだった。ウブロのトレーナーのようで、まさにフュージョンだ。私が思い浮かべるのは、ウブロのマニュファクチュールで、ジャン-クロード・ビバー氏がドライアイスの雲のようなものの中にいて、彼の周りにはフュージョンを呼び起こすための絵が描かれているというもの。あまりの素晴らしさとバカバカしさに、携帯の壁紙にしたいほどだ。

 彼がサンブルーをつけていたので試着してみてもいいか聞いた。すると颯爽とサイズを測ってくれた。好きともいえないし、トカゲのように見えなくもない。しかしここであることに気付く。

two men address the crowd
a hublot watch
the hublot party

 ほかのブランドとなると、時計が1本でも気に入らないとそれ以外のラインナップも悪く見えてしまう。もしくは望ましいと思っているせっかくのモデルも、なんだかつまらないものに思えてくる。でもウブロのミスは、私が好きなウブロをさらに好きにさせてくれる。

 なぜならウブロが気に入らない時計をつくったとしてもその裏にある感情を信じてしまうからだ。だから私はサンブルーが好きではない。(その感情を)誰が気にするの? ただ、好きになるためにこれがあるわけではなく、私が好きなウブロにも同じような誠実さが隠されていると思うように、この時計が好きなんだと信じられる。ウブロは常にウブロなのだ。

a hublot on the author's wrist

家に戻り、改めてテッド・グエン氏の時計、特に気に入らなかったものに目を向けてみる。特にクラシック・フュージョン アエロ・フュージョン アスペン スノーマスは、とんでもない名前を持つただのとほうもない時計だ。1週間前はいやだったけど、今は好きになった。だってこの時計は意図的につくられていて、万人に好かれるためにあるのではないと思うからだ。テッド氏含むほかの何人かのために気に入られるために、そこにいるだけなのだ。おそらく多くの人々がこの時計を最悪だと思っているだろう。

 でも私はこれが大好きだ。

 何をするにしてもひとえいの人間が反対することに恐怖を抱く、多くのほかの時計ブランドとは対照的に、ウブロは一部の人たちが絶対にいやがるようなプロダクトを作ることをいとわない。でもそこを愛している。ほかのブランドは保守的なのだ。そして面目を保つために、基本的にはデザインの保全性を“抑制”という名目で覆い隠さざるを得ない。ただ実際には、彼らの時計はすべて互いに似通っている。

 時計を何時間も見つめて、その週に見たほかの10本の時計とどう違うのかを見極めようとするよりも、私はあるブランドが出している時計の半分が格好悪いもの、もう半分が美しいものと、実際にその違いを見分けることができるようになりたいと思った。

the author trying a hublot on her wrist.

 ウブロは、自分たちの時計が気に入らない人がいることをまったく気にしていない。その結果、良識の範囲を超えたがる。彼らがサンブルーをつくろうとしているということは、サンブルーの愛好家が嫌うかもしれないポップアートも制作する気があるということだが、私はそれが時計のプラトニックな理想形だと思う。

 この記事のための調査を終え、サンブルーを“私には合わない”と強調して執筆する準備をしているとき、ピンクのものがオンラインで販売されているのを目にした。それは小売価格の約半分の価格だ。優秀なウブロ愛好家の誰もがそうであるように、この減価償却はプラスに働くと思う。しかもサンブルーをピンクで製造しているなんて知らなかった。そしてそれは単なるピンクではなく、トゥッティ フルッティと表現するにふさわしい色であり、私のこれまでのすべてを変えてしまった。