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A Week On The Wrist シチズン エコ・ドライブ キャリバー0100を1週間レビュー(動画解説付き)

ひとつの時計が、すべての指針となる。

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腕時計は必需品というよりは装飾品として位置付けられている現代において、それを身に付ける動機は実に多様だ(アンディ・ウォーホルがカルティエ タンクを針が止まったまま着用していたことはそんな時代の到来を予感させたものだ)。議論は平行線を辿ることが多い。「精度は気にしない。それは意味のない強迫観念であり、オタク気質である。精度が気になるならスマートフォンを見れば良い」対する反論は「精度は超重要だ。精度が不安定な時計は、金はあっても浅薄なバカのためのものだ」

双方の主張に合理性があることは端から見ると理解しがたいかもしれないが、事実一定の的を射ている(ここでは詳しくは解説しないが)。腕時計は今やかつてのように必要性から身に着けることはなくなったのだから、精度とは関係のないような動機で選ばれても良いのだ。ノスタルジア、見栄、承認欲求、職人技への敬意、デザインへの愛等々である。 

しかし、私は時計メーカーが精度を軽んじることは高いリスクがあると考えている。もちろん、極薄のオープンワーク文字盤を持つ時計のように、精度や時計の読みやすさが劣後する時計に対して、視認性が悪いだとかクロノメーター級の精度に満たないと非難するものは本末転倒だ。しかし、時計の作りの精密さと精度に注意を払うことはオーナーと時計メーカーとの間の根本的な契約とさえいえる。これらに関して興味深い話がある。ザ・シチズン エコ・ドライブ キャリバー0100についての話だ。

ここまで読み進めてきたあなたなら既にお気づきだろうが、エコ・ドライブ キャリバー0100は史上最も精密で正確に作られた時計だ。シチズンからの公表値によると、年差はわずか±1秒と、20世紀中〜後期に作られた振り子時計)に伍する精度を誇る。原子時計から生成されるミリ秒単位誤差しかない時報をモバイル端末から得られる現代においては、この驚異的な精度も、やや陳腐に感じるが、歴史的・技術的見地から掘り下げるとキャリバー0100の素晴らしさをより理解できることであろう。

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精度への飽くなき追求

初期の時計は絶望的に不正確で、日差1時間はザラで、それらの所有者はサンダイヤル(日時計)を用いて時刻修正していた。そして、驚くべきことに、そのことは致命的な欠陥とは考えられていなかった。

時報となる鐘の音の利便性や1500年ごろに登場した懐中時計の嗜好的要素は、機械式時計の来たる時代の萌芽を存続させる程度には十分な存在意義が認められていた。1650年代の振り子時計の進化は、精度への道を拓いたものの、振り子はお世辞にも腕時計には向いていないし、当時のテンワ(調速)は補助的な存在であった。しかし、1670年代、テンワにヒゲゼンマイが搭載されることによって、正確な時刻を計測可能としつつ持ち運びもできる時計への道を拓いた。

ブレゲ巻上ヒゲゼンマイにバイメタル切りテンプを備えたジラール・ペルゴの懐中時計のトゥールビヨン 1889年

腕時計にしろ置き時計にしろ、その精度は一定の周期で振動する振動子の安定性に左右される。振動の安定性を損なう要素は、そのまま時計の精度の悪化に直結する。

例えば振り子時計では、精度確保のためには機械の調整と共に、外界の環境変化から隔絶することで素晴らしい精度が得られる。高精度な振り子時計はクォーツの精度や温度変化に強いインバー合金振り子時計の精度に匹敵し、現代的な脱進機構を備え、空調が整えられた部屋に置かれ、衝撃や振動を避けるために地下金庫のような場所に置かれることさえある。

振り子時計の精度は外的環境の変化に対する感応度の高さと表裏一体なのだ。これは月の潮汐力で歩度が変化することからも明らかだ。キャリバー0100にしても、この課題からは逃れられない。つまり、時計が正確になればなる程、通常では問題とされない環境の影響を考慮しないとならないのだ。

また、10秒の歩度の狂いはヒゲゼンマイ登場以前の日差20分の時計ならば無視できても、マリンクロノメーターにおいてはそうではない。座礁を招く可能性があるからだ。

ウルベルクのジュネーブ・オフィスに設置されている振り子時計リーフラー天文時計タイプE。2017年の記事でご紹介した通り、真空の中にインバー合金製の振り子を持つこれらの時計の精度は4年に1秒のずれだった。

 時計メーカーが次に対応しなければならなかったのは急激な温度変化と姿勢差であった。これらに向けた技術革新はバイメタル切りテンプや耐震機構、(賛否はあるが)トゥールビヨン、そして素材においてはニヴァロックスやシリコンヒゲゼンマイに結実した。しかし、精度に量子跳躍的な進歩をもたらしたのは、新たな振動子の登場である。 

基本原理として遅い周期で振動するより、速い周期で振動する振動子の方が高い精度を確保できる。機械式時計のテンワは実際かなり速く振動するよう作られており、振り子時計よりも速い(振り子は1秒間に1〜2振動が一般的で、大英博物館の高さ3.9mのトンピオン振り子時計は0.25Hzで作動することが観察できよう)。現代の機械式時計は1時間で2万8800回振動する(4Hz)のが標準的だ。史上初めてテンワとヒゲゼンマイのパラダイムから抜け出たのが1960年にブローバより登場したアキュトロンだ。これは電気によって作動する音叉を利用したもので、周波数は360Hz。

当時この時計に匹敵する機械式時計などあろうはずもなく、クォーツ振動子が登場するまでの10年間、君臨し続けた。

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クォーツ革命:精度のデモクラシー(普及)

クォーツ時計は水晶の圧電効果と呼ばれる特質を利用している。圧電体は電流を流すと、物理的に伸縮する。圧電体であるクォーツの結晶を適切な形状にカットして電流を流すと、振動を始める。多くのクォーツ振動子は音叉の形状をしているが、先のアキュトロンとの違いは、あまりに高い周波数であるため振動が人の聴力では聞き取れないことだ(音叉時計は360Hzのハム音がかすかに聞こえる)。

また、圧電体は形状によって電圧を発生させることができる。例えば3万2768Hzのクォーツ結晶があれば、振動を3万2768回カウントして秒針を運針するために放電する。これで時計の出来上がりだ。

現代のクォーツ時計に使用されている音叉の形状をした水晶振動子。(写真提供:Wikipedia

1969年のクリスマスに発売されたセイコー アストロンが最初のクォーツ時計である。金無垢ケースのこの時計はトヨタ カローラの新車並みの価格にもかかわらず、機械式時計とは対称的に、全産業への供給に伴う大量生産による価格押し下げ効果によって、その価値は劇的に下落していった。 しかしながら、機械式時計とは異なり、クォーツ式時計においては低価格であることが性能の良し悪しには影響を与えなかった。 今日において、クォーツ式時計は少なくとも技術的な見地からはほぼどれも違いがないと言っていい。ほぼすべてのクォーツは3万2768Hzで振動するからだ(この振動数は一般的な機械式時計の8192倍に相当する)。

この周期で振動する最初のムーブメントはジラール・ペルゴのキャリバー350であった。このムーブメントの内部回路を担当したのはモトローラ社だ。低コストで正確な時刻をいつでもどこでも得られる時代の到来を告げた。

しかし、その後もより高い精度への追求は、規模が小さいながらも、続けられた。最もよく見られたアプローチは振動子の周波数を上げることだ。シチズンはキャリバー0100開発のずっと以前よりこの分野におけるイノベーターであり続けてきた。 1975年、シチズンはクリストロン メガ・クォーツを発表した。

この周波数は何と4.1MHz(419万4304Hz)。実に機械式時計の100万倍を超える振動数である。そろそろ機械式時計がクォーツに敵わない理由が理解できたことだろう。 メガ・クォーツは商業的に成功したとは言い難かった。ダイヤモンド型にカットされたクリスタルを高速周期させるにはバッテリーを消費しすぎたからだ。バッテリーの持続期間は僅か6ヵ月間だった。

しかし、バッテリー持続時間の短さはあるものの、年差3秒の精度は圧巻であった。一般的なクォーツ式時計の精度が月差±15秒であることを考えると、これはチャレンジする価値のある時計だったのだ。

2.4MHzの高周波クォーツのキャリバー1511を搭載したオメガ マリーンクロノメーター(1974年)年差±12秒という精度だった。(写真提供: Wikipedia

この愛好家がHAQ(年差クォーツ)とも呼ぶべき分野では、他にも様々な試みが築かれており、例えば1974年に発表されたオメガ マリンクロノメーター(年差±12秒)や人々に忘れられかけられている実に美しいパルサー PSR-10など燦然と輝くモデルを輩出してきたが、スマートフォンの台頭の結果、もはやHAQは過去のものとなり、新たに投資する価値を見出すことはなくなったかに見えた。

しかし、機械式時計の愛好家達の目の届かないところで、時計作りの何たるかを求道する者達が大きな前進を求め続けた。

たゆまぬ努力の恩恵もあり、ブローバの262KHzの「プレシジョニスト」やロンジンのVHPなど、ここ数年の高振動クォーツの台頭は目覚ましい。グランドセイコーは高精度と機械式ムーブメント並みの耐久性を両立するムーブメントでこの分野を長らく牽引している。ここ数年の高精度クォーツの基準は年差±5秒といったところだろう。しかし、キャリバー0100の登場は精度の基準に新たな波紋を呼んでいる。


エコ・ドライブ キャリバー0100

キャリバー0100の飛躍的進化は蓋(けだ)し既存の技術の応用である。同時に、機械式、クォーツ式を問わず時計製造における未踏の領域の存在を業界に知らしめた。精緻さと誤差という観点においては、原子時計レベルの、GPS衛星やラジオ電波からの時刻情報を受信する時計が真っ先に思い浮かぶことだろうが、高精度原理主義者ともいうべき人々は、それらを時計というよりむしろ受信機だとか表示デバイスとみなすことだろう。

年に1秒しか狂わないというのは一体どういう仕組みなのだろうか?

忘れられがちではあるが、クォーツ式時計は電子機器である一方、クォーツ水晶は主ゼンマイではなく電気によって物理的に発振する「機械」的部品だ。クォーツの発振による超高周波はテンワとヒゲゼンマイを用いた振動よりはるかに高い精度をもたらす。しかしながら、振動の安定性の観点においては通常の機械式時計と同様の課題を抱えている。

前述した振り子時計のように、精度を追求するにつれ、当初は無視していたようなことも考慮に入れる必要が出てくる。例を挙げるとクォーツ水晶は温度によってわずかに影響を受ける。もちろん大量生産品においては問題とならないが、精密機器として見たとき、これらのバラつきは大いに問題となるのである。

音叉型のクォーツ水晶は姿勢差が生じることは知られており、衝撃によって周波数が変調したまま戻らなくなることすらある。クォーツムーブメントのケーシングについても同様だ。例を挙げると製造工程での埃の混入や、ガスの混入によって周波数が変化するといったこと等である。

キャリバー0100はATカット型のクォーツ水晶を採用しており、これは1975年に発表されたクリストロン(Crystron)と同じではあるが、周波数は838万8608Hz (約 8.4MHz)とずっと高い。私が認識する限りでは、他のどの時計よりも高い周波数を持つムーブメントであり、一般的なクォーツ時計の実に256倍も高い周波数で振動する。ATカットされたクォーツ水晶の形状は、音叉型と比較して振れ幅がずっと小さく、振動や衝撃に対する耐久性も確保している(シチズンによると、姿勢差による周波数の変化はゼロだそうだ)。

また、キャリバー0100に搭載される個々のクリスタルは、最適温度での周波数の安定性がテストされる。これは通常のクォーツの倍の精度を得るためだ。このムーブメントは1分ごとに周囲の温度を感知し、温度変化による僅かな誤差を相殺するために周波数を調整する。また、ATカットは外界温度の全域において一般的な音叉型にカットされたクォーツ水晶よりも安定した精度が保たれることが、もはや定説となりつつある。 

長年蓄積された技術的基盤に加え、機械式・クォーツを問わず時計製作において今や珍しい、高精度の中の高精度を時計から絞り出すような(いわば)産みの苦しみをあえて選択するという事実はあるにせよ、これらは別に奇跡的な革新とも言うべきものでもない。

キャリバー0100ムーブメントには、多くの石が使われており、その装飾もクォーツ時というよりも高級機械式時計に見られるものだ。

このような腕時計が実用化できたのには、時計業界の歴史において例を見ない異なる分野の技術の組み合わせた背景がある。キャリバー0100の技術的優位の決定打とも言えるのが、バッテリー管理である。

バッテリーの寿命が6ヵ月しかない1975年のクリストロンは、ちょっと気を引くレベルのものであるが、商業的成功に程遠いキワモノと市場には受け止められた。バッテリーそのものの技術の未熟さと高周波で駆動する発振器のエネルギー効率の悪さを解決するには1970年代という時代はまだ早かった。しかし、エレクトロニクスに前進を与えたシチズンのエコ・ドライブ(Eco-Drive)の低電力ICの開発と量産は、光にさらされる限り(そうでないときは6ヵ月のパワーリザーブ)、永久に8.4Mhzで振動するキャリバー0100へと道を拓いた。

ステッピングモーターの極細のワイヤーコイルとムーブメントの黒い仕上げの素晴らしいコントラスト。

キャリバー0100には従来からの発振器の技術の改善と発展を目的とした、付随的な特徴が多く見られる。エネルギー効率の良さ、駆動部品点数の少なさなど、いくつかの点で液晶ディスプレイを搭載する合理的な選択肢があっただろう。しかし、そうしなかったため、発振器と同等の精度を運針に求めるために更なる開発を要した。

針を持つアナログ文字盤のクォーツ時計において、秒針が正確に秒を刻まないことが時計愛好家の不興を買うことは火を見るより明らかなことであるが、キャリバー0100を所有する誰からもそんな不満は漏れないだろう。なぜなら、秒針の歯車の輪列は、秒針がブレないようLIGA成形された部品によるカエリ防止機構が搭載され、秒針の先端部はわずかにRを描くように曲げられ視差(見る角度)による誤読を防止するよう諸々の工夫がなされているからだ。

また、耐震機構も実に優れている。衝撃が加わると内部センサーがそれを感知し、運針を止める。そうすることで針ズレを防止するのだ(この耐震機構の制御は1000分の1秒単位で行われる)。 

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On The Wrist

高精度な時計製造における新たな新機軸を打ち出しながらも、エコ・ドライブ キャリバー0100の着け心地は驚く程クラシックだ。落ち着いた挙動をするステップ運針(セコンドマーカー上に的確に着する様は見ていて実に楽しい)がなければ、1950年代から−1960年代前半のドレスウォッチを身に着けていると錯覚してしまう程だ。

エコ・ドライブ キャリバー0100は次のバリエーションが展開されている。チタニウムケースから2モデル、ホワイトゴールド製のモデルの計3モデルだ(後者はテストのためにHODINKEEに貸し出された)。

デイトなしの3針にアイボリー色の文字盤の組み合わせはまさに方程式のごとくシンプルだ。しかし、腕に乗せる時間が経つにつれ、細部に気づくことになる。

デザインのモチーフはクォーツクリスタルだが、それがさりげなく表現されている。面取りされたリューズに、傾斜した針、サテンと鏡面磨きが組み合わされたアプライドインデックスに、控えめながら丁寧な面取りが施されたケースはスイスブランド勢がこぞって研究するであろうほどに細部に至るまで仕上げが突き詰められている(かねてから疑問に思うのだが、文字盤と針の仕上げがなおざりになっている超高額時計のいかに多いことか;この点、ロレックスとグランドセイコーは抜かりがないのだが)。

精度礼賛の向きには、キャリバー0100に足りない点は全くないと言っていい。ラグジュアリー感を維持しながらも、細部に至るまでの徹底した作り込みによって、精密機器としての立ち位置をおざなりにしていないところはこの種の時計としては稀有な存在だ。

デザインには破綻した部分がなく、当然デコラティブでもなく、デイト表示は省かれている。キャリバー0100は無論GMTもデュアルタイム機構も備えていないが、秒針と分針とは別に短針のみを時刻調整できるため、トラベルウォッチとして使い勝手も良いしサマータイムの切り替えも容易だ(もし、オーナーが長期間歩度テストを実施していたとしても時刻調整によってそれを中断する必要がない)。

18KWGケースを纏うこの腕時計は、意外にも全く指向の異なるA.ランゲ&ゾーネ サクソニア37㎜径を思い起こさせてくれた。サクソニアは2016年にHODINKEEで紹介して以降、ずっと私の手元にある時計だ。ランゲのこのモデルは言語化するのは難しいのだが、確かなのは持ったときや腕に乗せたときのg(グラム)数では表せない重みを感じるのだ。

2002年にこのサクソニアを流麗な文体で取り上げたウォルト・オデット氏はこの時計の「凝縮感」を次のように表現した。

「この時計に触れて5分も経たないうちに、私の持つ他の時計が何というか酷く陳腐に感じてしまった…」

 18KWG モデルのエコ・ドライブ キャリバー0100がパテックやヴァシュロン、そして神に選ばれしランゲに陳腐さを抱かせると言う気は毛頭ないが、クォーツ式腕時計に限れば、ひょっとしたらあるいはと思うのだ(グランドセイコー 9F系クォーツもこうした畏怖を抱かせる存在と思うだろうが、水晶式クォーツを採用する時計の頂点に立つとは断じ難い)。今回、チタニウムケースの2モデルを手に取る機会がなかったし、マザーオブパール製文字盤のモデルに至っては気になるかどうかすら確信が持てないでいるが(プレス画像で見る限り素晴らしい仕上げだ)、この 18KWG モデルについては言えば、洗練された広いダイヤルのキャリバー0100は、デザインの移ろいやすいクォーツ式腕時計の掟に反して実に普遍性を備えた腕時計と言えるだろう。

時計愛好家の間で自分の時計全般に対する嗜好や、特定の腕時計に対する偏愛を語る際は漠然とした論拠や、非常に主観的な思い込みを持ち出すものだ。それらを端的に表す言葉としてしばしばルネサンス期の新プラトン主義者に用いられた「魂」なる言葉が登場するのだが、それが何なのかはその言葉を用いる者も含め、誰一人として正確にその意味を理解する人はいない。

誤解を恐れずに言えば、私はキャリバー0100に時計を語る際に使われる「魂」を感じることはない。もっと言えば、最新の高級機械式腕時計のモデルに見られる血の通った、血の沸き立つような魂動を覚える感覚も皆無だ。

しかし、魂とは異なる形容がある。それは知性だ。シチズンが時計に注ぎ込んだような、性能と実用を備えた精度に賭ける血の滲むような細部へのこだわりの結晶がそれなのだ。

キャリバー0100を腕に乗せると、しばしばその存在を忘れるのはクラシカルな薄型の時計を身に着けたときのようだ。しかし、一旦目をやると、美しい面の均衡とダイヤルにほのかに宿る温かさにしばし目を奪われる。それから秒針がハッシュマークからハッシュマークへ瞬間的に移動することに気づくだろう。「バシッバシッバシッ」と射抜くようなときの刻みは禅射手が矢を的に当て、的が刹那割れるような場面が1分間に60回続くということを想像するようなものだ。正確無比を名乗る悪魔がいたとしたら、それは腕時計の姿で身を隠しているだろう。


競合する時計

性能という観点で、年差1秒を引き合いに出せば、向かうところ敵なしなのは明らかである。しかし、もう一歩引いて見てみよう。チタニウムモデルにしろ 18KWG モデルにしろ結局のところ、高いのである。チタニウムモデルは80万円(税抜)、 18KWG モデルに至っては180万円(税抜)なのである。私の若い同僚のスレた表現を借りれば、3針クォーツに金をつぎ込むなんてドヤりをこじらせてる、といったところか。

キャリバー0100の競合は結局のところシチズン自身である。キャリバー0100は無から創造されたものでもなければ、前身がないわけでもない。長年にわたり年差±5秒のザ・シチズンをエコ・ドライブ/電池式で展開している。言っておくが、年差±5秒だって驚異的なパフォーマンスと言える。これらのモデル群はキャリバー0100に比べ、ずっと入手しやすい。我々が記事に取り上げたAB9000-61Eは23万円(税別)である。

ザ・シチズン クロノマスター。

 他社から候補を挙げてみよう。ブライトリングは電池式モデルのすべてに温度調整機構を備えたスーパークォーツを採用している。我々は2017年にコルト・スカイレーサーを持ち込み、当時の編集部のルイス・ウェストファーレン氏によってValue Propositionの記事に取り上げたほど印象的なモデルであった。約20万円という価格は高精度クォーツのなかでは圧倒的なコストパフォーマンスを誇っているものの、スタイル面でもキャリバー0100とは方向性が異なり、装着性や仕上げも同レベルで競合しているとは言い難く、あくまで価格相応といったところだ(あちこちぶつけてしまうことが気にならないのは利点だが)。

そして、セイコーもといグランドセイコーである。グランドセイコー 9F系クォーツは年差±10秒に調整されているが、2018年に登場したキャリバー9F 25周年記念モデルは年差±5秒にまで精度が追い込まれた。これは既存の9Fムーブメントの組み立て工程の大幅な改善によって実現された。端的に挙げると、クリスタルの選定から温度調整機構の組み立て前のエイジングを、一般的なクォーツ時計が採用する工程より遥かに多くの改善を成し遂げたうえで、実行したのだ。

厳密で非情にも見える年差±10秒から±5秒だが、それでも年差±1秒ではなく、今後も標榜することはないだろう。

まことしやかに囁かれるには、9Fクォーツは公表されているよりずっと高い精度(年差±1秒)を叩き出すこともあるそうだが、あくまで保証する公表値とは別物という扱いなのだ。

クォーツ時計というジャンルを1969年に初めて確立した企業からクォーツ時計を買うことと、名門グランドセイコーを手に入れることは、語るべき点が多い。技術面から審美性までのあらゆるレベルでの完璧さへの追求によって、9Fクォーツを搭載するグランドセイコーはエコ・ドライブ キャリバー0100の最も手強い好敵手となるだろう。

私から見たグランドセイコーとシチズンの根本的な違いは前者が日本人のモノづくりに対する姿勢(そしてその帰結としての正確さの追求)を象徴しているように感じさせるのに対し、後者はイノベーティブな技術集団であるという点だ(光発電技術やプロマスターに搭載されるセンサー技術など枚挙に暇がない)。究極的にはどちらの企業にも矜持があり、この2社を選ぶということは、そのままどちらの時計を選ぶのかということと同義となる。

精度にしろ何にしろ、ひとつの基準は優れた時計の全体を構成する一要素に過ぎないのだが、それが全体を超えるということがしばしば起こりうるのである。

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結論

500年の歴史を有する時計史において最も正確無比な時計を身に着けることに対して僥倖を覚えるか、どうでも良いと感じるかは意見が割れることだろう。あるいは、クォーツ時計に多額の金を投じることに対しては、せいぜい笑われるか、最悪馬鹿にされることだろう。そうした人々には想像もできないだろうが、私がこの時計を腕にの乗せた感覚は想像を絶するほど衝撃的だった。

この時計に対する反応の大きさというのは、率直に言って、精度の追求を詰まるところ純粋に楽しめるかどうかにかかっている。私の経験でいうと、時計に関心を持つきっかけとなったのは物理学のある課題に対する解決手段としてであって、審美性は二の次であった。それは遠い過去の話であり、長年にわたって個人的にも職業上にも、時計をより広い視点で俯瞰するだけでなく、個々の時計が持つ軸で観察し記事を書くことは実に楽しいことだ。

時計ライターとして常に突きつけられるのは「この時計が目指すものは何か? その狙いは成功したか?」が「この時計が好きか?」に優先されるのである。後者の問いは潜在的顧客に対しては役立つ情報ではあるが、批評家や時計愛好家に対しては前者の問いの方が受けが良いのも事実なのである。 

ある時計は性能の上では稀有な存在である。しかしながら、時計としては他の時計と大きくは違わない;技術的な面のみに着目せず、すべての要素がどの程度調和しているか、そして外観が如何に技術魂(あるいは知性とするのが適当か)を表しているかを評価するとそう見えるものだ。

複数の基準に照らし、また、目指すべき姿にどの程度肉薄しているかという点において、シチズンはホームラン級の成功を勝ち得たと評価したい。18KWGモデルのシチズン エコ・ドライブ キャリバー0100はこれまで腕に乗せたどの時計とも異なる。正確さという評価軸の上では、完璧な腕時計といえる。そして、筋金入りの高精度クォーツ愛好家ための時計であることは明白である。

しかし、人智と情熱の大きさと、職人技のアプローチの結果得られた正確無比さは、オープンマインドな機械式時計愛好家をも魅了するものがあると私は考える。

キャリバー0100を打ち負かすにはどうすれば良いだろう? 年差1秒の精度を改善するなど想像すら難しいが、クォーツ振動子の精度追求のための改善は果てしなく、実現可能であろう。しかし、次世代の精度の跳躍的進化はチップ大の原子時計の実用化にあると私は考えている。これらの装置はかつてクォーツが黎明期に抱えていた問題と同じである。エネルギー消費と大きさが原子時計が原子腕時計となることを阻んでいるのだ。時計史が我々に教えてくれるのは、こうした問題は必ず解決の糸口が見つかるものだということだ。遅かれ早かれ、である。

実用的で適切な大きさの原子腕時計が登場するか否かを知る術はない。それが何ヵ月、何年、何十年先かどうかすら見当もつかない。しかし、その時までの当面の未来において、キャリバー0100は精度の王者として君臨するであろう。

すべてのバージョンのザ・シチズン エコ・ドライブ キャリバー0100については、我々が以前Introducingで取り上げた記事をどうぞ。さらにスペックなどの詳細を知りたい方は、シチズン公式サイトでご確認を。