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Historical Perspectives 時計ブレスレットメーカー以上の存在だったゲイ・フレアー

ゲイ・フレアーのストーリーは1830年代にまで遡るが、時計用ブレスレットから始まるわけでも、それで終わるわけでもない。

本稿は2017年4月に執筆された本国版の翻訳です。

ヴィンテージウォッチに関して言えば、コレクターはケースの状態、ラグのシャープさ、ダイヤルのオリジナル性といった明白な理由から、時計に何が付いているかではなく本体に注目する傾向がある。これらはすべて、目の前にあるものを評価するときのチェックリストの一部であるのは事実だ。しかし、その時計がおもしろそうなブレスレットに付いていて、さらにその手がかりが見つかりそうなら、それは珍しい時計というだけでなくレアなアクセサリーも手にしたという可能性がある。今日、間違いなく最も有名なブレスレットサプライヤーであるゲイ・フレアー(GayFrères)社を調査したが、それは時計のブレスレットにとどまらない、素晴らしいストーリーを持っていることがわかった。

クラスプにはゲイ・フレアーの特徴的なエングレービングが施されている。

 ヴィンテージウォッチを手に取り、ブレスレットのクラスプに刻印された“G”と“F”の文字、そしてそのあいだにある羊の胸像が確認できたら、そのブレスレットはオリジナルである可能性が高い(少なくとも同時期のもの)。その昔、時計メーカーに製品を供給していた人たちの名前と同じように、時間が経てば、線は柔らかくなり、刻印も目立たなくなり、それらも色あせてしまうだろう。しかし、これは20世紀を代表する金属加工業者によるブレスレットで間違いない。今日、オークションカタログに掲載された、“ゲイ・フレアーのオリジナルブレスレットが付属”した時計の物語である。

The Bonklip (far left) for Rolex and the evolution of the Oyster bracelet.

ロレックスのボンクリップ(左端)と、進化していくオイスターブレスレット。

 ロレックスの初代のブレスレットは、当時ブレスレットサプライヤーとして有名なゲイ・フレアーが手掛けたことについては説明した。時計の世界に足を踏み入れるには悪くない方法だろう? ロレックスのために、ゲイ・フレアーは1930年代初頭からボンクリップ・ブレスレットを大量に注文していたのだ。

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 これらは伸縮自在なうえ、非常に快適で堅牢だった。また、ゲイ・フレアーのような専門知識を持つメーカーにとって、大規模に生産するのもとても簡単だった(詳細は後述する)。これは当時流行していたスタイルであり、他社も同じデザインをロレックスに供給してきたが(実際にそうしていた!)、GF(ゲイ・フレアー)のつくりのよさのほうがいちばん印象に残った。

この広告はボンクリップのメリットのひとつである、さまざまな手首のサイズにフィットすることを強調している。

 これらのステンレススティール製ブレスレットがもともと頑丈であるならば、ゲイ・フレアーを魅力的なパートナーにしているのは、デザイナーのオリジナリティにある。20世紀のあいだ、同社はSS、ゴールド、プラチナをもとに、あらゆる形やサイズのブレスレットをつくり、当時のさまざまなファッションを完璧に捉えた製品を提供することができた。特にアール・デコ時代のものは種類が豊富かつ芸術性に優れていた。国境を越えたフランスのメゾンであるカルティエが、1920年代から30年代にかけてそのスタイルのセンスを証明した一方で、ジュネーブに拠点を置くこのブレスレットサプライヤーも同様のセンスを示した。興味深いことに、1930年代にSSケースが流行したことで、ゲイ・フレアーは成功を収める。この金属は当時、ゴールドよりもかなり加工が難しく、多くの専門的な職人技が必要とされたため、ゲイ・フレアーが特別な専門技術を有していた分野のひとつであったことは間違いない。

 ほぼ間違いなく、ゲイ・フレアーはジュネーブの名だたるマニュファクチュールのために、その最高傑作を製作した。1940年代から50年代にかけて、同社はふたつの近しいブランド、パテック フィリップとヴァシュロン・コンスタンタンの時計の品質に見合ったブレスレットを供給していた。パテックでは写真のライスブレススタイルの汎用性を証明し、シンプルなSSカラトラバやローズゴールドのパーペチュアルカレンダーと組み合わせている。忘れてはならないのは、オークションで落札された史上最高額の腕時計(1100万ドル/当時の相場で約11億9670万円のSS製パテック フィリップ Ref.1518)の新しいオーナーの手首に巻かれるのがゲイ・フレアーのブレスレットだということだ。素晴らしい個体も同じリファレンスだろうか? ブレスレットもゲイ・フレアー製のものが多い。

The 1518 from Patek Philippe, introduced in 1941, was Patek's first perpetual calendar with chronograph, ever.

1941年に発表された、テック フィリップの1518は、パテック初のクロノグラフ付き永久カレンダーである。

 しかしゲイ・フレアーの素晴らしさは、ドレスウォッチに合うブレスレットとスポーツウォッチに合うブレスレットを区別する非常に細かいニュアンスを理解していたことだった。ある領域から別の領域へと設計を適応させることができるのは重要なことだった。

ゲイ・フレアーのブレスレットが付いた1969年頃製のホイヤー Ref.2447SN。2016年のフィリップスで4万スイスフラン(当時の相場で約445万円)で販売された。

 1960年代から70年代にかけて、一部のメーカーがクロノグラフをはじめとするフェッショナル向け腕時計の製造に注力するようになると、ゲイ・フレアーは新しいデザインを選ぶようになり、オイスターのような巻きブレススタイルで両端を挟んだライスブレスレットをホイヤーなどの企業に提供した。これは初期のカレラやオータヴィアを含むいくつかのモデルに当てはまるが、ノバビット S.A.(NSA)社のブレスレットを使用したモナコには当てはまらなかった。ホイヤーもロレックスと同様、複数のサプライヤーを抱えていたのだ。

ヴィンテージのゼニスクロノグラフで見られる、有名なラダーブレスレット。

 一方でゼニスは自社製クロノグラフ、エル・プリメロ用にラダー(梯子)ブレスレットと、ホローリンクブレスレットの両方を発注していた。つまり1969年時点のGFは、別々の会社が作ったと思われるほどデザインの異なるブレスレットを、互いに直接競合するメーカーに供給していたほど悪名高かったということである。特にラダーブレスレットはゼニスを象徴するものとなっており、GFのデザインであることすら知らない人もいるほどだ。これらは確かに時計に独特の外観を与えた。そのためオリジナルブレスレットが外された状態で市場に出回ることが多く、現在ではSS製であっても、単体だと2000ドルから3000ドル(当時の相場で約23万~35万円)の値がつく。

ゲイ・フレアーは、いつでもブレスレットの幅広い選択肢を提供していた。

 1970年代には、エレガントなデザインと力強いデザインの繊細なバランスが、パテック フィリップのようなかつての顧客だけでなく、SSを扱ったことのない時計職人を含む、より確立された大企業を引きつけた。ロイヤル オークが登場する前のオーデマ ピゲは複雑なドレスウォッチを製造していたマニュファクチュールであり、そのすべてが貴金属でできていたため、最初の一体型ブレスレットのデザインは非貴金属に関するGFの専門知識に大きく依存していたのだ。その4年後、パテック フィリップがノーチラスを発売したときも同じだった。

 実際、1976年にゲイ・フレアーは、オーデマ ピゲやパテック フィリップよりもずっと大きな規模になっていた。ジャック=ユベール(Jacques-Hubert)とジャン=フランソワ・ゲイ(Jean-Francois Gay)の兄弟が家族経営していたこのブレスレットサプライヤーは、ジュネーブで最大かつ最も専門化された工場であり、500人以上のスペシャリストが在籍していたのだ。

ロイヤル オークとノーチラスは同じジェラルド・ジェンタ(Gérald Genta)を父に持つだけでなく、ブレスレットのサプライヤーも同じであった。

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時計のブレスレットが登場するまで

ジャガー・ルクルト、ユニバーサル・ジュネーブ、ティソ、IWC、エテルナなど、ゲイ・フレアーの持つ輝かしい顧客リストは挙げればきりがない。しかし、ゲイ・フレアーの重要な点は見過ごされがちである。まずは設立された1835年に遡る。この年代は19世紀前半には腕時計が存在しなかったことを考えると、ゲイ・フレアーが最初から腕時計のブレスレットメーカーではなかったことを示している。実際、ゲイ・フレアーはブレスレットメーカーとしての地位は確立しておらず、ロレックスの傘下(1998年に買収)となった今もそうだ。

ゲイ・フレアー製のもうひとつの種類のブレスレットと、それと揃いのネックレス。Courtesy: Piguet Auction house

 ゲイ・フレアーは、フランス語で懐中時計用のチェーンを製造する会社を意味するチェイニストとして生まれる(16世紀に起きたペンダント需要はそののち3世紀後に復活し、1920年代のペンダントトレンドでは頂点に達した)。1942年の“Montres Et Bijoux de Genève”誌の記事によると、ジュネーヴはチェイニストの質の高さが非常に有名で、北イタリア、トルコ、バルカン諸国では、チェイニストのリンクが通貨価値を決めていたほどだった。懐中時計が腕時計にその座を奪われると、チェイニストはチェーンに加えてブレスレットも提供しなければならなかった(生き残ったところもあるが多くは廃業した)。貴重なネックレスやブレスレットが自然に広まる一方で、ゲイ・フレアーは指輪を含むほかのクラシカルな宝飾品も提供していて、そのうちのひとつが時計のブレスレットのクラスプで見られる、羊をモチーフにしていた。

ゲイ・フレアーの古い広告では、ブレスレットと時計用ブレスレットについて、同様の構造を示していた。

 これは現在ではあまり知られていないゲイ・フレアーの一面であるが、当時同社が推進した最大のビジネスのひとつであった。権威あるジュネーブの展示会、モントレ・エ・ビジュー(Montres et Bijoux)の年間カタログを見るとよく理解できる。ゲイ・フレアーは常に洗練されたネックレスや華美なブレスレットをいくつか展示していたが、当時大量に製造していた“一般的な”腕時計用ブレスレットは一切展示していなかった(そのため、バーゼル見本市には参加していた)。もちろん、これらの格調高い作品によってGFは、自動車業界がコンセプトカーを製造するかのように、同社が実現できる職人技をわかりやすく示すことができたと言えるが、正直なところ、これはショーのためだけに作られた逸話的な作品ではなかった。

Gay freres 1969

1969年の非常に遊び心のある例。この小さなジュエリーは、ラウンドエンドにゴールドを使った革新的な処理で、その年に賞を受賞している。

 現在、ピアジェのために信じられないほど薄いブレスレットをつくっている、かつてのゲイ・フレアーの従業員に話を聞いてみると、彼らの技術を形作っていたのはジュエリーであり、それにより高度な時計用ブレスレットが考案できるようになったことがわかった。あるいは、とあるベテランが説明していたように、ロイヤル オークのブレスレットの仕上げでさえ、何人かの有資格労働者が次々と介入してくるような作品を定期的に作るのに比べれば、簡単に感じられたのだ。そして、ちょっとしたミスが原因で、アイテムを溶かして1からプロセスをやり直さなければならなかったことが多いことも知っておく必要がある。これは間違いなくチームワークの素晴らしさをあらためて認識させるものだ。ゲイ・フレアーのこの側面は、伝統的な時計製造と同様、細かな作業が重要な世界であることを明らかにした。

Gay Freres 1970

1970年に発表されたこのモデルは、最近のオーデマ ピゲ フロストゴールドのように、ゴールドの仕上げにダイヤモンドのようなきらめきを持たせていた。

Gay Freres 1967

ゲイ・フレアーの1967年のコレクションは、まさにパテック フィリップやオメガでジュエリーと腕時計を結び付けたもうひとりのデザイナー、ジルベール・アルベール(Gilbert Albert)のエスプリにあふれている。

 これらのジュエリーは、少なくともゲイ・フレアーの出自が強調されてオークションに出品されることは少ない。おそらく印象的なGFマークがあるブレスレットに比べると、そのマーク(もうひとつの知られたマークは、鍵のなかに描かれた数字の32だ)があまり目立たないからだろう。しかし我々の見立てでは、それらはほかの希少な腕時計用ブレスレットと同じくらい興味深いものとなる。なぜならそれが、20世紀にゲイ・フレアーが腕時計用ブレスレットの卓越したメーカーになった経緯を物語り、ジュエリーと時計の関連性を再び浮き彫りにし、それがあまりにも多くの場合無視されているからである。結局言いたいのは、1571年にイギリス女王エリザベス1世のために携帯可能な宝飾品として設計された、最初の腕時計ではなかったのだろうか? ということだ。