trophy slideshow-left slideshow-right chevron-right chevron-light chevron-light play play-outline external-arrow pointer hodinkee-shop hodinkee-shop share-arrow share show-more-arrow watch101-hotspot instagram nav dropdown-arrow full-article-view read-more-arrow close close email facebook h image-centric-view newletter-icon pinterest search-light search thumbnail-view twitter view-image checkmark triangle-down chevron-right-circle chevron-right-circle-white lock shop live events conversation watch plus plus-circle camera comments download x heart comment default-watch-avatar overflow check-circle right-white right-black comment-bubble instagram speech-bubble shopping-bag

Just Because ミッドセンチュリー時計広告の時代を超えた魅力を分析する

もし売れなければ、それはクリエイティブではない。- デイヴィッド・オグルヴィ(David Ogilvy)

 HODINKEE参加する前、私は世界最大の広告会社でコピーライターをしていた。主なクライアントは、ピックアップトラックで知られるアメリカの大手自動車メーカーだった。もちろん私はいろいろなアイデアを駆使していたが、我々には頻繁に立ち戻るべき一つのアイデアがあった。それは、アメリカ人におけるピックアップトラックの役割で、それはより広い意味での良き、実直な仕事の象徴ということだった。新しいモデルが生産されるたびにどんな最新技術が投入されたとしても、ピックアップトラックの位置付けはほとんど変わることはなかった。

 コピーライターの戦略における最も古い秘訣がある。それは、消費者を、現代的なものが抱えるトラブルの一切ない、よりシンプルな時代に連れて行くということだ。消費者が、かつて偉大だったものを都合よく選択的に受け入れることができる、古きよき時代に彼らを連れ戻すということである。HODINKEEのページをスクロールすると、現代の時計業界では、ノスタルジーがとても大きな役割を果たしていることが分かる。ほとんどの大手メーカーは、懸命にアーカイブを探り、レトロな雰囲気の製品に対する着実な需要に応え、それにマッチした広告を作っているのだ。 

 では、昔のコピーライターは、当時どのようなコンセプトで広告を作っていたのだろうか? 時計はどのように位置づけられていたのか。そして今日、我々が崇拝しているアイコンは、どのような広告戦術をとっていたのだろう?

 私はよく、時計業界のビジネス面を長年カバーし続いている業界誌『Europa Star』と『Eastern Jeweller & Watchmaker』のバックナンバーに目を通す。記事の中には業界についての忘れられた逸話がたくさんあるが、私が常々興味をもっているのは、その広告が我々に教えてくれることについてだ。今ではヴィンテージウォッチとなったものが、当時どのように位置づけられていたのかを直接見ることができるからである。私は、雑誌の広告の中で気になるものがあると、それを保存しているのだが、その広告が出た時代のより広い背景も含めて、まとめてみた。


宇宙:最後のフロンティア

 1957年10月4日、スプートニクの打ち上げ成功は宇宙開発競争の始まりを告げ、その後数十年にわたる地政学的、科学的、軍事的な状況を形作った。50年代の低俗な雑誌は、人類が天空を征服するという未来像をロマンティックに描き、新たなフロンティアを開拓する必要性を訴えていた。1958年にNASAが設立され、そのミッションステートメントは「全ての人のために(For the Benefit of All)」という簡潔なキャッチフレーズに集約され、宇宙旅行は文化的支柱となった。

 宇宙から見ると地球には国境はない。地球を超えた世界には、一体感や共同体意識といったものが存在する。それはまさに、広告が捉えようとする楽観主義やロマン主義と同じものである。

 オメガ スピードマスターは、1969年に月に行ったが、以来、それはオメガのコミュニケーションの中心的なテーマとなっている。「それはやや日常的なものになってきています。でも、オメガの誰ひとりとしてそれに慣れてしまったわけではありません」。2020年、オメガは依然としてNASAの宇宙飛行士にスピードマスターを提供している。それは今でもルーティンになっている。そして、彼らはまだそのことに感動を失ってはいないのだ。スピードマスターに対する熱意(オメガのマーケティング部門と愛好家の両方)は、この広告が70年代初頭に掲載されて以来続いている。

 この広告コピーは、シクラがアポロ11号の宇宙船の形をした時計を合計3本製造したと伝えている。月面着陸を記念して、時計は宇宙飛行士一人一人に贈られた。これは収集の観点からも興味深い。これらの時計は今どこにあるのか? しかし、マーケティングの観点から見るとさらに興味深い。この広告は、シクラがこのミッションに何らかの利害関係をもっていたことを示唆しているのだろうか? そうではない。しかし、このマーケティングの取り組みは、人類の偉大な功績の一つに対してノスタルジーを感じさせるものとなっている。公平を期して言うなら、「…人類にとっては偉大なる飛躍である」という言葉には、我々全員、もちろんシクラも含まれている。

 この広告には、一般的なミサイルが描かれているが、単純に想像したものではない。この広告が掲載された1961年当時、ソ連と米国は長距離を航行して世界中に核弾頭を運搬するミサイルを開発していた。興味深いのは、この広告が掲載された1年後、世界が全面的な核戦争に最も近づいたと考えられているキューバミサイル危機が発生したことだ。ピッグス湾事件の失敗をきっかけに、ソ連はキューバが主導する同島への核ミサイル配備計画にゴーサインを出した。フルシチョフとカストロは、ミサイルサイロの建設を進めるために秘密裏に会談した。1962年10月14日、U-2偵察機がソ連のSS-4ミサイルを撮影した。SS-4は、キューバから米国まで到達する慣性誘導方式で、メガトン級の核弾頭を運搬できる能力をもっていた。当時の時代精神を感じさせるものである。

 核の時代、そして宇宙探査の時代になると、自動車のテールフィンの飾りや、衛星をイメージしたロゴ、宇宙船をモデルにした時計ケースなど、デザインの幅が広がった。私には、この時計でどうやって時間を読むのかさえよく分からない。

   アートディレクションは、コピーライティングと同じくらい効果的である。このケースでは、星や銀河の中に置かれた時計が、シチズン クリストロンを宇宙探査というより大きな話題と結びつけ、技術の最先端というこの時計の位置付けをサポートしている。コピーは宇宙については一切触れておらず、この時計が月差3秒の精度であることだけが記されている。2019年には、シチズンは世界で最も正確な時計(時計の詳細は記事「シチズン エコ・ドライブ キャリバー0100を1週間レビュー」を参照)を作ることになる。


冒険

 時計と冒険の関係については、これまでにもかなり取り上げてきた。最も興味深いのは、時計の役割が、必要なものからロマンティックなアクセサリーへと変化したにもかかわらず、本当の冒険のための完璧なパートナーとしての位置付けはほとんど変わっていないということである。ツールウォッチ、そしてファッションウォッチでさえ、この場合、自分が何事にも挑戦する向こう見ずで上品な人物になったかのような気にさせてくれる。もちろん、それにふさわしい時計を着けていればの話だが。

 ビーチで、魅力的なパートナーと晴れた一日を楽しんでいるのは、もしかしてあなた? オールドイングランドのビーチウォッチを着ければ、きっとそうなる! この広告は1970年のものである。コピーには、「海にも、砂にも、カニにも、太陽にも、サーフィンにも、ダイビングにも耐える、それだけでは十分じゃない?」という気の利いたセリフが含まれている。この広告は1970年版の『Europa Star』に掲載されたもので、その頃にはビキニは広告に欠かせないものとなっていた。

 上は1975年の広告で、ランドローバーが掲載されている。この広告が掲載された当時、シリーズIIIが生産されていたが、写真のモデルはやや古いもので、時計の持つ冒険心や現実または想像上の場所を連想させる“サファリルーフ”が装備されている。このアイデアは、時計の役割が劇的に小さくなったにもかかわらず、現代のスポーツウォッチの広告に活かされている。


未来を見据えた取り組み

 20世紀半ばの防衛関連の研究から新素材や新技術が大量に生まれ、それが主流となっていった。そのため、時計とその製造に使用されるツールの両面で、新しい機能や改善されたものを宣伝することにより、製品のポジショニングが行われた。そしてブランドコミュニケーションにおいては、未来へのワクワク感を演出することが重視されるようになった。

 1967年のベンラスの広告では、顧客を“若く、活動的で、熱意にあふれる”と認識し、ベンラスが変化する消費者の状況に合わせた時計を作っていることをリテーラーにアピールしている。このようなコミュニケーションは、ノスタルジーとは正反対の発想で、時計が人々を過去と結びつけるという概念を捨て、逆に時計は未来への道を切り開くことを示唆している。ベンラスは、これらの時計を未来を切り開く科学者のためのものと位置付けていた。


利便性

 新しいテクノロジーの出現は、単なる見せものではなく、生活をより快適に、より便利にするためのものであった。日常生活の特定の用途のために設計された、あるいは、少なくともそのように売り込まれた製品が急増したのだ。マイクロカーが普及し、全自動洗濯機が多くの家庭に登場し、レンジで加熱したレトルト食品の夕食には粉末の濃縮ジュースが添えられるようになった。時計においても、便利さが求められていた。

 60分タイマーは、パーキングメーターにタイムリーにお金を入れる時だけでなく、さまざまな場面で役に立つものとして宣伝された。それは“アポイントメントや会議、家庭でのあらゆる計時にも使えます”と。これは1959年の広告である。

 時計の広告画像は『Europa Star』のアーカイブから集められたものである。現在から過去数十年にわたるものがアーカイブされており、Europa Starのオンラインで見ることができる。